破落戸
ネハは典型的な破落戸である。
清々しい程典型的な破落戸である。
ナナタ領内にはそんな輩が溢れている。
そう、どこにでもいるのだ。
その中でも組織に属せない小物は領内をふらふらと移動する。
西が駄目なら東へ、東が駄目なら北へ、北が駄目なら南へ、南が駄目なら西へと、一周する頃にはどこかの組織に属しているか、或いは死んでいる。
そしてそう言った半端者の大半は傭兵組合に登録している。
大抵の場合で討伐依頼を主とする第二種傭兵として登録する。
害獣相手に日頃の鬱憤を晴らそうとでも言うのか、ただ単に武器を振り回す事と力への憧憬なのか。
いずれにせよ力の無い者はこの時点でまともな道へと引き返すか、最初の依頼で死ぬ。
傭兵組合もその事を分かっていて止める事は無い。
ナナタ領に限らず、あまねく領主は増えすぎた人を合法的に減らす手段を欲している。
そうやって淘汰された破落戸は力のみを信じる者が多く、そんな奴等を相手にする職種もまた多かれ少なかれ同じ様な性質を帯びる。
傭兵組合や公衆警察は当然の事、武器防具を扱う工房もまた荒い者が多く存在する。
さて、そんな状況で重繊維工房等と言う見慣れない看板を見た破落戸は何を考えるのだろうか?
重と言う文字は無視され、残った繊維と言う単語はどこか生活的で軽々しい、と考えるらしい。
加えて看板にどこの商会の紋章も見当たらないとなれば尚更である。
止めとばかりに立て看板に記された武器防具も扱っていると言う広告まであれば、一定割合でよからぬ客が来訪する。
シシル重繊維工房を構えて既に二年。今更寄って来るその様な輩は大抵余所から移って来た者達ではあった。
話を戻そう。
ネハは典型的な破落戸である。
考えは致命的な程足りないし、腕っ節は跳び抜けて強かった。
知力を腕力で補って生き抜いて来たのがネハだった。
だから全身タイツさんの接客を受けても驚きこそすれ怯みはしなかったし、顔と思しき部位に文字を表示する全身タイツさんに喧嘩を売るのも躊躇しなかった。
全身タイツさんは落ち着く様に促す文字列を繰り返し表示していたが、ネハは血気盛んなクレーマーなのだから全くの逆効果である。
意図的な怒りに身を任せたネハは、ついに全身タイツさんの胸倉を掴もうと――したがどこを掴めばいいか分からず、一瞬小首を傾げてから乳房を鷲掴みにした。
さて、ネハは考えの足りない破落戸である。
足りないが、考えない訳では無い。
先程までの怒りはどこかに消え去り、全身タイツさんの乳房を凝視しながら揉んでいた。
『止めてー!』
全身タイツさんが抗議の文字を表示するが、それはネハの視界に入らない。
ネハが見ているのは己が掌の動きに合わせて変形する乳房である。
否、乳房の様なふくらみである。
感触がおかしいのは想定内だった。
けったいな布をかぶってやがると、その程度の認識はあった。
それは思った以上に滑らかな肌触りは心地よかったが、問題はそこではない。
ネハは破落戸である。
女の乳を揉んだ事は初めてでは無く、抱いた娼婦は数知れず。
その中には獣人種も含まれていたし、一人だけだが胸部が無基系な金属種の女――その店の一番人気だった――も知っていた。
「この感触はなんだ……?」
乳房を揉み続けるネハの前で全身タイツさんがわたわたと両手を動かして、文字を表示する。
『どこ触ってるんですかー!』
今度の文字は胸部に表示されていたが、ネハの意識は視覚よりも触覚に注がれていた。
「中身は布?」
ネハの手には明らかに肉と異なる感触が握られていた。
それはまるで綿を掴む様な弾力に乏しい感触で、ネハはその感触に思考を止めているのである。
表面の触りり心地が良い事と相まって妙な中毒性すら誘発する。
『いい加減にしろ』
そして全身タイツさんの堪忍袋の緒が切れた。
ネハの両手首を掴んだ全身タイツさんはそれを強く握りしめる。
ネハの悲鳴が工房内外に響き渡った。
何人かの近隣住民が何事かと工房を覗いたが、全身タイツさんに締め上げられるネハを見て去って行った。
最近でこそ珍しい光景だが、工房を構えた当初この手の騒ぎは頻繁にあったのだ。
どこぞの流れ者がやらかしたのだと、近隣住民は全身タイツさんに頭蓋骨を鷲掴みにされてのた打ち回るネハに大した興味を抱く事も無い。
『いったい何をしに来たんだ? 客じゃないのか?』
数分後、ようやく許しを得られたネハは全身タイツさんの前で正座していた。
工房長はともかく、全身タイツさんは鬼では無い。
客であるのなら改めて接客してやるが、そうでないのならば工房長に献上しよう。
そんな考えを知ってか知らずか、ネハが出した回答は客であると言う事だった。
「表の看板に武器も扱っているとか書いてあったから、はい」
『客だったのか』
適当に脅して巻き上げようとか考えていましたとは言えないネハに、全身タイツさんは嬉々として武器を進める。
全身タイツさんが全身を使って表示する武器の性能を読み流しながら、ネハはなるべく安い武器を買って立ち去ろうと考えていた。
そう言った安易な考えで差し出される武器の一つを手に取ったネハは驚愕する。
「触り心地すげぇ!」
武器の表面は先程堪能していた全身タイツさんの体表と近い肌触りであった。
『……そこ?』
軽さとか頑丈さとかじゃなく? と表示して小首を傾げる全身タイツさんそっちのけで、ネハはただその触り心地に驚いていた。
「お客様御目が高い。この工房では全ての製品で肌触りを重視しております」
唐突に横合いから投げかけられた声に、ネハはいつの間にか隣に立っていた人の存在に気が付いた。
だぶだぶのローブに身を包んだ、十七指を備えた二対の腕と五つの目を持つ奇怪な工房長がそこにいた。最初からずっと様子を伺っていたのだ。
ここまで極端な金属種は初めて見るなと、ネハは工房長も不躾な視線を向ける。
工房長は金属種ではないのだが、ネハの中では奇形が金属種で毛むくじゃらが獣人種と言う認識である。
「その様なお客様にこちらもいかがでしょうか?」
工場長は鬼である。それは比喩的な意味で、分野は広い。
その日、ネハが購入させられたのは二本のナイフと簡素な防具、そして枕であった。
結構な額の買い物をしながらも枕の触り心地に満足して帰って行ったネハは知らない。
工房長が肉塊の予備を欲していた事と、僅かな買い物であれば帰す気が無かった事を。