異常者
フロウは感心していた。
連領連合内部におけるフロウには多数の制限が存在している。
その中で最も重大な制限は、熱量が有限であると言う点だ。
連領連合では魔王との接続が限りなく稀薄である。
接続器――連領連合では副脳と呼ばれる器官を保有する者との僅かな繋がりが、魔王と連領連合を繋ぐ唯一糸である。
その稀薄な繋がりを利用して、約千年周期で一度送り込める程度の接続。
もっとも、そうそう頻繁に観測する意味も無い現状ではそれで十分ではあるが。
送り込んだフロイ=サウラの断片的複製情報が一定量以上蓄積された時に、それを許容し得る器が存在した場合に初めて顕現する。
魔王に代理構成端末と呼ばれるソレが、フロウである。
フロウが保有する熱量は器となった者が保有していた総熱量である。
誤魔化しに誤魔化しを重ね、節約して切り詰めて、それでも尚フロウと言う存在は大半の人族を大きく超越しているし、領主の私兵が相手であっても不利とは言い難い。
だからこそフロウは感心していた。
何やら細工のされた手袋を装備しているとは言え、個としての人族の能力で自身がどうこうされてしまうなんて、殆ど想定していなかったのだから。
「クハクハクハ」
笑っている。
脇腹を抉られて内蔵が一部零れ出た状態で楽しそうに笑っている。
「異常だねこれは」
フロウも笑っている。
残された熱量ではその姿形を維持する事すらままならず、腹部と胸部は消失したままだ。
宙に浮く下半身と両腕がばらばらにイイを襲い、それらの攻撃を紙一重で掻い潜ったイイの拳が頭部へ打ち付けられる。
今頭部が破砕された場合、その再構成を行う熱量は残されていない。
当然ながらその拳と頭部の間に障壁を造り出す熱量も残されていない。
フロウの頭部は拳を受け入れる他無く、結果頭部の上半分は爆散した。
その隙を突く形でイイの後頭部を襲った右腕は肉片に変えられてしまったが、左腕はイイの右膝を裏から貫いた。
追撃を仕掛けた下半身は左腕が打ち込まれたままの右足に蹴り飛ばされ、吹き飛ぶ様に大地を転がった。
無理な蹴りが災いして、イイの右足は膝から千切れる。
「クハ」
だが、イイは止まらない。
フロウもその結末は分かっていた。
自分を破壊しきれると判断されれば、目の前の狂人は負傷等考慮しないだろうと。
右足が短くなったイイは倒れ込む様に転がるのと同時に、右腕でフロウの左腕を掴むとそれを徹底的に破壊した。
二回前転する間に、フロウの左腕はただの肉片へと成り果てる。
「最早顕現不可能な領域まで熱量を消費した。否、消費させられた。君の勝利だよ、狂った御老体」
消滅しつつあるフロウの惜しみない賞賛に、イイは短く笑い声で応えた。
そして、静寂が一瞬だけその場を支配し、直後に勝者の狂った笑いで溢れ返った。
「クハクハクハクハクハ」
勝者、である。
フロイ=サウラは魔王と一体化した太古の魔法士、最強の武力を誇り叡智の最高峰であった、過去と未来を通した人族の中で限り無く完璧に近い人物である。
その事を知るのは今となっては魔王だけだ。
だからダラダラすらこの異常の本質には気が付いていない。気が付けない。
思い出した様にイイの身体から血が流れ出す。
ダラダラの与えた手袋がその役目を終えたのだ。
そして血液の流出は再び止まる。
イイが自力で止めたのだ。筋力で。
『普通は筋力で血を完全に止める事は出来ないと思うんだけどね』
いつの間にかそこに居た全身タイツさんが呆れた仕草と共に文字を表示した。
その身体から布が編み出され、イイの傷口に纏わりついて止血した。
ついでに千切れた右足もくっ付ける。
『半日くらいで同化するからあまり派手な動きはしないように』
全身タイツさんがそう表示する前で、イイは繋がったばかりの右足を動かして具合を確かめていた。
「クハ、大した傷じゃないさね。ちょっと膝が消滅して内臓がでろりどろりって程度さね」
それは十分に致命傷か再起不能の領域だと思いながらも、全身タイツさんは何も表示せずただ肩を竦めた。
同時に全身タイツさんは不安にも思うのだった。
契約が成された場合、自分はこの戦闘狂の思考や記憶や個性や意識と統合されるのだ。
得も知れぬ悪寒を感じた全身タイツさんはぶるりと身震いをして、取り敢えずその事は忘れる様に務めた。
少なくともこの戦闘狂はまだ死んではいないし、契約はイイが戦闘で死亡する事によって成就するのだから。
そう考えて、全身タイツさんはふと気が付いた。
自分が契約を履行したくないと考えたのは初めてではないかと。
ざっくりと記憶を漁って、それが間違いない事を確認する。
確認すると同時に気が付いた。
古い記憶では契約は履行される物と言う事しか認識していない事に。
それではいつからこの様な思考を持つ様になったのかと思い再度記憶を漁ったが、判然としない。
少なくとも契約によって人族の思考や記憶や個性や意識を統合するのは、全身タイツさんがより人族に近付く手段であるのだから、その点においては成果とも言えるのかも知れない。
そう考えると、些か統合する対象は奇異な人物ばかりではないだろうか、とも思った。
そこで全身タイツさんはこの件に関する考察を一時的に凍結した。
先にやらなければならない任務があるからだ。
『半日くらいで同化するからあまり派手な動きはしないように』
繰り返しの表示をしつつ、立ち上がったイイの両肩を両手で抑え付ける。
「クハ、もう治ったさね?」
そんな訳は無い。如何にイイが異常でもそれは無い。
『金属種への転換手術を希望?』
そんな所業を成し遂げる為の手段を提示すると、イイはそれは勘弁願いたいさねと肩を竦めた。
何がイイをそこまで生身に拘らせるのだろうかと、全身タイツさんは少しだけ気になったが、そんな事よりも重要なのがダラダラから授かった任務である。
イイをその場に留めておきなさい。
模倣種の先祖返りは逃亡した。
ナースは連携が取れていない。
領主は非常事態宣言を発令中。
公衆警察は絶賛捜査活動中。
傭兵組合も戦力を集めている。
イイがそれらの全部に片っ端から突っ込んで行ったら、大惨事である。
普段のイイなら小指の甘皮程の理性がそれを止めるのだが、戦闘の余韻冷めやらぬ今現在では十分に可能性のある大惨事である。
「あんたを力尽くで振り切れれば完治の証さね?」
みしみしと全身タイツさんの腕が軋む。
イイはただ身体に力を込めて動こうとしているだけである。
必死の形相――と言う物は浮かべようも無い全身タイツさんの白いだけの顔面が、心なしか強張っている様にも見える。
『さっきから言葉尻が疑問形なのが自覚している証よね?』
はて何の事さねととぼけるイイと、全身を軋ませながらそれを抑え付ける全身タイツさんとの死闘は、まだ始まったばかりである。




