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賢者

 ヌヘは微かな血の匂いに意識を浮上させた。

 翼膜の中でもぞもぞと身動ぎし、薄らと眼を開ける。

 集落の外、樹上に足でぶら下がったまま眠るヌヘは寝ぼけた頭で記憶を呼び起こし、最初に胡散臭い男の顔を思い出した。

 嫌な寝起きだと思いつつその身体を変質させる。

 翼膜を持った二対の腕が身体に呑み込まれ、その下に隠れていた深緑の鱗に覆われた外皮が冷えた空気に晒される。

 腹から灰色の外骨格に覆われた三対の脚が生え木の幹にしがみ付く。

 鼻は上向きに突き出す様に変容し、湿った鼻先がひくひくと周囲の匂いを拾う。

 血の匂いは同族のソレであった。

 微睡んでしたヌヘの意識が一気に鋭敏化する。

 目を開く。

 周囲は暗く視界が効かないので、二種類の感覚器を生成した。

 喉が震え、人には感知出来ない高音が短く響く。

 一拍待ち、おぼろげに集落の様子を感知したヌヘは三対の脚を操り静かに木を下りる。

 集落の建造物に目立った損壊は無く、僅かな血の匂いがするのみで獣臭は無し。

 だが、集落内の熱源は七つ。

 本来存在する同族の凡そ半分でしかない。

 しかも存在する七つの熱源の内六つは人の形を成していない。

 獣人種である以上、姿形が変わる事自体は特段おかしなものでは無い。

 現在のヌヘがそうである様に、獣人種は自分の身体を造り変える事が可能だからだ。

 だが、それには制限が存在する。

 獣人種がその姿を模倣するは、模倣する対象を食らう必要があった。

 だからヌヘはこれまで数多の種を食らってきた。

 獣は当然として、通常の獣人種が殆ど食わない昆虫類に至るまで分け隔てなく食らった。

 そんなヌヘだからこそ、機知の生物は残さず食らい尽くしたヌヘだからこそ、この異常が正しく理解出来た。

 六つの熱源は未知の形状をした生物だったのだ。

 頭と思しき器官には三つの眼窩らしき窪み。身体は存在せず、首元からは八本の脚或いは腕。

 ヌヘが多用する昆虫類の脚に近い特徴を持っているが、少なくともヌヘの知る限り刃物状の脚を持つ生物は保護区内に存在しない。

 無言のままヌヘは考える。

 未知の種であれば食らうべきだと思う。危険は承知の上だ。

 それら三つ目八つ脚の生物を食らう事に得体の知れない忌避感がある事が気になるが、集落の状況を把握する必要もあった。

 同族の生き死に等どうでも良い事ではあるが、この集落は外部への脱走を図る際に便利な場所でもあるのだから。

 そこでふと気が付く。

 フロウがどこにもいない事に。

 死んだか、或いは元凶か。

 ヌヘは外皮にごわごわとした毛を生やす。

 深緑の鱗の隙間から無数の黒い剛毛が生えて来る光景は異様としか言えないが、ヌヘの変化し得る最も強固な外皮がこれなのだ。

 落ち葉を踏みしめ、集落へ向けて一歩踏み出そうと――

「お目覚めの様だね」

 正面から声がした。

 周囲は暗く、視界は悪い。

 それでもヌヘは獣人種である。

 標準種に比べれば夜目は効く方であり、そうでなくとも目の前に誰かが居れば気が付いた筈である。

「……フロウ」

 じりじりと後ずさりながらヌヘは呟く。

「お前の仕業か、とか言いたげだね? 実際ちょっと後押しはしたのだけれどもね」

 胡散臭い笑顔でそう嘯くフロウにヌヘは抜き手を打ち込んだ。

 指先は赤黒い爪に変化しており、腕は打ち込む瞬間僅かに長く変化した。

 かつてナースにも届いた一突き。

 その抜き手はフロウの左胸に、何の抵抗も無く深々と突き刺さった。

「一応解説してあげるとね、君達はかつて模倣種と呼ばれた種族さ」

 ヌヘは確かに肉を裂いたし骨を砕いた感触を得ている。左手がフロウの心臓が穏やかに拍動している事を感じている。

「獣人種と呼ばれるのは億万年昔に人種と混ざった模倣種と呼ばれた種族でね、本来なら純粋な模倣種は途絶えているのだけれども」

 一瞬虚を突かれたヌヘだったが、抜き手を引き抜くと今度は喉へと付き込んだ。

 フロウの喉は何の問題も無く貫かれた。

「模倣種が潰えた当時、盟友は模倣種が不要だと判断した訳だが、簡単に言うと状況が変わった。正確に言うなら盟友は失敗した。増長した闇に押されて外の人種は絶滅した」

 ヌヘはフロウを殺す事を諦めて後方へと飛び退く。

「連領連合には感謝しているのだよ? 盟友を締め出したとは言え人種の保護をしてくれているのだからね。そのお蔭で盟友は人種を再興させる試行を反復出来る、何度でも、何度でも」

 しかしフロウは変わらずヌヘの前に存在していた。僅かに確保した筈の距離は現実には零でしかない。

 その喉と左胸に傷は無い。衣類こそ破れてはいたが、それだけだ。

「とは言え作業には息抜きが必要な物だよね? 時期尚早だと知りながらも、闇よりは知性のある生命を放してみたいと――」

 フロウの動きが止まる。

 目は見開かれ口をぽかんと開けていた。

 そしてその視線の先でヌヘの背中がどんどん小さくなる。

 そう、ヌヘは逃げたのだ。逃げ足が十本、入れ代わり立ち代わり器用に地面を蹴っていた。

「いやいやいや」

 フロウは笑った。

 それまで見せていた胡散臭い笑いでは無い。

 幾分か自然で、どこか嬉しそうな笑いだった。

 フロウはヌヘをこれ程まで賢いとは思わなかった。

 フロウを信用せず、かと言って拒絶せず、利用しようとしながらも見下さず、常に退路を確保しようと努め、遠ざかり過ぎず近寄り過ぎず。

 だからこそフロウはヌヘに語って聞かせたのだ。

 ヌヘが知る筈も無い事を、知れば少なからず衝撃を受けそうな事を、圧倒的な優位を見せびらかしつつ語って見せたのだが。

「おまけに、聞いていなかった訳では無さそうだしね」

 語りながらヌヘを観察していたフロウには、ヌヘがフロウの言葉をただただ聞き流していた様には見えなかった。

 実際獣人種が人種とは大きく異なる起源を持つ事を語った瞬間、極僅かな動揺が見て取れた。

「だからこそ素晴らしい。ああ、素晴らしい」

 ヌヘはフロウの語る情報を己の知識を天秤に掛けて、逃走を選択したのだ。

 物事を見極める天性の素質がヌヘにはある。

 フロウはそう確信した。

「無謀ではなく、盲信せず、躊躇せず、妥協しない。刹那的な愚者が溢れる連領連合において、それはとても賢い」

 かつて天才と呼ばれし男フロイ=サウラ――の忠実な複製であるフロウは楽しそうにヌヘを追いかけようとして、止めた。

 その視線を空へと向けて細める。

 ガチャン。

 空間から音がした。

 ヌヘと集落にいた獣人種を逃がさない為に圧縮して裂いて分離させた空間に、外側から力が加えられた音だ。

 ガチャン。

 再び音がする。

 ガチャン。ガチン。ガツン。ゴツン。

 音は何度も何度も響く。

 ガン。ゴン。ギン。ドン。

 フロウは動じる事も無ければ慌てる事も無く空間を捻じ曲げ、強制的に先祖返りをさせた模倣種達を回収した。

「逃げられない筈だったのに、逃げられる状況が出来つつある」

 最早ヌヘを追い駆けられる状況では無く、閉じ込める術は維持不可能である。

 管理者達に勘付かれたかと胡散臭い諦観の笑みを浮かべて肩を竦めるフロウの真横に、剛性弾体が着弾した。

 変質した空間は呆気無く霧散した。

 清々しい程の力技が着弾した結果は甚大である。

 剛性弾体が着弾した衝撃はフロウの身体を粉々に吹き飛ばした程度では止まらず、大地を大規模に破壊した。

 円錐型の剛性弾帯は着弾と同時に展開し、領主の私兵に還元される。

 着弾は一度では終わらない。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 集落が存在していた場所は破壊され、すり鉢状の穴になる。

 破壊された大地には領主の私兵が無数に群がり、フロウを探し始める。

「ヌヘが賢者であれば、我々は疑い様の無い愚者だろうね」

 虚空から響いた声に領主の私兵が一斉に反応する。

 無傷で宙空に浮かぶフロウが、胡散臭い笑みを張り付けて両腕を広げて歓迎の意思を示していた。

 機械人形とも呼ばれる領主の私兵達と、かつての叡智を忠実に複製したフロウとの激闘が始まる。

 そんな激闘を見る事も無く、賢者は速やかに途中退場した。

 舞台に残るのは愚者ばかりである。

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