手に負えない
ララララは木の根元にへばり付いていた。
ナース情報網との接続が断絶してから既に四時間程が経過してる。
ララララの身体には深部までナース服が浸食し、最早脱衣は不可能な状態となっている。
これはナース帽が剥ぎ取られた場合の緊急措置だ。
それによって駆逐形態は終末形態へと強制移行し、ララララは七十二時間後に設定された自死を迎える前にナースセンターでナース服の初期化を行う必要があった。
尚、この状態のナースは暫定的な死亡として扱われる。
そんな状況下でありながらララララは保護区からの撤退を選ばなかった。
その判断は終末形態でのみ解放される一つの観測能力に起因する。
第三の視線と呼ばれる機能。
終末形態に移行したナースが少ない故に未知の機能と呼ばれる第三の視線は、一つの異常現象をララララに知覚させていた。
第三の視線が感知していたのは時空間の断絶である。
侵入者が駆逐形態のナースをすら出し抜けたのは時空間の断絶によって一切の情報を遮断していたからであった。
ナースは自己犠牲を厭わないが無謀は嫌う。故に撤退を開始していたララララは迷った。
単身で侵入者を探す事は無謀である。
しかしながら侵入者の存在する場所を大凡知覚する事は可能である。
時空間の断絶がゆっくりとした速度で移動していた事も、判断を迷わせる原因となった。
しかし、結局の所、ララララには七十二時間の猶予があった。
万が一にその期限が切れたとしてもナース服に情報を遺す事は可能なのだ。
ララララは暫定的な死亡状態であり、ナースの死亡は尋常な状況では無い。
ならば現在保護区には初期投入以上のナースが存在している可能性が高かったし、現実そうなりつつあった。
そして、ナースは無謀を嫌うが自己犠牲は厭わない。
ララララはその場で時空間異常を監視する事を選択した。
ナース服の終末形態。
それは隠密に特化した形態。形容するなら人形の布である。
厚さ一ミリ程の人型が木の根元にへばりついていた。
布は樹皮の凹凸と色彩を忠実に再現してそこに潜む。
防御性も攻撃能力も削り、索敵能力と欺瞞能力に特化した終末形態のナースを見付ける事は不可能に近い。
事実駆逐形態のララララを遠距離から感知した侵入者も、終末形態で撤退するララララは全く感知出来ていなかった。
しかしそれは侵入者以下の感知能力しか持たないナースとて同様である。
ララララは周辺を他のナースが通り掛かるか、侵入者の監視を必要としない状況にならない限り、ただ死ぬと言う事だ。
そして後者の可能性はほぼ潰える。
監視を開始して一時間もしない頃、ララララの第三の視線は時空間異常がより大規模化した事を感知した。
同時に二十余りの熱源がその中へと取り込まれた。
獣人種の形成していた小規模な集落が侵入者の領域に呑み込まれたと言う事だ。
拙い。とにかく拙い。
ララララの思考はその一言で塗り潰された。
ナースの本懐は獣人種の保護である。
どうにかして侵入者の行動を阻止しなければ。
それはほぼ不可能なのだが、それでも例え僅かで可能性があれば妨害しなくては。
ララララはへばり付いていた木の根元から集落が存在している筈の地点へ向けて移動を開始した。
まるで影が這う様に草木の間や木々の表面を伝い岩を乗り越え沢を泳ぎ、それは傍から見れば不気味な人型の影がぬるぬると移動している様に見えたであろう。
ララララは焦っていたが合理的な思考を喪失した訳では無い。
時空間異常に接近する以上慎重な行動が必要となる事は分かっていた。
その為焦れる気持ちを抑えながら次第にその速度は遅くなって行く。
速度の低下と共に隠密性は上昇して行く。
不気味な影は実在の影を渡り泳ぐ様に慎重に前進する。
幸いにもララララの行動が侵入者に察知された様子は無かったが、ララララは壁に当たる事となる。
それは比喩でありながら現実の壁でもある。
時空間断絶の壁である。
第三の視線はそれをどこまでも続く壁としてララララに認識させた。
終末形態が特化しているのは索敵能力と欺瞞能力であり、何かに干渉する機能は存在しない。
声を発する機能すら無い終末形態のララララの苦悩は震え捩れる事で体現された。
ララララは時空間異常がどういった物であるのかを理解していない。
躊躇う理由はこの壁に触れた場合現在保有している情報を他のナースへと引き継げないと言う予感だ。
感知できる範囲内に他のナースは存在せず、内部に取り込まれた獣人種の状況は不明。
だからこそララララは願った。
ナースとなり大抵の事柄は自力で乗り越えられるララララは、ナースとなってから初めて願った。
誰か何とかしてくれ、と。
ずるり。
悪寒がララララの身体を駆け巡る。
ずるり。
得体の知れ無い感覚にララララは薄い身体を捻ろうとしたが、それは叶わなかった。
ずるり。
ララララの身体は固定されていた。
ずるり。
強制的にぴんと張られた身体は中空で平らに固定され、そこから何かが這い出ようとしていた。
ずるり。
まるで水中から浮上するかの様につるりと白い球体が這い出ようとしている。
ずるり。
よく観察すれば、それは這い出て来ているのではなく編み上げられているのが分かっただろう。
ずるり。
無数の白く細い繊維がララララの平面から漏れる様に伸び、立体的に編み上げられる事で形を成していた。
ずずず。
不意にその編み上げ速度が増す。まるでコツを掴んだかの様に。
ずずぅ。
そして一気にその全容を現した。
『私、参上』
参上したのは白い人型。つるりと白い球体は頭髪も顔も無い頭だった。
すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。
立ち姿はソレを美術品だと思わせる程すらりと美しく、気品すら漂う。
右足をやや右前方に出し右手は腰に添え、そして左手は横向きのピースサインで顔の前へ。
『……』
顔にはすらりと流れる様な文字で私参上と文字が表示されていたが、周囲から何の反応も無い事を認識すると三点リーダを二つ並べで気まずさを演出してみせた。
周囲の静けさが実に居た堪れない。
一方のララララも同じ表記をしたかったが、ナース服にその様な機能は付随していなかった。
白い人型、即ち全身タイツさんは状況を把握する為にきょろきょろと周囲を伺い、そろりとララララから降りる。
全身タイツさんとの接触が解消された事によりナース服の使用権限が戻り自由を取り戻したララララは、ざざざと全身タイツさんから距離を取った。
『うーん?』
そんなララララの行動を意に介す事も無く、全身タイツさんは時空間断絶へと手を伸ばす。
白い手の平は時空間断裂に触れ、ララララの予想に反してそこに影響を与えない。
見えない壁を触る様にぺたぺたとその存在を確かめて、振り返る。
全身タイツさんが前面を向けた事で、ララララはその胸部に数字が表記されている事に気が付いた。
右の乳房には120と三桁の数字が、左の乳房には二桁の数字四組がコロンで区切られていた。
ララララはその意味を即座に悟る。
それは自身に残された時間であると。
左の乳房に表示された数字は左側から67と55で変化しない二組と、一秒で一つ減少する一組。右端の二桁は常に変化している。
そして、ララララの目の前で右から二つ目の組みが00から59へと変化し、左から一つ目の組みが54へと減少する。
ララララは理解した。
ソレが何者であるのかは理解出来なかったが、ナース服の根幹に関わる存在であると理解した。
理解すると同時にそれは希望でもあった。
この状況をソレならばどうにかしてくれるであろう。
それは予感であり確信であった。
で、あったが――。
『手に負えない』
肩を竦めてそんな文字を表示した全身タイツさんを前にして、ララララは終末形態に発話機能が無い事を心底呪った。




