管理室次長
「なんだかなぁ……」
広域傭兵組合北部管理室次長に昇格したナンダジエは、ヒルガ領に関する資料に目を通してそんな抽象的な感想を述べた。
金属光沢を放つ眼球が動き、視線が資料から部屋の壁へと移動した。
薄灰色の人口皮膚に覆われた顔面は呆れた様で諦めた様な表情を作っていた。
現在ナンダジエの種族は後天的金属種となっている。
金属に対して高い親和性を生まれ持つ者が、高価な手術を施す事によって成る事が可能な人工種である。
通常の延命措置では精々二百年寿命を延ばす事が限界と言われるが、後天的金属種と成った場合延命措置の効果は二倍以上だと言われている。
ナンダジエも既に長い時間を生きている。
その長い時間の中で、気苦労が絶えた記憶は無い。
ヒルガ領。
獣人種の産出国。
或いは奴隷産業の最先端。
ヒルガ領から輸出される獣人種は連領連合内の至る所に存在する。
金属種の肉体改造に類する肉体変質能力と、高い基礎体力から需要は高い。
そして性産業においても一部の顧客層から絶大な支持を受ける。
広域傭兵組合にとって最大の商売敵がヒルガ領であるとも言える。
その一方で獣人種の登録傭兵も多く存在するので共存関係とも言えなくも無い。
その獣人種の特徴は三つ。
一つは人族が持つ特異性である筈の、五歳未満の不死性を持たないと言う点。
この特徴から獣人種を人族ではないとして排斥しようとする団体も多数存在する。
公衆警察がそれらの団体を取り締まらなければ、第二の特徴と相まって獣人種は絶滅していたと予想されている。
その第二の特徴は他種族との交配が不可能な点。
獣人種は金属種や標準種との間に子を残せない。加えて獣人種同士で交配を行った場合でも子供が生まれる可能性は極めて低い。
第三の特徴は、何故か時折純人種の母から獣人種が生まれる事がある。
その場合生まれた獣人種は純人種や金属種と交配が可能であると言われるが、現在ではそれを確認する事は困難である。
その様な獣人種以外から生まれた獣人種、通称血混ざりは公衆警察が確保しヒルガ領に保護されるからである。
これら三つの特徴が一般的に知られる獣人種の特徴である。
「あぁ、なんだかなぁ……」
ナンダジエはそれらの特徴が表向きに騙られた内容である事を知っている。
知ってしまったのは一月ほど前の事だ。
広域傭兵組合の中でも極一部の者にしか知らされていない事実。
獣人種とは、厳密には人族とは異なる生物であると言う事。
模倣種。事実を知る者はそう呼ぶ。
「クハ」
どんよりとした空気を纏うナンダジエの背後にしゃがれた笑い声が湧き出た。
「……イイか」
枯れ木の様な老婆が立っていた。
「辛気臭い顔しとるねえ。クハ」
その老婆はかつてナンダジエとは別の者に仕えていた広域傭兵組合の職員である。
「こんな面倒事押し付けられて、明るい顔等出来る物か」
ナンダジエは投げ遣りに吐き捨てると、資料をイイに投げ付けた。
綴じられていない資料がばさばさと散らばり、次の瞬間それら全てはナイフに貫かれていた。
「クハ。癇癪起こすんじゃあないよ」
いつの間に取り出したのか、イイは手にしたナイフで全ての紙を貫いていたのだ。
「……穴開けるくらいなら床に散らばっていた方が良かったのですが?」
「投げる方が悪い」
恨めしさを視線に込めてイイを睨むも、金属の眼球は無機質な視線を飛ばす事しか出来なかった。
「それよりも、調査は進んでいるのか?」
なんだか毎度毎度こんな感じの会話を誰かと繰り返しているなと、ナンダジエは少しだけ記憶の海に釣り針を垂れたが、これといった釣果は得られなかった。
「クハクハ。それがまた面白い事になっていてねえ」
イイの言う面白いは私にとっての面白いとは違うと吐き捨てるも、その後の一言にナンダジエは絶句する事になる。
「ナースが一人死んだらしい」
金属の瞳がぎょろりと動き、絞りが最大限まで開く。
この様な有機的な動きはナンダジエが純人種であった頃の名残だが、余程感情が昂らない限りは起きない生理現象である。
「どこの誰が?」
アレを殺せるというのだ?
ナンダジエの疑問に対してイイはさあてねと肩を竦めて笑う。
クハクハクハ。
ここまで面白い事態はいつ振りだろうかと、笑う。
もっともそれはナンダジエにとっては微塵も面白くない事態だが。
「少なくとも侵入者だと言う事は確定だねえ」
あたしも侵入してみるかねと笑うイイに、ナンダジエがそれはよせと懇願する。
「クハ。言われなくともしないよ。侵入自体は可能だろうけど、特区内部にナースが溢れ返っているからねえ」
イイの報告にナンダジエはどこぞの地獄か悪夢かなとその状況を評した。
「クハ。ところで次長様や、シシル重繊維工房って知っとるかい?」
すうーっと、イイの瞳が細められる。
ナンダジエはその変化に気付く事も無く、知っていると答えた。
「ナース服の原型を作った工房の事だろう? 確かメイド服やスクール水着やバニースーツを開発したのもあの工房だったか?」
クハクハクハクハ。
「何だ急に、狂った様に笑い出して」
イイは腹を抱えて笑っていた。
なあにちょっとした確認だよと嘯くイイにナンダジエは訝しげな視線を向けるが、イイが笑う理由については思い至らなかった。
「クハクハ。相変わらず面白いなと思っただけさ」
私は面白くないと言うナンダジエに、人生損しとるなとイイはまた笑った。
「だがしかしねえ、思うに今は好機じゃないかね? そうさ、この混乱に乗じて保護区を支配してしまえばいいのさ」
ナンダジエが命じられた仕事。
それは獣人種の管理権限を手に入れる事だ。
かつて賢者と呼ばれた初代ナースリリが構築した保護区は絶滅の危機にあった獣人種を復活させた。
それは同時に獣人種を使い潰して来た数多の人種に不利益を与えたのだ。
現在それに不満を覚える者は多く、広域傭兵組合の支配層には奪い取ろうと考えている者が多い。
しかし、ナンダジエにはあのまま獣人種を使い続ければいずれ獣人種は絶滅し保護区成立時よりもっと深刻な事態に陥っていた事は容易に想像出来る。
それはナンダジエはその当時から生きているからこそ、そう言えるのだ。
高価な延命措置を施した者でも、当時から生きている者は少ない。
現状保護区成立より後から生まれた者達が大多なのだ。
当時の事を知らない故に支配層は獣人種の管理権限を手に入れて利を得たいと考えている。
「……良い様に使える代物では無いと言うのにな」
イイには聞こえない様に、ナンダジエは憂鬱に呟いた。
模倣種。
アレは可愛らしいモノでは無い。
正直な所根絶した方がいいのではないかと、ナンダジエはそう考えていた。
げんなりとうなだれるナンダジエを、イイはじっと見ていた。
声こそ出さないがしわくちゃの顔は笑っていて、その思考もまた笑っている。
面白いおもちゃがここに居る、と。




