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侵入者

 治癒、と呼べるほど生易しい行程ではない。

 再生、と呼べるほど悠長な行程ではない。

 今となっては誰もが自然に受け入れている現象だが、他領出身の者が見たのなら何と言うのだろうか。

 きっと言葉にならないだろう。

 手足が折れ曲がった巡回者が、首の捻じれた巡回者が、腹に大穴が空いた巡回者が、何事も無かったかのように復活して巡回に戻る。

 しかしそれでも――

「一人。亡くなりましたか」

 ララララは長い睫を伏せて悲哀に満ちた吐息を吐き出した。

 ナースに志願する者達は大抵の場合慈愛に満ちているが、その一方で切り替えも早い。

 汚物にも危険物にも躊躇する事も無く、他人の痛みに深く共感するが引き摺らず、悲哀に満ちているが絶望しない。

 足元に横たわる巡回者に暫しの黙祷を捧げると、その遺骸を焼き払った。

 遺骸は真っ白な灰になり、風に吹かれて散った。

 ララララは網膜に表示された顔を見据える。

 眉目秀麗な男だが、妙に軽薄な印象を受ける。

 巡回者達の記憶を精査した結果断片的に残存していたのがこの男だ。

 記憶の表層には何の痕跡も残されてはいなかった。

「問題は、この男が保護区に侵入してしまったと言う事」

 由々しき事態である。

 保護区。

 四百年前に賢者が発案し作り上げた特区。

 ヒルガ領中央部に設置された半径千二百キロに及ぶ広大な土地には獣人種のみが居住を許されている。

 保護区の周囲四キロは巡回地域と定められ、ナースの適性を持たなかった者達が昼夜を問わず警戒に当たる。

 保護区設立当時隔離された獣人種は凡そ千人程。

 四百年の間に追加隔離された獣人種及び新たに出生した子により現在は一万人程が隔離されているとされる。

 厳密な人口は不明。

 領主が保護区に関与する事は滅多に無く、唯一保護区内に侵入可能な権限を持つナースの数は僅か百二十三人。

 人口を調べるのには少な過ぎるのだ。

 だからこそ、ナースとそれを補助する巡回者達は不正に出入りを目論む者達を確実に阻止して来た。

 そう、この四百年は確実に阻止して来たのだ。

「ナース百二十より緊急連絡」

 ララララは百二十三人のナース全てに眉目秀麗で妙に軽薄な男の顔を通達した。

「侵入者有り。繰り返す、侵入者有り。表示されている対象は巡回者一名を殺害し、四名に致命傷を負わせた。今後の対応を協議する」

 ララララの脳内に五人のナースが意識を割り込ませた。

 ララララの脳内で審議会が始まる。

「由々しき事態だな」

 飄々とした声、ナースの一が最初に意識を発した。

「最初の由々しき事態は獣人種の脱走になると思っていたが、意外だ」

 掠れた声、ナースの二が追随する。

「一先ず予備ナースを動員して調査隊を保護区内へ送ろう。元より余裕を持った運用をしているのだから」

 罅割れた声、ナースの三が提案する。

「これが陽動と言う可能性も一応考慮すべきだろう、加えて画像の男が獣人種を連れて保護区外へと脱出を試みる可能性が高い。巡回に充てるナースの数も増やすべきだろう」

 金切声、ナースの四が懸念を発する。

「いずれにせよ総動員で構うまい。ナースは疲労せず睡眠も不要だ。朽ちた所で補充すれば良い」

 特徴の無い声、審議長でもあるナースの五が決定を下す。

「審議会の結果、巡回の強化及び保護区内に調査討伐隊を送る事が決定した」

「では、四が適当に配分調整をよろしく」

「それが妥当だな」

「調整案は既に完成している」

「ナース百二十は先行して保護区内へ調査に向かえ、追って増援を向かわせる」

 審議会が決定事項を全てのナースへと通達する。

 それを聞いたララララは即座にナース服を駆逐形態へと展開させた。

 膝上までを覆うスカートの裾から四対の支脚が生え、大地にがっちりと噛み付く。

 半袖からは長い複腕が二対生え、占有空間を広げつつ周囲を警戒する。

 ナース帽は四角い布へと展開し、捩れ捻じれ伸びて目元以外の顔面を覆った。

 駆逐形態は普段巡回者の看護を目的とした制限形態より一段階ナース服の能力を解放した形態である。

 ナース服に順化した肉体が駆逐形態のナース服を最大限活用する事によって、協力無比な耐久力を得る事になる。

 ナース達は巡回者と同様保護区へ接近する獣人種以外の人種を即殺する権限を有するが、獣人種への攻撃もまた巡回者と同様原則として禁止されている。

 ララララは二番目の視線を保護区の方向へと向ける。

 その視覚には距離も暗闇も障害とはならず遥か彼方までを見通す。

 一番近い熱源は十数キロ先。

 すぐさまナース情報網に脱走未遂の事案を問い合わせる。

 今宵の脱走未遂は二件。

 一件はララララの居る地点とはほぼ反対側でチギと言う名の獣人種が保護された事案。

 収束から既に四時間が経過している事から無関係だと判断。

 もう一件は三十分前にララララの居る地点から僅か二キロの地点で発生した事案。

 一人の獣人種が五名の巡回者に致命傷を負わせ保護区内へと逃げ帰った事案。

 脱走を試みた獣人種はナースが到着する前に逃走した為に特定されていない。

 一番近い熱源が示す生命体の数は一つ。

 この熱源は巡回網を突破した男か、或いは逃げ帰った獣人種か。

 獣人種である可能性がある以上遠距離制圧は行えない。

「直接視認して確かめなければならない」

 間違っても獣人種を殺害してはならない。

 ララララの支脚ががしがしと蠢く。

 六つ脚の状態で走り始めたララララは暗闇の中をぬるぬると疾走する。

 保護区内の大半を占める森林地帯に対する走破性に重きを置いた駆逐形態の六つ脚だが、その速度は標準的な獣人種を遥かに凌ぐばかりか走る事に特化した動物を模倣出来る獣人種ですら追い付けない程だ。

 だからこそ、ナース達は五百年に渡って獣人種の脱走を防いでいるのだ。

 駆逐形態の疾走にとって十数キロ等無に等しい距離である。

 数十秒後には六つ脚に加えて二対の長腕を用いてより隠密性に優れた移動方式に移行する。

 身を屈め速度を落とし、支脚と複腕を目一杯伸ばし、闇夜に紛れて接近する。

 熱源は既に通常視覚でも認識出来る範囲に存在していた。

 そこには一人の獣人種が木にもたれ掛っている。

 侵入者は相当内部まで侵入している可能性が高いなと、ララララはまんじりともしない焦燥感に駆られた。

 他の熱源を探して周囲に第二の視線を巡らせたその瞬間、ララララの頭部が背後からがっちりと握られた。

 声にならない驚愕を発声し、複腕が頭部を固定する腕に掴み掛かる。

 ララララの頭部からみしりと不吉な音が鳴る。

「侵入者を発見」

 背中に生成した複眼によって自身の頭部を掴む男の姿を目視したララララは、努めて冷静に全ナースへと通達した。

「それなりに硬いね」

 眉目秀麗な男は軽薄な表情でそう言って手に力を込めると、ララララの頭部装甲がばきぼきと罅割れた。

 ララララは驚愕する。

 領主の私兵が射出する剛性弾体にすらある程度耐えるナース帽が、人種の握力で割れる等有り得ない。

「危険」

「おおっ?」

 男が驚いた様な声をあげる。

 ララララは既にその手から逃れ、男の手にはナース帽の切れ端が残されていた。

「何者だ?」

「とか言いながら逃げるのか」

 誰何の声は返答を必要としていないただの疑問である。

 その時既に男の前にララララは存在しない。ナースは自己犠牲を躊躇しないが無謀は嫌う。

 要するに逃げたのだ。とても潔く逃げたのだ。

 周囲を見回す男は既に知覚外へとララララが逃げ去った事だけを確認し、毟り取ったナース帽の切れ端をしげしげと観察する。

「ただの布にしか見えないんだけどなあ?」

 不思議そうに呟いた男は布を懐に仕舞い込むと滑る様に木と木の間を走り、駆逐形態のナースよりも俊敏かつ隠密にヌヘの元へと移動する。

「おまたせー」

 ひらひらと片手を掲げるフロウの姿を見たヌヘは、木に体重を預けたまま鷹揚に手を振り返した。

「随分遅かったが、しょんべんだとか言って糞だったか?」

 フロウはヌヘの下品な言葉に笑った顔を変えずに歩み寄る。

「いいや、小用だよ。ただちょっと遠くに行き過ぎたかな?」

 ほんの数キロ何だけどねと言うフロウに、ヌヘはそうかいと気の無い返事を返した。

 ヌヘはフロウから尿便の匂いがしない事には気が付いていたが、それを指摘する事はしなかった。

「所で近くの集落まではあとどのくらい歩くんだい?」

 フロウの言葉にヌヘは少し考えて真実を答える。

「二十分くらいだよ」

 この男はもう既に付近の集落がどこにあるのかを把握していてもおかしくない。そう考えての回答である。

「ふーん……、一応隠蔽しておくか……」

 フロウのそんな呟きに、ヌヘは何がだとは聞き返さずに歩き始める。

 その瞬間ヌヘの周囲で空間が変質した。

 フロウが最初から同様に変質した空間を纏っている事にも気付いていないヌヘは、当然その事には気付かない。

 唯一撤退したララララだけがヌヘの熱源を見失った事に気が付いたが、だからと言って単身でヌヘとフロウを探す事はしなかった。

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