聖女
領地の八割を破壊され、僅か千人程の領民しか生き残れなかった未曾有災害。
アケヤ領はたったの五十年足らずで苦難を乗り越えて復興を果たした。
今年も復興を祝い被災者を偲ぶ祭りが執り行われる。
中央主軌道をゆっくりと走る軌道車の上で、聖女が微笑んでいた。
この日だけは情動抑制魔術を解かれる新世代の住民達は、年に一度の娯楽に熱狂していた。
彼等が語り継ぐのは災害が収束した時の事だ。
にくにくしい敵は、その内側から発生した光に焼かれて焼失した。
音は無く、今まで感じた事の無い不可思議な衝撃が住民達を通過して行った。
迂闊にも光を直視し続けた何人かはその日から視力を失い、そうで無い者も視界に影が焼き付いた。
永遠の様に長く、しかし実際は一瞬で収束した光の跡には、にくにくしい敵は存在しなかった。
住民達が不十分な視力で見た先には、一糸纏わぬ姿で微笑みを浮かべる女とそれに付き添う毛むくじゃらの黒い人型があった。
けむくじゃらが片腕を振るうと、砂塵と化した居住区の中から子供が引きずり出されて引き寄せられた。
その範囲はアケヤ領の端から反対の端まで及んだ。
そうやって引き寄せられた子供達に囲まれ微笑む姿はとても愛しみ深く、誰からともなくその女を聖女と呼び始めた。
生存者千人程の大半が五歳未満の子供と言う絶望的な状況において、生き残った住民達が希望をもって復興に当たれたのは聖女の存在による所が大きい。
その聖女と共にあった毛むくじゃらの人型である自称助手の尽力と、災害の翌年に突如としてアケヤ領に帰還した領主の存在等様々な要因に支えられ、復興は思いの外速く進んだ。
これまでの復興を祝い、これからの復興を願い、その象徴である聖女を祀る。
これはそういった祭だ。
そして、軌道車に搭乗して祀られるのは聖女だけではない。
当時五歳以上であった住民の内、存命である十人が先頭車両の窓から新世代の住民の熱狂を眺めて談笑していた。
「生きている内に、アケヤ領の正常化を見届けられた我等は幸せよの」
一人の老人が車両内でぽつりと呟いた。
「じゃが、我等が子孫達は未だ情動制限魔術を解かれてはおらん。復興は未だ終わらないと言う事か……」
しかし別の老人は寂しげに窓の外を眺めていた。
「全ては領主様の判断さね」
そう言って笑う老人は万人以上に増えた子孫達をみて微笑んだ。
「ああ、しかし本当に、アケヤ領が領主様の元に戻られて良かった。我等が数えるのも億劫な時を経て願った事だ」
別の老人は遠い目で空を見上げた。その視線の先では分厚い雲の隙間から幾条もの光がアケヤ領へと伸びていた。
「……ほら見てみろ、あの娘の発育の良さを。……たまらんな」
別の老人が欲望塗れの発言をしたが、他の老人はそれを聞き流した。
その老人たちはアケヤ領の生き残りである。
かつて中枢地区の構造物群に取り残され、身体を捨てて生き延びた者達の成れの果て。
妙に優しげなダラダラによって用意された身体にその身をやつし、しぶとく生き延びる老人達にもやがて終わりが来る。
それはもう少し先であったりもう過ぎ去ったりしていたが、老人達にはそれでも十分な時間ではあった。
「ああ、本当に――」
何かを言いかけた老人が、唐突に崩れた。
ぼろぼろと身体が崩れ、僅か数秒で細かい糸屑へと変貌する。
しかし、周囲の老人達に動揺は無い。
「残り九人か……。思い残す事は無いとは言え、少し寂しくもあるのお」
糸屑に視線を向けながら、老人は感慨深げに呟く。
「朽ちて行けるのは幸福さね。上で笑う抜け殻女に比べれば遥かに幸福さね」
老人達に抜け殻と言われる女は、実際の所聖女でも何でも無い。
その実体はダラダラに利用された、心が壊れた女だ。
「あの人外を害して生き延びているんだ。抜け殻と言えど幸せの部類に入るのではないか?」
さてどうだかと誰かが返答して、老人達の会話は途切れた。
車両の上では聖女が微笑みを振り撒き、新世代の住民達は情動を発露出来る限られた機会により一層沸き立つ。
そんな狂気の様な歓喜から場所から遠く離れた場所。
中枢地区の構造物群の中に助手はいた。
「……四十二年か。短かったと言うべきなのか?」
助手は椅子に深く腰掛け、その身を背凭れに預けた。
「精霊汚染は通常万年単位で残存する物だ。最早理解不能な次元で短い」
すぐ傍には甲高い罅割れた声で話す領主が立っていた。
金属種と言うには金属種が過ぎるその容貌はダラダラ以上に異質である。
頭部にある四つの目が常に全方位をその視界に収め、その代わりとばかりに鼻と口は存在しない。
常にちりちりと熱を発している為、そこに存在するだけで暑苦しい。
「それにしたって良く分からないのは精霊だ。あの肉塊を消し去ったのも、連領連合内で五歳以下の子供が死なないのも、あんたが無様にも幽閉されたのも全部精霊の仕業なんだろう?」
助手の問い掛けに対して領主は、太古の時代には精霊魔法と呼ばれた技術は往々にして摂理を無視すると言って頭を振った。
「過ぎたる力は害悪ともなる物だ。しかし節度を守って使えば有益だ」
その為の情動制限かと、助手は苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
『それも今日までですけどね。助手さんの命も今日までですが』
全身タイツさんがその顔に文字を表示した。
すらりと流れる様な文字は顔だけでは無く身体にも表示されている。
『契約約款
・ギギは契約によって以下の恩恵を受ける。
一つ、ギギはアケヤ領の領土を正常な状態まで修復する。
一つ、ギギはアケヤ領の住民を正常な状態まで修復する。
一つ、ギギはアケヤ領の正常化が済むまで死滅しない。
・ネハは契約によって以下の義務を負う。
一つ、ギギの死体はシシル重繊維工房の所有物となる。
一つ、ギギはシシル重繊維工房に対して害とならない。
一つ、ギギはアケヤ領の正常化後自らの意思と思考をシシル重繊維工房に提供する。
以上の要件は他の全てに対して優先される。』
助手はそれを見て鼻で笑うと、懐かしい名前だなと言って目を閉じた。
「しかし良かったのかね? 命を対価にしてまで願う事がそれで」
領主は助手――ギギへと問い掛けた。
顔を変形させていた全身タイツさんは、その工程を停止して邪魔するなとばかりに領主に身体を向けた。
「構わないさ」
ギギは領主の問い掛けに対して簡潔に返事をした。
全身タイツさんはその返事を聞くと、待ってましたとばかりに広がって、ギギの身体を覆い隠した。
俺は公衆警察だからな。
領主には、全身タイツさんに覆われる直前にギギの口がそう動いた様に見えた。
その唇で発せられた言葉に、領主は得心した。
公衆警察は大義の為なら人命を重んじない。
最小限の犠牲で大勢を生かすのが公衆警察の考え方だ。
その最小限の犠牲には公衆警察自体もが内包される。
ギギの心は未だに公衆警察に所属している。
本部から死亡認定され、人では無い何かに成りながらも、その存在意義は孤児院で刷り込まれた公衆警察の基本理念に基づいて構築されていた。
例え一時シシル重繊維工房に屈しようと、ギギは公衆警察の理念に従順であり誉とされる殉職を果たしたのだ。
繭の様に広がった全身タイツさんの中で、ギギの思考や記憶や個性や意識は全身タイツさんを構成する繊維の中に溶け込む様に統合されるのだ。
「アケヤ領の復興を果たした貴殿こそ、聖女と呼ばれるのに相応しいのかも知れない」
領主が呟いたその言葉には確かな敬意が込められていて、とても真っ直ぐで真摯な響きを内包していた。
それを聞いた全身タイツさんは繭状に広がった身体に疑問を表示した。
『助手さんって男ですよね?』
領主は些細な事だと告げて踵を返すと執務室へ向かって歩いて行った。
領内は今や祭りの最高潮。
祭りのとりを飾るのは生産が再開し、かつての規模を取り戻した領主の私兵団による編隊飛行。
そして祭りの後には情動魔術の恒久的解除が通達される予定となっている。
領主の仕事が終わる事は無い。
数百年の長期休暇が明けたアケヤ領の領主は、軽い足取りで執務室へと向かった。
スクール水着:end
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