後始末の前
全身タイツさんは海中から浮かび上がり、編み込まれた海面へとよじ登ってダラダラへ顔を向けた。
『グダグダ?』
その顔に文字が表示され、ダラダラはそれを読むと視線を明後日へと向けた。
「この状況をどう言葉で表現した物かと色々考えましたが、単純な単語一つで語れますね、ええ」
海洋上で二対の肩を竦めながら、ダラダラは軽く首を振りつつ台無しですと吐き捨てた。
その足元の海面は網目状に編み込まれ、一端が上空に、別の一端が海中深くへと伸びている。
時折海中に伸びている部分がみしみしと軋みダラダラは波とは異なるタイミングで身体を揺らした。
そこは足無が出没する海域だが、ダラダラの注意は海中に向けられていない。
ダラダラは上空に伸びる編み込まれた海面の先を見る。
調査海域と呼称される場所の目印でもある浮遊する球体。
虹色に光るその球体を編み込まれた海面が包んだ。
その瞬間真っ白な水蒸気が大量に発生してダラダラの視界を遮る。
蒸発した水分を補おうと編み込まれた海面は脈打ちながら上空へと海水を送り込む。
海上を流れる気流に乗って水蒸気が流され、一筋の白が陸地へと伸びた。
水蒸気は途切れる事無く発生し、編み込まれた海面は延々と上空へ海水を送り続ける。
ダラダラはまだしばらくは掛かりそうだなと呟くと一本の腕を倍の長さに伸ばし、海中へと伸びる編み込まれた海面を十七指で掴んだ。
海底付近まで伸びていた編み込まれた海面はその網目を複雑化させながら縮んで行き、やがてその先端に結わえられた足無を引き上げるに至った。
「ケラ、拾った、コレハベ、代替品な、ゲゲゲ……」
引き上げられたのはぐったりとした金属質な触手の塊と、それに絡み付かれた一人の少女。
少女はスクール水着を着用しており、その胸元にはツエと書かれていた。
『完全に混じっちゃってますよね?』
全身タイツさんがツエを指差しながら指摘する様に、ツエの状態は異常であった。
発せられた声は安定せず、小刻みに様々な年齢性別の声音に切り替わっている。
その顔もまためまぐるしく雰囲気が切り替わる。
「本当はもう少し時間を掛けて上から乗せる積もりだったのだよ。それがどこぞの馬鹿のせいで緊急的にぶち込む羽目になったからね……こりゃ使い物にならないかもしれないなぁ……」
ダラダラは触手に絡まるツエの目を覗き込む様に見て、まあ何とかなるかもなと楽観的な感想を述べた。
「ミツケタ、殺す、ヒキズリダ、処分分、ワケ……」
肉体の支配権を奪い合っているのは二百階層の住人達。かつて領主に直接仕えていた者達の成れの果てだ。
「一応精霊避け加工は成立しているみたいだし、まあ使って使えない事も無い程度の仕上がりだね」
ダラダラは一対の肩を竦めながら、一本の腕を混ざったツエへと伸ばしてその頭部を掴んだ。
十七指の内七本が頭部をがっちりと固定すると、残りの十本が首筋に伸びて突き刺さった。
「クイ、散らせ、グシワ、さう、ズズ……」
指先が首の中でぐにぐにと動くのに合わせて、徐々にツエの言動が沈静化して行く。
同時に金属質な触手の塊、足無がびくびくと活性化し始めた。
『起こすの?』
全身タイツさんが首を傾げる。
「一応ね」
ダラダラが止めとばかりに十本の指をより深く差し込みつつ回すととツエの身体はだらりと脱力し、首回りの皮がぶつぶつと千切れた。
「彼女には聞く権利がある。まあ、理解出来るかどうかは別だけど」
ダラダラは腕を縮めて引き戻し、ツエの頭部は肉の糸を引きながら分離した。
ツエの頭部と身体を辛うじて繋ぐその肉の糸を全身タイツさんが手刀で切断すると、身体の方がびくびくと痙攣を始めた。
「全く、慌ただしくて嫌になるね」
そしてそれらは同時に起こった。
ダラダラの上空で絶えず発生していた水蒸気が晴れ、浮力を失った球体が編み込まれた海面に落下した。
分離したツエの頭部ではツエの瞳に僅かな理性が灯り、その視線が弱々しくも足無を見据えた。
足無を構成する触手の奥から一つの顔が押し出され、苦々しい表情で瞬いた。
「さて、役者は揃った」
ダラダラはそう嘯くと、ツエを持つ腕をぐるりと捻った。
足無に向けられていたツエの視線が編み込まれた海面に落下した球体へと向けられる。
球体は虹色に輝き、その輝きは中空に集合して抽象化された顔へと変化した。
「ツエ、その球体は領主の心臓機構だ。長い間半閉鎖空間に拘留されて熱暴走をしていたのだが、私が冷やしたので基本的な機能を取り戻した」
「お久しぶりでございますダラダラ様。補助施設と接続されておりませんので、人並みの思考しか確保できませんがね」
ダラダラの紹介に抽象的な顔が自虐的な返事を返した。
ツエはその光景をじっと見詰めている。
その眼光は弱々しく、言葉を発する余力も無い。
「まあこれで一つ目の条件は満たした訳だ。引き揚げてこそいないが、その辺りの表現の違いは見逃して欲しい所だね」
ダラダラは一対の肩を竦めると、再びツエを掴む腕を捻ってその視線を足無へと戻した。
「で、ここに生えている頭が領主を排除してアケヤ領を私物化しようとして失敗した人。勢い余って領主機構全撤去したのは失敗だったね」
「……お前が何者かは知らんが、俺はここで終わりと言う事か?」
足無に生えた顔は苦々しい表情でそう言うと、疲労の溜まった息を吐き出した。
最後に呼吸をしたのはいつだったかなと呟くその顔に、かつてアケヤ領乗っ取りを企てた野心は欠片も見受けられない。
「陸地に遺した株が何者かに乗っ取られた様だし、ようやく年貢の納め時か……」
一思いに殺ってくれ――。
その願いは言葉になる前に叶えられた。
金属質だった触手の表面が沸騰する様に変形したかと思うと、全て弾け飛んだ。
触手の中は肉色の半固形物質で満たされており、今やその支配権は奪われていたのだ。
奪われたのはかつての反逆者キタマ。
奪ったのはその被害者の生き残り達の成れの果て。
さながら自害するかの様に、半固形の肉が自らを食らう。
薄紅色の組織液がびちびちと飛び散り、肉片が海へと撒き散らされる。
「ダラダラ様、助けて頂いてありがとうございます」
そんな光景等意に介さず、領主はダラダラに例を述べた。
光りの顔が前に傾き、数秒の後に元の位置に戻る。
「その上で厚かましい事かと存じますが、陸地まで移送して頂けませんか?」
最早動力が維持出来ませんと弱音を続ける。
そんな領主をダラダラは片手で制すると、ツエの顔を自分の顔の前に持ち上げて見分し始める。
ツエの顔に表情は無く、生気もほぼ抜け落ちていた。
しかしその瞳には僅かな知性が見て取れる。
差し込んだ指から吸い上げた情報はツエの構成要素は奇跡的にも四割程残留している事を示していた。
「……いけるか」
ダラダラがツエの顔を全身タイツさんに向けるのと、全身タイツさんがその身体約款を表示するのは同時だった。
『契約約款
・ツエは契約によって以下の恩恵を受ける。
一つ、領主は引き上げられる。
一つ、足無は討伐される。
一つ、ツエは上記二項目が達成されるまで死滅する事が無い様に保全される。
・ツエは契約によって以下の義務を負う。
一つ、ツエはシシル重繊維工房の営業を補助する。
一つ、ツエはシシル重繊維工房に対して害とならない。
一つ、契約が果たされた後自らの意思と思考をシシル重繊維工房に提供する。
以上の要件は他の全てに対して優先される。』
全身タイツさんがその手をツエの頭部へと伸ばすと、ツエは薄らと笑みを浮かべた。
その笑みはとても穏やかだっが、直後に全身タイツさんの中で切り刻まれて喪失された。
全身タイツさんの腕が口の様に展開され、ダラダラの腕ごとツエの頭部を取り込んだのだ。
ダラダラは全身タイツさんから指を引き抜くと、そのまま腕を後方に伸ばして領主を無造作に拾い上げる。
「所で、領地の現状はどんな状態でしょうか? 何しろ一切の情報から隔絶されておりまして――」
領主の言葉は遮られた。
音は無い。その爆発は無音で、ただただ眩しい光を撒き散らした。
太陽が落ちて来たかと間違うばかりの光は領主の仮初の顔の輪郭を曖昧にし、数十秒間に渡って輝き続けた。
その爆発に音は無い。音は空気の振動であり、それが無いと言う事は地鳴りの様な音以外の振動を伴う事も無い。
しかしながら、空間が揺れていた。
爆発の衝撃は必要最低限の空間内で完結していたが、光が漏れだすのと同様にその力の一部は空間の振動となって周囲へと拡散した。
爆心地周辺では大規模な空間異常が発生し、それは領主にも感じ取ることが可能であった。
「……助手が遣り遂げた様だ」
ダラダラが領主とは視線を合わせずに責任転嫁した。
「概ね、復興可能な状態だぞ」
強烈な光が晴れた後に再構築された領主の顔は、とても冷たい視線でダラダラを見詰めていた。
『こんなこともある、よ?』
全身タイツさんの慰めの文字が疑わしげな首の傾きと共に表示された。




