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生き残った女

 暗い夜。

 トポ海岸線の東端に位置するシシル重繊維工房はその闇に溶け込んでいた。

 灰色の外装は闇との境界線を曖昧に誤魔化し、太古からそこに存在していたと言わんばかりに構えていた。

 実際は出現してから数年だと言うのに威風堂々とした佇まいだと、襲撃者の一人は感心すらしていた。

 襲撃者。

 それは現在シシル重繊維工房を密かに取り囲む二十人からなる黒装束の集団である。

 襲撃者達の所属はアケヤ領総務局秘匿課。

 それはクフラ商会や公衆警察に夜襲を仕掛けていた資材管理局とは異なる業務を行う組織だが、アケヤ領の内部組織であると言う点では縁戚の様なものである。

 そもそも今回の襲撃の発端は資材管理局からの要請なのだから。

「突入要員十二名及び包囲要員五名の配置が完了致しました」

 海岸線の内陸側、丈の長い植物が生い茂る場所に三人の人影が居た。

 襲撃者の司令と副司令、そして伝達技師の三人である。

「突入要員は速やかに目標を制圧する事」

 司令がそう告げると、金属種の伝達技師が喉を鳴らした。

 可聴域を大きく外れたその音は突入要員に司令の言葉を伝え、突入要員がぞろりと動き出す。

 大胆にかつ速やかに、突入要員はシシル重繊維工房正面に存在する唯一の入口へと集結する。

 集結した突入要員は皆黒い外套に身を包み、その動きは無駄が無く良く訓練されている事が窺える。

「……管理局の調達部を半分殺したとされる連中だ。十分に注意しろ」

 突入要員の指揮官である女が低い声でそう言うと、十一の頭が隙の無い仕草で頷いた。

「最初は六人、残りは三人一組で一分置きに、私の組みが最後だ。……行け」

 その声と同時に六人が入口を蹴破って突入し、残りの六人が入口付近で息を潜める。

 突入した六人が最初に目にしたのは工房の店舗部分だ。

 何反もの布が並べられ、その内の幾つかは模様が良く見える様に広げられていた。

「……この部屋を軽く探査した後、二二二の陣形で奥へと進む」

 六人の中で一番経験が豊富な男は的確な指示を飛ばしながら、攻撃的な仕掛けが無い事を確かめる為に商品を乱暴に蹴り飛ばし始めた。

 残りの五人は指示に対して軽く頷くと、同様に店内の商品をひっくり返し始める。

 商品の大半は反物か衣類であったが、何故か家具や武器防具の類が混じっている。

 雑多な商品を一通り調べ終わった六人は、慎重に工房の奥へと進み始めた。

 引き戸を開けると、そこには地下へと続く階段が存在していた。

 それを見た先頭の男は片手で後続を制すると、短い詠唱で魔術を放った。

 虚空から生成された小石が、階段の先へと真っ直ぐ飛んで行った。

 全員が耳を澄ましたが、いくら待てども小石が何かに当たる音は聞こえなかった。

「……そうとう深いのか、或いは音がたたない素材で出来た壁でもあるのか」

 最後尾の女、六人の紅一点が発した言葉に、何人かがここが重繊維工房を自称する詳細不明の工房である事を思い出した。

「一人残して他は先へと進む。後続が――待て、俺達が突入してから何分が経った?」

 一番経験が豊富な男が指示を出しかけて、異変に気が付いた。

 店舗部分の探査にそれなりの時間をかけたが、一分後に突入する予定であった次の三人は何故まだ来ていないのか?

 最後尾の男が背筋に冷たい線を感じつつ後ろを振り返った。

「……おい、どこだよここは」

 背後には先程荒らした店舗部分は存在せず、代わりに白い道が遥か彼方まで続いていた。

 路の両側には荘厳な女神像が一定間隔で立ち並び、その奥はのっぺりとした闇が覆っている。

 六人が立っているのは先程店舗部分から扉一枚潜った先にあった階段しかない部屋だった筈だ。

 そこは入口であった筈なのに、いつの間にか出口の様な顔をして暗い口を開けていた。

 進むべきか戻るべきか。

 そもそもどちらに向かうのが進む事になるのか、どちらに向かうのが戻る事になるのか。

 六人の誰もが次の行動を決め兼ねていた。

 それは時間にして僅か五秒程の困惑。

 しかし、シシル重繊維工房が六人を四人に減らすのには十分な時間だった。

「……おいっ! 真ん中の二人はどこにっ!」

 一番経験が豊富な男を中核とした二名を真ん中にし、魔術に長けた二名と近接戦を得意とする二名が前後を警戒する二二二の陣形を成していた筈の六人は、いつの間にか二零二の陣形となっていた。

 取り残された四人は狼狽え、意味の無い動きで崩れた陣形を更に崩してしまう。

 べちゃり。

 嫌な水音が四人の傍で聞こえた。

 同時にねちょりとした嫌な感触が四人の靴裏に出現する。

 床が赤く汚れていた。

 汚れの中には白色や桃色の彩が点々と添えられている。

 その汚れと良く似た物を四人は知っていた。

 人を完膚なきまでに破壊し尽すとこの様な汚れになる事を、四人は総務局の業務を通じて良くしっていた。

 一人が悲鳴を上げて魔術を詠唱した。

 虚空から出現した火炎が四方に散り、熱を残して消えた。

「何だよ……、どうなってんだよここは!」

 困惑と焦燥と恐怖が混ぜ合わさった声が部屋の中でぐわぐわと反響した。

 いつの間にか四人は丸い部屋の中に居た。

 部屋の壁に出入り口は見当たらず、代わりに五つの血肉色の物体が貼り付けられていた。

「……指揮官殿」

 ここまで冷静に沈黙を貫いていた一人が呆然とした声を漏らした。

 血肉色の物体の一つは突入要員の指揮官であった。

 生気の抜けおちた顔がぬるりとした気配を放ち、その下には何も収められていない身体が貼り付けられている。

 股間から首までを切開されたその身体に収められていた物は、その周囲を飾る様に貼り付けられていた。

 それが五人分。三人をぐるりと取り囲んでいる。

 一人が耐え切れず胃の内容物を吐き出す水音が響き、直後に消えた。

 三人が水音のしていた方を振り向くと、吐瀉物の水溜りに生首が転がっていた。

 身体は跡形も無く消え去っていた。

 残された三人の一人が半狂乱で魔術を放つ。

 生成射出された岩石は壁にぶつかる事無く、虚空から出現した二人の人型へ激突する。

 肉片と鮮血と内蔵が周囲に飛び散り、右半分の消失した顔が三人の間を転がった。

 その顔は六人の中で一番経験の豊富な男のそれであった。

 びちゃりと、二人の全身を血が濡らす。

 一人が忽然と消え去っていた。その一人が存在した痕跡は二人の全身を濡らす血液だけ。

 一人が自分に向けて魔術を放った。

 頭部が砕けて飛び散り、身体が数拍遅れて床に倒れた。

 床は細かい砂で埋め尽くされていて、傍に二人の人が立っていた。

 自ら頭部を砕いた男の身体から流れ出る血液は流れる端から砂に吸われて行く。

 ぺたんと、一人生き残った女は砂浜にへたり込んだ。

「おい、お前何でここに居る?」

 シシル重繊維工房の入口と、へたり込んだ女を交互に見ながら、包囲要員の男が困惑した声で女へ問い掛けた。

「お前は今さっき指揮官殿と工房の中に入って行った奴だろ?」

 女は、シシル重繊維工房に最後に突入した三人の一人であるその女は、激しく狼狽えた。

 女が覚えているのは突入直後に見た店舗部分の光景だ。

 そこには反物と衣類が散乱していた。

 どれも一目見ただけで分かる程質の良い布で、とても鮮やかな色彩から不思議と落ち着く色彩まで、様々な布が床を埋め尽くしていた。

 女はそこで見た反物の中で、不思議な模様が織り込まれた一反の事が妙に気になった。

 その一反にはぐにゃぐにゃとうねった細い線が何本も並んでいる、見た事も無い模様が織り込まれていた。

 妙な模様だなと、女がそんな印象を抱いた瞬間、周囲の情景が一変した。

 えっ? と、掠れた声が女の喉から漏れ出した。

 女は何も無い空間に浮かんでいた。

 一糸纏わぬ姿で浮かんでいた。

[難儀な、奴、だよね]

 声が聞こえた。聞こえたのと同時に、それが声であったのかが分からなくなった。

 まるで頭の中に直接書き込まれる様な、異物感を伴う声だった。

[布に、興味があるのなら、客だってさ]

 目の前に青白く光る球体が浮かんでいた。

 良く見ればその球体は二対の翅を生やしていて、その四枚の翅全てが同調した動きでゆったりと羽ばたいていた。

[でも、まだ準備中、お土産あげるから、またね]

 女が覚えているのはそこまでだ。

 次の瞬間には砂浜にへたり込んでいて、目の前には黒装束をまとった首無し死体。

 そして傍には二人の黒装束が立っていたのだ。

 女ははっと気が付いて自分の身体に触れた。

 はたしてそこには、布の感触があった。

 全裸で無かった事に場違いな安堵感を覚えた女を、唐突な吐き気が襲った。

 喉の奥から口に無理矢理布を押し込まれる様な、今まで体験した事の無い異様な吐き気に女は抗う事も出来ずに吐瀉する。

 ごぼっ、と胃液に塗れた何かが砂浜に吐き出された。

 ぶよぶよとした何かはべちゃりと砂の上に落ちて、女は不幸にもそれと目を合わせてしまった。

 吐き出された物は先程一緒に突入した筈の指揮官の顔だった。

 生気のない顔がぷるりと揺れたのを見た所で、突入要員の中で唯一生き残った女は意識を手放した。

 こうして総務局の襲撃は失敗に終わった。

 熟練者を含む突入要員の内少なくとも一名が死亡し、行方不明となった十一名の内一名は死亡と推定。

 加えて、司令及び副司令と伝達技師まで行方不明。

 内部での出来事を知っていると目されていた生き残りの女は、目を覚ました時には気が触れていた。

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