構造物群
ツエが着ているスクール水着は量産型とは少し異なる。
例えば水中での呼吸を可能としていたり、例えば一度着用すると体組織と癒着してしまい生涯脱衣不可能であったり、何故か水陸両用であったり。
量産型のスクール水着は水中以外では主要な機能が作動しない様に機能制限が施されているが、ツエのスクール水着は陸地であってもその超人的な身体機能を発揮する事が可能な設計になっている。
防衛機構に耐えながら構造物の壁にしがみ付いて呼吸を止めて十数分。
そんな芸当が可能なのも全てスクール水着のお蔭である。
場所はアケヤ領の中枢。正確にはかつてそうであった区域。
立ち並ぶ構造物の高さは居住地のそれとは比べ物にならない程高く、その先端は雲に隠れて見えない。
構造物と構造物の間を複雑にすり抜ける風は金属種ですら吹き飛ばす程強く、スクール水着によって齎された超人的な身体機能を駆使してもすいすいと移動する事は叶わない。
時には慎重に壁面の凹凸を探り、時には大胆に風に乗って、ツエは人の気配を求めて登って行った。
領主とその私兵団が居なくなった後、防衛機構以外ほぼ全ての機能が停止している中枢地区に住む者達がいるとされている。
辛うじて稼働可能な状態にある配給機構を騙し騙し動かしながら、まるで中枢地区に寄生するかのように狡辛くも逞しく、ただひたすらに生き延びている者達。
噂では二百階層付近にその者達は存在していると言う。
中枢地区では広域傭兵組合が領主機能復旧の名目で構造物内部を探索しているが、最高到達階数は百五十階層程度でしかない事から存在が疑わしいとも言われる。
しかし一方で、中枢地区の二百階層は領地の管理に関わる者達の居住区であったとする話もあり、他領に類似した施設が存在している事から存在している可能性は低くないとも言われる。
中枢高階層住民に関する説の中で最も現実的なのは、領主が去った後構造物から脱出出来なかった者達が生き残っていると言う説である。
ツエは命の恩人であり雇用主でもあるダラダラの指示で構造物を登っていた。
その内側はかつての防衛機構により探索が困難である為、外側から攻めているのだ。
構造物の外殻にも防衛機構が存在していない訳では無いが、それは内部に比べるとぬるい。
精々が数千度の炎に炙られ、その最中呼吸を止めなければならない程度である。
ツエは何度も落ちそうになり、幾度も炎の中で耐え、高高度の低温に震えた。
そうやって二百階層付近に到達したのは登り始めてから五時間程経過した頃だった。
ツエは外壁に貼り付いた状態で深く息を吐き出して、改めて周囲の光景へと視線を向ける。
その瞳に映る景色はニ十階層付近から大きな変化は無い。
ただ無機質な構造物が上下に突き抜けているだけである。
構造物の壁面には時折その階層を示す数字が記されており、それによって現在の階層を判別する事が出来ている。
一階層の高さは凡そ十メートル前後であるが、構造物によってその長さには僅かな違いがあり、故にツエが現在張り付いている場所から見て取れる数字は百九十七から二百五と完全に統一されてはいない。
構造物の数も多く、見える範囲だけでも百を超えている。
どこをどう探せば良いのか見当もつかない様な光景だが、ツエは既に住人の痕跡を感知していた。
二キロ程離れた場所にある構造物から検知した排熱の痕跡。
それは足無の接近を検知する仕組みを応用した物だった。
調査船団の生還率を飛躍的に上昇させた神具と呼ばれる生体装置は、海中における温度変化の感知を基盤として設計されている。
海面上に霧が立ち込める程海面温度が低下する前兆である海中の温度低下から、足無の接近を感知するのだ。
それに対してツエが二百階層の住人を走査するのに利用しているのは排熱の検知。
人が生存している限り、そこには排熱が存在する。
その者達が停止した構造物群の中において、稼働可能な機能を無理矢理動かして生き延びているのなら尚更それは顕著である筈。
果たしてその痕跡は――非常に明確だった。
明確と言うよりもそれはむしろ……。
「表面温度百三十度ってちょっとやばいんじゃないのかな?」
ツエの視線の先には一見して何の変哲も無い構造物群が存在しているのだが、その内の一本が異常な温度だった。
ツエは少しだけ焦りながら、それでもある程度は慎重に、構造物から構造物へと飛び移る。
乱気流に流されつつ、時には二階層程落下したりしながら、一時間半程をかけてなんとか高温を放つ構造物へと辿り着く。
しかし百三十度の外壁に飛び移ったその瞬間、防衛機構が作動した。
何本かの噴射口が外壁から顔を覗かせて、その全てが外壁を巻き込んで爆発した。
高温の外壁付近で可燃性瓦斯を噴射すれば爆発するのは当然の帰結であり、いかに構造物が堅牢であろうと壁内の貯蔵器を爆破されれば容易く崩壊する。
ツエは四方から押し寄せる爆風をその身に受けながら、わーおと気持ちの籠ってない感動詞を漏らした。
のんびりとした声とは裏腹にその動作は激しい。
様々な方位から押し寄せる爆風と、構造物群内部の複雑な気流の両方の影響を受けるツエの身体は、予測不能なきどう軌道を描いて飛んだ。
右回りに弧を描いて飛ばされたかと思いきや一気に五メートル程上昇し、そこから真横に別の構造物へと叩き付けられ、そのまま二階層は落下した。
壁面に爪を立てながらなんとか踏み止まったツエは、目的地を見上げて深く溜息を吐く。
「……。わーい入口が出来たー。運がいいなー」
心にも無い言葉で精一杯自身を慰めて、ツエは壁面をのそのそと登りはじめる。
その精神は度重なる落下によって随分摩耗していた。
ツエにとってそれは完全に想定外だった。
防衛機構に関してはダラダラから齎された情報で対策を考えていた。
まあ、対策と言ってもただ瓦斯が尽きるまで耐えるか無視して登るかの二択だったのだが。
だがそれですら苦痛だったのだ。想定内であったとは言え時間を無駄に浪費するのは苦痛だったのだ。
加えてダラダラですら予想していなかった乱気流だ。
それらに翻弄され予定していた時間はとうの昔に過ぎ去ってしまった。
当初の予定では登るのに二時間。住民の痕跡の探索と接触に一時間から二時間。帰りは落ちるだけなので数分。
そんな楽観的な予定だったのだ。
それが現実はどうだろう?
ただ登るのに五時間。痕跡こそ即座に発見出来たものの、落下により再度構造物を登る作業。
加えて現在登っている構造物は目的の構造物とは別の構造物。
安全を考慮して一階層程上から飛び移るか? そもそもあれだけ派手な爆発に内部の住人は耐えられたのか? 根本的な疑問として異常な外壁温度は住人の痕跡では無くてただの機能異常だったのでは?
そんな面倒な考えをツエは頭を振って忘れ、今頃全身タイツさんは海の上かなと他事へ思考を割り裂く。
結局ツエがその構造物を登って目的の構造物へ飛び移り、爆発によって空いた穴から内部へ侵入を果たすのに二時間を要した。
高熱と爆発の影響で構造物の外壁が非常に脆くなっていたため、壁面を移動する難易度が跳ね上がり更に時間を浪費して辿り着いた目的地。
神経をすり減らし精神を摩耗しながらもようやく辿り着いたツエは、そこに広がる光景と足裏の感触にげんなりしていた。
「……何コレ?」
辺り一面肉の壁だった。
天井も壁も床もぴくぴくと痙攣する薄紅色の物質で覆われていて、酷く生臭い。
試に一部をもぐとそこからどす黒い液体がどろりと漏れ出し即座に硬化した。
硬化した液体はまるで瘡蓋の様であった。
ツエはうへえと嫌そうな顔で仰け反りながらもいだ薄紅色を観察する。
どこからどう見ても肉片だった。
ツエは肉片を投げ捨てて、手に付着したどす黒い液体を壁に擦り付けようとして止めた。
擦り付ける壁はどこまで見渡しても肉の壁なのだ。
歩けばぶにゅりぐちゃりと嫌な感触と音が足裏から伝わり、生臭い空気を吸い込むのを避けるために息を止め、それでも探索しようとうろうろと歩き回ったツエだったが、僅か一分で限界を迎えた。
「帰る! 私もう帰るんだもん!」
半ば発狂したツエはずかずかと入って来た壁の穴へと向かい、そこで更に嫌な事実に気付いてしまう。
穴はゆっくりとだが塞がろうとしていた。
「うげえ……」
深い感情が込められた感動詞を漏らすツエの視線の先で、薄紅色の肉壁がぶるぶる震えながら成長していた。
その成長は目に見える速度である。
思わず後ずさるツエの横で、肉壁がずるりと裂けた。
その裂け目の奥には別の細い裂け目が存在していて、それが細かく震えて――喋った。
「ヒト、ダ。ヒサシブリノヒ、ト」
ツエはその声にぴたりと動きを止めて、ぎこちなく首を動かす。
見たくないと言う気持ちと見なくてはならないという気持ちがせめぎ合い、ぎぎぎぎぎと音がしそうな動きで首を裂け目の方へと向けた。
何だか唇みたいな裂け目だなと現実逃避気味な感想がツエの頭の中を飛び回り、次の瞬間裂け目が増えた。
壁に床に天井に、加速度的に際限無く。
気が付けばツエを無数の裂け目が取り囲んでいた。
裂け目の一部からは眼球様の組織がずるりぶるりと顔を覗かせ、唇様の裂け目からは舌や歯がにゅるりじゅるりと生えた。
そして舌の一枚がツエのふくらはぎをべろりと舐め上げる。
「ヒト、キタ」
「オンナダ」
「ヒョウジュン、シュカナ」
「ヒト、ノアジ」
がやがやと無数の声が聞こえる中、完全に固まっていたツエがぶるぶると震えだし。
「みぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」
悲鳴と共に繰り出された拳によって一部の肉壁が肉片となって飛び散った。




