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調査船団

 調査船団。

 それは数百年に渡り定期的に外洋へ向けて送り出され続けている。

 目的は外洋に沈んでいるとされる領主の引き上げだ。

 領主が何故外洋に沈んでいるのかは誰も知らない。

 知っていたのは僅か数体流れ着いた領主の私兵達だったが、それらが機能を停止してから既に十年が経過していた。

 その為アケヤ領の配給機構は今も停止したままだ。

 最早何度目の出航になるのかも不明な調査船団の、数えるのも億劫な程多く海の底に沈んだ船団長の当代であるコトヤは前方を見据えた。

 当初は数百隻規模で送り出されたと伝えられる調査船団も、今や五隻の双頭艦と二隻の先行艇の合計七隻しか出航しない。

 それでも、ここ数年で少しずつ規模は大きくなりつつある。

 それはシシル重繊維工房の影響である。

 コトヤは自らが乗る双頭艦に取り付けられたモノを見上げた。

 甲板に突き刺さった太い杭の先端に、それは括り付けられていた。

 人の形をしたソレは虚ろな眼差しで水面を見下ろし、ぶつぶつと甲板からは聞き取れない呟きを垂れ流している。

 頭部巻き付けられた妙に光沢のある布と、擦り切れた貫頭衣が風を受けてばたばたと暴れていた。

 数年前突如としてトポ海岸線の東端に出現したシシル重繊維工房。

 そこの不気味な工房長から提供されたソレは、調査船団の生還率を劇的に上昇させた。

 ここ数年は四回に三回は誰かが還って来て、その内の一回は全員が帰還出来るのだ。これは劇的な変化と言える。

 今やシシル重繊維工房はその名の元となった言い伝えにあやかって女神と、提供されたソレは神具とさえ呼ばれている。

 遥か古よりの女神シシル。

 名前以外の詳細はほぼ失伝されてしまっている。

 神具とさえ呼ばれるソレに対して、コトヤは不気味さを拭い去れずにいた。

 ぞくりと背筋が震え、コトヤはソレから視線を逸らすと誤魔化す様に前方を見据える。

 アレを見る為だけの船員が乗っているのだ、船団長が監視しなければならない理由は無い。

 今日の海は静かだった。

「嫌な静けさですよねー。足無が出そうで」

 無邪気な声が縁起でもない事を言う。

 コトヤの横にはにこにこと笑うツエが座っていた。

 コトヤはツエ顔をじっと見て、何も言わずに視線を海へと戻した。

 顔も、声も、コトヤの良く知るツエのそれであったが、現在のツエはシシル重繊維工房の看板娘と言う肩書のコトヤの知らないツエだった。

 随分前の調査船団に参加し海に沈んだと思われていたツエが、ひょっこりと生還した時はコトヤも良い事だと思った。

 生還したツエは奇妙な服を着て痩せ細っていた。

 その時に着せられていた紺色で肌に貼り付くその服は、その後スクール水着と言う名で売り出された。

 露出の多い造りを恥ずかしがる者が多い一方で海中における実用性から愛用する者も多い。事実コトヤもまたスクール水着の愛用者である。

 ……そこはかとなく恥ずかしいので服の下に着込んでいるが。

 そんな事を考えている間に調査船団は目的地点へと到達した。

 目印になっているのは海面から五十メートル程上空に浮かぶ球体。

 それが何なのか、どうやって空中に留まっているのか、コトヤはもちろんの事アケヤ領の誰も知らない。

 不気味な程静かな海がゆっくりと停止した調査船団の周囲をぐるりと取り囲む。

「潜水技師の半分と偽装技師の半分を潜らせろ! 可能な限り急がせろ!」

 コトヤが指示を出すと、それを聞いた伝達技師が手旗信号で船団全体に伝達する。

 既に用意を済ませていた潜水技師達はばらばらと双頭艦から海へと身を投げ、先行艇がばたばたと暴れる偽装技師に二つの重りと一つの浮きを括り付けて海中へと落とす。

 今回の調査に同行した潜水技師は十名。調達出来た偽装技師は四体である。

 その半数の五名と二体が海中に消えたのを見届けてから、ツエもその後に続いた。

 ふと視線を感じた気がして、コトヤはアレを見上げた。

 コトヤの視線の先でソレは代わり映えの無い虚ろな瞳をしていた。

「反応は無いままか?」

 出航からずっとソレを注視している監視員にそう尋ねると、肯定を示す返事だけが返って来た。

 当然だとコトヤは苦笑した。事実ソレの両腕はだらりと下がったままだ。

 監視員はソレの両腕を見ているのであって、瞳を見ている訳では無いのだ。

 仮にソレがコトヤに視線を送って来たとしても、監視員はその事に気がつかないだろう。

 或いは気が付いても不思議にも思わないだろう。

 それはコトヤが偽装技師を見る時に瞳の色を気にしないのと同じ事で、偽装技師相手では気にならない事をソレに対して気にするコトヤが異常なのだ。

 コトヤはその自覚があるからこそこの不気味さを誰にも相談出来ず、しかし自身の感覚を気のせいと切り捨てられずにいた。

 コトヤは視線を海へ戻す。

 そこから先はただ待つだけの時間が続く。

 調査船団と言っても、やっているのは潜って見て採取して帰ると言う簡単な工程だ。

 沈んでいるとされる領主が船に乗っていたのか、或いは海上施設が存在していたのか、或いは海底施設が存在していたのか、それ以外の想像もつかない何かなのだろうか。

 そもそも領主がまだそこにいるのか。

 目印があると言う事はそこに何かがあるのだろう。

 しかしそれが海中にあると言う保証も無いとコトヤは考えている。

 見えない程上空に存在していたとしても不思議はないのだ。

 コトヤが思考を巡らせている間に、一体の偽装技師が浮上した。

 続いて二名の潜水技師が浮上して来る。

「次は行けそうか!?」

 船員の一人が潜水技師を引き揚げながらそう尋ねると、潜水技師は力強く肯定した。

「待機していた潜水技師を全員潜らせろ!」

 コトヤがそう叫んだ直後、不気味な呻き声が甲板に響き渡った。

 甲板に緊張が走る。殆どの者が音源を見上げる中、コトヤは監視員に視線を向けた。

 杭の先に括り付けられたソレは口から白い泡を吹きながら頭部を激しく振っていた。

 その両腕が規則正しく三種類の形態を繰り返す。

 その意味を監視員は正確に読み取り、読み取った内容を大声で伝える。

「識別足無! 位置左舷前方千五百! 深度七百四十!」

 監視員が叫んだ内容が広がるにつれて、甲板の緊張に僅かな安堵が混入された。

 大丈夫。逃げ切れる範囲だ。

 誰もがそんな事を考えていた。

「五分以内に可能な限りの潜水技師を引き揚げろ! 海中の偽装技師はそのまま残し追加でもう一体を投入しろ!」

 コトヤの指示が伝達技師によって船団全体へと伝達される。

 待機組の潜水技師達は速やかに船内へと退避を始め、船員が連絡針で潜水中の潜水技師達へと撤退を伝える。

 慌ただしく動き始めた甲板でコトヤが帰港までの行程を考えていると、その隣にびちゃりと水音が降って来た。

 一瞬甲板の緊張が強化されたが、降って来たのがツエだと分かると一瞬の安堵を挟んでまた慌ただしく動き始める。

 コトヤが非難がましい視線をツエに向けると、ツエは可愛らしく眉根を寄せてその視線の意図について想像を巡らせた。

 結論は一秒程で齎され、ツエは晴れ晴れとした笑顔を湛えてコトヤに告げる。

「戻る途中で他の人とすれ違ったけど、半分以上浮上してたから一分くらいで浮かんでくると思うよ?」

 違う、そうじゃなくて。と言う言葉を胸中に留め、コトヤは海面へと視線を向けた。

 丁度先行艇から一体の偽装技師が投下される所であった。

 その瞬間、偽装技師とコトヤの目と目が合う。先程のアレに対する思考が影響したのか、コトヤはその瞳の色を認識した。

 偽装技師の瞳は恐怖に染まっていたが、その表情は顔の下半分を覆う呼吸器によって隠されて見えない。

 両手両足を拘束された潜水技師が海面に打ち付けられるのと同時に、長い紐で偽装技師と繋がれた重りが一つだけ投下された。

 重りは勢い良く沈んで行き、海中に漂う紐がどんどん後を追って消えて行く。

 その様子を見た偽装技師は、さらに激しく暴れ始める。

 必死にもがきながらも結局沈む偽装技師。それと入れ違いに四名の潜水技師が浮上するのと同時に、コトヤは沈んだ偽装技師に対する興味を失った。

 浮上した潜水技師達は速やかに引き揚げられ、コトヤの指示を受けて船団は港へと推進し始める。

 双頭艦の利点は両側推進が可能である点だ。

 そして先行艇は小型であるが故に小回りが利く。

 つまりどちらも撤退が速やかに行われる事を重視して設計されている。

 船団長が向くべきは進行方向。コトヤはくるりと踵を返すと、陸地がある方角を見据えた。

 その視界の端に一瞬だけカーキ色が映り込む。

 気になったコトヤが首だけで後ろを見ると、そこには海上を漂う偽装技師が絶望に染まった瞳で去り行く船団を見送っていた。

 その偽装技師は最初に投下された二体の内技師と共に浮上して来た一体であった。

 視界の端に映ったカーキ色はその偽装技師が纏っていた服だった。

 今回調達された偽装技師の素体は公衆警察だったのかと、コトヤは今更そんな事に気が付いて視線を進行方向へと戻した。

 浮上しなかった一体は海底で、沈む一体は海中で、取り残された一体は海上で足無に捕まるだろう。

 それらが足無を僅かであれども足止めし、更に安全性を高める為に残された一体が霧の発生と共に投下される。

 ここ数年生還率が上がると共に調査船団が送り出される頻度が僅かに上がり、それに伴い調達される偽装技師は毎回最低限の四体だ。

 ほぼ毎回調査船団が戻らなかった時代は十体以上の偽装技師が調達されたのだと言う。

 その時代とは違い偽装技師は領民ではないのだからもっと多く調達しても良いのではないかと、コトヤは一瞬浮かんだその考えを即座に否定した。

 獲り放題とは言え公衆警察やクフラ商隊を捕獲するのも楽ではないのだ。

 加えていくら沢山の偽装技師を投入した所で足無の追撃速度に与える影響は殆ど無いのだ。

 偽装技師の存在意義は船員が安心出来る様にする事だけなのだから、最低限の四体だけあれば十分なのだ。

 ぶるり、とコトヤは寒気を感じて震えた。

 見れば周囲に薄らと霧が立ち込めていた。

 後ろを振り返れば調査地点を濃霧が覆っている。

 コトヤ霧が迫って来る様子がない事を確認して、最後の偽装技師を投下する様に指示を飛ばした。

 伝達技師が指示を先行艇へと伝達し、先行艇から最後の偽装技師が海面へと投げ捨てられた。

 技師が着水する瞬間を確認する事無く進行方向へと視線を戻したコトヤを、杭の先に括り付けられたソレは限界まで首を捻らせてじっと見下ろしていた。

 その両腕は規則正しく三種類の形態を繰り返す。

 その瞳は妙に感情的で攻撃的であったが、唯一それを見ていた監視員はコトヤに何も伝えなかった。

 ソレが両腕で示す足無との距離はじりじりと遠ざかっており、監視員が腕以外の動きに対して何かの意味を見出す事は無い。

 貫頭衣が風を受けてばたばたと暴れ、その下には隠される事も無いカーキ色の服が見えていた。

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