市街戦
クフラ商会の護兵団から幾筋もの青い光が放たれる。
それらの光は真っ直ぐに公衆警察の機動隊を襲ったが、カーキ色の鎧に包まれた機動隊は鈍色の盾を横一列に掲げてそれらを受け止めた。
激しい閃光が隊列の至る所で発生し、防ぎきれなかった衝撃で何名かの機動隊員が吹き飛んだ。
隊列に開いた穴を狙い護兵団が更に魔術を放ち、機動隊も呼応する様に絞り弓による反撃を行った。
視認不可能な速度で放たれた矢が何名かの護兵団を障壁毎貫き、運悪く頭部を射抜かれた一人が即死する。
一方で機動隊員も魔術の直撃によって何人かが死亡或いは戦闘不能に追い込まれた。
接敵から僅か数分で行われたこの攻防によって両者共に約三割程が戦闘不能に追いやられた訳だが、そんな程度で両者が引く事は無い。
「公衆警察だ! 検閲妨害により貴様等を処罰する! 武装を無効化して投降しろ!」
機動隊の隊長と思しき人物が声を張り上げる。
これが今回の戦闘における第一声だ。
「我々は自衛する能力がある! 貴様等が攻撃を止めない限り我々は抵抗を続ける!」
クフラ商会の商隊長と思しき人物が対抗して声を張り上げる。
その間も矢と魔術の応酬が途切れる事は無く、両者に死者と負傷者が増えて行く。
居住区内で突如発生したこの戦闘に対して、住民の対応は手馴れたものだった。
僅か数分の間に付近の住民は一人も漏れる事無く避難を完了させていた。
時折不幸な住民が死亡する事もあるのだが、アケヤ領の住民にとってそれは通り雨に降られるのと同程度には日常的な不幸なのだ。
両者の戦闘は時間と共に激化し、護兵団は中規模魔術を、機動隊は撒礫装置を使用し始めた。
最早両者の防御手段は意味を成さず、護兵団はその身体を礫によって弾けさせ、機動隊員は中規模魔術によって装備毎焼切られる。
そして瞬く間に戦闘は決着を見せる。
今回は両者の壊滅と言う形で決着が付き、死屍累々の惨憺たる情景が後に遺された。
原型の無い死体が飛散した一帯に生きている人の気配は見て取れず、商隊の車両もまた悉く破壊され周囲には食料品や日用品が散らばっていた。
火が落ちる様に戦闘音が消えたその場所に、住民達は暫く戻って来ない。
唐突な戦闘の最後に、死んだ振りからの自爆による反撃が行われる事もまた見慣れた光景なのだ。
領主が不在のアケヤ領には領主の私兵が存在しない。
この様な戦闘に際して後始末も制圧も望めない以上、住民達はただ嵐が過ぎるのを待つだけなのだ。
実際嵐は過ぎ去っていなかった。
呻き声と共に、車両の残骸を押し退けながら一人の女が立ち上がった。
女は右目からぷらぷらと垂れ下がる眼球を無造作に掴み視神経を引き千切り足元に捨てると、自身の腰の辺りを探り小さく舌打ちをした。
腰に差してあった魔術具が無かったのだ。
中身の無い眼窩から血を流しながら虚ろな左目で周囲を見渡すと、女はふらふらと歩き始める。
右足は明らかに折れていたが、女は最早痛みを気にしていなかった。
女が歩く先には赤い筒が落ちていた。
それは女が失くした魔術具で、使用する事によって救援を呼ぶ事が出来る物だった。
ふらふらと歩いた女は、最後に倒れ込む様にしてその魔術具を掴んだ。
掴んだ魔術具を起動させようと持ち上げた所で、かこんと軽い音を聞いて女は死んだ。
その頭部を矢が貫通していた。
女を殺したのは機動隊員の生き残りだ。
カーキ色に塗装された角材の様な武器、絞り弓を両手で支えている機動隊員は下半身が焼失していた。
傷口が炭化する程の熱によって偶然にも止血が成されていたが、それでもその機動隊員の余命は長くは無い。
機動隊員は周囲を見渡し、自分の持つ一丁を除いた全ての絞り弓と撒礫装置が自壊しているのを確認し、装備の鹵獲を防げそうだとほっと一息を吐いた。
太古の兵器である絞り弓と撒礫装置が敵の手に渡る事はなんとしても防がねばならない。
それは死に行く機動隊員が成すべき義務である。
機動隊員は周囲に商隊の生き残りが居なさそうな事を確認すると両腕から力を抜いた。
絞り弓がべちゃりと地面に落ち、機動隊員の筋肉が弛緩する。
クフラ商会とは異なり、公衆警察には増援を呼ぶと言う発想はあっても救援を呼ぶと言う発想は無い。
商隊に生存者が居ないのであれば増援の必要は無く、地面に伏して血を吐く機動隊員には生に対する執着も無い。
「あっ、生き残りが居るよー」
意識を手放そうとしていた機動隊員の耳に声が飛び込んで来た。
その声は幼い女のそれだったが、公衆警察は性別や年齢によって差別をしない。
機動隊員は最後の力を振り絞って絞り弓を手に取ると、声のした方へ射出口を向けて引鉄を引く。
かしゅっ。と、空気が漏れる様な音と共に矢が射出され、それは声の聞こえた方角へと飛ぶ。
その速度は音ですら追い越す程で、引鉄を引いた側ですら軌道を目で追えない。
それでも矢の行方を確認しようと機動隊員が頭を持ち上げると、そこには奇異な存在が佇んでいた。
すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。
立ち姿はソレを美術品だと思わせる程すらりと美しく、気品すら漂う。
しかしながら、白い。白い人型。
頭の天辺から爪先までが一様に白いが、顔には黒色で文字が表示されている。
『あー、公衆警察か。公衆警察は大抵の場合契約に応じないのよねぇ』
丸みを帯びた可愛さすら感じさせる文字を表示したその顔が僅かに傾けられ、頬に片手が添えられていた。
仕草だけを見れば可愛らしいとすら感じた機動隊員だが、頬に添えられていない方の手に矢が握られているのを見てその顔が引き攣った。
絞り弓が射出する矢は、長さ五十センチ程で太さは赤子の指程である。
風切羽根の無いその矢はつるりとした亜金属製で、仮に高速で射出されなくとも素手で掴み取る事は不可能に近い。
目視不能で防御不能と言うのが絞り弓の売りなのだ。
「でも生きてるよ?」
その白い人型の傍らには少女が立っていた。
紺色で露出の激しい服装の少女は酷く痩せていて、風が吹けば倒れるのではないかと心配されそうな風貌だったが、機動隊員はその少女もまた普通では無いと感じていた。
何も根拠は無い。
異常な人型の横に居るのだから、普通では無い。怪しい。
怪しき者は悪しき者。悪しき者は処罰すべし。
機動隊員は引鉄を引いた。
次の瞬間、白い人型が掴む矢が二本に増えていた。
『やっぱり攻撃的だね』
白い顔に表示された文字が切り替わる。
「でもー、人手は欲しいし。私ちゃんとお世話するから」
痩躯の少女がそんな事を言うと、白い人型は肩を竦めて諦観を文字にして許可を出した。
少女は白い人型に対して喜びを言葉にすると、てとてとと機動隊員に駆け寄る。
そんな光景を見ながら、機動隊員は焦っていた。
どうやら殺される感じでは無いと感じた機動隊員は自決しようとしたが、胸部に埋め込まれた自爆装置は反応しなかった。
自爆装置が起動しなかった時の為に配給されているナイフは太腿に装備していた為、下半身諸共焼失してしまい機動隊員には死ぬ方法が無い。
試に舌を噛み切ってみたものの、改造の施された身体はただ痛みを感じるだけだった。
もしこのまま生かされてしまうのであれば絞り弓が鹵獲されてしまう恐れがあった。
何とかしなければならない。
そんな一念で絞り弓を破壊しようとする機動隊員は、強化された腕力を用いて折ろうと試みるも絞り弓は僅かに歪む程度しか損傷を受けない。
その歪みも数秒で治癒してしまう。
ならばと、最後のあがきで目の前に迫った少女に向けて引鉄を引いたが、少女は軽く首を傾けて矢を躱してしまった。
機動隊員には少女が不意に首を傾けた様に見えただけで、至近距離で的を外したと認識していたのだが、どちらの認識であれ機動隊員には一瞬の隙が生まれた。
「それはちょっと危ないかな?」
機動隊員が硬直したその一瞬。少女は捕まえた野ヒガヌに対して飛ぶと危ないから内翅を毟ろうとするかの様に、それくらい自然に右腕を振るう。
その一撃を機動隊員は辛うじて途轍もなく速い拳と知覚する事が出来た。
実際は途轍もなく速い手刀だったのだが、その程度の間違いは些細な事である。
結果に差は無くただ絞り弓が肉片へと変化するだけなのだから。
「私はツエって言うんだ! よろしくね!」
機動隊員の前にしゃがみ込んだ少女は、にこりと笑って絞り弓を粉砕した手を差し出した。
胸元に刺繍されているのは名前だったのかと無関係な事を考えつつ機動隊員は数秒間沈黙し、取り敢えず何かを問おうと口を開いて舌を噛み千切った事を思い出した。
ぼたぼた口から流れ落ちる血液と共に、意味を成さない音が漏れる。
『何で舌を噛み切ったんだろう?』
少女の背後で白い人型が疑問を文字にしたが、それに答えられる者はどこにもいなかった。
小首を傾げる白い人型を視界の端に収めながら、機動隊員はぐるぐると考えを巡らせていた。
公衆警察としての義務はある程度果たされている。
敵性団体であるクフラ商会の商隊は殲滅出来たし、結果的に武器の鹵獲は防げただろう。
その上で考える。
目の前の二人は確かに怪しい。
怪しき者は悪しき者。悪しき者は処罰すべし。だが、それは義務では無い。
それは都合の良い解釈だったが、公衆警察はその様な事は気にしない。
公衆警察と言う組織は上から下まで都合の良い理屈で行動する体質なのだ。
まあ、攻撃する理由は十分にあるが、攻撃しない選択肢もあり得る程度の怪しさか。
機動隊員は最終的にそんな結論に行き着き、仕方がないと言わんばかり片手を少女に差し出した。
図々しい奴である。
少女はその手をしっかりと握り、立ち上がった。
「工房長に直して貰おう。工房長は凄いんだよ!」
そう言うが早いか少女は機動隊員を引き摺りながらその場を走り去って行った。
機動隊員の上半身は不規則に回転し、地面にがつがつと打ち付けられる。
それに対して文句を言おうにも、舌の無い機動隊員の口からは唾液交じりの血飛沫と意味を成さない声だけが飛び散った。
『もっと丁寧に運ばないと死んじゃうよー?』
その後を白い人型がわたわたと追い駆けて行く。
残されたのは血の海に浮かぶ肉片と車両の残骸。
それはアケヤ領では日常的な情景の一つであり、その情景が住民の行き交う別の日常に上塗りされるのは三十分程後の事である。




