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英雄

 黒光りする甲殻と青い複眼。鋭い角と強靭な顎。

 角虫の大群がナナタ領南部に襲来していた。

 それら何百何千もの角虫を切り捨てたネハは限界を感じていた。

 青い体液で汚れた顔は近くで見れば皺だらけだ。老いには勝てない。

 その時点のナナタ領において唯一の第二種特級傭兵は、害獣の波に呑まれようとしていた。

 防衛依頼に従事した他の傭兵は全て死んでいた。

 それでもネハは両手に構えたナイフを振るう。

 ナイフは角虫の外殻を易々と切り裂き、身に纏った簡素な鎧は鋭い刺突を幾度と無く防いでいる。

 それらは八十年前に閉鎖されたシシル重繊維工房製の逸品。

 ネハが特級へ昇格出来たのもそれらの装備によるものだった。

 角虫は後から後から押し寄せて来る。

 既に十二の集落で防衛に失敗していた。

 とは言えネハが関わった防衛は全体で見れば成功の部類でもある。

 最初の二つの集落では二割、それ以外では五割程の住民を逃がす事に成功していたからだ。

 そして現在防衛に従事しているこの集落が最後の集落である。

 この集落より中央に近い集落では領主の私兵が防衛をしている。

 角虫が万匹億匹押し寄せたとしても、領主の私兵はそれを退けるだろう。

 即ち、領主が見捨てた集落は現在防衛している集落が最後と言う事だ。

 だからこそ、ネハは引かなかった。

 どれだけの住民が領主の防衛地域まで避難しているのかは既に分からない。

 視界は角虫で覆い尽くされている。

 黒光りする外殻ががちがちとぶつかる音と、槍状の角が無数の穂先をネハに突き込まれ、時折顎も迫り来る。

 そしてその時は遂に訪れる。

 角虫の角がネハの左腕を骨に届くほど深く切り付けた。

 当然ネハの左腕は動かなくなり、次の瞬間には肩から食い千切られる。

 これまでか。

 ネハはせめてもう数匹は道連れにと右腕を振るう。

 その瞬間、ネハは暴力的な勢いで上へと引っ張られた。

 右腕のナイフは空を切り、左腕から流れ出る血液が角虫に降りかかった。

『角虫の殲滅を望みますか?』

 ネハの目の前に文字が出現した。

 すらりと流れる様な文字は白い何かに記されていて、その白さにネハは見覚えがあった。

「……全身タイツさん」

 すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。

 空中で仁王立ちしている全身タイツさんは、更なる文字を身体に表示する。

『契約約款

・ネハは契約によって以下の恩恵を受ける。

一つ、ネハは角虫を殲滅する。

一つ、ネハは角虫を殲滅し得る補助を受ける。

一つ、ネハは角虫の殲滅が完了するまで死滅する事が無い様に保全される。

・ネハは契約によって以下の義務を負う。

一つ、ネハの死体はシシル重繊維工房の所有物となる。

一つ、ネハはシシル重繊維工房に対して害とならない。

一つ、ネハは角虫の殲滅後自らの意思と思考をシシル重繊維工房に提供する。

以上の要件は他の全てに対して優先される。』

 その文章に軽く目を通したネハは、強く頷いた。

「こりゃまた、特級傭兵らしくていい死に様じゃねえか」

 その顔に獰猛な笑みが浮かび上がった。

 ネハの脳裏に破落戸だった時代の情景が浮かび上がる。

 特にこれといった場面は無い。

 だが、それらの情景には色が無かった。

 寂れて寂しい、色の無い時代。

 目標も無くただただ生き急ぐだけの時代。

 比べて現在はどうか。

 やはり目標も無くただただ死に急ぐ日々。

 ネハが人生を感じられるのはいつも僅かな瞬間。

 死線を潜り抜けたその一瞬。

 そこだけが生きている実感のある僅かな時。

 ネハは暴力の中でしか生きる事の出来ない人間だった。

 しかし晩年のネハはその暴力を肯定されると言う稀有な状態にもあった。

 破落戸の多くが第二種傭兵に憧憬を覚えるのと同じ理屈。

 暴力的なその生き様を肯定されたい。

 特級傭兵となって十数年。ネハは自身が、自身の生き様が肯定される喜びを知った。

 だからこそ領主が見捨てた集落の防衛と言う割に合わない依頼を受けたのだ。

 その依頼は悉く失敗し、そして現在最後の集落の防衛に失敗している。

 引き際を誤らなければ逃げ延びる事は出来ただろう。

 だが、ネハは引かなかった。

 一匹たりとも領主の私兵にくれてやるものかと。

 それは意地だ。

 ただそれだけの為に死を賭して角虫を斬り続けた。

 そんな意地が滲み出た壮絶な笑顔に、全身タイツさんが覆い被さった。

 解けて糸状になった全身タイツさんはネハの全身に纏わり付き、衣服と肉を切り裂きながら体内へと潜って行く。

 その傷口から血は流れず、いつの間にか元から存在した傷や左肩の切断面からの出血すら止まっていた。

 そして全裸になったネハの身体が落下し始める。

 ネハは自分の身体に起きた変化に対して全く頓着する事無く、その視線は眼下に犇めく角虫の群れを見ていた。

 どうすればいいかは本能的に理解していた。

 右手に握ったままのナイフは投げ捨てる。

 同時に願う。

 右手に暴力を、左腕も暴力を。

「最高な気分だな!」

 ネハが吠えると同時にその身体は角虫の群れに呑み込まれた。

 ネハへと殺到する角虫が互いの甲殻をぶつけ合う音ががつがつと響き――弾け飛ぶ。

 それは嵐の様だった。

 ネハが落ちた場所を中心に黒光りする甲殻が宙を舞う。

 先ずは時計回りに一周、半径は数メートル。

 もちろん宙に舞うのが全てでは無い。大半は水平方向に押し出され、宙を舞うのはその勢いで上方へ押し出されただけに過ぎない。

 追撃は間髪入れずにもう一周、今度は糸束による鋭い斬撃。

 半径十メートル程の範囲で角虫が細切れに切り裂かれていた。

 黒光りする角虫の群れの中に無数の煌めきが垣間見える。

 それはネハの左肩から生えた無数の糸。それが角虫を斬り裂いていた。

 言葉としての意味を持たない声が響く。

 それはネハの歓喜。

 ただ暴力に身を任せる快感に対する歓喜。

 それに対して角虫は本能で答える。

 角虫に逃亡は無い。

 ただ物量で押し潰すと言う群体としての本能に従い、ネハへと殺到する。

 ネハは狂った様に笑いながらそれを迎え撃つ。

 左肩から生えた糸束を振り回して数十匹の角虫を細切れにし、糸束の反対側から殺到する角虫の一匹を硬化した右手で貫き振り回す。

 角虫も数に物を言わせネハへ攻撃を届かせるのだが、今のネハはそれらの攻撃を受け付けない。

 角は皮膚に受け止められるだけ。

 ならばと強靭な顎で噛みつくもののやはり皮膚を破る事は叶わず、噛みついたまま踏ん張り動きを止めようとするも、鈍器の如く強引に振り回され周囲の甲殻を巻き込みながら砕け散る。

 それは最早一方的な蹂躙行為。

 ネハが動く度に数十の角虫が切り刻まれ十数の角虫が砕け散る。

 青い体液が大地を汚し、甲殻が、肉が、体液が、ネハの周囲に降り注ぐ。

 地面に落ちた角虫の残骸は殺到する角虫に踏み潰され蹴飛ばされ、その殺到する角虫が切り刻まれ砕けて降り積もる。

 そんな一方的な暴力に対して角虫は引く事は無い。

 群体としての本能が角虫をネハへと殺到させ、ネハの暴力がそれを迎え撃つ。

 どれ程の時間それが繰り返されたのか。

 気が付くとネハの周囲に暴力を振るう対象は無かった。

 それでも無意識に右腕を数度振るい、ネハはその場に膝を着いて脱力した。

 左肩から生えた糸束が青い体液の中で模様を描く様に散らばり、その中心でネハは笑っていた。

 青く濡れた大地に吸い込まれる笑い声は狂気に満ちていたが、ネハは狂気に支配されていなかった。

 ただ清々しい達成感がその内に満ちていた。

「あー、満足だ」

 ネハの呟きに反応するかの如く左肩から生えた糸束が蠢いた。

 ネハの周囲に散らばった白い模様が旋風の如く吹き荒れつつ集合し、人型を形成した。

 すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。

 しかし全身タイツさんより一回り小さいその人型は、その顔に一つの単語を表示した。

『契約』

 その文字を見たネハは笑い顔のまま片方の口角を歪めると、よろよろと立ち上がった。

「くれてやる」

 その言葉は酷く穏やかで、深みのある声音だった。

 揺れる様に数歩踏み出したネハは倒れ込む様に一回り小さい全身タイツさんへと身体を投げ出す。

 それを受け止める様に全身タイツさんの全身が解けた。

 うねうねと繊維が蠢き、形を変え、まるで繭の様にネハを包み込んで行く。

 ネハに同化していた繊維は全身タイツさんの繊維に組み込まれ、その肉は切り刻まれて排出された。

 しかし脳だけは全身タイツさんの内部に留まり、繊維に浸食された。

 そのままゆっくりと時間を掛けてネハの思考や記憶や個性や意識は全身タイツさんを構成する繊維に溶け込む様に、統合されるのだ。

 絞り粕となった脳が排出されるのは十数時間後。

 こうして契約は果たされた。

 角虫の襲来は領主の私兵に到達する前に殲滅され、壊滅した集落の生き残りにネハは英雄として語り継がれる事になる。

 もっとも、ネハは英雄になる事を望んでも居なければ英雄と語る者達を救った自覚も無い。

 ただネハは暴力に生き暴力に死んだだけだ。

 ネハはそれ以外の何かと生きるには考えが足りなかったし、そうやって生きられる程度には腕っ節が強かった。



メイド服:end

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