領主
クフラ商会の暴挙とも言える夜から早二日。
ナナタ領内の治安は良くもならなければ悪くもならなかった。
拠点を持てない規模の非合法組織は無数にあり、それらの組織が強者の抜けた穴を埋める様に台頭したからだ。
結局一晩に二千を超える死体を量産し、百を超える建造物を破壊したクフラ商会だったが、明確な戦果を挙げる事は叶わなかった。
クフラ商会の暴挙に対して領主は特に反応を示さず、傭兵組合は適度な抗議と謝罪の遣り取りを行うに留めたが、公衆警察は反感と敵意を隠す事をしなかった。
結局後に残ったのはクフラ商会と公衆警察との間に出来た深い溝だけだった。
ナナタ領中央に存在する潜塔の中で、領主はそれらの情報を整理していた。
その姿を形容するのであれば金属種と言う言葉が順当である様に思えるが、領主の容姿は金属種と言う言葉で形容するのに対して些か金属種が過ぎる。
服は着用していない。全身を鎧よりも固い金属が覆っているからだ。
頭部には目が四つ、全方位を知覚出来る配置で存在している。
鼻と口は無い。
姿形こそ人族らしいそれを採用しているが、その一方で性別を想像する事は出来ない。
領主が籠る部屋には作業机が一台と、ごうごうと低い唸り声の様な音を発する柱が五本。
足元には書類が散らばっていたが、その内容は全て領主の頭脳に写されていた。
散らばるゴミはいずれ清掃員が処理する。
だから領主は机の前に直立して動かない。
動く理由が無いから。
その頭脳では領内で起きた様々な事柄を精査し、ナナタ領の運営に必要な判断を行っている。
さしあたって現在、領主が一番に考えているのは人口の調整である。
クフラ商会の大規模掃討作戦によって死亡した者は二千人を超えていたが、それは領主が満足する規模では無かった。
まだまだ領民が多い。
領主はそう思っていた。
そこへ、一羽の鳥が舞い降りた。
空色の鳥は排気口から室内へと侵入出来る程度の大きさではあるが、排気口は鳥が偶然迷い込める程単純な構造では無い。
鳥は真っ直ぐに領主の元へと舞い降り、領主は躊躇無くそれを手に取ると身体の横に回し、嘴を起点に引き裂いた。
鳥の体液が床のゴミに降り注ぎ、その体内からは小さな金属片が取り出された。
その金属片には微細な文章が刻まれていた。
何かが擦れた傷の様にしか見えないその文章を、領主は当然の様に解読する。
「相変わらず汚い部屋だな」
背後からの声に領主は振り向かない。
背後も視野の内だからだ。
もっとも、声の主が出現した瞬間は捕えられなかったが。
「おや、ダラダラ様ではありませぬか」
領主は甲高く罅割れた声でそう言った。
領主の背後には五つの瞳と十七指を備えた二対の腕を持つ者、ダラダラが立っていた。
百年振りでしょうかと問い掛ける領主に、ダラダラは生返事を返しながら歩み寄る。
「不具合は無さそうだな。……シシルの仕事ならば当たり前か」
そう言いつつダラダラは領主の身体をまさぐる様に触れる。
合計六十四本の指が自身の表面を滑る様に動くのを、領主は黙って見ていた。
たっぷり十分程そうしていたダラダラは、やがて数歩後ろへ下がる。
領主が声を発したのはダラダラが余韻を楽しみ終わってからであった。
「本日はどの様な御用でしょうか?」
領主の言葉に、ダラダラは思い出したかのように感嘆詞を漏らすと、布に描かれた一枚の画像を取り出して見せる。
「お前の所で雇っている博士だと思うが、知っているか?」
黒い鞄を携えた白い服と白いマスクの優男の画像。
それは偽装宿から唯一帰還した傭兵の記憶から抽出した画像だった。
「ああ、そいつは確かにこの領で雇っていた博士ですね」
領主は手にしていた金属片をダラダラに投げた。
金属片は回転しながらダラダラの横を通過し、床に落ちて軽やかな音を響かせた。
それはダラダラが金属片に刻まれた微細な文章を読むのには十分な時間だった。
逃げたかと、ダラダラは端的に呟いた。
金属片に刻まれていた文章は、要約するのならば非常に簡単な内容だ。
危険な存在に目を付けられたから逃げる。
それだけの事が博士の職を辞する事を告げるのに必要な形式で書かれていた。
「予想よりも優秀な博士だったようだな。技能面では足りないが」
ダラダラの辛辣な評価に、領主は足りませんかと言葉を返した。
「足らない。全く持って足らない。あの程度の技能に人材を浪費し過ぎだし、恐らく今回の騒動も人材を制御しきれていなかったか使い方が悪かったのかどちらかだ」
それでも、自分よりも優秀な者の存在を察知するのは得意な様だなと、そこだけは感心した様な口調でダラダラは二対の肩を竦めた。
「まあ、確かに。人材の利用効率は置いておくとしても消費の絶対量は不足していましたしね」
クフラ商会は良いタイミングで良い行動を起こしましたと、領主もまた肩を竦めてそう言った。
連領連合内において領民の計画的な削減は重要な課題でもある。
下がり続ける幼児死亡率は領主にとって悩みの種でもあるからだ。
その元凶とも言える技術を確立するのと同時に幾つかの解決策を提案したダラダラはその様な事を気にもしない。
所詮人は材でしかないのだから。
「いずれにせよ、博士でなくなったのならば好都合だ」
博士とは人材を扱う熟練技術者に付与される称号である。
そしてその称号を付与するのは領主だ。
領主の庇護下から離脱した黒鞄を携えたマスクの男は、最早博士では無い。
繊維にでも変えるつもりですかと領主が尋ねれば、ダラダラは笑いながら否定する。
「いくら人攫い事件の黒幕だとしても、領主が居なくなるのは不味いからな」
身代わりであり悪役になって貰うのさと、朗らかにそう言ったダラダラは不意に居なくなった。
出現の瞬間を見逃した領主であったが、消失の瞬間はしっかりと見ていた。
「空間を編むとか、器用な御方ですね」
領主はそう嘯くと両手を作業机の穴へと差し込んだ。
室内でごうごうと音を響かせていた五本の柱がゆっくりと段階を踏んで沈黙し、領主は目を閉じた。
領主の首が前方へ傾き、身体もまたやや前傾姿勢で休息状態へと移行する。
室内には五本の柱と領主が籠った熱を廃棄する音がちりちりと響くのみである。
清掃員が部屋を訪れるまで数時間の猶予がある。
それは領主が取り得る極僅かな休息時間。
室内は静かな空間で満たされていた。