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看板娘

「なんだ……コレ?」

 なんとも歯切れの悪いその疑問を発した男は、ソレがナニであるのかを量り兼ねていた。

 姿形は一応人のソレではある。

 すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。

 立ち姿はソレを美術品だと思わせる程すらりと美しく、気品すら漂う。

 その場所が汚れた路地裏である事はソレの美を貶めるどころか、むしろソレの美を引き立ててすらいる。

「何とか言い――」

 別の男が声を荒げようとして、困惑と共に呑み込んだ。

 何とか言いやがれ。

 それは決まり文句であるが、ソレを除くその場に居た全員が同じ事を考えた。

 果たして喋れるのか――と。

 その場に居合わせた者達の中で唯一の弱者にして追われる側である少女は、尻餅を着いたままソレを見上げていた。

 ソレは白かった。

 ソレの体表は全て白かった。

 頭頂から爪先まで全てが白かった。

 きめ細かく上質な肌触りを確信させるソレの体表は、前も後ろも全てが白かった。

 ソレを一言で言い表すなら、全身タイツと言う言葉で十分であろう。

 足も腰も胸も手も肩も首も、顔面すらも全て。

 ソレの体表はきめ細かい布で覆われている様に見えた。

 しかし、ソレの体表を覆う布地に切れ目は見て取れない。

 人が布を被っているのか、人を模ったナニカなのか、誰もが判断出来ずにいた。

 汚れた路地裏にはソレと追われる少女と追う三人の男。

 ソレを取り囲む沈黙と静止は、ソレの行動によって破られた。

 ソレは腰を屈めると少女に向かって手を差し伸べた。

 少女は逡巡の後にソレの手を取った。

 明らかに害意のある三人の男と、害意は感じられないがナニか分からないソレ。

 選択として妥当かどうかはさて置き、少女が選んだのはソレだった。

 引き上げられて立ち上がる少女の瞳に、ソレの顔が映る。

『怪我は無い?』

 それは発言では無い。文字である。

 丸っこい可愛らしいフォントで、ソレの顔面に文字が浮き上がったのである。

「何だコレは!」

 男の一人が心中をそのまま言葉にしたが、回答はどこからも得られない。

 良く分からないソレに対して、男達が選択した対応は攻撃であった。

 そして二つの首が、身体に永遠の別れを告げた。


 胸元から足元までを覆う、フリルで装飾された可愛らしいエプロン。その下には長袖のワンピースとロングスカートをかっちりと着こなし、頭部を覆うのは大きめの三角巾。

 その場所に全くそぐわないメイド服に身を包んだ少女が、不機嫌そうな顔で腕を組んで仁王立ちをしていた。

 そこはナナタ領の東に広がる森の外縁。青々と茂る木々が視界一杯に広がる場所。

 しかし現在、見渡す限りの木々は白化粧が施されていた。

 眉を顰めた少女の噴出する鼻息が白く色を帯びて視覚化される。

 周囲一帯が極低温の世界に浸食されていた。

 人が生存不可能なその場所で、メイド服の少女は定期的に白い鼻息を噴出しながら仁王立ちを維持していた。

 少女が着ている薄手のメイド服は、その見た目に反して防寒性が高い。

 メイド服からはみ出た部位はその殆どが別の布地で覆われていた。

 両手は白手袋で保護されていたし、頭部を覆う大きめの三角巾は耳とうなじを覆い隠し、首元は襟を立てる事で保護されていた。

 少女が外気に晒している肌は顔面のみ。

 定期的に白い息を噴出する鼻を中心に凍り付き、頬は青白い。

 瞼の霜が瞬きと同時に少し落ちたが、その直後に噴出された白い鼻息によって前以上に成長した。

 何度か鼻息を噴出した後に、少女が一歩足を踏み出した。

 凍り付いた草が少女に踏み潰されて、ばりばりと小気味いい音を奏でて粉になる。

 少女は組んでいた腕を解いて右手をエプロンのポケットへと差し込みむと、三十センチ程の黒い棒を掴んで引き抜いた。

 少女がその棒を振るうと軽やかな音と共に棒が凡そ三倍に伸びる。

 その棒を森の奥へと向けて、少女は再び動く事を止めた。

 その状態で数秒。

 極低温の世界に熱が発生した。

 少女の構える棒が赤く輝いていた。

 それは少女の持つ部分も同様であったが、少女の手袋は高温も低温も等しく意に介さない。

 少女の不機嫌そうな顔面に貼り付いていた霜は全て溶け、熱気にあてられた頬が僅かに紅潮し、噴出する鼻息に色は無い。

 ぶおおお。と、大きな音が周囲に響き渡った。

 それは鼻息の音であった。

 少女のそれではなく、雪吐きの鼻息である。

 森の奥から極低温が叩き付けられる。

 赤熱した棒によって作られた暖かな空間は即座に凍り付き、しかし再び極低温を押し退けてその領土を主張する。

 そこに再び極低温が叩き付けられ、しかし再び熱気が領土を主張する。

 そんな不毛な攻防が数度繰り返され、業を煮やした雪吐きが少女の前へと這い出て来た。

 銀灰色のぶよぶよたるんだ肌が凍った木の幹を砕きながらその姿を現す。

 その見た目は奇怪としか言いようが無い。

 四本の脚と細長く伸びた鼻。

 それ以外の付属部は存在しない。

 雪吐きは本来森の奥に聳え立つ山脈の尾根で暮らす生物だが、この個体は数カ月もの間森の中を彷徨っていた。

 縄張りを追われたのか、奇特な嗜好を持つ個体だったのか、山脈の方向を見失ったのか。

 いずれにせよ人にとっては迷惑でしかない。

 少女は赤熱する棒を地面へと突き刺すと、雪吐きとの間合いを零にした。

 雪吐きは少女の腕が外皮を突き破った事を認識出来なかった。

 それよりも前に内頭部を引き抜かれて絶命したからだ。

 雪吐きの死骸から白い霧が流れ出し、その身体はぺたんこになって地面へと張り付いた。

 少女は手の中の内頭部に視線を落とすと、握り潰した。

 その表情は不機嫌を張り付けたまま、氷結していた。

 雪吐きが討伐された事によって、一帯を支配していた極低温は徐々に薄まって行く。

 冷えた空気は地面を這う様に拡散して行き、周囲から吸い込まれる様にして、暖かな空気が流れ込んで来る。

 空気の流れが少女のメイド服をばたばたと叩き、メイド服のエプロンがふわりと浮く。

 エプロンにはメイド服の製作元である工房の名前がでかでかと記されていた。

 シルル重繊維工房。

 そこがメイド服の製作元であり、少女の雇用主でもある。

 メイド服を着る不機嫌顔の少女、キヒはシルル重繊維工房の看板娘であった。

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