1話 働きたくないで…いや、やりますよ…
「あー働きたくない…」
そう言うと後ろから思い切り叩かれる。気持ちの良い甲高い音が周囲に響く。
「あんたいい加減にしなさいよ…」
そう言う言葉は女性のものである。叩かれた方は意外と良い場所に決まったのか頭を押さえている。
「痛いよ、サオリ。僕はただ働きたくないと…」
恨めしそうに彼はサオリを見る。すると彼女は溜め息を吐き、頭を左右に振った。
「あのねぇ、あんたいい加減に活動しないと退学になるわよ」
サオリは腰に手を当てると顔を寄せて危機迫る表情で話し掛けた。
「だってさ…」
「だってさ、じゃないわよ。いい、あんただからこうしていてもそれほど厳しい事にはなっていないのよ。頑張っても退学になる子もいる中で、あんたが頑張らないで残るのは問題が在るの!」
彼女が言う言葉は重みが在る。何と言っても友人がそれで退学となっているからである。競争率三十倍と信じられない関門を突破しても無事に卒業できる者は七割と言われている。この数字も本当にそうなのかは分からない。あくまでもその年度に卒業した学生がと言う話しであるからだ。留年するのは当たり前なのがこの学校である。入るのが難しければ出る事もまた難しい。日本国では非常に珍しい考えである。
「何やってんだ、サオリ。又そいつの面倒を見てんのか?」
二人の後方から呆れた様な声が聞こえ、その方角を彼等は見た。
「武山…」
サオリは嫌悪に近い感情でその名を呼んだ。生理的に彼女は目の前の男が気に入らなかった。武山宗太は六人の取り巻きを引き連れて現れた。
「なんだよ、サオリそんな嫌そうな顔しなくても良いだろ。俺はお前の事気に入っているんだぜ」
そう言っておどけた態度で話す。
「そうありがとね。でも私は嫌いよ」
サオリは彼の言葉にそう素っ気ない様な態度で軽く拒否を示した。それに反応したのが後ろに控えていた取り巻きである。
「遠野さん、些か失礼じゃないか。宗太君がそう言っているのに」
そう一人が言うと残りの五人も異口同音に話しだす。それを一頻り効いていると武山が制止する。
「まあ抑えろ。俺は気にしていないから」
彼自身はこれで度量の広さを示したつもりであった。だが演技である事が分かりきるほどにあからさまな態度は胡散臭く見えてしまった。
「ふん。そんな事をしても無意味よ。大方そこの馬鹿の入れ知恵でしょ」
そう言って細身のメガネを掛けた男へと彼女は視線を遣った。するとバツの悪そう顔をして顔をそむける男が居る。
「はぁーやっぱり郷田だったってわけね…」
サオリは武山を睨み付ける。するととたんに態度が怪しくなる。
「う、ううう…し、仕方ないな。今日はこれ位にして置くぜ!!」
まるで戦った後の様な捨て台詞であった。彼がそう口にすると先頭を切って踵を返して帰って行った。その姿を見送り再度サオリは溜め息を吐いた。今度は二人揃ってだった。だがそもそもの原因は彼である。そうしたことから彼女はもう一度彼を睨み付ける。
「分かっているの?あんたが此処でもたついているからあいつが来ちゃったのよ」
今度は胸倉を掴んで問い詰める。これに苦しそうに彼は悶える。
「ご、ごべん…くるじいよサオリ…」
そう言うと彼女は少し首元を緩める。
「それで、あんたは働く気になったの?」
「う、うん…仕方が無いか…」
最後の言葉は彼女に聞こえない様に心の中で呟くのであった。
二人は広大な農場へと移動していた。食物を始め此処では馬、牛等動物も飼育している。来た道から農場が続き奥へと進むと動物が飼育される場所へと至る。二人の目的地はそこであった。多くの学生がこの農園で働いている。しかし、人員は農作業に多く振り分けられている。
「佐伯先生!優太を連れてきました!!」
最奥と言っても言い場所の一角の建物へと移動するとスライド扉を開けてサオリはそう叫んだ。すると奥から一人の女性が出て来る。
「おー連れて来たのか、ありがとな桃山。それでやる気になったのか?」
佐伯素歌は此処を任されている教師である。とは言え彼女には農場経営のノウハウなどは持ち合わせていない。あくまでも管理を形式的に任されているだけである。
「えっと一応は…」
サオリはそう頼り無い返事を返す。
「そうか、まあいい。おい荒木お前はどうなんだ?」
彼女はそう言って優太へと視線をやった。そもそも彼がやる気を見せない限り話しが始まらないからである。
「退学に為らない範囲で頑張ります」
そう素っ気ない言葉を彼が返すとすかさずサオリが彼の頭を叩く。それはもう周囲の動物がその音で驚くほどであった。
「あんたはどうしてそんな言葉でしか返せないの!」
「ってー」
激しい痛みに両手で頭を押さえながら優太はサオリを少し恨みがましく見た。
「まあいいさ。少しでもやる気を出してくれればそれだけでも此処は助かる。さあそれほど時間は残されていないんだ。さっさと始めてしまおう」
素歌はそう言うと白衣を羽織ると外へと出る。後を追う様に二人も続いた。
「最低限やる気に為ってくれて正直助かるよ。ありがとな桃山、荒木をやる気にさせてくれて」
後ろを振り返らず先へと進みながら素歌はそうサオリに感謝の言葉を掛ける。
「いいえ、こいつのせいで不戦敗なんて考えられませんから」
サオリはそう言って優太の背中を叩く。
「痛いな、何でもそう叩くなよな、サオリ!」
「五月蠅いわね。もとはと言えばあんたがちゃんとしていれば私がこうしなくても良かったのよ!!」
そう後ろで喧嘩腰に為って話す声が聞こえて思わず素歌は笑ってしまう。彼女にはそれが微笑ましい光景として脳裏に映っていたからだ。二人は彼女の笑い声で話しを止めてしまう。それに対して素歌は理由を話し始める。
「話しの腰を折って済まない。二人のやり取りを聞いているとどうもむず痒くなってな。つい昔を思い出してしまうよ」
彼女は大学を出て早十年目を迎える。嘗て彼女にも似た様な事が在り懐かしんでも居たのであった。
「良く聞いておけよ、荒木。こうやって心配して貰えている間にどうにかしろよ。桃山はお前には勿体無い程の女だ。人気もあるだろう。そんな中お前の面倒を見てくれている事に感謝して行動して行けよ」
桃山サオリは素歌が言う様に校内でも人気であった。
「さて着いたな。さあ荒木お前の腕の見せ所だ。確りと選んでくれよ」
そう言うと素歌とサオリは後方へと下がる。それと入れ違いで優太は前へと歩みを進める。彼等の目の前には牧場内に自由に動き回る馬が居る。ある程度前に進むと優太は大きな声で言葉を発する。
『しゅうごーう!!』
彼の声は良く届く。腹の底から声を出している為に響き渡る様だった。すると馬たちは耳を彼に傾けると一頭、又一頭と駆け寄って来た。特に一番に来た馬は彼に寄り添う様にして他の仲間が来るのを待っている様であった。
その頭数百五十頭。とんでもない数を飼育している。
『並べ』
優太がそう言うと馬は聞きわけの良い子供の如く大人しく並んでいく。彼の一言でどう並んだのか、それは年齢順である。彼から向かって左側から年長の馬に始まり、最後は生まれて数カ月の仔馬までであった。
「うむ。やはり荒木は才能が在る」
「本当にすごいわ…」
二人には優太が何かを叫んだところまでは理解出来た。恐らく集まれとでも言った認識である。それがどうした訳か学校で飼っている馬全てが彼の目の前に集合したのである。次に何事かを短く言うと馬が横一列に並び始めたのだ。微妙な体の大きさはあれど、一年違えば馬体の大きさにも変化が在る。彼女たちから見ても左から順にその大きさによって整列させたと認識したのだ。
「先生終わりました。次はどうしますか?」
「あ、ああご苦労さん。大会まで時間が在る訳ではない。優秀な馬を選抜して貰いたい。全部で十頭だ」
素歌がそう言うと優太は真剣な顔つきで頷くと馬に直接話し掛ける。
『自己推薦、他薦問わない優秀な者は一歩前に出ろ!』
するとそれに素直に従ったのか約三十頭の馬が前に出る。
まるで奇跡でも見ているかのような光景にサオリは唖然とする。優太は学校に入学後特に何することも無く過ごしていた。周囲からの蔑んだ目、馬鹿にした言葉それ以上に不満が彼に集まっていた。それは学校側にも伝わっている。また学校側は学生の自治を尊重するべく強力な組織として生徒会が存在するが、そこにも連日苦情が舞い込んでいた。しかし、学校側と生徒会は「彼は特別だ。彼なしに学校運営は成り立たない」と彼を擁護する言葉を並び立てていたのである。生徒会は全校生徒の憧れであり信任厚い組織である。支持率も毎月調査して九割が指示を表明する程である。故に生徒会が言うのならば、と一般生徒は渋々我慢するに至っていた。
だが放置すれば悪影響が出る事は必須と生徒会と学校側は行動に移る。
「と言う訳です。早速荒木優太君に仕事をしていただきます」
サオリは何を隠そう生徒会役員として籍を置いている。一年生である彼女が入れた理由は優秀だからである。何を以ってかと言えば人柄と行動力である。勉強だけで来ても生徒会では役に立たないのだ。
特に行動出来る、自身で考えてそれを表現し行動できる人材を求めていたのである。この理由は学生自治を守らねばならないからだ。そこで生徒会では優秀そうな卵を一年から選抜して数名を将来の会長または幹部候補として育てていくのである。つまりサオリは会長候補でもある。
「は、はぁ…それは私に優太を炊き付けろと言うことでしょうか?」
彼女の目の前には生徒会長である佐々山香が座っている。温厚そうな彼女は全学生からの人気者であり信任も厚い。
「ええ、そうです。折角彼が此処へと入学してくれたのに彼の能力を使わないのは勿体無いとは思いませんか?それに対抗戦は待ってはくれません。後三カ月もすれば予選会が始まります。そろそろリミットが迫っているのです。我が校にとって非常に損失となってしまいます。優秀な人材は揃っていますがその駒が頼りないのです。我々が手懐ければ確かに言う事は聞いてくれましょう。ですが馬の中ではその馬が優秀なのかどうかは分かりません。分かりましたね、サオリさん。既に佐伯先生には連絡を入れてありますので気兼ねなく向かって下さいね」
香の笑顔は何も言えない迫力がある。日頃彼女が笑みを絶やす事は無い。しかし、その笑みも使い分けられている事をサオリは知ってしまった。彼女が入学し、生徒会に入ってから程無くして知った事実であった。
「承知しました。それではどんな事をしてでも優太を引っ張って佐伯先生の元へと送り届けます」
「言いお返事ですね。頼みましたよ」
今度は穏やかな、優しさと慈愛の籠った笑みで彼女に言葉を返した。室内の雰囲気も大きく改善していた。
サオリは「失礼しました」と言葉を残して部屋を後にした。
「あの二人は付き合っているのか?」
今迄二人の会話に入ることなく飾りと為っていた男子生徒が香に話し掛けてそう問うた。
「どうなのでしょう。二人は幼馴染と聞いていますが。惚れましたか西野君?」
香の笑みは悪戯っぽい物を纏っている。からかうには持って来いな発言と彼女は受け取ったのだ。
「否、そうではない。ただどうして彼女なのかと思ってね。そうか幼馴染か…」
西野柚敦はそう言って納得した顔であった。
「でも上手くいきますかね。その荒木って奴は先輩のお願いも断ったのではないですか?」
もう一人の男子生徒もそう彼女に問い掛けた。
「ええ、そうですね。彼が入学した初日に声を掛けました。今在籍する一年生の中で一番に生徒会への勧誘もしたのです」
その話しは此の場にいる一年には初耳の事である。サオリには特別に前以って教えられていた。しかし、一年生はその事に納得出来ないでいた。
「香先輩、どうしてそうまでして荒木を守るのですか?」
「そうです。既に一年でも二名の退学者を出しています。その他の者も必死に頑張っているのに…」
こう発言するのは一年生の男女である。前者を片桐修、後者を渡辺日香里と言う。サオリを含めて五名いるうちの二人がそう言葉を発した。
そう言われて香は少し考える様な仕草をしてから彼等に話し掛ける。
「三ヶ月後何が在りますか?」
「それは勿論対抗戦の予選会が始める時期です」
修は自信たっぷりとそう答える。隣に座る日香里も頷いている。
「ええそうですね。ではその予選会に出場するにしても必要なのは何でしょうか?」
香がそう言うと修は少し考える。一年生である彼は初めての事である。事前にある程度の概要は知らされている為に答えを導き出すのはそう難しくは無い。だが此の場に選ばれている彼は少しの時間を消費して答えを見つける。
「馬でしょうか?」
サオリと香の話しを確りと聞いていればその答えに辿り着く事は容易い筈である。つまり彼は少し周囲に耳を傾けると言うことに何が在ると数名は判断した。だが、その様な素振りは決して見せる事は無い。香も正解と言葉を発しながら満面の笑みで答えたのである。使い潰すのではなく育てる事を主として生徒会に入れているのだから瑣末な問題である。また彼の育て方に変化を与えればいいと考えたのである。
「正解です。我が項には優秀な人材は存在します。実力だけならばどの学校にも劣らない生徒です。しかし、ルールでは学校所有の馬と決められている為にどうしても限りある中から選ばねばなりません。予算もふんだんにある訳でもない。となれば優秀な目利きが必要ですが、荒木君はそれ以上の能力が在るのです」
香はそこで話しを止めて普段見せない表情で室内にいる生徒を見る。
「いいですか。これから話す事は此の場での事と致します。よろしいですね?」
一瞬空気が張り詰めた。それに驚いたのは上級生も同じである。平然としているのは柚敦と他二名である。一同は言葉を発することなく頷くと香は話しを再開する。
「いいでしょう。その能力とは会話です」
そう真剣な面持ちで話すのだがあまりにも呆気ないもので周囲は唖然としてしまう。
「か、会話ですか?」
「ええそうです。在校生で唯一、そして我が校開校以来初の能力です」
「つまり荒木は馬と会話が出来る。そう先輩は仰るのですね?」
修はそう彼女に尋ねると大きく頷いて肯定するもさらに言葉を付けたす。
「動物全てとです。今回はその第一歩と言ったところですね」
香は心底嬉しそうな表情であった。
対抗戦は予選会では上位に行くがどうしてもあと一歩で本選に進む事が出来ないでいた。実力はあれども全てを発揮することなく、毎度不完全燃焼で終わっていたからである。彼女は優太に対して大きな期待を寄せている。人の目では無く馬との会話による選別法を、これによってどの様な変化を及ぼすのかを。それだけでは無い、彼女独自の情報網で彼の本質を掴んでいる。生徒会へと引っ張ろうと一番に声を掛けたのもそれが理由である。
「フフ本当に楽しみですね」
そう彼女が呟くと柚敦はすかさず行っている仕事へ掛かる様に指示を出す。
「有難う御座います。副会長」
「何これが俺の領分だ。気にするな、香」
そう最後は彼女にだけ聞えるような音量で話した。
思い立ったが吉日と申しますか…頭に浮かんだ為につい書いてしまいました。『目を覚ませば異世界へ』を書いている中でふと構想が浮かび拡大してしまったのです。ジャンルにある学園ものは初めてと為りますがどうぞ宜しくお願い致します。
今野常春