第七話 フェアリーズ・ガーデン
ついに各メイドカフェのエースたちが勢揃いするベスト・オブ・メイド・コンテストに参加することになった五味。だが居並ぶ彼女たちに圧倒されて……。
第七話 フェアリーズ・ガーデン
「ここ、か?」
五味はそのビルを見上げ、隣の園城に問いかけた。そこは秋榛原駅からすぐ近くの大型複合ビルで、よく企業イベントなどが行われている。園城はこくりと頷き、五味の肩を叩く。
「ここの二階だ。いよいよだな。忘れ物はないか?」
五味は大きなバックに入っているものを頭の中で数えた。筆記用具、身分証明書代わりの学生証。そして『ゴルディアス』で使っているメイド服。大丈夫。忘れ物はない。
しっかりと頷き園城を見返した。今日はいよいよ『ベスト・オブ・メイドコンテスト』の研修日だ。今日から三日間掛けて、出場メイドや店長との顔合わせ、また接客や給仕の仕方の打ち合わせなどを行うのだ。
「いいか。ここに出場するメイドたちは皆、各店舗でトップクラスの人気メイドばかりだ。お前とレベルなんか比べるべくもない。だから精一杯やって来い」
「こき下ろされているのか、激励されているのか、さっぱり分からんぞ」
五味は困惑の表情を浮かべた。だが、普通の人間なら貶すだけの為にわざわざこんなとこまで見送りに来たりはしない。つまりそれだけ、園城はメイドに対する思い入れが強いのだろう。中途半端な態度でメイドをやって欲しくないのだろう。とりあえず、その気持ちだけは受け取っておかなくてはなるまい。五味はそう理解した。
「じゃあ、頑張ってくる」
「ああ」
園城に背を向けて、その大型複合ビルの屋内に入った。屋内に入ると、一階は広いロビーになっており、その壁面にはコンテストの看板が大きく掲げられている。そして至る所に事前告知されていたポスターが張られていた。そこには出場メイドの名前が九名分列記されている。コンテストは秋榛原にあるメイド系カフェ全店舗から代表を一名ずつ送り出して、その接客を競わせるコンテストである。メイドカフェ系店舗は三十店舗以上あるのに、なぜ今回九名しか参加していないのか。それは以前園城が説明していた。
『原則的にメイド系カフェは全店舗参加が可能だ。だから本来ならば三十名以上のメイドが参加してもおかしくないはずなんだが、毎回十名前後で競われている。それはなぜかというと、各店舗の事情にもよるんだな。小規模なメイドカフェだとたった一名抜けただけでも通常営業に致命的な影響を与えることもあるし、またこのコンテストに価値を見いだしていないオーナーだとそもそも参加する気すらない。それに今回の『ゴルディアス』みたいに規定の週六日出勤が不可能な場合もある。だから毎回十名前後なんだ。でもこれくらいの人数の方がちょうど良いとも思うけどね』
ポスターにはヒメの名前が記載されていた。当然、そこには自分の名前はない。それは仕方がないことだ。ポスターが出来上がったのは二ヶ月前で急な変更は不可能だったのだ。だが、五味はそのことに逆にほっとしていた。自分の名前が衆目にさらされるという状況は恐らく耐えられない。
だが、次の瞬間、大きく目に飛び込んできたポスターに五味は思わず「げ」と呻くことになる。
それは一枚ごとに作成された出場メイドのポスターだった。
その中に自分のポスターを発見してしまったのだ。五味は無性にいたたまれなくなった。自分の出場が決まったのはわずか三日前なのに、なんと素早い仕事なんだろう。
『ゴルディアス代表 ごっちん』
自分の写真は、俯き加減で表情があまり分からない絶妙な写真を使われていた。そして微妙な修正が施されており、肌は見事に真っ白だ。ぱっと見、美人メイドに見えないこともない。
看板に偽りありまくりだ!
五味は居心地悪さマックスでそのポスターの前を通り過ぎる。そして丁度降りてきたエレベーターに飛び乗った。会場は二階なので、あっという間に到着する。五味はその間に深呼吸をして、気持ちを整えた。そして目を瞑る。
頑張れ、浄美。これはあたしのためだけにやるんじゃないぞ。みんなのためでもあるんだ。めぐ姉、ヒメさん、チーハさん、サーヤさん、その他『ゴルディアス』のみんなのため。……あと園城。
……そこで目を開けた。
……いや、園城はどうでも良いか。あんなメイドヲタはどうでも良い。それより――
ちん、と軽快な音がして扉が開いた。暖色系の色をふんだんにあしらった、可愛らしい部屋が目の前に現れる。
これが、コンテスト会場の『フェアリーズ・ガーデン』。
照明には落ち着きを出すためにレースの布が掛けられており、イスや机も年に一回しか使わないのに、木製のしっかりしたものが揃えられている。店の中央には大きな樹木の植木鉢が固めていて、屋内であるのに『庭』のようなイメージを醸し出していた。一年に一度だけこの秋榛原に出現する、その名の通り、妖精たちの庭。
五味はごくりと、唾を飲み込んだ。
「おっと、ようやく最後の一名もご登場か。待ちくたびれたぜ」
小柄で可愛らしいメイド姿の女性がそう言って、挑戦的な視線を五味に向けてきた。メイド服は胸を強調するようなウエイトレスタイプのもので、実際、五味より二十センチは背が低いと思われるのに、胸だけは五味より二十センチは大きいように思われる。
というか――
五味はフロアに入って辺りを見回した。その小柄なメイドを筆頭に様々なメイド服を身に纏ったメイドが八名、すでに勢揃いしている。
もう、みんな揃っている! それどころか、着替えているし!
五味はあわてて、ぺこりと挨拶をして「こ、更衣室は」とその小柄なメイドに訊いた。彼女は気さくに「あっち」と指差して教えてくれる。
すれ違いざまに彼女は「仕事場には自分で考えているよりも更に三十分早く来るのが、鉄則だぜ、ごっちん」と宣う。五味は思わず、足を止め彼女を見た。
「アタシは『メルティ・ハート』の『ユリ』だ。……でも常連客には『アネゴ』って呼ばれている。よろしくやろうぜ」
そう言って彼女は、気さくに、にかっと笑った。
『メルティー・ハート』……?
その名前にぴんと来た五味は目を剥いた。昨日、園城に教授されたことを思い出したのだ。
*
『秋榛原で八店舗の支店を持つ巨大メイドカフェグループが『メルティ・ハート』だ。そこは在籍メイド数は二百名を下らないと言われている』
*
ということは、この人は二百名の中から選りすぐられて来たメイドってことかあ!
五味は会場に到着早々、気が遠くなっている自分に気がついた。
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「みなさん、初めまして。私は今回の『フェアリーズ・ガーデン』に於いて店長を担当することになりました、牛久誠です。普段は同じ秋榛原のレストラン『ウェルダン』でウエイターをやっておりますが、過去この秋榛原で喫茶店を経営していたこともあります。約三週間の間ですが、よろしくお願いしますね」
牛久店長はそう言ってその大きな身体を窮屈そうに曲げてお辞儀をした。まるでプロレスラーのような大きな体格と精悍そうな顎髭で強面の男性なのだが、話し方は至って柔和で笑顔も素敵だ。人当たりが柔らかそうに見受けられる。五味はそれだけが分かってとりあえずほっとした。
「『うしくまこと』店長ですかぁ? 『うし……くま……こと』。『くま』さんですねぇ」
居並ぶメイドの中からほわほわした雰囲気を身に纏っているメイドが呟くように言った。こんないかつい男性に対して、臆することもなく良くそんなことを言えるものだ、と思ってそのメイドを横目で盗み見たら、それは見知った顔だった。以前、園城と一緒の訪れたメイドカフェ『マイティ・パフェ』のメイド、コロンだった。
なるほど。超天然の彼女なら言えるはずだ。
五味は首肯する。
「あ、あの、あのです!」
続いて、牛久店長の後ろから一人の女性が飛び出してきた。店長の巨大な体躯のせいで気付かなかったが、もう一人誰かが隠れていたらしい。
「あの私、キッチンでデザートとドリンクを担当します天見淳です。恐らくキッチンスタッフの中では、みなさんと触れあう機会が一番多いと思います。よろしくお願いしますです!」
その小柄な身体を一生懸命こまめに動かして挨拶するその姿はリスか何かの小動物を思わせた。上目遣いで見上げるおどおどとしたその視線はこっちが申し訳なくなってしまうほどに、低姿勢だ。そして可愛らしい。
メイドの私より可愛らしいじゃないか。
五味は顔を顰めた。
キッチン担当にも可愛らしさで負ける自分。
ますますここに自分が居ても良いものなのかという思いが大きくなってくる。
小さい身体いっぱいに自己紹介をする天見に店長が助け船を出した。
「彼女は、この通りお若いですが『テンタツィオーネ』で、すでにいくつかの独創的なスイーツを開発していたりもする、副パティシエだったりします」
「『テンタツィオーネ』!」
居並ぶメイドたちの間のそこかしこから小さな歓声が上がった。
なんだ、その店は。そんなに有名なのか?
五味がそんな疑問の視線を当たりに漂わせていると、隣に立っていた一人のメイドが小声で耳元で囁いてくれる。
「秋榛原のはずれにある有名なケーキ屋さんです。いつも行列で一時間待ちはざらなんですよ」
そう言ってにっこりとはにかんだメイドは、さらりとした黒髪のロングヘアと触れたら折れそうな華奢な体つきが印象的な女性だった。同性の五味ですら、思わず、どきり、としてしまいそうなほどの可憐さのメイドだった。
「そ、そうか。ありがとう」
とりあえず、それだけ言うのが精一杯で、五味は無愛想に前を向いてしまう。そんな五味の態度にも構わずに、にっこりと清楚な微笑みを携えたまま、そのメイドは同じく前を向いた。五味はちらりとそのメイドのネームプレートを盗み見る。
『アキ』と書かれていた。
――その名前は比較的容易に思い出せた。五味はこの場に来る前に園城に、出場メイドのレクチャーをされていた。さすがにメイドカフェマスター。出場するメイドで知らないメイドは存在しない。
*
『アキちゃんは『スイート;モード』所属の清純派のメイドさんだ。全く飾ったところが無くて、可憐で守ってあげたくなるタイプなんだ。アキちゃんが側を通るだけでこう、なんというか、さわやかな緑色の風が吹くような感じがしてだな』
『……ずいぶん熱く語るな、園城?』
『なっ! 変な意味に取るなよ、五味! 俺はな、特定のメイドさんだけ好きなんてことはないんだよ! メイドのいる空間が好きでメイドカフェに通っているだけなんだ!』
『いや、そこまで訊いてはいないのだが……』
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なるほど、今実物を前にすると良く分かる。園城がそこまで熱く人物描写をした理由が。まるで『大和撫子』を体現したような、可憐さと清楚さを併せ持った女性が現実にいるとは思わなかった。隣に居るだけで、心が浮き立つような自分が居ることに気付く。
これが、選りすぐりのメイドたちというわけか。
五味は徐々に現実を目の当たりにして、身が引き締まる思いを強くした。
牛久店長、天見スイーツ担当の後、更にスタッフたちの紹介が続いた。
『フェアリーズ・ガーデン』では各店舗からメイドが選出されるように店長やキッチンスタッフなども秋榛原商店街から選ばれる。みんな、この秋榛原商店街で何かしらの仕事をしている人たちばかりだった。コンテストではメイドもキッチン担当も店長ほかスタッフも全て元のお店と同じ給料が支払われることになっている。その為、本来の店舗を欠勤してしまっている痛手は個人個人にはあまり存在しない。一番の痛手を被るのは人手が抜けてしまう、元の店舗だ。メイドに関してはコンテスト終了後の集客が見込めるから良いが、店長やキッチンの元店舗は大丈夫だろうか、といらぬ心配をしてしまう。
「メイドさん互いの紹介は後でおのおのでやって貰うとしまして、今日これから三日間はこの『フェアリーズ・ガーデン』に於ける給仕の仕方や接客の仕方などの打ち合わせをしたいと思います。恐らくみなさん、所属店舗ごとに異なった給仕や接客方法があるでしょう。ここではその意識統一を計りたいと思います。まず」
コロンが言うところの『くま』店長はそう言って、フロアを見渡す。
「見ての通り、この『フェアリーズ・ガーデン』にはステージはありません。そうです。メイドカフェの中にはステージで歌ったり、イベントを行う店舗があります。ですが、ここではステージを使うようなイベントはやりません」
「あ♪ はいっ!」
一人のメイドが勢いよく手を挙げた。はち切れんばかりの笑顔が印象的な明るいメイドだ。
「ステージが無い、ということは分かりました! でもお客様とご一緒に撮るカメラ撮影なども無しですか? 私のところでは撮影もステージで行うもので!」
店長は良い質問とばかりにこやかに頷いて口を開く。
「カメラ撮影のサービスはあります。その場合は店内のお好きなところを使って頂いて良いですが、店内中央の植え込みが雰囲気が出ていてお勧めです。あ、あとカメラ撮影によって歩合が出る店舗もあるかとは思いますが、ここ『フェアリーズ・ガーデン』では歩合は出ません。代わりにそのメイドさんには一ポイントは入ります。ポイントはもうご存じですね。これの三週間の累計がトップのメイドさんが『ベスト・オブ・メイド』になるということです」
「わかりましたっ♪」
そのメイドはおどけたように敬礼をするとにっこりと笑った。全身から『元気っ!』というオーラが漂ってくる。五味はそのメイドの名札を盗み見る。『いおり』と書かれている。五味の脳裏に園城の事前レクチャーが蘇る。
*
『『吟遊浪漫』から選出されたのは元気っ娘の『いおり』さんだ。いつもにこにこ、ぴょんぴょん跳ね回っているようなイメージで、そこに存在するだけで楽しくなってくるようなメイドだ。ファンも多いから恐らく今回の優勝候補の一人だろうな』
*
確かに、園城解説の通りだった。あの活発さを少し分けて欲しいくらいだ。
「お客様とのゲームのサービスはありますか? また先のカメラ撮影もそうですが、メニューには記載されますか?」
五味の隣でそんな発言がなされた。そちらを見て見ると驚いたことに金髪碧眼のメイドさんだ。あまりに流暢な日本語を操るので、「カツラとカラコン?」と考えたが、どう見ても地毛で裸眼だ。
「ゲームはあります。ただ、ここ『フェアリーズ・ガーデン』では混雑が予想されますので、ジェンガとか四目並べといった短い時間で終わるものばかりになります。また両方ともメニューには記載されます。こちらのゲームで指名を受けた場合も一ポイントとなります」
その金髪碧眼メイドはその店長の返答に満足したように、こくりと頷いた。
そう言えば園城も言っていた。ハーフのメイドがいる、と。
*
『ハーフのメイドは『キャラメル・リボン』の『クララ』さんだ。外人らしい積極的な接客とカタコトの日本語が萌えるメイドだ』
*
カタコトの日本語? そんなことはない。全く違和感のない日本語だが?
そこで五味は、はたと気がつく。
そうか。それは萌えを演出する演技なのだな、と。
さすがトップメイドたちだ。一筋縄ではいかない奥深さだ。
「給仕に関する質問です。ここ『フェアリーズ・ガーデン』で使われる食器には店名やロゴなどは入っていますか? また紅茶はポットで給仕するのでしょうか。それともカップなのでしょうか。またポットの場合ですが、ストレーナーなどの備えはありますか?」
五味のメイド服に似たロングタイプのメイド服に身を包んだメイドが質問した。彼女は眼鏡を右手でくいと直すと、店長を真剣なまなざしで見つめる。その眼鏡の下には理知的な瞳が光る。
そんな質問、なんの役に立つのだろう? 少なくとも五味は給仕に当たって今述べられたことを気にしたこともなければ、その事前知識が必要だとも思わない。
「食器には全てに『フェアリーズ・ガーデン』のロゴが入っております。また当店では紅茶はポットでお出ししており、その際ストレーナーも一緒に給仕して下さい。なお、ポットで給仕する都合上、お茶が濃くなる場合があります。その場合は足し湯を提供する準備もありますので、お客様にはそうご説明下さい」
「分かりやすい説明、ありがとうございました」
眼鏡を掛けたそのメイドはそう言って、頭を下げた。背筋が伸びた会釈が優雅で、五味は思わずため息を吐いた。それで理解した。彼女は『ファンタジア』の『サエ』なのだと。
*
『『ファンタジア』は硬派なメイドカフェの一つで、妙な萌えイベントは一切行わない。イメージとしては普通の喫茶店のウエイトレスがメイド服を着ているもんだと思ってくれると良い。でも、その分給仕の仕方が丁寧かつ優雅、そして繊細だ。紅茶協会認定のお店でもある』
*
そのメイドカフェ所属のメイドがそこまで訊くものであれば、それらは全て給仕に関係することなのだろう。正直、五味にはちんぷんかんぷんな話だった。まあ、いい。それは仕事をしている内においおい分かってくることだろう。そう思っていたら――
「お客様を迎えたり、お送りする挨拶は統一させるのですか? それとも所属店舗のままで良いのでしょうか」
「それは所属店舗のままで結構です。統一感がなくなりそうに感じますが、逆にそれは『フェアリーズ・ガーデン』の魅力の一つとなるでしょう」
「オムライスやデザートに絵を描くサービスは行いますか」
「それも個々の判断にまかせます。と言ってもほとんどの店舗では行っていることでしょう。仮に行っていない店舗出身の方がいらしたら、それはお断りしてもよろしいですし、チャレンジしてみても良いと思います。ちなみにこちらも指名を受けた場合一ポイントとなります」
「食器はお客様の食事が終了したと判断したら、引き上げても良いのでしょうか。それとも退店まで待ちますか?」
「当『フェアリーズ・ガーデン』は相当の混雑が予想されます。食器洗浄の迅速化のためにもお客様の食事が終了したと判断した段階で引き上げて下さい」
「店内の掃除の分担などは?」
「それはこれからシフトを組んでいこうかと思います」
その後の質疑応答は全く着いて行けない会話ばかりだった。正直、五味には全く思いつきもしなかった質問ばかりだ。本当に皆、そんなことまで考えながら仕事をしているのだろうか、とそれぞれの顔を盗み見てみたら、皆当然のような顔の居住まいだ。コンテストがまだ始まってもいないのに、暗澹たる気持ちになっている自分に気がついた。相当場違いなところに来てしまった気がする、と。そしてそれは数十分後に更に追い打ちのように証明されることになるのだ。
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打ち合わせ的な意味で実際の給仕を始めることになった。店長が客の役割をして、それを模擬的に接客する。模擬的と言いつつも、実際にドリンクや食事を作ることになる。そうしないとキッチンとホールの連携の打ち合わせにならないからだ。
店長が入り口から入ってきた。それと同時に
「いらっしゃいませっ!」「お帰りなさいませ、ご主人様!」「ようこそお越し下さいました!」
いろいろな挨拶が一気に飛び交う。その統一感のなさにメイドたちは苦笑するが、そもそも五味はその勢いに圧倒されて一言も発声できなかった。気後れしたまま、その状況で手をこまねいていると、真っ先に店長を出迎えに飛び出したのが、軽やかに巻いたロングヘアが美しいメイドだった。
「お客様、お煙草はお吸いになられますか?」
「いいえ、吸いません」
「では、こちらへ」
彼女は優雅に会釈した後、店長を奥の禁煙エリアへと案内する。
「お好きな席をどうぞ」
にっこりと微笑み、席を促した。店長はそれに従って窓際の席を選択する。店長が着席したのを見計らって、彼女はメニューと水、そしておしぼりを差しだした。五味は驚く。
「いつの間に?」
そもそもメニューなんてどこにあったのだ。おしぼりは? 水はどこで汲んできたのだろう。キッチンだろうか? というか禁煙席、喫煙席に分かれていたのか? さっきの打ち合わせではそんなこと話していなかったというのに。
「それではお決まりになった頃にもう一度伺いますわ」
彼女は「しゃなり」という擬態語がぴったり合うような反転を見せて、店長の元を後にした。そしてキッチン前まで戻って来て待機する。
「出遅れたー。出だしの一歩で負けたぜ」
小柄で言葉使いが荒いユリこと、アネゴが、悔しそうにそう呟く。それに対して接客したメイドは涼しげな表情を崩さずに「たまたまですわ」と言った。そして店長から視線を外さない。身体から立ち上がる優雅な振る舞い。そしてゴージャスな雰囲気を醸し出す緩やかに巻いた髪。勝ち気そうな瞳。彼女はもしかして……。
*
『『エンジェル・メモリー』から選ばれたのはお嬢様メイドの『麗子サマ』だ。『麗子サマ』はその優雅な立ち振る舞いと、そこはかとなく漂うS気で人気のメイドなんだ』
『……というか、なぜ『サマ』付けなんだ』
『お嬢様だからじゃないか。バカだな』
*
仕えるべきのメイドがお嬢様とは、一体どういうコンセプトなのだろう、ツンデレなのだろうか、とその時はいまいち良く理解出来なかったが、今実際接してみるとなんとなく分かる。彼女の存在自体がお嬢様なのだ。とにかくそれは演じているものではない。彼女自身が『お嬢様メイド』というカテゴリーなのだ。
と、その時、いきなり一人のメイドが動いた。あまりに唐突だったので皆一歩も足を動かすことが出来なかった。やがて彼女が風のように身を翻して、注文をするために手を挙げていた店長の元に歩み寄ると、アネゴと麗子サマは悔恨の表情をその顔に浮かべる。
「……視線を外しませんでしたのに」
「うわ……また出遅れたよ」
唖然とする。麗子サマに意識を奪われ、店長の挙動などに全く意識を配っていなかったのだ。というより他のメイドよりいち早く動いたあの人は、一体……?
店長に注文を訊き、戻って来たメイドを確認する。ぱっと見た感じでは今回のコンテスト出場メイドの中では年長の方に分類されると思われる。恐らく二十代半ばか、それ以降くらいだ。特徴的な垂れ目と、泣きぼくろ、そして柔和な笑顔で彼女の周囲には気持ちを落ち着かせるようなオーラが満ちている。豊満な胸もそれに一躍を買っていることは間違いない。その胸に取り付けられている名札を見ると『メイ』と書かれていた。五味は記憶の底を漁る。
*
『『メイ』さんは『どたばたキャンディ』所属のお姉さんメイドだ。前回のコンテストにも出場していて経験は豊富、恐らく最年長だと思う。本人は否定するだろうけどな』
*
なるほど。それで一番、落ち着きがあるのか。
メイはキッチン前まで来ると、オーダー表を提出する。そしてくるりと、他のメイドたちの前に振り向いた。
「みなさん、初めまして。私は『どたばたキャンディ』の『メイ』です。前回のコンテストにも出場しているので、その時の経験も踏まえて、みなさんにご説明致しますね。これから店長の他にも数名のスタッフの方たちがお客様役をやって下さるそうです。そして混雑時の接客のシュミュレーションもしたいので、現在九名いるメイドを四名と五名の二班に分けます。これで少し様子をみてみましょう」
いきなり仕切りだした。だがそれに対して異論を唱える者は誰も居ない。そういう雰囲気を身に纏っているのだ。
「さすが最年長」
五味が誰にも聞こえないような声でそうぼそりと呟く。だが聞こえないはずのそれをメイは耳ざとく聞きつけた。
「はい? 誰か何かいいましたか?」
メイは笑顔を絶やさないままそう誰何する。だが、目が笑っていない。眉間には立て筋が入っている。その場の空気が一気に氷点下に下降した感じだ。五味はあわてて下を向いて視線を外した。ここは貝になるしかない。
さすが最年長。迫力も天下一品だ。
今度は反省を活かして呟きは心の中だけだ。
「……私の空耳だったようですね。はい、それでは気を取り直して接客のシュミレーションを始めましょう。どうぞ、みなさん、いらして下さい」
メイがそう言うと、やがてコンテストのスタッフが照れくさそうな表情でぞろぞろと入店し始めた。彼らは店外での広告活動や警備などを担当している。そのスタッフたちに「いらっしゃいませ!」とそれぞれの出迎えの挨拶を言いながら、メイドたちは散って行く。
「あ、あ」
またもや一歩も二歩も出遅れる。気がつくと、他のメイドが全て接客を終えてしまっている。正直出る幕がない、というよりすることがない。
五味はキッチン前のスペースにぼおっと突っ立っていることしか出来なかった。お客を席に案内を終え、他の客と談笑し、なおかつ注文取りまでして戻って来たアネゴは、なすすべもなく立ち尽くしている五味を怪訝な表情で見て口を開いた。
「おい、ごっちん。あんた、本当にヒメっちの代理なのか?」
その言葉は胸に突き刺さった。一番言われたくなかった言葉だ。だが、五味はそれに対して何も言葉を返すことが出来ない。この動きの悪さは言い訳が出来ない。唇を噛んで下を向く五味を見てアネゴは「ああ」と思いついたように声を上げた。
「そうか。代わりの二番手というのではなくて、穴埋めか」
アネゴはそう言うと急に五味に対して興味をなくしたように仕事に戻っていく。その言葉もその通りなので、まるで言い返すことも出来ない。
ダメじゃないか、私は。
早くも『ゴルディアス』とヒメさんに恥を掻かせてしまったではないか。こんなことではダメだ。
でも、どうしたら良いか、分からない――
――どうしたら良いんだ、園城。
「……みなさん、凄すぎて圧倒されちゃいますね」
突然、誰かにそうささやかれた。あわててそちらの方を振り向くと、そこにいたのはさららとした黒髪のロングヘアが印象的なメイド。上目遣いで五味の顔を覗き込み、儚げに笑う。
あ、『アキ』か。
スタッフ紹介の時に五味に話しかけてくれた大和撫子メイドのアキだった。メイド服も似合っているが、恐らく和服の方が完璧だろう。清楚とか可憐という言葉がこれほど似合う女性も珍しい。
「……ごっちんさんも代理選出なんですってね。私もなんですよ」
そう言って彼女は恥ずかしそうに肩を竦めた。
「……私の『スイート;モード』では一番人気メイドさんはキーリさんなんですけど……オーナーがどうしても抜けさせたくないって……それで二番手の私が出ることになって……」
アキの表情を見ていた五味は意外に思った。てっきり二番手選出に対して忸怩たる思いがあるのかと思っていたのだが、どうやらそういうことではないらしい。その晴れやかな笑顔を見る限りでは。
「……私なんかが、こんなコンテストに出ちゃって、良いのかな……って思っちゃって。でも出ることになったからには、しっかり頑張ろうかなって」
アキはそう言って小首を傾げた。
可愛い。
女の自分でも今の仕草はきゅんときた。確かに可愛すぎる。これが萌えというものかと、小さな感動を覚える。園城が熱く語るのも分かるような気がする。
「あっ、いけない。こんな雑談している場合じゃないですね。お互い頑張りましょうね!」
アキは口元に手を当てて、あわてて店内に駆け出して行った。艶やかな黒髪がふんわりとなびく。
……そうだな。頑張らなくちゃな。
五味はしっかり顔を上げた。
そう。今は、自分に出来ることから。