第三話 ベスト・オブ・メイド・コンテスト
第三話 ベスト・オブ・メイド・コンテスト
「……来ないって言ったじゃないか」
「いや、そのつもりだったんだけど……つーか、お前何やってんの?」
園城はそう言って、五味の上から下までをしげしげと観察する。その視線を敏感に感じた五味は顔面を引きつらせた。
「貴様、見るなあっ!」
園城の顔面に向かって、五味の三本指の攻撃が繰り出された。
「うわあっ!」
咄嗟の反射神経でそれを避ける。園城の顔面に向かって繰り出されたのは、目潰し攻撃。二本指の目潰し攻撃は目標を外しやすい。だが三本指であれば、中指を鼻筋に滑らせ、人差し指と薬指で確実に両の目を潰すことが出来る。
出来る!
床に跪きながら、園城は心の中で敵に賛辞を送っていた。
「もう、ちゃんと挨拶しなさいって言っているのにー。あれ? なにやっているのー?」
奥からぱたぱたと現れたのは、長目の髪を後ろで一括りにした三十代くらいの女性。エプロンを身につけているが、メイド服ではない。そしてそのエプロンはお腹のところでぽっこり膨らんでいる。よほど大幅なカロリー摂取を心がけたのではない限り、彼女は妊婦だった。彼女は床に転がっている園城を見て、ぱあっとその相好を崩した。
「あら、園城くんじゃない。久しぶりー。ここの所ごぶさただったわね。どうしてたのー?」
「ええ、ちょっと」
金がなかったのでアルバイトしていました、とは言い辛かったので、そうお茶を濁す。
彼女はしばらくの間、そんな園城と五味の間で視線を往復させ、その後、何か納得したかのように首をこっくりと縦に振った。
「二人は知り合い?」
「ぐ」
「う」
その問いかけに園城も五味も言葉に詰まった。確かに同じ学校で同じクラスで席も隣だが、いつも罵り合いしかしない間柄を『知り合い』というカテゴリでくくって良いのだろうか。二人とも同時にそんなことを脳裏に過ぎらせていた。
だが彼女、ここ『ゴルディアス』のオーナーである友原めぐみは相変わらず、春の日のような笑顔をその表情に浮かべ、園城そして五味の返事を待っている。苦虫を噛みつぶしたような表情の五味を見る限り返事をしそうにない。
園城は心のハードルを一つ下げることにした。
「ええ。こいつ……五味とはクラスメイトです」
「本当っ! すっごい偶然ねっ!」
ぱあっと破顔して友原は両手を胸の前で合わせる。園城は「はは」と力のない笑いをこぼしてゆっくりと立ち上がった。そして所在なく立ち尽くしている五味の横に並び立ち、彼女をちらりと横目で盗み見た。
五味浄美。
クラスでもっともオヤジくさく、そして可愛気のない女。それがどうしてこんなところで、こんな格好をしているのだろうか?
「さ、こんなところで立ち話していたら、お客様が入って来られないわ。二人ともこっちに来なさいな」
友原は、疑問符が頭の上にたくさん浮かんでいる園城と、唇をぐっと噛んで恥ずかしさに耐えている五味をフロアの一番奥の席に促した。そして自らもそこに着席する。
「さて、どこから話そうかな。あ、きぃちゃん、園城くんはね、こんなに若いのにウチをご贔屓にしてくれる常連さんなのよ」
五味は友原のその説明にこくりと頷いた。「そんなことは重々知っている」という頷き。
「それでもって、園城くん。きぃちゃん……あ、浄美ちゃんは私の従兄弟なのね」
ああ、なるほど。
その一言だけで、頭の中で全ての事象を繋げることが出来た。だが友原はまだ言葉を続けるようなので、余計な口は挟まずに、その続きを静聴することにする。
「園城くん、今度この秋榛原で『ベスト・オブ・メイド・コンテスト』が開催されるの知っている? あ、当然知っているよね。こんな質問、園城くんには愚問だったわね」
もちろん。知りすぎるほど知っている。園城はノータイムで頷いた。
『ベスト・オブ・メイド・コンテスト』。
この秋榛原商店街が商店街振興の意味を込めて企画したイベントである。秋榛原に散在する広義の意味のメイドカフェから選りすぐりの一名を選出して貰い、商店街で用意した特設メイドカフェ『フェアリーズ・ガーデン』で約三週間接客する。そして、その間の得票数を競うイベントだ。約三週間もの間、エース級のメイドが離脱するのは各店舗ともに痛手ではあるが、出場している間の給料は所属店舗と同じだけ商店街から支払われることになっているし、なにより出場した、というだけで絶大な広告となる。そして仮にコンテストでその出場メイドが人気を博せば、コンテスト終了後、所属店舗に新規のお客を大量に連れてくることになる。このメリットは各店舗にとっても見過ごすにしては惜しいというわけだ。
「そのコンテストにウチのヒメちゃんが出場することになったのよ。え? そうヒメちゃんは二年連続ね。そういうわけで、ウチとしては約三週間欠員がでてしまうわけよ。それに加えて私はこんなおなかでしょー?」
そう言ってぽんぽんと自らの腹部を叩いた。
「私も今までキッチンを手伝っていたけど、そろそろ戦線離脱するころなのね。そういうわけで補充要員としてきぃちゃんに声をかけたってわけ」
なるほど。五味は友原さんの親戚で、店舗に欠員が出てしまうから、その補充要員と。それは分かった。
だが、と園城は思う。
「あの、どうして五味がメイドを?」
一番の疑問を率直に投げかけた。五味をキッチンに立たせるのなら、意味は分かる。だがホールでメイドをやらせるのは明らかに失策だ。それなら正式に新人を雇うための募集を掛けた方が、何倍も良い。するとそれに答えるかのように、五味が口を開いた。
「もともと私はキッチン要員で呼ばれたんだ」
なるほど。それなら理解出来る。だが、結果的に五味が着ているのはメイド服であるし、五味が立っているのはキッチンではなく、ホールだ。
「それなのに、なぜ五味にメイド服を?」
すると友原は意味ありげな笑みを口元に浮かべ自信満々でこう言い放った。
「ふふーん、ちょっとした気の迷いよ」
「気の迷いですかっ!」
「あ、間違った。気が向いたからよ」
……驚いた。全身の力が抜け落ちるような気がして、がっくりとイスの背もたれに体重を預ける。友原はそんな園城を気にすることもなく、身を乗り出して五味の前髪をその手のひらでさっくりと持ち上げた。そしてまじまじとその目を覗き込む。
「でも、私は意外と悪くないと思っているんだけどねー」
「や、やめてくれ」
五味は鬱陶しそうに友原の手を払う。友原は肩を竦めて手を引っ込めた。
「まあ、次第に慣れてくるでしょー。だって今日はまだ初日だし」
「ええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
と叫んだのは、園城と五味ではない。ホールに点在する他のメイドたちの驚きの声だ。
「このまま五味にメイドやらせる気ですか!」
「ちょ、ちょっと! 今だけメイドの格好してみるってだけの話じゃ!」
園城と五味が友原に一斉に詰め寄った。だが友原はそれに全く動じる様子もなく、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべて、
「そうだ。園城くん、同級生のよしみでさ、きぃちゃんのメイド化計画に協力してくれない?」
「話を訊いてねーっ! しかも、とんでもないことを言いやがりましたね!」
なんで俺が五味の手助けをしなくちゃいけないんだ。しかも五味をメイドに仕立てるだって? 無理だ。東京スカイツリーを逆さまにするくらいに無理な話だ。
「ああ、いいじゃない、それ! いろいろなメイドカフェに通っている園城くんなら、良いアドバイスが出来るんじゃない?」
そんなことを言いながら、ことん、と三人の前にティーカップを置いたのは、あけっぴろげな笑顔が魅力的なメイド。
「あ、ヒメさん」
「っちわー! 園城くん、久しぶりっ! 元気してた?」
そう言って「しゅたっ!」と、おどけたように敬礼する。
メイド服に付けられた名札には『ヒメ』と書かれている。彼女こそ、この『ゴルディアス』の一番人気メイドであり、二年連続で『ベスト・オブ・メイド・コンテスト』に出場するエース、ヒメだ。ちなみに彼女は前回コンテストでは第二位を獲得しており、今大会優勝の最有力候補と目されているのは、衆目の一致するところである。
「五味ちゃんもクラスメイトの意見だったら、受け入れやすいじゃないの?」
ヒメはそう言って口元をの両側をにいっとつり上げる。そういう笑い方をしても下品に感じられないところが、このヒメというメイドの凄いところだ。
「ええと、ヒメさん、ちょっと待って下さい。俺と五味とはですね。クラスメイトと言ってもそれほど仲が良いわけではなく……」
と、まさに園城の解説が始まろうとした、その時だった。真正面に座っていた友原の表情がみるみる内に曇りだしたのは。そして友原はテーブルに俯せて苦悶の表情を浮かべ始めた。
「ちょ、ちょっと店長さん?」
「めぐ姉っ!」
「店長っ!」
友原は腹部を押さえて苦しそうな声を上げる。まさか――
「救急車! 誰か救急車を呼んで!」
ヒメの一声で、レジ前にいたメイドが即座にダイヤルを回した。そこから先の展開はまさに急転直下、疾風怒濤というのがふさわしい。そのわずか数分後に救急車は到着し、騒然としている中を友原は担架に載せられた。救急隊員の介助のおかげもあったのか、友原はわずかに落ち着いた表情をその顔に浮かべて、ヒメを筆頭とするメイドたちに後事を託す。そして最後にあまりのことで呆然と立ち尽くしている園城と五味の二人に向かってこう言ったのだ。
「うう……後のことは、頼んだわよ。頑張って……ね。園城くん、きぃちゃん」
そして慌ただしく救急車で運ばれて、店内には一瞬の静寂が漂う。そしてはっと気がつくと自分たちに注がれている視線、視線、視線。
「……え? 俺?」
「……え? 私?」
そして翌日。なぜか、キッチンの中に入って皿洗いをしている園城と、フロアでたどたどしくメイドをしている五味の姿があったのだ。