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第十一話 刻遣いの魔女――サエ

ベスト・オブ・メイド・コンテストに出場しているメイドの一人、サエは硬派メイドカフェ『ファンタジア』の出身です。その究極の給仕の技術を学ぼうとする五味ですが……。

第十一話 (とき)遣い(つかい)の魔女――サエ


 ここ『フェアリーズ・ガーデン』に集結したメイドたちは、五味を除いて自分なりにトップクラスの接客を極めつつあるメイドたちばかりである。はち切れんばかりの笑顔で見ているだけで楽しくなってくるいおり、気配りとお姉さん的な包容力が魅力なメイ、おっとりしていて天然の思考回路で癒しを与えてくれるコロンとそれぞれのメイドなりのそれぞれの接客が確立されている。だが、そんな中、どのメイドも一瞬手を止めて、その接客に見入ってしまうメイドがいる。それが――

「お待たせ致しました。アールグレイでございます」

 胸元に両手を組み、深々とお辞儀をする。そしてすっと再び頭をあげるとその背筋はぴんと、真っ直ぐに伸びている。眼鏡の奥に隠された冷徹な瞳、几帳面に結われた三つ編みが特徴的なメイド、それがサエだ。

 彼女は優雅な手つきでトレイからカップ、ティーポットを音もなく、テーブルに置く。まるで食器の底にフェルトでも敷いているのではないか、と思われるほどの無音である。

「最初の一杯をお注ぎしてもよろしいでしょうか?」

 サエはお客にそう伺いを立て了承を得ると、華麗にテーィポットを掲げて、カップに紅茶を注ぐ。二度、三度とポットを大きく、上下させる。だが、その間、紅茶は跳ねもせず、ゆるやかにカップに注がれるのみだ。やがて、適量を注ぎ終わると、サエは茶漉しに使ったストレイナーをカップの外周を二回ほど優雅に回転させた。ストレイナーに残っているお茶のしずくを落とすためである。そしてそれが終わると、彼女はすっと身を引き、いつものように両手を胸の前で組み、

「それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」

 と言って深々とお辞儀をする。お客は、感じ入ったようにそれに見入り、こくこくと頷く。そして他のメイドたちも、思わずほおっと上気した顔でため息を吐くのである。彼女の接客の間だけはまるで時間が止まったように感じられる。

 それで付いたあだ名は『刻遣いの魔女』――。

「サエさんの給仕は素敵ですぅ。憧れちゃいますよぉ」

「さすがは硬派メイドカフェ『ファンタジア』でトップというだけはありますわ。ウチのメイドでもあれだけのことを成せるのはほとんどおりません」

「アタシもあの給仕は見習いたいな」

 自分たちもトップクラスのメイドだというのに、口々にそう褒め称える。いや、トップクラスだからこそ、言えるセリフなのかも知れない。実際、五味にはその給仕に感動しても口に出すことなど出来ない。自分ごときがサエのことを褒め称えることなどおこがましいと思ってしまう。でも――


 その最高の給仕を見習うことは出来るはずだ。


 今日、学校で園城と会話した内容を五味は思い出した。

「俺が思うに、五味がお手本とするのに一番良いのはサエさんだと思う」

「サエさん? 確かに素敵な給仕をする人だが――なぜだ?」

「サエさんの給仕のすばらしさはスキル的なものだ。経験と膨大な反復練習の末に身につけたものだ。それなら天性のものではない。五味だって身につけることが出来る」

「……簡単に言ってくれるな? 『経験と膨大な反復練習の末』だろ? 一朝一夕に身につけられるものではないじゃないか」

 園城は首を横に振った。

「いや、それが『技術』なら身につけられるだろ? 『感性』とかそういう曖昧なものではないのだから」

「……」

 なるほど、言われてみればそうなのかもしれない。五味はサエの給仕を観察して気付いたことがあることを思い出した。

 以前、サエが「食器にはロゴが入っているか?」と店長に質問したことがあったが、その意味にようやく気がついたのだ。

 サエは食器に付いているロゴを全て、お客に向かって正面にくるように配膳していたのである。というか、気にして見ていると、実はその程度のことは全てのメイドがやっていることだった。そういうことに気がついてくると、今まで、食器のロゴの向きなど考えもしなかった自分が恥ずかしくなって来る。

 だがそういったことは『技術』だ。自分はすでに『食器のロゴをお客様の正面に持って行く』という技術は身に付けたのだ。これを重ねていけば良い、ということだ。

「あと、サエさんはあまり笑わないタイプだ。お客との挨拶、目と目が合う時、そういう時にわずかに微笑むだけだ。そういう意味でも笑顔の得意ではない五味が見習いやすいと思うんだな」

 確かに。サエの雰囲気はしっとりとして落ち着いていて、五味のカラーに似ている。おこがましくも親しみやすさを感じていたりする。未だメイドとしての方向性が定まらない五味がサエの方向性を目指すというのは分かりやすくて良いのかも知れない。

 そう言うわけで、今日は手が空いたときは絶えずサエの行動に視線を向けていた。

 今日は水曜日の平日で本来なら、それほど忙しくない日ではあるのだが、どこかの観光旅行の団体客がそのまま流れてきたらしく、まだ早い時間だというのにビルの一階まで長蛇の列が出来ていた。店の外ではスタッフが順番票を置き、お客に名前を書き込んで貰っている。『フェアリーズ・ガーデン』の入り口はガラス張りなので、内側からもその様子を確認出来る。時々、期待に満ちた瞳で中を覗き込むお客たち。

 頑張らなくちゃ、な。その期待に応えてあげたい。

 一層気を引き締める。その日の五味は自分でもそつなく接客、給仕が出来たと思う。さしたるミスはしていないし、笑顔も不気味ではない程度のレベルで押さえていた。飽くまで自分で思っているだけだから、他人から見たらどうだか分からないが、とりあえずお客が叫び出さないレベルの笑顔だったことは間違いがない。

 団体客が帰りだして客がまばらになりだした頃、ようやく回りを見渡す余裕が出てきた。自然とサエの給仕が目に入って来る。サエはペペロンチーノのパスタを配膳している。相変わらずのサイレント給仕で皿や食器を置いてもカタともコトとも言わない。それなのに、腕の動きはぎこちないわけでもなく、優雅ですらある。思わず、ほおっとため息を吐き掛けた時、五味はあることに気がついた。

 フォークの向きが、逆だ、と。

 フォークやスプーンの食器は持つ方を右側にして置くのが鉄則である。それくらいはいくら五味でも知っている。だがサエはそれに気がつきもせずに、配膳を終え立ち去ろうとしている。

 サエほどのメイドでも間違えることがあるのか、と五味は感慨を新たにした。このことを教えてあげた方が良いだろうか、と逡巡している内にサエはキッチンの方に引き上げて来てしまった。そして相変わらずの背筋をぴんと伸ばした姿勢で待機している。そんなサエに視線をやり、さきほどサエが食器の向きを間違えたお客に目をやると、五味はそこで信じられない光景を目にした。

 お客は左手で食器を操っていたのである。つまりは左利き――

 まさか、と五味は目を剥いてサエの方を振り向いた。あのお客が左利きだと知っていたというのか? 五味がそういう意味の視線を送っていると、サエはそれに気が付き小首を傾げた。

「どうしました?」

「……あの。どうして、あのお客様が左利きだと分かったので……すか?」

 サエはつまらない話でも訊いたとばかり、急に興味をなくしたような白けた表情になる。

「どうしてだと、お思いで?」

「お客様に……尋ねたのではないかと」

 サエは首を横に振る。そしてしばらく沈黙して五味の次の言葉を待った。だが五味はいつまで経っても解を見いだすことは出来ない。観念して今度は五味が首を横に振る。それを確認すると、小さく肩を竦めてサエはとある方向を指差した。

「あれ、です」

 サエの指差す方向を見る。そちらは入り口。それ以外何もない。

「入り口が一体……」

「あの順番票です」

「順番票?」

 五味はサエの言葉を繰り返し、その意味を探った。入り口には満席になった時の為に、お客が書き込む順番票がある。

 その順番票とお客様が左利きであることに何の関係があるのだろうか。まさかあの順番票には利き腕を書く項目があるのだろう。いや、そんなものがあるわけがない。なら、どうして――

「あ」

 その時点でようやく『それ』に気がついた。サエは満足そうに深く頷く。

「そうです。あそこでお客様がお待ちになっている時に左手で、書き込んでいたのです。それで左利きと判断致しました」

 唖然とした。そんなところまで観察しているのか。正直そんな気分だった。

 もはや自分と見ているところが違う。というか別次元だ。見習うなんてとんでもない話だったんだ。私には到底、この領域にはたどり着けない……いや。

 五味はぶんぶんと大きく首を横に振る。

 ダメだ。私は変わると誓ったんだ。本気になると誓ったんだ。この領域のことだって私は盗むことが出来るはずだ。やってやるんだ!

 そんな五味を見てサエはふっと微笑する。珍しいサエの笑顔だった。

「少しずつで良いのですよ。接客は一朝一夕には出来ません。一つ一つ経験や知識を地層のように積み上げていくのです。そういう私も積み上げている最中です」

「そんな……サエさんがそんなことを言うようでは、私なんか到底追いつけない」

「『追いつく』ですか? 私は私であり、ごっちんはごっちんですよ。追いつく必要などないのです。あなたの極みに到達さえすればそれで良いのです。それでは私もまだまだ勉強中ということをお教えしましょうか」

 サエはそう言って、ちょうどキッチンから上がって来たカクテルをトレイに載せた。そして注文を受けたお客の所へ給仕に行く。五味は呆然とその一部始終を見守る。

 一体、なんだと言うのだろう……。

「お待たせ致しました、お客様」

 そう言ってサエは相変わらずの優雅な手つきで音も立てずにそのドリンクをテーブルに置く。そしてその後、口元に微笑を浮かべると驚愕の言葉を吐き出したのだ。

「お客様。よろしければ、おいしくなるおまじないをご一緒に掛けてくださいませんか?」

「な!」

 五味は思わず顔を引きつらせ、凍り付く。いや、五味はおろか、ホールにいた、他のメイド全員がその瞬間、身動きを止めた。そしてその後不慣れな手順でたどたどしく「おいしくなーれ、萌え萌えきゅーん」と動作している間、間違いなく店内の時間は止まっていた。恐るべしは『刻遣いの魔女』。一通りの萌えイベントを終えて、さすがに恥ずかしかったのか、頬を紅潮させて戻って来たサエを、五味は呆然と見つめていた。

「サ、サエさん……?」

 同じくちょうどキッチン前に戻って来たアネゴは毒気が抜かれたような顔で訊く。

「てっきりサエっちは、『おいしくなるおまじない』なんて軽蔑しているのかと思ったぜ。所属の『ファンタジア』じゃ、そんなことはやらせないんだろ?」

「はい、さすがに緊張致しました。でも仮にも秋榛原でメイドをたしなんでいる人間です。いささかはこういうことにも興味はあるのです」

 サエはそう恥ずかしそうに言い、ぷいと視線をずらす。

「サエっち、意外に『萌え』だなあ」

 アネゴはしげしげとサエを眺める。そしてサエは五味の方を振り向いた。そして満面の笑顔で微笑み掛ける。

「ね? 私も日々、勉強なんですよ?」

 なんだ、接客だけじゃない。笑顔も素敵な人なんじゃないか。

 五味はサエを見てそう思い直した。


*********************************


「カップの取っ手を左側にして給仕するのはイギリス風、右側にするのはアメリカ風なんです。所属の『ファンタジア』ではお店がイギリス風をコンセプトにしているから左側にしていますが、ここでは右側にしています。だってその方がお客様にとっては掴みやすいですからね」

 サエはエプロンを外しながら、そう話していた。五味は隣で同じくメイド服を脱ぎながらサエの話に聞き入る。

 ここは『フェアリーズ・ガーデン』の更衣室。営業が終了し、閉店後の清掃や後片付けも一段落して、二人は更衣室に入って着替えを始めていた。

 サエはメイドとして下層ランクの五味に対しても、分け隔て無く話してくれた。今は給仕についての蘊蓄を教えて貰っているところだ。しかしカップをわざわざ左向きにする給仕方法があったなんて知りもしなかった。この世界、奥が深いと感慨深く頷いていると、サエはメイド服をばさりと脱ぎ落とした。はしたない、と思いながらも思わず、そのプロポーションを覗き見てしまう。

 そしてほっと安堵の息を漏らした。

 サエのプロポーションは五味に似ていた。どちらかと言えばスレンダーな体型。これほど給仕が出来て、更にプロポーションまで良かったら、本当に立ち直れないところだった。と心の中で小さくほくそ笑んだ、その時。

「いやあ、疲れた、疲れた! さ、ちゃっちゃっと着替えて帰るかぁ!」

 そう言って入ってきたのは『ユリ』ことアネゴ。彼女は何の躊躇もなく、がばっとメイド服を一気に脱ぎ去ると、そのボディを惜しげもなくさらす。

「な!」

 メイド服の上からでも、そのボディラインは想像出来たが、彼女は驚愕の着やせするタイプだったらしい。メイド服で押さえつけられていたそのバストが強烈に自己主張をしている。

 わ、私より身長が二十センチは低いのに……

 顔を引きつらせている五味がそう考えた通り、アネゴは小柄なのに、ナイスバディなのだ。俗に言うトランジスタ・グラマーとは彼女のことを言うのだろう。

「お疲れー」

 そう言って次に更衣室に入ってきたのは、金髪碧眼のメイド、クララだ。彼女はロッカーを開けるとさらりとメイド服を脱ぎ捨てる。

「う!」

 さすが、ハーフ! というべきか! 

 五味は涙目になりながらしげしげと彼女のボディラインを観察する。抜けるように真っ白な肌は信じられない曲線を描いて、クララの外観を形作っていた。小柄なアネゴと違ってクララは大柄だ。その彼女のバストはおろかヒップラインですら破壊力抜群の最終兵器に相当する。女の自分でも何か妙な気持ちになってくるほどだ。

 着ているメイド服がそもそもふんわり膨らんだスカートなので、目立っていなかったが、クララはこれほどまでに劣情を催させる腰つきだったとは思わなかった。彼女は逆にメイド服姿で良かった。五味は真底そう思う。

「……あ、ごっちん。着替えたら……一緒に帰りましょうよ」

 そう儚げに微笑んできたのはアキ。

 アキと五味は家の方向が一緒なので、ここ数日一緒に帰っている内に仲良くなった。アキが高校一年で五味が高校二年と、年も近いせいもあるかも知れない。ちなみにコンテスト出場メイドの年齢は下からアキ十六歳、五味十七歳、クララ十七歳、いおり十八歳、コロン十九歳、サエ二十歳、麗子二十一歳、アネゴ二十三歳、メイ不明という順番である。メイは最年長ということだけは分かっているのだが、結局の所、正確な年齢は口を割ろうとはしないので、相変わらず不明だ。

 アキはすでにメイド服を脱ぎ去り下着姿だ。その儚げな外見の通り、アキの胸はもうしわけないほどにぺったんこだった。

「アキ。お前は本当に親しみやすいヤツだな」

 五味はアキにすがりつく。

「な、なにどうしたの? ごっちん? え? え? え?」

 当然のことながら五味の内面の事情など、分かりかねるアキはうろたえることしか出来なかった。と、その時だった。「あ」と、隣のロッカーのサエが小さく声を上げたのは。五味は、アキに抱きついたままそれに気がついて、視線をそちらに向ける。サエは自分のバックの中を覗き込んでいた。その顔からは接客をしている時や、五味と話しているときに見せる柔和な微笑みは影を潜めていた。

「なにか?」

 そう問いかけると、サエは、ぱたりとバックを閉じた。そして真剣な表情で五味を見返す。

「ごっちん、コンテスト期間中は身の回りのことに気をつけた方が良いようですね」

「え?」

 五味はサエの言わんとしていることが掴みかねて、その表情を読み取ろうと努力する。だが当然のことながら、理解することは出来ない。「どういうことで?」と訊こうと口を開きかけたその時、サエは一度閉じたはずのバックを再び開いた。そしてその中から何かを取り出す。

「……それって」

 五味は思わず息を呑む。サエの手に握られていたのは、何かに踏みつけられたようにひしゃげた眼鏡だったのだ。

「私は眼鏡を外すと、真っ直ぐ歩くことも出来ないド近眼なので、その為にいつもスペアを持ち歩いております。そのスペアをやられたようです」

「……やられたって」

 絶句している五味に小さく頷きおもむろに口を開いた。


「……どうやら悪意を持った方が、どこかにいるようですね」


************************************


 四日目終了 得票数 トップいおり『六八』、二位サエ、三位麗子、四位メイ、五位クララ。(参考:九位ごっちん『一』)

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