第十話 とびっきりの笑顔――いおり
ベスト・オブ・メイド・コンテストで一緒に働いているメイドいおりは、とびっきりの笑顔がチャームポイントのメイドです。五味はそんないおりの思わぬ素顔を覗いてしまって――
第十話 とびっきりの笑顔――いおり
「っ帰りなさいー♪、ご主人様あっ!」
ひときわ元気の良い声が『フェアリーズ・ガーデン』中に轟き渡った。きらきらした光のエフェクトが空気の中に散らばってくるのを感じる。声を聞いただけでそれが誰なのか分かる。
和風メイドカフェ『吟遊浪漫』代表のいおりだ。身につけているメイド服は和風に改造されており、可愛らしさの中にも落ち着いた雰囲気がある。だが、着ている人間はそんな落ち着きとは無縁だ。ぴょんぴょん跳ねながら、入り口までお客を出迎えに行く。そしてそのはち切れんばかりの笑顔。
真似できん。
五味は小さくため息を吐いて首を横に振った。少なくとも演じている笑顔ではない。営業スマイルとも思えない。本心から楽しくて仕方がないような、そんな笑顔に思える。これは初日からトップを獲るわけだ、と思った。女の自分から見ても、このメイドさんと一緒にいたい、もっと見て見たい、お話ししたいと思うくらいだった。
それに比べて私は……
五味はぶるぶると首を横に振る。
ダメだ。そんなネガティブな思考に陥ってどうする。選りすぐりのメイドたちから少なくとも一つずつは良いところを盗んでいこうと、そう決めたばかりじゃないか。
五味の脳裏に昨日、園城と交わした会話が蘇る。
「五味、せっかくお手本となるトップクラスのメイドさんが何人もいるんだ。彼女らの行動を真似するだけでも相当違うと思うんだ」
「……なるほど」
「そうだな……。例えばお前に足りない笑顔だが、これはいおりさんを見習うといいと思う。彼女のスマイルはとても0円なんかでは済まされない天下一品のものだ。そのわずかでも体得出来れば『フェアリーズ・ガーデン』に来た甲斐があるってもんだ」
「……それほどか。笑顔だけでも価値があるってことだな。分かった、やってみる」
とは言ったもののあまりのレベルの違いに心が折れかかっている自分がいた。
その時、お客の一人が手を挙げた。それに気がついた五味はすかさず「ハイ、タダイマ」と言って歩み寄る。珍しく、他のメイドが気がつく前に自分が注文取りに行けた。ほんのすこしの前進だな、と悦に浸る。
「あ、すみません。注文を」とお客が五味を見上げる。
ここだ。ここで、いおりさんのような笑顔を炸裂させるのだ。
他のメイドに先駆けて、注文取りすることが出来た五味は調子に乗って、そう考えた。そしてすうっと息を吸い込むと、自分で考えられる限りの笑顔を浮かべ――
「ハイ、ドチラデゴザイマショウカ?」
「うわあああああああああああああああっ!」
お客が叫び声を上げた。ホールの空気が凍り付く。何事が起きたのかと、他のお客、メイドたちの視線が集中する。
「ご、ごめん、びっくりしちゃった。ず、ずいぶんユニークなスタイルのメイドさんだね。ホラーメイド?」
「……は、はぃ」
消え入りそうな声で頷きながらも、内心、特大のダメージを受けた五味だった。注文を取り終え、キッチンまで戻る途中で思う。
……一体、私はどんな恐ろしい顔をしていたんだ。
「休憩、入ります」
そう言って五味は『フェアリーズ・ガーデン』の裏口から廊下に出た。順番待ちのお客で埋め尽くされている外に出て休憩を取るわけにもいかないので、休憩はもっぱら更衣室で取ることになる。その代わり更衣室にはジュースの自動販売機も設置されており、待遇は良い。
結局、あの後、笑顔への挑戦は封印することにした。自分がどんな表情をしているのか、分からないまま、それに挑戦するのは無謀な試みに思えたからだ。凄まじいまでの精神的な疲労感を覚えながら、五味は更衣室に入る。
「あ」
更衣室に先客がいることに気がつき、小さく声を上げた。一瞬、それが誰なのか分からなかった。その女性は更衣室の窓からとっぷりと暗くなった夜空を見上げて、何か物思いに耽っている。その横顔は憂いに帯びていて、何か物悲しそうだった。
そのメイドは和服をモチーフにしたメイド服を身に纏っている。それに気が付いた時点で、ようやく五味はそれが誰であるか認識した。
いおりだった。
「うん?」
しばらくしてから、ようやく五味の存在に気がついたようにいおりは振り向いた。そして見られてはいけないものを見られてしまったように小さく舌を出す。
「あ、ごっちん休憩なんだ。じゃあ、そろそろ私、戻らないと、ね」
そしてゆるゆると立ち上がる。その様子を受けて、五味は小さなショックを受けていた。ホールで見ていたいおりと印象がまるで違うからだ。少なくとも今のいおりからはあの元気で活発な印象は全く感じられない。呆然と立ち尽くしている五味を見ていおりは苦笑する。
「あは。びっくりした? 元々の私はこんな、なんだよね。内気でうじうじしてさ。今もさっき失敗したことをくよくよ考えていたんだ」
驚いた。
思い返しても、少なくともいおりは失敗らしい失敗をしていない。考えられるとすれば、お客と写真撮影をする順番を間違えたことくらいだが、それにしたって、許容範囲内だ。お客もいおりの笑顔のフォローで不満にすら思っていないはずだ。
「そんな。大した失敗はしていないじゃないか。……少なくとも私から見たら、だけど」
元気づけようとそう言いかけて、後半恥ずかしくなって声が小さくなる。考えたら相手は初日からトップを獲るほどの超人気メイド。自分ごときがなぐさめるなんておこがましい。
「うーん。ダメなんだよねー。気が弱いのかなあ。心が強くないんだよねー」
さっきから『いおり』とは無縁のような単語ばかりぽんぽん出てくる。
『内気』『うじうじ』『くよくよ』『気が弱い』――
それではホールで見るいおりは、一体なんだというのか?
「……でも、ホールのいおりさんは、その、元気で、きらきらして、にこにこしているじゃないか。あれは、いわゆる『営業スマイル』というヤツなのか?」
五味は言ってしまってから、顔をしかめた。
どうして、私はこう、思っていることをそのまま口にしてしまうんだろうか。
五味のど直球な、その問いかけにいおりは一瞬目を丸くするも、すぐに「うーん?」と上を向いて、頭の中を探るように何かを考える。
「営業スマイルって言えば、そうなのかも知れない、かな? やっぱり、お客さんには楽しいひとときを味わって貰いたいからね。夢のような空間を見せたいじゃん? 私が元気にしているだけでお客さんが喜んでくれるのなら、それはそれでいいことだよね」
いおりの目がきらきらと光り出す。その口元に極上の微笑みが出現する。五味は「あ」と思うが、口を挟むまもなく、いおりは言葉を継いだ。
「私の小さい頃の話なんだけどね。私、物凄いネクラだったの。今風に言うとコミュ障ってヤツ? 学校に行っても丸一日クラスメイトと言葉を交わすことなんて無い日もあったりしてね。目と目すら合わさなかったな。ひたすら下を向いていてね。そんなんだから友達なんかいなかった。当たり前だよね。その時の私の唯一のお友達はコッペちゃん」
「コッペ?」
「こう、コッペパン型のゆるきゃらみたいなヤツ。お父さんが買ってきてくれたぬいぐるみでね。私は家に帰ってからコッペちゃんとお話しするのが毎日の楽しみだったの」
誰の話かと思うくらい、今のいおりとはかけ離れた話がぽんぽんその口から飛び出して来る。だが、それを話しているいおりの表情はいたってあっけらかんとしている。
「そんなある時、お母さんがアドバイスをくれたんだ。『いおり、とにかく笑ってみなさい。から笑いでも良いから笑顔を作ってみなさい』って。それを訊いたとき、私、そんなこと出来ない、って思った。心で思ってもみないことを身体で表現するのなんて、出来ないって。そのアドバイスを聞いた日から、数日は笑うなんて、出来なかったな。楽しくもないのに笑うなんて。でもある日、学校への登校途中、何かの拍子で『あ、笑ってみようかな』って思ったのね。自分でもその時の心境は思い出せないな。何がきっかけだったんだろうね。水たまりに映る青空が綺麗だったからかな。それとも塀の上を歩くネコがとてもチャーミングだったからかな。ともかく、私はその日、無理矢理にでも笑顔を作ってみようと思ったんだよね。そしたらさ、教室に入ったとたん、みんな妙な目つきで私を見るんだよね。ちょっとたじろいだけど、私はそのまま笑顔のまま授業を受けた。一番最初に私に話しかけてくれたのは隣の男の子。教科書を忘れたから見せてくれ、だって。私は男の子と話をしたことなんてなかったからちょっと怖かったけど、その授業の間ずっと教科書を見せてあげた。もちろん笑顔は絶やさずにね。それからは芋づる式。前の席の女の子が話しかけてきたと思うと、一週間後には、学校に行ってお友達と喋らない日なんてなくなちゃったのね。そうすると学校に行くのがどんどん楽しくなって来て、今度は無理矢理笑顔を作るなんてことする必要もなくなっちゃった♪」
そう言って、いおりはにこりと、笑った。
とても無理矢理作っているとは思えない極上の笑顔で、いおりは五味に語りかける。
「細かい話をすると長くなるからこの辺で止めるけど、それからどんどん自分を取り巻く状況が変わってきたんだよね。確かに私がにこにこ元気にしていると、周りの人たちのにこにこ私に接してくれるんだよね♪」
五味には、いおりの周辺の空間が変化したかのように感じられた。きらきらとした光のエフェクトがその身体にまとわりだし、暖かいふんわりとした領域がいおりの笑顔を中心にして広がりだしたように見えた。
「そうなると笑顔で生活するのって楽しくなって来ちゃってね。『もっと笑顔! もっと笑顔!』って思っちゃったんだよ。元気な私を演じているとね。自分もなんだかだんだん楽しくなって来るんだよね。心の中が沸き立つって言うのかな。だから、最近演じているって感覚がなくなっちゃってね。だから、本当の私は気の弱くてコミュニケーション下手な人間だけど……最近はこっちの私も本当だと思うんだよね♪」
いおりは、そう屈託無く笑った。
目の前のいおりを見ていて五味は純粋な感動を覚えていた。いおりのこの笑顔、この元気は初めは演技だったのだ。でも次第にそれが彼女の第二の性格として取得され出した。だから、彼女のこの笑顔は演技であって演技でない。元は演技であったのかも知れないが、今は、それが完全自分の物になってしまって、いおり自身になってしまっている。そういう笑顔なのだ。
「よっしゃあっ! それじゃあ、ラストまでいっちょ頑張りますかっ! ふふん♪」
いおりはそう言って休憩室の扉を元気に開けて、フロアへ足を踏み出した。そんないおりの後ろ姿を見送りながら五味は考える。
彼女のあのトップクラスの元気が、ハイレベルの笑顔が後天的なものならば。
――私にも取得することが出来るのでは、ないか?
そう思って更衣室の壁に備え付けられた鏡を覗き込む。そしてそこに映った自分の顔を確認すると、思い切りにっこりと笑う。
「……」
相変わらず、自分で見ても気味の悪い笑顔だった。だが、今ではその理由が分かる。
私、心から笑っていないんだ。
五味は楽しいことを思い浮かべる。思い浮かべようとする。競馬が予想通り当たった時のこと。釣りに行って大漁だった時のこと。園城と罵り合いをしている時のこと。
……園城? なぜだ。まあ、あれもいいストレス発散だったっていうことか。
思わず、くすりと笑う。鏡の中の自分と目が合う。その時の笑顔は、自分でもちょっと悪くないかな、と思った。
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三日目終了 得票数 トップいおり『四五』、二位メイ、三位麗子、四位サエ、五位コロン。(参考:九位ごっちん『一』)