今年
共働きの両親は今日も遅い。
一人きりの家の中に甘い匂いが立ち込める。オーブンは赤く暖かい熱で着実にケーキを仕上げていく。いい感じに膨らんだケーキがくるくるとオーブンの中で躍っている。オーブンに入ったケーキはもう私の手を必要としないで勝手に出来上がってくれるはずだ。
テーブルの上にはカボチャのポタージュにカボチャのサラダ、本日のメインディッシュであるカボチャのコロッケが大人しく並んで私を待っていた。ケーキが焼けるまでにさっさと食べてしまおう。一人きりの食事は慣れているとはいえやっぱりどこか味気ない。でも、今日はこの後のことを考えるとちょっとわくわくしてしまう。少し塩を入れすぎたカボチャコロッケに眉を顰めながらも、口元には自然と笑みが浮かんでくる。
今日はハロウィン。去年の雪辱を晴らすべく、私は着々と”悪戯”の準備を嬉々として進めていた。
右手にはカボチャのケーキ。左手にはかぼちゃプリン。
私のそう数多くはないお菓子のレパートリーの中で”彼等”が特別に好きなものをわざわざ作ってみた。彼等とは言うのは私の部屋にある不思議なリトグラフの住人達のことだ。
オレンジ色の空に黒い半月が浮かび、蝙蝠と箒に乗った魔女が空中散歩をしている。枯れたトレントを背景にジャック-O-ランタンを手にした悪魔の少年が黒猫仔猫を連れて行進している。後ろに続くのはライカンスロープとヴァンパイア。グールが目覚めかけている朽ちた墓場の、はるか彼方に見える岩に座っているのはセイレーン。作者のサインの代わりに書かれているのは666、悪魔の刻印。
オレンジ色の背景に黒一色で精密に描かれた禍々しいハロウィンの夜。
このリトグラフに描かれているモンスターたちは季節を問わず勝手に抜け出して私を困らせてくれる。とはいえ、私はそれを楽しんですらいるわけで。
去年、ハロウィンをすっかり忘れた私に彼らの中でも特に性質の悪い悪魔の少年は、まったくもって趣味の悪い悪戯を仕掛けてくれたのだ。やられっぱなしで引き下がれるわけもなく、今年は意趣返し。ヤラレる前に、ヤレ。先手必勝とばかりには私は勢いよく自室の扉を蹴り開けた。ただ単に両手がふさがっていただけで、私が普段から乱暴なわけでは、決してない事をここに明言しておく。
あいかわらず、緊張感のカケラもなく部屋の中をふよふよと漂っていた彼らは、私のたてた大きな音に驚いてこちらを注視した。すかさずにっこりと笑って見せる。密かに何度も練習した会心の笑みを惜しげもなくふりまきながら、私はゆっくりと獲物に狙いを定めた。
さらさらで真っ直ぐで艶々した漆黒の髪はちょっと羨ましいけれど、同色の瞳は少し眼光が鋭すぎる。闇に溶け込むような黒い服も煌々と眩い蛍光灯の明かりの下では目立つばかり。白いのを通り越して青白いとしか言いようのない肌はどこまでも不健康そうだった。けれど、顔の造作は文句なしの美青年。
昔は悪魔の少年だったのにいつのまにか悪魔の青年に成長してしまった彼は、去年の悪戯の仕掛人であり、今年は私の悪戯の哀れな生贄である。
見た目に反して甘い物にとにかく目のない悪魔は私の両手に持ったお菓子を見て目を輝かせ、今にも飛び掛ってきそうだ。期待に満ちた顔を私に向け、私がお菓子を差し出すのを当然のことと信じて待っている。けれど、私は去年の屈辱を忘れない。
去年の意趣返しをするためならば、私は悪魔にだって身売りしよう。
「Trick or Treat?」
にこやかに告げた言葉に悪魔は笑顔のまま凍りついた。関係ない観客達は無責任にもやんややんやの喝采を上げて私を褒め称える。お菓子か悪戯か。選択を迫られたのは悪魔の方。悪戯に何を期待しているかは私の関知するところではないけれど、去年の出来事を忘れ去るにはまだ早すぎるでしょう?
そわそわと落ち着きのない悪魔が結局、どっちを選んだかは内緒。




