第六話 お師匠様
普段着――寝具までがメイド服であるフェリアの外出着とは、どのような衣装なのかと、実は結構期待して待っていたのだが。
家から出てきたフェリアは、普段と変わらぬエプロンドレスを着込み、ホイップクリームのように純白なホワイトブリムを頭に乗せているという。
ごくごく普段通りの服装であった。
眩い日差しを受けた闇色の髪と正反対の色彩だが、これがまた似合う。
このふんわりとした服飾が可愛い、という認識は異世界共通の事象なのだな。
ちなみに、どこが普段着と外出着の違いなのだ、とフェリアに問いたところ。
ご主人様以外の男性に色欲的な視線や劣情の目で見られることにならないよう、普段よりもスカート丈とソックスを長くしてあります、と答えられた。
なるほど確かに、言われるまで気にしていなかったが、胸元や鎖骨辺りの肌色も全く見えていない。
――だから昨晩の寝具は、生地が薄くてスカート丈が短かったのか。
たしか、胸元や背中なども外出着と比べてヒラヒラしていた気がする。
流石に、フレンチメイドが身に付けるコルセット風メイド服のように、肩や背中がガバっと開いているというわけでは無かったが。
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街を歩くと、メイドさんや執事さんと何度もすれ違った。
一人で買い物をしている方や、主と並んで楽しそうに談笑している方など。
歩き始めた当初は、フリフリなメイドさんと肩を並べて歩くのは照れくさいと思ったが、全くそんなことは無い。
むしろ誰も連れずに歩く人の方が浮いて見える。
割と金持ちそうな服を着ているが、何故あの人たちは使用人を連れていないのだろう。
何かしらの疑問を覚えたら、毎度お馴染み、フェリアさんのご教示タイム。
初めて外に出た子供のように、俺は目に入った知らない物を、フェリアに問いかける。
「あの方々は誰ですか?」
「あの方々は、冒険者ギルドに勤めるギルドナイトさんなのです。人里に迷い込んだ魔物を追い返したり、住民同士の暴動や喧嘩の仲裁をしたり、道案内をしたりと、色々なお仕事をしているんですよ」
へぇ。戦ったり、冒険者に仕事の斡旋をしたりとか、そういうお仕事だけじゃ無いのか。
他にも、あれは武器屋です。
あれが冒険者ギルドです。
と、日本に無かった建物を質問しては、全て丁寧に教えてくれた。
「そういえば、この世界に奴隷などはいないのか?」
「奴隷……。そうですね、おりません。でも、中には法外な賃金で雇われて、そう言ったお仕事をなさるメイドや執事もおりますので」
俺は一瞬だけフェリアに視線を送り、小さく吐息を漏らす。
フェリアなら大丈夫だろう。
あれだけ多数の魔獣を、一瞬で焼き尽くすような魔法まで使えるんだからな。
権力やカネの力にものを言わされて、そういうお仕事に走ることはないだろ。
テント型の青空商店街を抜けると、一気に人の気配が少なくなった。
辺りを見渡すと、青白くて嘴の妙に長い鳥や、尻尾が異様なほど長い猿などが駆け回っている。
この世界の動物か、もしくは無害な魔物なのだろうか。
残念ながら俺の翻訳魔術は動物は範囲外だ。
キーキーうるさいだけで、何を言っているのかまではさっぱり分からない。
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新緑のトンネルを抜けると、広々とした高原が広がっていた。
辺り一面に芝生が敷かれており、綺麗に手入れされている。
これだけの面積を、毎日誰かが手入れしているのだろうか。
――まぁ、流石に一人では無いだろう。
きっと何人――何十人の執事やメイドが、毎日雑草毟りとかに明け暮れているんだろうな。
フェリアは平然とした面持ちで芝生に闖入し、とくに気にする様子も無く芝生を踏み倒して足跡をつけている。
おい、良いのか?
見たところ、芝生のど真ん中にでっかい屋敷が建っているし、ここってあの家の所有物ってか土地なんじゃないのか。
だが躊躇していて、フェリアと離れてしまうのは心もとないので、仕方なく俺も芝生に遠慮無く足跡をつけていく。
靴底も土で汚れており、ライトグリーンに煌く自然の絨毯が汚れる。
何だろう、凄い罪悪感。
心の中で精一杯謝っておこう。
一足先に建物前にたどり着いたフェリアは、箒で玄関の掃除をしていた初老の執事と何やら話している。
ただここから見たところ、興奮した様子でフェリアが身振り手振りで一方的に話し、執事さんは黙って頷いているようにも見えるのだが。
――などと、とくに気にせず歩を進めていたのだが。
突如フェリアは黄色い歓声を上げながら、その執事に向かって駆け寄り、盛大に抱きしめた。
「――は、え」
思わずその場に立ち止まり、眼前で起きている状況を二度見する。
フェリアがよその執事と抱きしめ合いながら、嬉しそうにクルクルと回っている。
日差しを受けて宝石箱のように輝く闇色の髪を煙らせ、風を受けたロングスカートが艶やかに舞い上がった。
「何だよ、え、ちょっと!」
目の前で起こっている状況に耐え切れず、俺は芝生を容赦無く踏みつけながら、フェリアのもとへと全力疾走した。
足元が滑り、思ったより速度が出ない。
「おい、待てって。俺のフェリアを――」
叫びながら走ったからか、声が出なくなった。
しかも過呼吸気味になったらしく、胸が苦しくて息ができない。
ようやく二人のもとへとたどり着いた刹那、グロッキーになったゴール直後のマラソンランナーのように、前のめりに倒れこむと。
上方から、背中に向けて見下ろされるような視線を感じた。
「ご、ご主人様、突然走り出してどうなされました!」
「フェリアさん、ちょっと失礼」
ぜいぜいと息を弾ませながら倒れた俺は、仰向けにされ、初老の男性とフェリアの心配そうな顔が視界に入る。
呼吸ができず苦しみ悶えているという、非常に情けない姿をフェリアに見られたショックのために、俺はそっと視線を逸らす。
先程までフェリアと抱き合っていた男性は、その場に跪き、俺の胸のあたりに手を宛てがい、独り言のように何やら呟く。
「水の神リエス、治癒の加護を彼に与えん」
ああ、良かった。翻訳魔術はちゃんと作動してくれてたみたいだ。
石を喉に詰まらせたダチョウのように情けなくもがいていた俺は、胸の奥がスーっと浄化されたような感覚を味わい、安堵したように吐息を漏らす。
危うく死ぬところだった。
フェリアに最期を看取られるっていうのも、何となく幸せかもしれないけど。
「だ、大丈夫ですか? ご主人様、どうして」
「――ふむ。では、この方が、フェリアさんの新しいご主人様なのですか」
紳士的な男性は姿勢良く佇むと、恭しく深々と腰を折る。
「お初にお目にかかります。私はこの屋敷に雇われている、執事のザフィラス・フォン・ボラーレヴェルと申します。以後、お見知りおきを」
「あ、はい。ご丁寧にどうも。俺――私はニノミヤ・キンジと申します。フェリアの実地教育の間、彼女の主という立場を任されております」
ザフィ――なんとかさんと同じように、俺も深く腰を折ったが。
執事さんと違って、俺のは何か微妙に猫背で格好悪い。
顔を上げると、執事さんはまだお辞儀をしており、俺ももう一度頭を下げようとしたところで、不意に執事さんは顔を上げた。
「ほぉ、珍しい家名をお持ちですな。失礼ながら、ご出身は、どの辺りでしょうか」
「ご主人様は、遥々異世界からいらっしゃったのです。わたしが召喚したんですよ」
えへん、偉いでしょう。とでも言うように、ほどよい大きさの胸を張ると、執事さんは嬉しそうに目を細め、フェリアの闇色の髪を優しく撫でる。
ちょっと待て、それは俺の大切な仕事だ。
「えへへ」
フェリアは頬を染め、幸せそうに口元を緩めている。
何だろう、最初から勝負とかしてたわけではないのに、凄く負けた気分。
だが嫌味を感じさせないのがこの方の凄いところだ。
目の前で想いを寄せる少女と親しげに話しているのに、自分でも嫉妬深いと思う俺が、平然とその様子を見ていられる。
実際は、肉に爪が食い込むほど強く拳を握りしめているのだが。
「しかし、そのザフィラス・フォン――えーと」
「ザフィラスで結構です、キンジ様」
恭しく一礼。
慣れているのだろうか、貫禄が違う。
「その、ザフィラスさんとフェリアって、どういったご関係でしょうか」
「ご主人様、この方が、わたしの大切なお師匠様ですよ」
フェリアは嬉しそうにザフィラスさんに擦り寄ると、躊躇いも無くギュッと腕を抱きしめた。
何が色欲的な視線や劣情の目で見られないように、だ。
そんな身体を密着させたら――ほら、フェリアの膨らみが少し潰れて執事さんの腕に――。
アガガガガガガ。
いけないいけない、危うく理性が吹き飛ぶところだった。
ここは冷静に行こう。
師匠と弟子というものは、双方空気のような存在になっていて、意外とお互いを異性としては意識しないものなのだ。
それに、ザフィラスさんとフェリアは、失礼だが親子ほど――いや、爺孫ほどに年齢が離れている。
見たところザフィラスさんは健全そうだし、紳士的だから、きっとフェリアを色欲的な目で見ることは無いだろう。
しかし、少しだけ安心した。
これで格好良い年上の兄ちゃんが現れて、『フェリアの幼馴染で師匠です。よろしく』などと言われたら、立ち直れないところだった。
安堵の吐息を漏らすと、ザフィラスさんが一歩前に出て恭しく一礼する。
「ところで、異世界からお越しとのことですが、キンジ様は魔法を嗜まれますか?」
「はい、一応属性魔術はそこそこ」
そういえば、この世界では魔術のことを魔法って呼ぶんだな。
元居た世界では職業名が魔法剣士とか魔法使いで魔術、こっちの世界では魔術師が魔法を使うのか。
紛らわしいな。
「立派な剣をお持ちのようですが、職業は魔法剣士でしょうか?」
「ええ、そんな感じです」
どうやら剣士が付くと、魔術剣士では無く魔法剣士になるらしいが――。
まあ、魔法も魔術も名称以外の違いはとくに無いだろ。
地球では使えなかった、超常現象とかオカルト的力を放出することに変わりは無いんだからな。
フェリアに視線を送ると、太陽のようにキラキラとした双眸をザフィラスさんに向けて、姿勢良く佇んでいる。
ヴィクトリアンメイドとおじさま執事か。
アニメとか美少女ゲームの世界だなこれ。
俺の視線に気がついたのか、フェリアはこちらに顔を向けて、パチコンと可愛らしいウィンク。
思わず見とれてから、顔が熱くなる感覚を味わい、顔を背ける。
フェリア、マジ天使。一生付いて行きたい。
「ねぇ、お師匠様。久しぶりに、お稽古をつけてくれませんか?」
俺が顔を逸らし、フェリアの愛らしさに悶えていると、彼女は自身のお師匠様の腕を抱きしめ、『ねぇ、良いでしょ?』とでも言うように顔を擦り寄せていた。
ザフィラスさんも満更では無い表情で、フェリアの頭を撫でている。
――ちょっと、奥さん。それは俺だけのお仕事ですよ。
「久しぶりに、構いませんよ。それでは、あちらの闘技場を借りてきましょう」
一足先にザフィラスさんが姿を消し、ようやく俺はフェリアと二人きりになることができた。
さて、今のうちに少し距離を縮めておこう。
何だかあの執事さんを間に挟むと、俺の存在感が皆無になるからな。
「お稽古って、魔法で戦ったりするのか?」
「はい。お師匠様は凄く強いんです。もう少し若くて、あの時レトナお嬢様がお病気でなければ、きっと魔王討伐隊の勇者となっていたと思います」
レトナお嬢様とは、ザフィラスが仕えるお嬢様――いわゆる主のことらしい。
フェリアの話を聞いたところ、フェリアよりも強いようだな。
空中を華麗に舞いながら、大地を焼き焦がすような爆炎を出せるフェリアより強いとか、いったいあの人どんだけ強いんだ。
暫しの間、フェリアとザフィラスさんの昔の思い出を聞いていると、借用許可をもらったザフィラスさんが現れ、俺たちを闘技場へと案内してくれた。