第五話 添い寝
沸騰しそうなほどに顔を紅潮させ、俺は壁を伝いながら廊下を歩んでいた。
開き直って堂々としてみたものの、思い返せば思い返すほど、恥ずかしさのあまり顔を覆って悶えたくなる。
洗いながらも、フェリアは時折『んっ』『はぅ』『えぃ』などと、変に艶っぽい声を出し、グニグニとスポンジを押し付けていたのだが。
何故そのように洗うのか、と問いたところ、学園の教師から『優しく洗え』と厳しく教わったのだとか。
メイド学校とは、そのようなことまで教えるのか。
後でフェリアの教科書を見せてもらおう。
文字を読むことは出来ないが、幾つか挿絵が入っているので、それを見てできる限り理解しなくては。
一応心の準備ってものが必要だからな。
「さて、早く毛布に包まって熟睡しよう。一度寝て起きれば、気まずさも気恥かしさも多少は和らいでいるだろう」
フェリアに教えられた、“ご主人様のお部屋”に闖入し、俺はそこでやっと脱力して長い吐息を漏らした。
入浴にあれだけ精神力を浪費するとは、これっぽっちも思わなかった。
身体中が火照ってるし、今日毛布いらないかも。
床に座り込んだまま、俺は自身に与えられた自室の造りをグルリと見渡してみる。
ライトグレーの絨毯が敷いており、小さめの書き物机と三段程度の木製本棚が壁に並んでいる。
壁紙は限りなく白に近い鼠色であり、光を反射したり眩しすぎなく、過ごしやすい。
反対側の壁には木製のベッドが鎮座しており、雪山のように真っ白な布団がふんわりと被さっている。
きちんとベッドメイキングされており、シーツや毛布にシワ一つ無い。
流石メイドさんだ。
こういうところは、まさにプロ級だな。
普段着よりかは若干薄いだけの寝具を身に纏い、俺は昔のようにベッドに飛び込もうとしたのだが。
ピシッと整えられた布団にダイブするだけの勇気は無く、ベッド脇まで歩み寄ると、なるべく崩さないよう丁寧に布団をまくり上げる。
「本当、ホテルみたいだな」
「ご主人様、お待ちしていました」
掛け布団を半分程度捲ると、コタツに入ったネコのように愛らしく丸まったフェリアが、色っぽく目を細めて俺のことを眺めていた。
突然のことに愕然として、俺は布団を被せるでもなく捲るでも無く。
ただただ俺は、恍惚とした表情を浮かべるフェリアの顔を、無心で凝視した。
いわゆるあれか、信長に草履を差し出した秀吉が言う――。
「お布団、温めておきました」
フェリアは身体をモゾモゾと動かしながら、じっとりとした視線でこちらを見据える。
腰の辺りでは、見えない尻尾がバサバサと忙しなくはためいているような錯覚を覚える。
――褒めてあげればいいのかな。
「あ、ありがとう、フェリア」
嬉しそうに目を細めると、フェリアはベッドの中で女の子座りをして、深々と腰を折り、顔をシーツへと密着させた。
「ご主人様の添い寝をしに参りました」
その言葉を聞き、俺は思わず唾を飲み込む。
流石にホワイトブリムは外しているが、フェリアの衣装はまごうことないエプロンドレスである。
若干布地が薄く、スカート丈が短いが。
見た目だけなら、普段のメイド服と違い無い。
メイドさんとの添い寝とか、確かに何度も夢に見ては下腹部が大変なことになってたけど。
それを、合法的に行えるだと。
俺は躊躇いも逡巡もなく、迷わずベッドに潜り込むと、フェリアを抱きしめた。
戦闘中に密着した時より、お互いに身につけている衣服が薄いため、身体のラインや温もりがはっきりと伝わる。
高鳴る胸と同調し、全身が心臓になったように総身が痙攣する。
「フェリア、本当に良いのか?」
「はい、わたしはご主人様のものですから」
銀鈴を転がしたような、聴き心地の良い声音。
だが、俺の中の何かが引っかかり、続きを行うことができない。
「フェリアは、俺のことが好き?」
「ご主人様のことは、好きですよ」
事務的な口調。
据え膳食わずはなんとやら、とか言う言葉を聞いた事があるが、これだけは彼女に聞いておきたい。
喩え俺が求める答えが帰ってこなくとも、その真意を受け止める覚悟だ。
俺はフェリアから身体を離し、ひと呼吸置いてから彼女の双眸をじっと見据える。
その視線に反応するように、フェリアは天使のように愛くるしい微笑みを見せ、小さく首を傾げた。
「俺の名前は、ニノミヤ・キンジって言うんだ。仕事も勉強も、どちらも頑張って欲しい、って意味で母親が付けてくれた、大切な名前なんだ」
フェリアはシーツをギュッと握り、俺の顔を見つめている。
俺はフェリアの鳶色の瞳を見据え、精一杯脳をフル回転させて言葉を紡ぐ。
「だから、俺のことはこれからキンジって呼んで欲しい、」
「それはできません」
冷ややかな声音。
頭から氷水をぶっかけられたような衝撃に、俺はそれ以上の言葉が出ない。
フェリアは寂しそうな双眸を見せ、長い吐息を放つ。
甘美な香りが布団の中に充満し、空間が多少暖かくなった。
「ご主人様は、ご主人様です。そして、私はしがない見習いメイドです。対等の呼び方をすることは、許されておりません」
拒絶はされていないが、突き放すような言葉。
だが俺の胸の中は、引っ掛かりが取れてスーっと楽になっていた。
俺には無理だ。
“お仕事”で、そんなことを行うなんて、俺は嫌だ。
フェリアの事が好きで好きで堪らない分、フェリアにも、そういう気持ちでして欲しい。
捨てるとか捧げるじゃ無く、“貰って”欲しいのだ。
「そう、か。そうだな、フェリア、俺が間違ってた。それじゃ、添い寝を頼んで良いかな?」
「はい! 任せてください。……あ、でも疲れているので、もし先に寝てしまったらすみません」
照れるように頬を染め、口元を緩める。
俺は眼前に広がる天使の笑顔を撫でると、そのまま朝まで熟睡した。
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ゆっくりと水面に浮上するような感覚とともに、俺は目が覚めた。
柔らかな日差しが窓から差し込み、眩い日光で部屋を彩る。
当たり前だが、隣に天使の姿は無い。
その布団の冷たさに、一瞬だけこの上無いほどの寂寥感を覚えたが、そのような感情はすぐに忘却の彼方へと跳ね飛ばす。
今まで三年間、性に目覚めるお年頃の俺は、目が覚めたと同時に確認するのは毎度毎度ドワーフの戦士か大賢者の背中だった。
異性を一番求める時期に、一度もその温もりを堪能することが出来なかった。
だが昨晩は、寝る前にちょこっと抱きしめることができた。
それだけで良い。
異世界来て一晩でそこまで行ってしまえば、後に残るのは暗く冷たい牢獄のような生活では無いか。
大抵そうなのだ。真っ先に素晴らしい体験を楽しむと、後に続くのは辛い現実。
俺の場合、魔王討伐して、魔獣に殺されかけて、それで一緒にお風呂と添い寝だから――幸せポイントは一応釣り合っているんじゃ無いかな。
日光に向かって伸びをすると、俺は愛剣を持って、久しぶりに庭先で素振りでもすることにした。
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次々頭に浮かぶ煩悩を消し去り、無心に素振りを続けていると。
お皿におにぎりのようなものとお惣菜を乗せたフェリアが、春風のように穏やかな笑みを見せながら現れた。
「ご主人様、朝ごはんを食べないと、身体に毒ですよ」
「ああ、すまない」
昨晩のことは気にしていないのか、フェリアは縁側に腰を下ろすと、俺に向かって小さく手招きをした。
剣の素振りをやめ、額や腕に滲んだ汗を拭うと、慎ましげに座るフェリアの隣に陣取っておにぎりに手を伸ばす。
白米では無いようだが、味や食感は問題無い。
何となく嗅ぎ覚えのある甘美な香りが漂うな、と思った刹那。
フェリアが直接握った――という煩悩が頭を過ぎり、一瞬だけむせた。
フェリアの香りがするおにぎりを咀嚼しながら、隣に静かに腰を下ろす闇色の髪をしたメイドさんに視線を送る。
遠い目をして蒼穹を眺めては、吐息のような溜息を吐く。
全くもってそういうつもりは無かったのだが、やはり“ご奉仕”を拒んだのは良くなかったのだろうか。
個人的には、フェリアほどの美貌を持つ少女に添い寝をしてもらえるだけで、この上無いほどの満足感を味わうことができたのだが。
フェリアとしては、自身を求められていない、などと思ってしまったのだろうか。
「ご主人様?」
視線の先にて鎮座なさる闇色の天使殿は、俺の視線を感じ取ったか、不思議そうな面持ちでこちらを見て首を傾げる。
日差しを浴びたエプロンドレスの黒と、髪色に若干の違いを感じ、思わず頬がほころぶ。
俺が笑顔を見せたからか、フェリアも少し安心したような表情を見せ、花が咲くような愛らしい微笑みを見せ、またしても俺の心を奪う。
くぅ……。そんな可愛らしい笑顔を何度も見せられたら、俺だって勘違いしそうになるじゃないか!
今にも押し倒しそうになった腕を必死で堪え、昨晩のフェリアを思い出し、高ぶった精神を落ち着かせる。
フェリアは俺を異性としては見ていない。
俺のことを男性として好きだとは思っていない。
仕事上の付き合い以外では、求められていない。
自分でも言ってて悲しくなってきたが、このくらいしておかないと、一昼夜一つ屋根の下に暮らしているのだから、間違いが無いとも言い切れない。
今日から風呂は一人で入ろう。
だがそれで、フェリアの実地教育に弊害が生まれるのも困るな。
もしくは、あー……、水着みたいな服でも着ておくか。
「あの、ご主人様」
一人で色々と葛藤していると、フェリアの端整な顔が目と鼻の先まで到達していた。
思わず驚いて後ずさりする。
いや、そんな寂しそうな顔しないで、別に嫌っているとかそういうんじゃ無いから。
「ご主人様の、今日のご予定は?」
予定? とくに無いな。
強いて言えば、迷子にならないようにこの世界を案内してくれたりすると嬉しいけど、流石にそれは悪い。
今日は学校が休みだから、こうして一緒にのんびりと朝ごはんを食べているが。
普段のフェリアは非常に忙しいらしい。
昨日の生活を見れば分かる。
家事やって、勉強して、添い寝して、俺よりも早く起きて。
だからなるべく、俺の勝手な理由でフェリアを連れ回したく無いんだよな。
「予定は、とくに無いかな」
「あの、もし良かったら、わたしの師匠に会ってもらえませんか? 数日前に嫌な貴族様を拒絶したことは知っているんですけど、その後わたしにご主人様ができたことを、報告していないんです」
「師匠って……学園の先生?」
フェリアはフルフルと首を左右に振り、若干顔を赤らめ、胸の前で人差し指を突っ付き合いながら小さく俯く。
「わたしに魔法や礼儀作法を教えてくれた、大切なお師匠様です」
大切なお師匠様か。
いわゆる、恩師とかそういうやつなのかな。
フェリアに魔法を教えるだけの方だとすると、もしかしてこの世界の大魔術師とかそう言った方か。
もしくは、考えたくは無いがつまり――。
「幼い頃から、ずっと親しくしていただいたお方なんです」
やっぱりな。
少し変だとは思ってたさ。
これほど可愛らしいメイドさんが、そんな簡単にホイホイ手に入るはず無いもんな。
俺は某少年探偵のように顎に手を当て、思案げに眉をひそめる。
いわゆる、年上の幼馴染という立ち位置か。
幼少時から兄妹みたいに育ち、お互いを尊敬し合い、いつしか大切な男女の仲に――。
「あの、ご主人様。……顔が恐いですけど、どうかなさいましたか」
「大丈夫です、俺は至って元気、今すぐ空の彼方まで駆け抜けられそうです」
はぁ……。やっぱり物事そんな上手くいかないか。
やっと運命の相手と出会うことができたかと、密かに期待してたんだけどな。
俺が妙な発言をしたからか。
フェリアは虚空に視線を向け、不思議そうに首を傾げていたが。
両膝に手を着いて立ち上がると、フェリアは太陽に向かって伸びをした。
「それではお着替えをして参ります。ご主人様のお部屋に、外出用の衣服をお運びいたしましたので、それにお着替えください」
そう言って花のように微笑むと、フェリアは鼻歌などを歌いながら屋内へとスキップをして戻っていった。