第十九話 元勇者たちのご主人様
転移先にて獅子を倒し、さらには横転した馬車を救った竜人たちは、それから森林を出て隣国へと赴いた。
大地の連なった大陸国であり、大した地形の違いは確認できない。
竜人たちも、当初は国境を越えたことに気が付かなかったのだが。
「これからセントヘレナという国に入ります。宗教的信仰者が多く信心深い方が多いので、言動にはくれぐれもお気を付けを」
そう言いつつ、馬車の座席に腰を下ろすお嬢様は、胸元から鈍色のロザリオを取り出した。
瞑目し、何やらブツブツと言葉を紡ぐ。
竜人としては、他者が囁く言葉を盗み聞きするような真似は絶対にしたくなかったのだが。
生憎竜人の聴力は、人族と比べてもかなり高性能。
言葉の切れ端だけだが『我らが神の御心に』とか『セントヘレナ神聖団に誓います』などといった、聞き慣れぬ単語が耳に入ってきた。
やがてお祈りが終わったらしいお嬢様はフゥと吐息を漏らすと、竜人に妖艶な流し目を送り、
「そういえば蜥蜴さん。あなたたちは、いったいどこから参られたのですか?」
と、ひどく失礼な勘違いを正面から叩きつけた。
竜人はピクリと眉を寄せただけで、とくに自分のことを「蜥蜴」と呼んだことに関して、気にしない素振りを貫こうとしたのだが。
次期王位を継ぐであろう誇り高き竜族を、できそこないの爬虫類と勘違いされたという事実は、血の気の多いドワーフの怒りを沸騰させた。
「貴様今なんと言ったか! この方はそのようにちっぽけな蜥蜴などではなくりゅ――」
「落ち着け、ドワーフ」
隣に腰を下ろしていた魔法使いに抑え込まれ、ドワーフは真っ赤な顔をしながらモゴモゴと何やらもがいていた。
突然声を荒げたドワーフに驚いたお嬢様は、訳も分からず自身を失言を詫びる動作に移ったが。
「気にしなくて、良い」
竜人は瞑目し、この世界では自身が蜥蜴人で通すことと決めたのだ。
竜という種族は、世界によってその立場が大きく異なる種族だ。
ある世界では信仰先であり、またある世界では世界を滅ぼす邪悪な存在。
竜と龍は違う。という考え方の世界もあるらしく、『りゅう』という音だけでは、その存在がどういったものなのか、はっきりとは分からない。
ちなみに竜人たちが暮らす世界では、竜と龍に違いは無い。
東方の民は竜と呼び、西方の民は龍と呼ぶ。その程度の違いだ。
そういったわけで竜人としては、この世界における竜または龍の立場や存在意義を把握するまでは、自身の種族に関して虚言を通した方が良いと思ったのである。
ましてやこれから向かうのは、宗教的信仰の深い国。
もしその教えの中で『竜は遥か昔、我らが神を貶めようと――』などといった言い伝えでも残されていれば、面倒なことになるだろう。
喩え異世界から来たと告白したとしても、初対面でついた悪印象とは、中々拭うことができないものなのだ。
だが一応後に露見したときのことを考えて、竜人は腕を組みドッカリと座ったまま、隣に腰かけるお嬢様に問いかける。
「ところで、あなた。竜は、お好きですか?」
「……竜、ですか? それはえっと、どういった」
「ただの世間話です。深い意味は何も」
お嬢様は「そうですわねぇ……」と頬に人差し指を当て、色っぽく首を傾げてみせた。
そしてチラリと竜人に視線を向けると、蠱惑的に口元に弧を描き。
「嫌いでは、ありませんわ」
と、心躍るような愛らしい声音でそう言ったのだった。
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「……キンジ」
「竜人!」
脱力した俺の体躯を引き寄せ、竜人との熱い抱擁が繰り広げられる。
後方からフェリアの歓喜するような「きゃぁ」という愛らしい声と、リリウスの「わぁ」という期待するような声が聞こえ、「そうじゃない!」と心の中で、薔薇色に腐りきった展開を真っ向から否定する。
堅い鱗に擦られ、素肌を鑢がけされたような感覚を得る。
筋肉とは似ても似つかない堅い感触を全面に味わいながら、俺は二人の女性陣から向けられる生温かい視線に耐え切れず、
「とりあえず、抱きしめるのタンマ。こう言っちゃなんだけど、少し恥ずい」
「何を言うか、俺とキンジは何よりも堅い『戦友』という関係で結ばれているのだぞ。宴が終わってキンジがいないことを知らされた時の、俺の苦しみがお前に分かるか?」
竜人が込める力が強まり、緑色に艶めく鱗に包まれた竜顔が目の前に現れる。
そう言われてしまうと、反論の余地もない。
帰ったらまた来よう。などと甘ったれた考えに背中を押され、結局数か月以上の期間、俺は元の世界に戻ることはなかった。
戻れなかった、というのが実際の理由ではあるのだが、戻る術があれば戻ったかと聞かれれば、首を縦に振ることは躊躇わられる。
竜人含め、五人との冒険は確かに密度が高く、楽しいものではあった。
何度も生命を落としかけ、痛い思いも苦しい思いも何度も味わったが、まあ思い返してみれば、どれもこれも良い思い出だ。
青春三年間として考えれば、かなり濃い時間を過ごせたと思う。
これは、紛れも無い俺の本心だ。
「しかし、キンジも魔術の腕を上げたのだな。先ほどの熱弾だが、あれは凄まじい威力をもっていたぞ。流石の俺でも、剣閃で相殺するのがやっとだった」
そう言い、竜人は俺の身体から離れ、腕を組んで小さく頷く。
一瞬何のことやら――と思ったところで、不意に昔の思い出が蘇り、思わず苦笑。
「――ったく竜人ったら、変わってないなあ」
「全くだ。お前はキンジとお姫様のことになると、周りが見えなくなるのが良くない」
昔を懐かしむ俺の言葉に肯定の意を示すのは、背後にて佇む大賢者だった。
薄緑色の髪をかきあげ、やれやれといった様子で首を振ると。
「こんなにも麗しく可愛らしい女性がいるというのに、竜人の目にはキンジしか映っていないんだから」
片目を開き、甘いマスクを玲瓏に映し出す。
そういえば、大賢者もかなりの女好きだった。
出会い別れがサバサバしており、禍根が残ったりせず、あっさりとしていたため失念していたが、そう言えば冒険道中何度か大賢者は村娘のことを口説いていたな。
「あら、そうですか? お褒めに預かり光栄ですわ」
「ふふふ、麗しいか、そうであろう」
各々そういった反応を見せ、二人は俺のもとへと擦り寄ってくる。
左腕にリリウスがタコのように絡みつき、フェリアは右腕にそっと手を添える。
肉体的接触はリリウスの方が過激だが、接触度合いと想いの感情は比例するわけではない。
二人とも、俺の大切な守るべき相手、だからな。
大賢者はそんな様子を見て「ほほぅ……」などと漏らし、顎を撫でていたが。
何故かいるオークのおじさんを除いたその他――巨人、ドワーフ、魔法使いの三人は、愕然と目を見開き、俺のことを凝視していた。
そして――、
「キ、キンジ……キンジだけは、俺の仲間だと思っていたのに!」
「幻滅だ!」
「裏切り者!」
嫉妬に塗れた罵倒を吐かれ、何とも言えぬ優越感と達成感を得た。
そういえばこいつらとは、毎晩テントの中で女色のしない青春物語を話し合っては慰めあう仲間たちだった。
それがまあ、ちょっとばかし目を放した隙にこんな可愛くて色っぽい女の子を連れているとは――しかも二人だし、あれ、ちょっとお二人さん、何かスキンシップが少し過ぎませんこと?
リリウスの膨らみが押し付けられ、フェリアの繊細な指遣いが二の腕を走る。
うむ、まさに天国だな。時が加速しそうだ。
とりあえず頭を抱えて髪を掻き毟る三人を尻目に、俺は二人に絡みつかれたままの状態で、唯一一片も表情を変えぬ竜人へと向き直る。
ちと聞いておきたいことがあるのだ。
「そういえばさっき、フェリアが放った熱弾を相殺したって言ってたが――さっきから雷撃魔術を撃ち込んできていたのは、お前たちなのか?」
「ああ、そうだ。極小猪と類似した魔物がいたのでな、成長して人民を襲うようになっては困るため、追っていたのだ。仕留めたと思って安堵していたら、突如妙な咆哮が響いて、しかも炎魔術が撃ち込まれただろ? これはもしや、さっきの魔物の親か何かが出現したのではないかと、必死で応戦したのだが――」
竜人はチラとフェリアに顔を向け、何かを察したような顔を見せ、
「そんなに心配しなくてよい。俺の剣には“堅牢の加護”が施されているから、どれほど強い熱や堅い岩と衝突しようと、絶対にその形状を変えることは無い」
安堵したような溜息が聞こえた。
どうやらフェリアは、俺がこの竜人と知り合いだと知って、自身が放った魔法による被害が無いか、心配していたらしい。
本当に、慎ましくて可愛らしい子だなあ。ますます惚れ直しちゃう。
それにしても、懐かしい名前を聞いた。
極小猪か、そういえば元の世界にはそんな魔物がいたような気がする。
愛らしい矮躯を丸め、弾丸のように突進してくる。そのうえある程度成長すると二本の鋭利な牙が生え、より危険度の増す魔物だ。
確かにそれを普段から目にしているならば、あのウリ坊をあそこまで執拗に殺そうとすることに、何ら疑問は湧かない。
しかしそうなると、悪いことをしてしまった。
魔物を倒すために必死に戦っていたかつての仲間たちに、あんな猛攻を与えてしまうとは。
「しかし、やったなキンジ。俺たちの世界に来たとき、お前はずっとパーティに女子がいないことに文句を言っていたもんな」
「ちょっ、竜人!」
ハッハッハと笑い、煙のような鼻息をフゥと漏らす。
絡められた腕がさらに強く締まり、リリウスとフェリア共々心拍が速まった。
何故分かるかって?
言うまでもなく、二人の胸が俺の腕に押し付けられているからであって。
「ご主人様ったら、もう」
「良かったな、夢が叶って」
普段より甘えん坊な二人に、そんなことを耳元で囁かれた。
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「――それで、何でお前たちはここにいるんだ?」
笑い合い、数々の思い出話を済ませ、大分空気が温まってきたところで、やっと俺はさっきから募らせていた疑問を口にすることができた。
フェリアが発動した魔法陣の写しを、オークのおじさんが持っていたことは知っている。
だがそれで何故今更、しかも勇者パーティ総員で参ったのか。
誰かが欠けていたり、もしくは誰か一人がこの場に現れたのであれば、考えたくはないことだが何か仲間たちに問題が生じ、俺を呼んだのだろうと思うのだが。
そういったわけではなさそうだ。
オークのおじさん含める六人は顔を見合わせると、大賢者が一歩前に出て、腕を頷組んでいてみせた。
「実は、この世界から発動された魔法陣なのだが、どの世界の転移魔術と似ても似つかなくてな。今になるまで、どこの世界のものなのか解析できなかったのだ。勿論、お前が旅立った直後に解析できていれば、すぐに俺たちはお前のことを追っただろう。――まったく、俺らがどれだけ心配したと思っているんだ。どこに繋がっているかも分からない魔法陣に乗るなど、バカなのか利口なのか、よく分からん」
薄緑色に踊る髪をかきあげ、大賢者は俺を見据える。
だがその表情に怒気や軽蔑の色は見えず。
「会えて良かった。……無事で、本当に良かった」
「大賢者……」
感動の再開を繰り返し、また男らしく抱擁――といきたかったのだが、あいにく今の俺は両腕が塞がっている。
まとめて抱きしめてもらってもいいが、一見優男な雰囲気を醸し出す大賢者に、二人の温もりを与えたくない。
まあ言ってみればあれだ。情けない嫉妬ってやつ。
腕を広げてみせた大賢者に、えへっと笑って応えを返す。
大賢者はそれを見て察してくれたようで、広げた腕を戻してみせる。
「本当に、キンジはその二人のことを愛しているんだな」
「はい、ご主人様はわたしのことをすっごく愛してくれています」
「キンジは私のことも、同じだけ想ってくれている」
双方から信頼されるように言われ、思わず頬が赤くなる。
ああもう、せっかく友人たちと再会できたっていうのに、早く二人を抱きしめたくなってきた。もちろん寝室で。
「しかし……、だとすると、俺たちが来たことは無意味――無駄足になってしまったかもしれないな」
髪をかきあげ、肩をすくめて微笑。
後方にて約三名が地面を殴ったり頭を掻き毟ったりしているが、それは置いておいて。
そういえば『ここまで来た意味』をちゃんと聞いていなかった、ということに今更ながら気が付く。
大賢者は苦笑いとも半笑ともとれぬ、不出来な愛想笑いを見せると、オホンとわざとらしく咳払いをして見せ、
「キンジがこっちの世界で苦労をしているなら、元の世界へ連れ戻そうと思っていたんだ。王宮ではキンジも同じく褒美をいただき、由緒正しい位につくことは当然の権利だと主張している。ましてや次期王子――竜人の願いでもある。だから俺たちは、ここまでキンジを迎えに来たんだ」
その言葉に連なるように、巨人、ドワーフ、魔法使い、オーク、竜人が、大賢者の背後に立ち並ぶ。
さっきまで気にしていなかったがよく見ると、オークのおじさん以外は、皆身に着けている衣服が若干高級だ。
生地も厚く、色合いも多少位が高い者が身に着けるような風格がある。
初めて会ったときは、流しの冒険者といったみすぼらしい格好のものばかりだったのに。
五人を背後に携え、大賢者は俺を見据える。
凛とした態度で構え、髪を弄る手を止めた。
「別にキンジ、俺たちはお前を試したり、決断を迫ろうとしているわけではないのだ。キンジが元の世界――ニホンなる世界に帰りたいのであれば、王宮の転移魔術師を総動員させ、早急に座標軸を解析させてみせる。もし、俺たちの世界に戻って、安定した生活と仕事を望むのなら、それもまた問題ない。そして――もし、キンジがこの世界に留まりたいと言うのなら、俺たち個人の思いとしては残念だが、我々にその決断を否定する権利は無い」
「大賢者……」
「まあ、そう急がなくてもいい。キンジの社会的地位は、何十――何百年経っても変わらぬ、確かな功績からなったものだ。今ここでここに留まると決断し、数年後にでも安定した収入が必要になれば、それからこちらへ戻っても、俺たち――いや、世界中の人民がお前の帰還を心から喜ぶだろう」
大賢者は寂しそうに口端を緩め、艶やかに首を傾げた。
「だが、キンジの思いは、もう決まっているようだな」
「俺は……」
ふと気が付くと、両側から感じる体温や感触が生々しく身近に感じられた。
フェリアの肩を抱き寄せ、リリウスの腰を引き寄せていたらしい。
――無意識の、内に。
言葉にするのを恐れる俺の思いを、文字通り賢人である大賢者は察してくれた。
だが、ここで言葉にすることから逃げてはならない。
自分の口からそのことを言うことこそ、これから前に進むためには必要なのだ。
「――俺は、」
舌が乾き、喉元が砂漠になったように錯覚する。
言葉が続かない。落ち着け、落ち着くんだキンジ。決まっているじゃないか、これからの生活、これからの日常――俺だけじゃない、この世で一番大切な人と一緒に、幸せに暮らす未来。それこそが、俺が今求めるものではないのか。
ならば言う言葉は決まっている。
自身の怯えを叱咤し、深く息を吸い込む。
そして、怜悧な双眸を向ける大賢者の顔を見据え、
「俺はこの世界に残る。そして、フェリアとリリウス二人を一生幸せにしてみせ――いや、絶対にする!」
二人を抱き留め、フゥと息を吐く。
この世界に来た当初は、早く日本に帰りたかった。
異世界なんてもうこりごりだから、喩え三年以上のブランクを背負わなければならないとしても、俺は懐かしき故郷へ帰りたかった。
だけど今は、この世界にも守りたいものができた。
一緒にいたい、一緒にいるべき――一緒にいなければならない、二人の少女。
男としての自信も機能も失い、絶望に打ちひしがれていたときに、傍から見守って、色々と気遣ってくれたフェリア。
解決策を探し、自身の得にはならぬ行動に出て、必死に俺を助けようとしてくれたリリウス。
二人の存在はもう、俺には無くてはならないものなのだ。
だから――、
「もし、俺が二人を守ることができなくなったら、その時は」
「ああ、全力で助けよう。そのために、ここに来た」
思わず漏れた弱音を、大賢者は蔑視することなく心から受け止めてくれた。
髪と同じ薄緑色に煌めく瞳を、艶やかに細めてみせる。
ドワーフも、巨人も、魔法使いも、竜人も、オークのおじさんも。
そんな俺の言葉を聞き、頼もしく腕を組んで力強く頷いた。
本当に、俺は素晴らしい仲間を持ったと思う。
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「さて、キンジの意見も出たところで、本題に入ろうぜ」
苔が生したような緑色の巨躯を揺らしながら、巨人は腕を頭の裏で組んで竜人へと視線を流す。
次いでドワーフもチラリと瞳を泳がせ、紫紺のローブに身を包んだ魔法使いは、その痩せこけた頬をポリポリとかいた。
本題。本題とは何か。
俺に会いに来た理由は、まだ他にもあったというのか。
俺が首を傾げていると、真剣な表情をした竜人がカチコチに緊張した様子で歩み寄り、若干染まった頬をテレテレと掻いてみせた。
「ああ、そうだなキンジ。……実は、その、俺の口から直接言うのは恥ずかしいのだが、」
「姫君に懐妊の予兆が出た。解析魔術の結果、竜人と姫君との子で間違いないらしい」
「大賢者あぁぁぁぁぁ――――!!!」
言葉を濁して雰囲気を作ろうとしていた竜人の言葉をバッサリと遮り、大賢者が事の顛末をごく簡略的に説明してくれた。
薄緑色の髪をかきあげ、したり顔で瞑目。
竜人はそんな大賢者の姿を睨みつけ、顔を真っ赤にして何やら叫んでいる。
あれか、『僕たち結婚するんです』とかの大事な発表をする間際に、第三者が突如割り込んできて『こいつら結婚するんですよ~』とか言うようなものか。
しかし、竜人はこれから一児の父になるのか。
青春時代に心から打ち解けあった友人が子をもつなんて感慨を覚えるなど、もっと先のことだと思っていたが。
「おめでとう、竜人」
ここはまず祝辞を述べておこう。
実際めでたいことには違いない。
しかし、竜人と姫君の子供――、あれ、俺何か重大なことを忘れてこの世界に来ちゃったような気がしてきた。
何だったかと暫し思考。
すぐ戻るつもりでじーさんの家に戻る前――、確か大賢者と何かを話してて……あ。
「あれ? じゃあもしかして、けっ……けっこ」
「ああ、近いうち国民にも公布し、国をあげて盛大に結婚式を執り行う予定だ」
「一番良いところ全部もってかれた!」
照れ隠しのためか若干キャラ崩壊した竜人は、真っ赤になった顔を鱗で覆いながら鼻息を漏らす。
しかし、結婚か。
思い出したよ、確か元の世界では、子供の存在が明らかになってから式を行うんだったっけな。
異世界にて幾つも感じたカルチャーギャップの中でも、とくに衝撃だったものだ。
竜人は唖然とした様子で大賢者を見据えた後、ふるふると左右に首を振って気持ちを落ち着かせる。
「――と、言うわけで、俺はアリシア――姫君と婚姻の契約を結ぶこととなった。それで、その、何だ。もしよかったら、キンジもその式典に招待したいな、と思ってな」
一応は落ち着かせたようだが、さしもの竜人も真正面からそのようなことを言うのは照れ臭いのだろう。
緑色に艶めく鱗が赤くなっており、凛とした双眸も力なく泳いでいる。
何か新鮮だ、こういうの。
それはそうとして――あの姫君さん、アリシアっていうのか。
もし機会があれば、今度竜人をレトナお嬢様と会わせてみようかな。
どんな反応を見せるのか、ちょっと気になる。
まあ、それはおいておいて。
「勿論だ。親友の結婚式に出向かないなど、そんな失礼な真似はしない」
右手を差し出すと、竜人の手がガッシリと包み込む。
鱗に鑢がけされたような感覚を得たが、その辺は気にしない。
でもやっぱり、ちょっと痛いかも。
「しかし、いつまでもこんな森の中で話すことも無いだろう。とりあえずキンジ、迷惑でなければ、転移魔術でお前の住居まで送ろう」
しっかりと手を包み込みながら、竜人はそう言って俺の顔を見据える。
ほう、それは願ったりかなったりだ。
帰りの船がいつ手配されるかは知らないが、また行きと同じだけの日数波に揺られるなど言語道断、絶対に嫌だ。
それに身体がこんな元気な状態で、フェリアとリリウスと三人だけで密室に閉じこもっていたら、確実に俺の理性はもたないだろう。
身体がどうしようもない状況でも、夜中リリウスやフェリアの寝息を耳にしては、何とも言えぬ悶々とした時間を過ごしていたというのに。
とりあえず、そんなわけだから。
「それは大いに助かる。ついでにうちで休んでいくと良いよ、大したものも出せないけど」
言ってから、これから向かう先が自身の持家でないということを思い出して口を押える。
確かに俺はあの家の主人――キンジ・ニノミヤ・アリーデヴェルで通っているが、あの家の本当の持ち主は、他でもないフェリアだ。
俺はそんなメイドさんの家に住まわせてもらっている、ただの厄介者。
そうやって自分が置かれている立場を理解してから、先ほど言葉にした内容を反芻してみると――、
「俺、何て失礼なことを言ってんだ!」
「――? 別に何も失言をしていないぞ、それ以前にキンジと俺たちとの間に、遠慮や堅苦しい礼儀などいらないだろう?」
心の葛藤を知らぬ魔法使いは、転移魔方陣を描く大賢者のサポートをしながら、しれっとそんなことを言う。
違うんです。そうじゃないの。
俺が失礼なことを言った相手は、君たちじゃなくて、愛しい愛しい俺の大事なメイドさんでして。
そう言って流し目に後方を見やると、エプロンドレスに身を包む天使は影も形も存在していなかった。
いるのは、ほわーんとした表情で虚空を見つめるリリウスのみ。
聞かれなかったのは僥倖だったが、あれ? ならフェリアはどこにいるんだ?
刹那的に振り返り、辺りを見渡す――と、いた。
大賢者が無心に魔法陣を描くその傍で、興味津々といった様子でエプロンドレスがクルクルと回っている。
時折しゃがみ込んだり、顎に手を当てて「ふむ」とか言ってみたり。
ヤバい、凄く可愛いんだけど。
「あ、あの魔法使いさん。お忙しいところ申し訳ありませんが、もしよかったら転移魔法陣の描き方をご教示していただけませんか?」
「んへ? え、えええ、ええ、私などで良ければ、その、喜んで教え……ぅぁぅぁぅ」
紫紺の帽子を深く被り、顔を逸らしてゴニョゴニョと声を漏らす。
レトナお嬢様がおしとやかかつ美麗な方で、瓜二つな容姿をした元の世界の姫君様が、世界中の人々を虜にする。
元の世界もこの世界も――はたまた俺がいた世界でも、人々がもつ美的感覚などに大した違いは無いわけで、この世界でアイドル的な人気があるフェリアの美貌は、可愛いや綺麗などといったありふれた言葉では到底計り知れない。
ついでに言うと、魔法使いは魔王討伐の冒険当時の俺と同じく女性経験は皆無。
こうして顔を合わせて会話するのも、何年ぶりかの快挙なのだろう。
魔法使いはその病人のように痩せこけた頬を桜色に染め、ついでにその細い目で俺のことをジロリと見た。
だがすぐにその表情を和らげ、フェリアやリリウスには通じぬ、元の世界の言葉を使って、
『キンジの彼女、すっごく可愛いな!』
サムズアップしながら、そう言った。
勿論俺は心の狭い人間ではないし、友人に想い人を褒められるのは嬉しいのだが。
「え、何? 今この人、何て言ったの?」
当の本人であるフェリアは、魔法使いの前でオロオロとし始めた。
前にフェリアやリリウスの言葉が分からなかったらどうなるんだろう――などと考えたことがあったが、これは想像以上に恐ろしいものだということが分かる。
さっきまで翻訳魔術を使用して同じように話していた相手が、同じ世界の別言語とも異なる、全く関連性のない言語で話す。
信頼していた心を裏切られたような、一種の恐怖に近い感覚。
――結果的には、凄くくだらない内容だったのだが。
チラと魔法使いを見やる。
さりげなさを装いながらも、魔法使いの目線はフェリアの横顔に釘付けだ。
劣情や愛欲といった色は浮き出ていないが、完璧に――見とれている。
「ご、ご主人様。この方が突然妙な声で呻いてから、黙って動きません」
事情を知っている俺たち魔王討伐組は、現在進行形でフェリアの美貌に見惚れる魔法使いに生温かい視線を送るしかないのだが。
フェリアはこの状況を理解できず、困惑するしかないのだろう。
困ってるフェリアも可愛いが、彼女は自分のように他人のことを心配してしまうからな。
ここは俺が種明かしをしなければ。
許せ、魔法使い。そういった御託をフェリアは聞きなれているから、今更変な目で見たりはしないさ。
「そこのローブの人は、フェリアのこと可愛いって言ったんだよ」
「そうなんですか?」
「えっと――あー、そのですね」
顔を背け、帽子の陰へと必死に目元を隠匿する。
そこを覗き込むように、フェリアは純粋無垢な表情で追いかける。
「はい、いいました」
「本当ですか。……えへへ、ご主人様のご友人の方にまで、可愛いって言ってもらえました」
頬を染め、可愛らしくはにかみ笑い。
魔法使いは言うまでもなく、ドワーフと巨人も刹那的にその笑顔に見とれ、辺りに漂う空気が一瞬だけほんわかする。
この笑顔を今夜も独り占めできると思うと――ヤバい、さっきしたばかりなのにもう元気いっぱいだ。
ズボンの裾を引っ張り、とりあえず応急処置。
六人が帰ったら、今晩はもう目一杯二人を可愛がってあげよう。
「キンジ、」
めくるめく男の子事情で昂ぶった気持ちを抑えていると、不意に艶めかしい感触を帯びた二の腕がタコのように絡みついた。
褐色肌、軽く汗を弾いた皮膚、筋肉質な腕。リリウスのものだ。
「今晩帰ったら、またさっきの、してくれるか?」
吐息の混ざった声を、耳元でそっと呟かれた。
想像以上の破壊力に動けなくなった俺は、首の上下運動だけで肯定の意思を示す。
「も、もちろん」
「本当か? ――ん、キンジのこと、大好きだ」
背後から抱き付かれ、色々な意味で直立不動を余儀なくさせる。
滑らかな指先が胸の辺りを撫で廻し、背筋から骨髄にかけてをゾクリとした感覚に襲われる。
ああ、これはもう寝室に直行かな。
数か月ぶりに再会した皆様方には悪いけど、自宅まで送り届けてもらったら、今日は一旦帰ってもらおう。
思い出話とか冒険譚とかに花を咲かせるのは、また後日ということで。
「キンジ、完成したぞ」
リリウスの愛情表現を受けながら待ち時間を楽しんでいる間に、大賢者は魔法陣を描き終えたらしい。
大体の位置をフェリアから聞き描いたため、家の目の前に出るとは限らないから注意してくれと言われたが。
この魔法陣を描いたのは、他でもない大賢者だ。
突拍子も無い場所に出ることはないと、心から信頼できる。
「ご主人様、リリウス。早くー」
淡いライトグリーンの輝きが儚げに彩られ、魔力の放出を視覚的に感じる。
そういえば転移魔法陣に乗るのも久しぶりだな、などと思いつつ、俺はリリウスの手をとって、広く描かれた魔法陣へと彼女をエスコートする。
右手でリリウスの肩を抱き寄せ、左腕にはフェリアから寄り添ってくる。
え、左手は何してるかって?
左手には、ギルド提出用――ウィッチがこの場にいたという証拠品。というか、黒揚羽を象った妙に布地の少ない下着だ。
なんかまだ温かいから、何となく握ってる。
「では、出発するぞ」
大賢者の言葉が終わるか否か、視界をライトグリーンの輝きが飲み込み、何とも言えぬ浮遊感を帯びながら、俺たちは空間を転移した。
---
「本当に、良かったの?」
結果だけ先に伝達しておくと、大賢者の発動した転移魔方陣は、自宅の庭先――よく俺が素振りをしていた辺りに出現した。
見慣れた景色、懐かしい匂い。
何とも言えぬ安堵感を覚え、俺は脱力してその場に膝から崩れ落ちた。
疲れた。すっごく疲れた。
今日一日、密度の高い――濃度の高い一日を過ごした。
もう、何をしたのか正直全てを思い出すことができないくらいに。
帰宅して脱力した俺を見て、竜人たちは俺の疲労度を察してくれたらしい。
それ以上何かを求めることはなく、竜人の結婚式の日程が決まったら、招待状をもってまた来ると言い、彼らは同じように魔法陣を描いてこの世界から消失した。
こちらから向かうことができないと色々と不便なため、幼子でも失敗無く描くことの出来るという魔法アイテム――魔法陣紙を数枚フェリアへと預けてくれた。
まあ言ってみれば、カーボン紙に近いもので、上からなぞれば凝縮された魔力が地面に染み込み、行き帰りの魔法陣を発動させるという便利アイテムだ。
フェリアが完璧に転移魔方陣を覚えるまでは、それを使用するということで大賢者と約束したらしい。
話しかけられただけでドギマギする魔法使いと違って、本当に女性慣れした人だ。
フェリアと初対面であんなに滑舌よく話せるなど、割と人見知りの激しい俺としては見習いたい。
それはともかく。
まあそんなわけで、今この家には、俺とフェリア、リリウスの三人しかいない。
ザフィラスさんやリィンが警備に当たっていると聞いていたので、もしかしたら鉢合わせするかとも思ったのだが。
フェリアが全部屋を回ったところ、何者かが侵入した形跡はないとのことだ。
だが庭先にメイドものの靴跡や執事服専用の糸くずが落ちていたらしいので、近隣を警護してくれていたというのは、確実らしい。
それならば、お礼としてセントヘレナでお土産かなにか買っておけばよかったな。
さてと、家には俺と、俺を愛する二人の女性しかいない。
色々あったせいか、お日様も沈んでおり、辺りは薄暗い。
三人とも疲弊しており、早く温かい布団の中で丸くなりたい。
でも三人とも、ワケあって静かに熟睡――なんてことはできない。
この状況で行うこととは、一つしかありえない。
故に、俺は他のことを考えず、リリウス片手に夢の世界へと飛び込もうとしていた。
だが、
「本当に、良かったの?」
フェリアはもう一度そのようなことを言うと、廊下の端に佇みながら、玄関に座り込む俺に、感傷の込められた視線を送った。
「キンジくん、ずっとずぅっと、家族に会いたいって言ってたのに」
「フェリア、」
確かに言った。それは事実だ。
だがそれを言ったのは、ここに来て間もない頃のことだ。
まだフェリアと出会って、数日も経っていない頃のこと。
「一緒に冒険した大切なお友達とも再会して、しかも、みんなキンジくんのことを何よりも大切に思ってくれていて。それに、お仕事とかも、ちゃんとあるみたいだし」
「…………」
言葉が、出ない。
「本当に、本当に……。わたしなんかで、良いの?」
「フェリア」
気が付けば、俺はフェリアを抱きしめていた。
いつの間に立ち上がり、いつの間にフェリアの傍まで歩いたのか。
ただ無意識の内に、俺はフェリアのもとへと歩み寄っていた。
胸の中に感じる、温かい感覚。
体温だけではない。涙、鼓動、全ての感覚が、フェリアがここにいるという事実を俺に与えてくれる。
「ここが、良いんだ」
一息つき、フェリアの身体を放し、肩に手を置く。
「フェリアとリリウスのいるこの世界。――この世界に、俺はいたいんだ。家族にも会いたい、共に戦った仲間たちとも会いたい、かもしれない。でも――、俺は、それ以上に、フェリアとリリウスと一緒にいたいんだ」
刹那、背後からキュッと抱きしめられた。
褐色な腕が絡みつき、背中に柔らかい鼓動が押し付けられる。
甘い吐息を身近に感じ、ふと、身体の力を抜いた。
「リリ、ウス」
「私のことは心配するな。キンジがフェリアを抱きしめるなら、私がキンジを抱きしめて、離さない。だからフェリアも、キンジが私を抱きしめたら、絶対にキンジを離すな」
「……リリウスぅ」
前方から、フェリアの抱擁。
リリウスと抱き合うような感覚だったようだが、あいにく俺の体躯はリリウスの全面に押し付けられている。
故に、今現在俺はフェリアとリリウスの体躯によってサンドイッチされており――、
「ありがとう、キンジくん」
「キンジ、もう、離さないぞ」
二人の声をゼロ距離で聞き取り、俺は両腕をいっぱいに使い、二人を抱きしめた。
「キンジくん、」
「キンジ、」
二人の声音が重なり合って奏でられ、心地よい協奏曲が耳朶を叩く。
春風のように穏やかで、優しい雰囲気に包まれて。
守ると決めたその笑顔とともに、愛する二人の想いが重なった。
「私たちは今、世界一幸せです」




