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元勇者のご主人様  作者: 山科碧葵
第三章
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第十八話 火炎と、雷撃と、土壁と

「ふふっ……、へへっ……。あははははははははは!」


 とてつもない解放感、なんという解放感であろうか。

 鉛のようにずっしりと詰められた欲望の塊が取り除かれ、胸中にモヤモヤと澱み、溜まり続けていた様々な感情は一斉に吹き飛んだ。


 長寿吸血鬼の言葉を借りるならば、「最高にハイ!」ってやつだ。

 気怠さ、眠気、慢性的な疲労感。心を埋め尽くしていたストレスも、この世への嫌悪も、自身に感じていた不甲斐なさも。

 全ての悪感情が、その瞬間体内から全て奔流のように洗い流された。


 心の中を洗浄したような気分になり、俺は恥ずかしいほどに頬を緩める。


 透明感。清々しいほどの透明感だ。

 渦巻き、沈殿し、心の最下層を穢していた数多の負感情。

 愛する気持ちを態度に示すことができない。己の欲求を発散することができない。蓄積される様々な感情を洗い流すことができない。


 生物がもつ三大欲求の一つに鍵をかけられ、凍結される。

 フェリアの容姿、香り、触覚――全ての感覚が虚偽の感覚へと変貌する。

 自分の感覚とは思えない、むしろそれが恐ろしい感情のように思えてくる。


 ――それらが解消されたのだ。多少ハイになっていても、おかしくないだろう。


「ふはぁ……。満足」


 事を済ませたそのままの格好で、俺は大地に尻もちを着く。

 目の前に横たわるは、心地良さそうに寝そべるメイドと、口端から涎を垂らしながら気を失うイヌミミ獣人だ。

 薄く開かれた唇から、儚げに甘い吐息が漏れ出す。

 二人をこのような姿にしたのが自分だと認識するたび、俺は言葉にし難いほどの優越感を感じるのだ。


 無理やりではない、という事実が、さらに俺の興奮を加速させていた。

 久しぶりに愛を語らいあったフェリアはもちろん、期待と怯えを混濁させながらカワユイ悲鳴をあげるリリウスは、普段の印象と真逆の対応をしており、その初めてな感覚がいっそう魅力的に感じたのだ。

 いかにも慣れてそうな褐色お姉さんがあれだもんな。思い出すだけでヤバい。


 息を弾ませ、横たわっていたフェリアがその身を起こし、ゆっくりと顔を俺に向けた。

 とろんとした瞳の端に雫が浮かび、兎にも角にも扇情的だ。

 着崩れたエプロンドレスを直して立ち上がると、若干おぼつかない足をふらつかせ、ぽわーんとした表情を見せる。


「ふはぁ……。ご主人様、すごく、よかったです」


 喜んでもらえて光栄だぜ、フェリア。

 こうなる前は、いつもいつもいーつもフェリアに適うことは無く、毎回のように蹂躙され、清楚なメイドさんによるりょーじょく展開に連れ込まれていたが。

 一度くらい、逆の立場になってみたかったし。

 今回になってやっと、その願いが叶った。ひゃっほう。


「んんん、あれが……あれが男の子との時間。私がずっと願い、望み、目指した幸福とは、これだったのか……」


 どこかの神父のようなことを漏らし、リリウスは虚ろな双眸を天へと向けた。

 虚ろと言ったが、別に絶望したり悲壮を感じている時に映すそれでは無い。

 フェリアと違って物理的なそれに慣れていないリリウスは、疲れてしまったのだろう。

 普段は妖艶な色香で迫ってくる褐色お姉さんが、こんな息絶え絶えになってしまうとは。


「我が人生に、一片の悔いなし」

「まってくださいご主人様。確かに素晴らしいお時間をいただきましたが、そんな、悔いが無いなんて」


 腕を振り上げ高らかにそう言うと、フェリアに心配そうな表情で顔を覗き込まれた。

 大丈夫、別に本当に悔いなしとは思ってないから。


 今の俺は欲に塗れている。

 別に性的なそれだけじではなく、もっと視野の広い考えでだ。

 この依頼をクリアすれば、かなり多くの報酬を戴くことができる。

 証拠品は――何故か握り締めてたこの下着で事足りるだろう。

 リリウスみたいな犬系の獣人ギルドナイトもいるはずだから、そういった方に匂いを嗅いでもらえば、すぐにこれがウィッチのものだと分かってもらえるだろうしな。


 そして、生活資金を貯めれば、あとはもう一つしかない。

 フェリアを娶って、幸せな新婚生活を慎ましく暮らすというのも良い。

 それに今回の一件で確信したが、リリウスも結構――俺との相性は良いらしい。

 これは別にいやらしい意味とかそういうのではなく、気が合うかもしれないってことだ。


 凛としたお姉さん気質だと思っていたが、意外と甘えん坊さんだったし。

 フェリアとの仲も良いし、いっそのこと二人とも俺のものにしちゃおうかな――なんて不埒な考えまでが浮かんでくる。


 ようするに、俺は今心から安心しているのだ。

 心の拠りどころを取り戻し、愛を確かめ合って。

 それに――リリウスも、彼女自身が言うほど抱き心地は悪くなかったし。


「さて、と」


 股座を全開にしてドッカリと座っていた俺はスッと立ち上がり、傍に落ちていたズボンと下着を身に着ける。

 外でするっていう夢も叶えたし、もうここに長居する必要は無いな。

 また船に乗らなければならないというのはちと面倒だが、仕方あるまい。

 帰りは、フェリアとリリウス二人に精一杯甘えちゃおっかな。



 穏やかな気候。清々しい空気。

 日光を受けて輝く新緑に包まれながら、俺はフェリアとリリウスを抱き寄せた。

 一つ屋根の下に三人で暮らす――そんな未来を思い描き、思わず顔が綻ぶ。


 ――さて、ギルドに戻って新しい船を出してもらいに行きますか!


 と、二つの温もりを感じながら、回れ右をしたところで――、



 突如、ボロボロに傷ついた魔物が姿を現した。



 ---



 思わず二人を抱きしめ、咄嗟に後方へと飛び退いた。


 目の前に出現した魔物――そいつ自体は、それほどの脅威では無さそうである。

 ウリ坊のように愛らしい見た目をしており、毛並みもしなやかだ。

 つぶらな瞳をクリクリと揺らし、ヨタヨタと、生まれたてのポニーのように不安定な足取りで、大地を踏みしめる。


 前足の皮は無残にも剥がされ、痛々しい血肉がじんわりと外気に晒されている。

 さらに片足を骨折しているのか、右側の前足を引きずり、地面に擦りつけている。

 それが原因でさらに骨や肉が摩耗され、橙色の血が滲む。


 特徴的な鼻をクンクンと揺らし、顔を上げて俺たちを見つめた。

 助けを求めるような表情――そんな印象を俺に抱かせる。


 ――だが、こいつはどうなのだろうか。


 疑心暗鬼が走り、二人を抱きしめる力を強くする。

 この森に入って最初に出会った魔物――確かあれは、ネコのように可愛らしい魔物だった。

 だがあの魔物は、放置しておくと獰猛な獅子へと変貌し、咆哮をかましながら牙を剥く。

 そんな魔物だった。


 こいつも、そうなのだろうか。


 だとすれば、倒さなければならない。だがもし、何か別の魔物に襲われこのような状態になっており、この魔物自体は危険な部類でないのなら。

 助けたい。可愛らしい魔物だから助けると言うと、魔物差別をしているようにも感じるが。


 できない、できないのだ。

 こんなボロボロになりながら、無抵抗で俺たちの顔を見つめる。

 そんな魔物を、この手で殺害するなど。


「ご主人様、ちょっと苦しいです」

「キ、キンジ……! お前、私の太ももに何を当ててるのだ!」


 フェリアを抱きしめる力を緩め、リリウスにはもっと強く押し付けてみる。

 リリウスは「ああぁぉぉぉ……」などと声を漏らし、ビクビクとイヌミミを立ててみせた。

 まあいい。


「ご主人様、あれは魔物です」

「分かってる」

「ですが、さほど危険な部類ではありません。成長しても、人を襲うような魔物になることはありません」


 フェリアの言葉を聞き、俺は安堵する。

 良かった。それならこの魔物を治癒させて、森へ放してあげることも可能なのか。


「怪我がひどいようです。治癒魔法をかけないと危険です、ご主人様」

「ありがとう、フェリア。頼んだ」


 フェリアはにへりと微笑み、スカートの端をはたいてからそっと足を進めた。

 ウリ坊は怯えたように体躯をピクンと震わせ、警戒のポーズをとってみせる。

 フェリアはそれに合わせてゆっくり、ゆっくりと、ウリ坊のような魔物へと近づいていく。


「大丈夫だよー、怖くないよ。お姉さんが身体の怪我、治してあげるから、おいで?」


 両腕を広げ、無防備を装う。

 装うと言っても、実際フェリアは攻撃の意思を示していない。

 速すぎず、それでいて遅すぎずウリ坊へと近寄り、そっとその頭に手を伸ばした。


「ぶるぅ……」

「よしよし、おいで」


 屈み込み、広げられた腕の辺りをクンクンと嗅ぎ、ウリ坊はクリクリした瞳を煌めかせる。

 安心したように鼻を動かし、フェリアの胸へ飛び込もうとしたその刹那。


「――――!」

「――ぶ、ひゃう!」


 鋭い風が駆け抜け、閃光のように真っ白な矢が虚空に矢閃を貫いた。

 フェリアの髪を掠めるように走り抜けたその刺は速度を緩めることなく、無慈悲にも、到達地点に存在した生物の生命を奪い取った。


 血飛沫が飛び、断末魔が弾け、肉塊が炸裂する。

 薄茶色の体表が引き裂かれ、愛らしい顔面は無残にも粉微塵と化す。

 生命を陵辱された魔物はそのまま吹っ飛び、全身を地面に打ち付けながら転がり、間もなく息絶えた。


「え、ちょっと。何!?」


 フェリアは動揺しきった様子で振り返り、血糊の染みた顔を俺に向ける。

 悲壮や喪失の表情は見せないが、想像だにしない出来事のため愕然としている。


 フェリアの視線を感じながら、俺は後方へと顔を向ける。


 何かが放たれた。

 生命を奪うためだけに、鍛え上げられた何か。速度も威力も申し分ない攻撃、一瞬しか見ていないので完全に言い切ることはできないが、この攻撃は――、


「雷撃系統の魔法、か」

「多分そうだろう。しかし、だとすると撃ち込んだのは誰だ?」


 腰に差した剣を引き抜き、リリウスは臨戦態勢を整える。

 頬を拭ったフェリアも立ち上がり、凛とした表情をその端正な顔へ浮かべさせた。


「もしかして、俺かフェリアを狙ったのかも」


 その可能性は十分ありうるだろう。

 フェリアはフェリアで、この世界の住人であれば誰でも知ってる元勇者。

 彼女に向けられる目線のほとんどは羨望や憧れのそれであるが、中には勿論、有名になった彼女を妬むものもいる。

 人々から崇められることと、妬みや恨みの意思を向けられることとは、どう足掻いても比例する。


 次いで俺だが、俺は別に誰かの恨みを買うような真似をした覚えは無い。

 だが逆恨みであれば、一つだけ思い当たる節がある。

 責任転嫁しているようで嫌なのだが、きっと――フェリアに関することだろう。


 可愛くて、強くて、笑顔はあどけなくて、誰に対しても優しく清楚に接する元勇者。

 アイドル的な人気もあり、近隣のギルドナイトの中にも、フェリアを想い、焦がれる者がいた。


 前にも同じようなことを考えたことがあったが、それを――憧れの対象であった偶像崇拝先を、どこの馬の骨かも解らぬ異世界人に掠め取られた。

 それだけで恨みや妬みの対象になることに、何ら疑念は湧かないだろう。


 行き過ぎた愛情は己の身を滅ぼすが、それにも増して増長した想いは、他者をも巻き込み、広範囲に亘って被害を及ぼす。

 間違ってもそんなことフェリアに言うことはできないが、もし先ほどの攻撃が俺を狙ったものだったとしたら、多分――犯人はフェリアに対して|強い愛欲的な感情を抱いているヤンデレだろう。


「ご主人様、アレを」


 小さな手を差し出し、フェリアは右手に魔力を貯めていく。

 アレ? アレって言うとこれくらいしか――は、さっきやったからいいとして。


「これか」


 内ポケットに差し込んでいた、フェリアから預かっていたもう一つの魔道具。

 見た目は先ほど使ったステッキと類似しているが、使用用途は全く違う。

 こちらはボタンなどもついておらず、何かを捕縛するために使用するものなどではない。

 これの使用用途は、身を守る手段の乏しい時に魔物を怯えさせるためか、もしくは――、


「リリウス、ご主人様。耳を塞いでてください!」


 俺の手から木刀を引ったくると、フェリアはそれを躊躇いなく振り上げた。

 俺とリリウスが耳を塞ぎ、それをフェリアが確認した刹那。

 天へと向けられた木刀が虚空を一刀両断し、それと同時に、凄まじい音響が込められた咆哮が轟いた。



 ---



 咆哮が駆け抜け、大気をかち割る。

 空間が揺動し、痛みともとれぬ奇妙な感覚が頭蓋を走った。

 空を駆ける鳥類系の魔物は目を回しながら撃ち落とされ、途端辺りからあらゆる気配が消失する。


 本能的な防衛本能を刺激する叫び、咆哮。

 膨大な音を込めた人工的な轟音は、森に生息するあらゆる魔物へ危険信号を打ち鳴らす。

 一瞬だけありとあらゆる音が消失し、その刹那遥か前方にて「カサリ」と何かを踏みしめるような音が奏でられた。


爆炎球メガ・バーニング!」


 その微かな音を、フェリアは聞き漏らさない。

 フェリアの手から放たれた火炎球は、先ほどトラネコ魔物に放たれたそれとは比べ物にならないほどのサイズまで膨張し、遥か彼方に立ち塞がる樹木の間を森林すり抜け、暗闇へと吸い込まれていく。


 ――刹那、爆撃音。


 視界が橙色に染まり、全身の毛穴という毛穴からぶわっと汗が噴き出した。


 暑い、暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。


 前方を彩っていた樹木は見るも無残な消し炭と化し、燻ったような臭いが風にのって漂ってくる。

 思わず袖で鼻を覆い顔を背けたが、妙だ。


 この世界に来て最初に体験した戦闘。

 今回と同じように、フェリアが放った膨大な熱量にやられ、体温が上昇し、汗が噴き出した。

 そして、外気に混濁した血肉の焼ける臭い。

 生物――動物的な生物が焼却されるとき、言葉にし難いほどの強烈な悪臭が放出される。

 腐敗臭とも血臭とも取れぬ、まあはっきり言って出来るだけ嗅ぎたくない臭いだ。


 だが今回は、その臭いは漂ってこない。

 樹木が焼かれた臭いや、無機物が燻ったような煙の臭いはするのだが。

 こう吐き気を催すような、むせ返るような臭いは感じない。


 何かがおかしい。

 そして、それをフェリアに伝えようと身体を横に傾けたところで、


「――――!」


 リリウスの声にならない叫びが木霊し、俺の頬がパックリと裂けた。

 間一髪とは、このようなことを言うのだろう。

 もし今俺の気まぐれがなければ、俺をめがけて飛んできた()()によって、喉元を完全に抉られていただろう。


 辛うじて掠り傷だったようだが、それにしては、ビリビリと痺れるような痛みが若干強い気がする。

 だとすると、撃ち込まれたのはさっきと同じ雷撃魔法か。

 雷撃魔法を扱う者――なのであれば、土魔術で弾き、同じく雷撃魔術で応戦してみよう。

 確かフェリアも、雷撃魔法を使えたはずだ。


「フェリア!」

「かしこまりました、ご主人様。――雷撃矢エレクトリック!」


 青白い電光が空間に出現し、フェリアを囲うように蓄電する。

 バチバチと音を立てながら、少しずつ矢の形へと姿を変える。

 そして、


「――えいっ!」


 フェリアの手のひらが突き出され、同時に青白い電光が矢の姿となって降り注ぐ。

 横殴りの雨あられのように射出された無数の電撃は、真っ黒に焼け焦げた森林へと容赦なく吸い込まれた。


 着弾、そして凄まじい威力の閃光。

 その瞬間を視認してしまった俺は、思わず瞼を腕で覆う。

 しまった。視界が暗転する。


「大丈夫ですか、ご主人様!」

「ああ、なんとか」


 顔を上げ、俺も臨戦態勢に入る。

 指先に魔力を蓄積させ、肩幅に足を開いて力を込める。

 もしフェリアの連撃を受けてまだ無事なのであれば、確実に、確実に奴()は追撃を発動してくるはず。


 目を凝らし、前方を見据える。

 リリウスも俺の背後に陣取り、肩をしっかりと押さえてくれた。

 頼もしく、その気遣いが心憎い。――ったく、この世界で守るべきものが、増えちまったじゃないか。


 暫しの膠着状態。

 だが、その安息を発す時間もそう長くは続かない。

 眩い小さな点滅が、遥か彼方を刹那的に彩る。


 ――来た。


 フェリアが放った雷撃矢の数倍の数はあるであろう、青白い雷撃矢。

 それら全てが、俺たち三人の生命を奪おうと襲い掛かってくる。


「キンジ!」

「はああぁぁぁぁぁ――――!!!」


 指先に込めた魔力を放出し、堅牢な土壁を眼前に出現させる。


 魔術によって生成された外壁に、無数の雷撃矢が炸裂する。

 打ち付けられ、弾かれ、消滅する。

 どんなに鋭利な矢だとしても、所詮電気は電気だ。

 攻撃力は高いものの、横から叩けば苦労なく折れてしまうほど、雷撃矢は脆い。

 そしていくら攻撃に特化されていると言っても、鋭いだけであり、重さは無い。

 どれだけ小石を砥ぎ、尖らせたとしても。小石で岩壁を貫くことはできない。


 さらに、土壁は電気を通さない。

 中学卒業程度の理科知識しか無いため、どこか間違っている箇所があるかもしれないが、基本はそれで合っているはず。


「ご主人様、次いけます!」


 後方にて魔力を貯めていたフェリアの声が響き、俺は前方に設置していた土壁に与えた魔力を消し去った。

 サラサラと砂がこぼれるように土壁は消滅し、前方を彩っていた青白い光も存在しない。

 全弾、防御できたらしい。


「いきます、炎獄爆弾バーニング・ヘル!」


 先ほどより危なっかしい単語がフェリアの舌を滑り、手のひらからマグマのような色をした熱弾が射出された。


 フェリアは肩で息をして、その場にふらりと崩れ落ちる。

 あれだけ莫大な量の魔力を放出したのだから、仕方ない。

 フェリアに駆け寄り、俺は彼女の体躯を精一杯抱きしめた。

 繊細な中に艶やかな起伏が存在し、心地よい。


「フェリア、あとはゆっくり休んで。帰りは……そうだな、俺がフェリアをおぶってあげるから」

「ご主人様……」


 脱力し、甘えた声を出しながらギューッと抱きしめ返された。

 ああもう、可愛いなあ。


 この世のどのような生物でも、さっきのあれが直撃して生存することは不可能だろう。

 もしかすると、近づいただけで体内の水分が蒸発しきってしまったかもしれない。

 どっちにせよ、姿の見えない妙な敵は、片付いたと考えて問題ないだろう。


 勝利を確信し、伸びをしながら振り返る。

 さて、一応俺たちを殺そうとした奴らの、顔くらいは見ておこうかと――。


「……キン、ジ」


 唐突に開始()()()()()戦いは、まだ終わっていなかった。


 フェリアが放ったはずの熱弾は、確かにもう前方には存在していない。

 普通に考えて、何者かに激突し、その役目を終わらせたのだと思ったのだが。


「キンジ、さっきお前がフェリアの元へ参ったとき、私は、私は見てしまったのだ。……滑らかな剣閃が真一文字に振り抜かれて、フェリアが放った最高の魔法を消し去られるのを……」


 心底怯えたように瞠目し、ペタコンと大地に腰を落とす。

 剣術を極めた剣士であるリリウスが、これほどまでに畏怖の念を抱く剣術。

 この目で直接視認していないことが悔やまれるが、言葉だけでも、目の前に存在するのが危険な事象であることは十分理解できた。


「どうす、どうすりゃ……」


 逃げるか? 本音を言うならば、今すぐフェリアとリリウスを連れて全力で走って逃げたい。

 土魔術でいくつもいくつも泥濘んだ泥沼を生成して、なるべく樹木の多い獣道を駆ければ、逃げ切ることは可能かもしれない。


 もしくは、俺を犠牲にしてリリウスとフェリアだけは助けるか。

 どっちだ。奴が恨みの念を抱いているのは、俺か、フェリアか。もしくは、考えにくいがリリウスか。

 必死に思考を巡らせ、口端を舐めて湿らせる。

 分からない。ここまで執拗に生命を狙ってくるなど、そんな恨みを買った覚えは俺には無い。


 ギラリ、と刃の煌めきが光り、何者かの足音がこちらへと向かってくる。

 一人――いや、二人。いや、三、四、五――正確な人数は分からないが、五、六人はいる。


 体格差もかなりあるようで、樹木よりデカい巨躯を揺らす者から、その他大勢と比較してもものの半分程度しかない者まで、大きさはまちまちだ。

 遠いうえに逆光のため、性別や種族、顔などを確認することはできない。


 見えぬという現実が、さらに不安や恐怖の念を積もらせる。


「リリウス、一つ頼まれてくれないか?」


 背後に座り込む褐色剣士に声をかけ、俺は腰に差した剣を振り抜いた。

 畏怖の念に押し潰されかけていた彼女だったが、流石元勇者パーティの剣士。

 刹那的に凛々しい双眸で俺を見やると、剣を握り、力強くニッと笑ってみせる。


「ああ、愛するキンジの頼みなら何だって任されよう。生命を奪われるまで――最期まで戦えと言うのなら、共に戦う。キンジを護れと言うのなら、肉壁となり、この生命尽きるまで全身全霊を込めてキンジを護ってやる」


 剣士の表情を見せるリリウスは、その逞しい腕で俺の肩を抱き寄せた。

 表情こそ頼もしく、声音にも凛然とした態度が滲んでいたが。


「リリウス、無理するな」


 震えていた。

 押し付けられたリリウスの体躯は、恐怖のためか小刻みに痙攣していた。

 無理もない。今日は色々とありすぎたんだ。

 獅子と戦い、ウィッチと出会い、初体験も済ませ、そしてこの惨状だ。

 密度の高い一日――さしものリリウスも、心身にこの上ない疲労感を覚えているだろう。


 だが、頼もしいイヌミミ剣士さんは、


「無理などしていない。私はキンジといたい、キンジといることが、今の私にとって何よりも幸福なのだ」


 言い、臨戦態勢へと突入した。

 凄まじい殺気が全身から漂い、思わずその身を退けてしまいそうになる。

 俺もリリウスと肩を並べ、フェリアを護るような立ち位置で戦場に陣取った。


 やれやれ、リリウスにフェリアを抱えて逃げてもらおうと思ったのだが、あんな熱烈な告白されたら、そんなこと頼めないよ。


 告白、という言葉を復唱し、胸のあたりに熱いものが込み上げてくる。

 何があろうと、ここで死ぬわけにはいかない。

 二人を守る――喩えそれを乗り越えたとしても、肝心な俺がいなければ、二人は寂しい思いをしてしまうのではないか。


 能力も、仕事も、学力も個性も。何もかも人並みで、俺の代わりはどこにでもいた。

 俺が病気をしようが、怪我をして学校を休もうが、誰も困る人はいなかった。

 普通に生きていれば、それがこの世の常だろう。

 だが、向けられる愛に応えることができるのは、その想いを向けられた本人だけだ。

 恋は、その人間に生きる意味と、喜びと、存在価値を与えてくれる。


 生きる価値を見いだせず、明日への希望をもたぬ毎日。

 自身が誰かに恋をしても、決して埋められることの無い心の欠片ピース

 自分ではない誰かのために生きるという、人生で最高の喜び。

 その想いを誰かに向けられるまで、決して気づくことのない、自分がこの世に生まれてきた本当の意味。

 だから――、


 剣を握る拳に力を込める。

 震える――だがこれは恐怖のためではない。

 何の特徴もこれといった存在価値ももたなかったニノミヤ・キンジという人間が、この世に生を受けた本当の意味。

 それを、深く心に感じることができたのだ。


「ああああああぁぁぁぁ――――!!!」


 無我夢中で剣を握り、前のめりになって突進する。

 ザフィラスさんやリリウスから習った剣術を冒涜するかのように、帝石も基礎も踏まぬ、危うい足運び。

 剣を振る軌道も無駄が多く、傍から見てもその危なっかしさは理解できる。


「絶対に、絶対に死ぬわけにはいかないんだ!」


 腕が壊れる勢いで剣を振るい、疲弊のためか視界が朦朧としてくる。

 キンキンと刃同士が打ち付けられる音が木霊し、感覚的に俺が放つ斬撃を全て軽く受け流されているという事実を嫌でも認識させる。


 緑色の肌が、視界に映った。

 涙か、それとも疲労による疲れ目か。目の前に浮かぶ情景はぐらぐらと歪み、耳には汚らしい雑音しか入らない。

 その中で、誰かが俺の名を呼んでいるような錯覚を得た。

 ああフェリア、リリウス。やっぱ俺は、ここでおしまいかもしれないや。


 全霊を込めた剣捌きを華麗に流され、動きに統一性が無くなってくる。

 肉体を動かす電気信号が自身のものでないような感情に襲われ、まるで自分が誰かの手の上で踊る操り人形であるような錯覚を味わう。


「来るな、来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなぁ――――!!」

「キンジ、落ち着け」


 聞き覚えのある、鋭い声音。

 重く頼もしく、それでいて凛々しい――言ってみれば艶っぽいイケメンボイスだ。


 剣の背で肩を叩かれ、意思と反すように狂動していた俺の身体は、電池を抜いたおもちゃのようにピタリと止まった。


 震える足から力が抜け、口端から涎が垂れるのが分かる。

 そんな無残かつ情けない姿を晒しながら、俺は、眼前に立ち塞がる()の姿をしっかりと捉えた。


「やっと見つけたぞ。キンジ」


 黄色い双眸に、煙のような鼻息。

 全身を堅い鱗に包まれたその身を揺らし、座り込んだ俺と顔の位置が同等になるように足を曲げ、目と目が合う。


 その時感じた衝撃を、俺は一生忘れはしない。 


 懐かしい顔――俺の前に現れたそれは、元勇者竜人剣士、その人であった。

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