第三話 状況説明
現在俺がいる世界は、数年前に突如豹変した魔王によって、恐慌と混乱の渦に巻き込まれたらしい。
地盤沈下や地形破壊は日常茶飯事で、毎晩毎夜赤黒い血の雨が多々降り注いでおり、人々は苦痛の日々を送っていた。
そして、それではいけない、と立ち上がった戦士たちは魔王討伐の冒険へと出発し、見事魔王を撃退させ、平和な日常を取り戻したとか何とか。
ちなみにフェリアもその討伐隊に参加しており、先ほど見た通りの高い身体能力と魔法力を活かし、パーティ一の貢献を果たしたとか。
この格好のフェリアからそんな話を聞いたとして、普通なら『眉唾ものだ』と一蹴して、信じようとは思わないのだが。
先ほど魔獣を殲滅した際の魔法を見た限り、あながち嘘で塗り固められた偽りの空物語では無いのだろう。
ただ、地盤沈下やら地形破壊、赤黒い雨の辺りを話している間、フェリアは異様なほど興奮状態であったので、多分その辺は過剰装飾されているのだろうが。
身振り手振りはしゃぎながら、自身の武勇伝を語るフェリアは、実に幸福感溢れる表情をしていた。
他人の自慢話や痴話言以上につまらないものは無いと言うが、俺は他人の話を聞くことは得意であり慣れている。
それに、可愛い女の子が楽しそうに話しているとなれば、聞いている方も楽しい気分になってくるものなのだ。
「――それでね、わたしはこの世界を救った、強くて格好いい女勇者だったんだよ!」
えへん、と胸を張って自慢げな表情を見せる。
飼い主にフリスビーを取ってきた子犬のようにはしゃぐと、透き通るような瞳を片方閉じて、胡座をかいている俺の膝の上に乗っかってきた。
天使さえも嫉妬しそうなほどに愛らしい美貌に、暫しの間見とれていると。
フェリアは開いている方の瞳を動かし、頻りに何かを訴えてくる。
だが俺は、いわゆるアイコンタクト的な行動を読み取ることが苦手であり、フェリアが意図する思いを理解することができない。
暫くの間続けていたが、フェリアは通じないと判断したのか。
頬を淡い桜色に染めると、頭を俺に向けてか細い声で、
「……ご主人様に、頭を撫でて欲しいのです」
眼前に広がる鮮やかな闇色の髪。
シャンプーとか香水だとか、そう言った人工物的なものでは無い、女の子特有の甘美な香りが鼻先をくすぐる。
残念ながら、フェリアが身につけているメイド服の胸元はしっかりと閉じているので、視覚的な意味で劣情を催すことにはならなかったのだが。
「フェリアさんが、そういうのでしたら……」
「あの、ご主人様?」
丁度撫でようと手を伸ばしたところで、不意に顔を上げられたために、危うくフェリアの魅惑的な双眸に目潰しをかましてしまうところだった。
「えっと。何でしょう?」
「ご主人様が、わたしに敬語を使って話すのはおかしいです。それと、フェリアさんでは無く、フェリアと呼んでください。わたしはご主人様のメイドなのですから、」
「――ちょっと待って」
フェリアの言葉を遮り、片手を出して話を止めさせる。
さっきから疑問に感じていたのだが、フェリアは本当に俺の専属メイドなのか。
メイドって言うのは、普通ご主人様を探すものでは無く、ご主人様がメイドを探して雇うものだよな。
年齢的にも学生だから、就職とかの詳しい内状は知らないが。
会社を創立した人が、従業員を雇うわけで。
従業員の仕事をしたい人が、会社を設立したい人を探すわけでは無いだろう。
それともこの世界、こんな美麗な女性でも仕事が見つからないくらいの就職難なのだろうか。
それか、何かしらの原因があって、どこかの屋敷を追い出されたとか――。
「フェリアさんって、もしかしてドジっ娘?」
「ド……。ドジっ娘? わたしは、家事全般はもちろんのこと、ご主人様の身の回りの世話から、護衛まで可能ですが。……もしかして、ご主人様の元居た世界では、その『ドジッコ』なるお仕事もできなければ、メイドとして雇っていただけ無いのでしょうか……?」
フェリアはその端正な顔を悲しみに歪め、煌めいた瞳に涙を浮かべる。
ダメだ。どうも話が噛み合わない。
まず状況を整理しよう。
魔王討伐の旅から凱旋した俺は、日本へ帰る術を失った。
庭先に出現した魔法陣を踏んだら、この世界へ転送させられた。
魔獣に襲われたところを、フェリアと名乗る自称見習いメイドさんに助けられた。
しかも、俺をご主人様と呼んでいる状況で。
――順序建てて整理しても分からない場合、次はどうすれば良いのだ。
確定した事項から、徐々に突き詰めていけば良いのか。
とりあえず現在確定していることは、フェリアは強くて格好いい元勇者様って言うことか。
「フェリアさ――フェリアは、この世界を救った勇者様だったんだよね?」
「はい! そして、今はご主人様の専属メイドです」
最初から説明を求めようと思ったのに、また最終目標まで飛ばされた。
開始点と結果論だけ言われても、全然分からない。
仕方ない、逆に考えてみよう。
俺がフェリアのご主人様だということを事実だと仮定して、話を進めてみるのだ。
「フェリアが俺のメイドさんで、俺がフェリアのご主人様ってのは、誰が決めたことなの?」
「……わたしですけど、ご主人様は、わたしを雇うのは嫌ですか?」
胡座をかいたままの俺の顔へと、徐々にフェリアの顔が接近してくる。
甘美な吐息が頬に触れ、心配そうに見つめる双眸が視界に入った。
嗜虐心を煽るような目を向けられるが、あいにく俺には女の子を縛ったり叩いたりするような趣味は無い。
むしろそんな視線を向けられると、自分が悪くなくても、心が抉られるような感情に苛まれるので、少々苦手だ。
フェリアの甘い視線を感じ、俺は思わず目を逸らす。
別に疚しい心があるとか、他人の目を見て話せないというわけでは無く。
「目、逸らしましたね」
「こ、これは男の子が起こす通常の行動です」
がらにも無いことだが、単にちょっと照れているだけだ。
しかし、このまま膝の上で見つめ合っていても何も始まらない。
フェリアがメイドになった経緯だとか、俺を召喚した本当の理由など、訊きたいことは山ほどある。
それよりも、俺は本当にこの世界から帰ることができるのだろうか。
とか何とか難解な事象を思考していると、突如俺の腹から唸り声のような低い音が奏でられた。
姿を見たことは無いが、いわゆる腹の虫ってやつだな。
胃の中身が減少し、食物を欲したいという希望を身体の主に伝える働き者の虫だ。
幼少時に母親に教えられたその情報を、幼稚園で自慢げに知識披露したのも今では良い思い出だ。
「ご主人様、まずは私の家においで下さいませんか? お腹が空いたまま我慢していると、身体によくありません」
フェリアは威勢良く立ち上がると、花のように愛らしく微笑み、座り込んだ俺に優しく手を差し伸ばした。
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この世界では、メイドや執事という職業が一番多く求められているらしい。
幼少時から女性はメイドの勉強を、男性は執事に関する勉学に励み、それ相応の礼儀や主人を護るだけの武術を修練するのだとか。
フェリアは日本で言うところの女子高生的な立場であり、将来目指すものも大体決定し、メイドとしての道を歩むために自分のお金で学校に通っているらしい。
それだけの大金をどうしたのか、と聞いたところ、魔王討伐の際に国から莫大な量の報酬金が送られ、それで生活費を賄っているとか。
年齢は俺とほとんど変わらないのに、思ったより凄い生活をしているようだ。
丁度先日。フェリアが在籍する学校にて、実地授業があり、偉い貴族の御曹司やら王族直下の方々が参って、暫しの期間一緒に過ごすパートナーを決めるということがあったのだが。
フェリアは相手を決める大切な時間に、柔らかい日差しが差し込む教室で微睡んでおり、選ぶ順番が一番最後になってしまったらしい。
慌てて修練場に向かうと、そこには丸々と太ったカエルのような男や、ニタニタと汚らしく口端を歪める根暗野郎しかおらず。
その方々のパートナーは絶対に嫌だと断固拒否したフェリアは、その晩から自室に引きこもって召喚魔法を勉強し、別世界からご主人様を召喚することに決めたらしい。
彼女自身、ブッ飛んだ発想だとも後で思ったらしいが。
その時は本当に、そうするしか無いと思い、至って真剣に行動していたらしい。
召喚魔法や転移魔法が異常なほど成長しないこの世界では、自分の目指すべくご主人様を異世界から召喚するなど、正気の沙汰では無かったらしい。
闇色の髪を振り乱し、死に物狂いで召喚魔法の基礎を勉強したフェリアは、その狂人じみた行動に、他の見習いメイド仲間たちからも距離を置かれてしまった。
だが彼女は、皆に侮蔑や軽視されるような目で見られようと、屈しなかった。
それほどまでに、余っていたご主人様に仕えるのが嫌だったのか。
天才肌かつ努力家だった彼女は、数日間という短い期間で、簡易的な召喚魔法を発動させることを成功させた。
そこで、誰もいない平原で召喚魔法陣を発動させ、誰か来るまでお昼寝でもしていようと、岩陰で微睡んでいる間に俺が召喚されたらしい。
目が覚めたとき、発動させておいた召喚陣の効力が消失しており、高鳴る胸を押さえながら颯爽と登場したら、あったのは細い木の棒のみ。
慌てた彼女は、辺りに存在する生命反応を探知する“探知魔法”を使用して、遥か東方を歩んでいた俺と、ついでに無数の魔獣を発見して、正義のヒーローも驚愕の、まるで狙ったかのように最高のシチュエーションで現れたらしい。
「何ていうか、本当に出来すぎた話だな」
フェリアお手製の夕餉を口に入れながら、若干自慢話と化したここまでの苦労をじっくりと聞いていた。
ちなみに、彼女が作る御飯は鳥肌が立つほど美味い。
中に入っている食材は、日本で見たことの無い形状や色をしているが、味は完璧だ。
俺が満足げに舌つづみを打っていると、フェリアはうっとりとした双眸でその様子を見つめ、ネコのように愛らしく目を細める。
「まぁ……。私は天才ですからね。若くしてパーティの勇者を努め、しかもメイド学校での成績は上の上。魔法にも自信はあるので、ご主人様のために粉骨砕身頑張りますよ」
俺の翻訳魔法が正常に働いていないのか、フェリアの言葉遣いは若干砕けた敬語として認識されている。
実際同年代の少女に、ガチガチの堅苦しい言葉遣いをされても、付き合いにくいことこの上無いので、別に気にしてはいないのだが。
しかし――。
眼前に鎮座なさる女神のように愛くるしいメイドさんは、俺が咀嚼する様子を慈母のように柔らかな視線で見守っている。
凄く恥ずかしい、っていうか照れくさい。
ただでさえ、母親以外の人が作った料理を、作成者の目の前で食べるのは、些か勇気がいるものだ。
しかも今回は、同年代の少女で、しかも俺は彼女に恋をしている。
いわゆる一目惚れというやつか。
運命の出会いをしたとき、背中に電撃が走るような錯覚を味わうと聞いたことがあるが、まさにその通りだった。
平原からの帰り道も、気がつけばフェリアの横顔を凝視していたし、彼女のことを頭に思い浮かべると、思わず溜息が出る。
恋の病なんて、想像上の病気だと思っていたのだが。
実際に自分が罹ってみると、たった六文字で片付けられるような単純かつ簡素な状態では無いことを思い知った。
恐るべし恋の病。
家族に会いたくて、凄く日本に帰りたくて仕方がなかったのに、何かそんな感情は一瞬で吹き飛んだような気がする。
メイドを雇うのに幾らかかるかどうか知らないが、実地授業を行っている期間はフェリアと一緒に過ごすことができる。
だが、それが終わったらどうなるのだろうか。
頑張り屋さんなフェリアのことだ。
実地授業が終わり、俺に用が無くなれば、きっと帰還用の召喚陣を発動する、程度の後始末はしてくれるだろう。
元の世界か日本、取り敢えずどちらかにでも帰れれば、確かにそれは願ったり叶ったりではあるのだが。
フェリアと別れるのは、何となく寂しい。
胸の奥が締め付けられるというか、小さな針でチクチクと刺されていると言うか。
はぁ……。
「どうされました?」
俯いていた顔を上げると、目と鼻の先にフェリアの心配そうな顔が現れ、思わず俺は驚いて椅子から転げ落ちた。
「きゃぁ!」
「――痛、」
綺麗に磨かれた木製の床板に後頭部を打ち付け、目の端に涙が浮かぶ。
幸い意識を失ったり、視界が暗転するなどといったことにはならなかったが。
痛い。音が響くかのように、後から徐々に痛くなってくる。
血とか出てないよな。
太く堅牢な黒髪が鬱蒼と茂る後頭部に手を伸ばすと、その上から温かい手が聖母のように優しく俺の頭を包み込んだ。
小動物を愛でるように、優しく丁寧に直撃部分を撫でると。
天使が奏でる歌声のような愛らしい声音で、フェリアは吐息のように小さく呟いた。
「痛いの痛いの、飛んでけーっ!」
冗談かと思い、フェリアの顔を一瞬見やってみたが、彼女の顔は真剣だった。
あれか。いわゆる治癒魔術の詠唱。
前いた世界では“詠唱”という概念がそもそも存在していなかったから、そういうのがあることをすっかり忘れていたが。
日本の御伽噺とかファンタジックな空想世界では、魔法使う時に詠唱って、切っても切れないような関係だったような気がしてきた。
後頭部を襲っていた痛みも徐々に消え去り、暗雲が消失した蒼穹を眺めているかのように、スーっと心から楽になる。
フェリアの顔に一瞬視線を送ったが、とくに恥ずかしがっている様子は無い。
この世界では、ああ言った詠唱が主流なのか。
あるいは――。
やっぱり、後で翻訳魔術を調整しておこう。
フェリアの言葉遣いはそのままでも良いけど、毎回治癒魔術を使われる度にあんなこと言われたら、多分色々な意味でのニヤケが止まらなくなってしまう。
真剣なフェリアの行動を、そう言った意味で笑いたくないしな。