第十四話 四面楚歌
瞼を焼くような赤色に瞳を焦がされ、眠っていた意識が研ぎ澄まされる。
刹那俺の意識を襲ったのは、何者かにゆっくりと身体を揺動されるような感覚だった。
間接的に胃の中身を掻き回されるような不快感。次いで、光を認識した頭蓋を内側から締め付ける嫌な頭痛。
後頭部にも何かしらの堅い感覚を覚え、肩や腕は変な方向に向いており、若干の痛みを訴える。
金縛りにあったような錯覚を味わいながらも、頭痛からなる瞼の重さに抗い、外気に瞳を見せつける。
「――くぅ」
「あ、ご主人様。お目覚めですか?」
ひょこっと視界にフェリアの顔が覗き込み、えへへと可愛らしい微笑みで目覚めを祝福される。
眠気眼で視認する景色。そしてフェリア越しに見えるは、つやつやした薄緑色の天井。
その天井を視認した刹那、俺は今どこにいて何をしているのか、大体を理解することができた。
「船の、中」
「ご主人様ったら、ぐっすりお眠りでしたので。――不本意ながら、リリウスにご主人様をおぶってもらい、乗船しておきました」
不本意、のところでフェリアの瞳がリリウスの方へと泳いでいた。
多分、「わたしがおんぶしたかったのに」とでも思っていたのだろう。
可愛いやつめ。
ふと口元が緩んだ刹那、視界がグラリと歪曲した。
上下左右の感覚が消失し、胃の中身が荒れ狂う。喉を焼くような痛みが駆け抜け、眼球を突かれたような激痛が頭蓋を砕く。
「――あ、ぐぅ!」
「ご、ご主人様!?」
咄嗟に口元を押さえ、まな板に乗せられた生きた魚のように下半身をバタバタさせる。
船酔いだ。目覚めというなの気怠さで暫く忘れていたが、意識が正常になった途端このありさまだ。
「ご主人様! ――、治癒魔法!」
フェリアの柔らかな手が前頭部を撫で、喉元まで上っていた不快感がスーッと浄化されていく。
目を焼きつかせるような頭痛も消失し、荒れた呼吸が正常なものへと回帰する。
存在感を訴えていた胃の感覚も徐々に薄れていき、俺はやっと口元から手を放した。
「――はぁ、はあ……」
「大丈夫ですか、ご主人様。今日は天気も悪く、荒波なようでして」
やはりか。
妙に揺れるなとは思っていたが。
全身を間接的に揺さぶられる感覚に苛まれながら、俺は薄れゆく意識の中、こんなことを思っていた。
ああ、あと少し、あと少しだけ……寝ていたかった。
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あれからフェリアに今朝だけで累計十五回の治癒魔法を施してもらい、ようやく船は隣国――セントヘレナへと到着した。
船長ルージェの誘導によって荷物室から出た俺たちは、豪雨の中薄暗い平地へと案内される。
リリウスにおぶられた俺は、大地の感触を味わうことは無かったが。
フェリアがスカートの端を摘まみながら歩いているところから、地面が酷く泥濘んでいるということは確実だろう。
船から降りて間もなくすると、音も無く俺らを乗っけていたコンテナ船は仄暗い海へと消えていった。
どうやら俺らのためだけに回り道をしてくれていたらしい。
乗り心地は最悪だったが、わざわざ乗せてくれたことに関しては感謝しなければな。
「さて、やっと目的地へ到着した。セントヘレナは昨晩滞在した島国と比べて、色々な設備や環境が整っているから、昨日ほどの不便は感じないだろう」
リリウスがそう言い、フェリアもスカートを摘まみながら慎ましげに頷く。
「……ここにウィッチがいるとは、限らないのだが」
リリウスは小さく口の中でそう呟くと、視線を前方へと向け、その鍛え上げられた足を前へ進めた。
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セントヘレナ。
西方を海、他の方位を全て平地と山脈に囲まれた大陸国である。
生息する種族は、人間、獣人、エルフ、オーク、その他。
国の中心部に石造りの塔が建設されており、そこに登れば国内全域を見ることができ、観光客に人気であり来訪者は多い。
緑が豊富で、農作が盛んである。
逆に鉱山が少なく、武具などの生産は他国と比較しても著しい成長は見せていない。
宗教的信仰者が多く、国民の八割以上が週末になると集会場に集い、祈りを捧げる。
生命を与えられた者は皆幸福になる権利を施され、他者を守ることを最優先に生活すること。
さあ、我含め縁あり者たちに幸福を!
――セントヘレナ神聖団。
平地を歩み、人々の生活する街へ辿り着いて真っ先に目に入ったのが、上記の看板だった。
俺は読めなかったので、フェリアに翻訳してもらったのだが。
どうやらこの国は観光客や来訪者が多いらしく、そういった方々にも神を信じる機会を与えようと、数年前にこの看板を建てたのだとか。
ちなみにセントヘレナ神聖団とは、国の中心部に建てられた石塔の持ち主であり、見学代は全て神聖団に寄付されるらしい。
所謂、宣伝をかねた案内板ということだ。
嘘偽りは無いようだが、最後に彼らが掲げているであろう言葉を書き記しているところから、信者を増やそうとしている思惑がひしひしと伝わってくる。
「さて、街に着いたぞ。本当は色街に行きたいが、まずはギルドで手続きをしなければならない。一応そこで地図を買っておこう」
リリウスはそう言うと、俺をおぶったまま近くの何でも屋のような露店へと足を運んだ。
小さな眼鏡をかけたおばあさんが接客をし、一番安い地図をリリウスは購入する。
彼女が地図を選んでいる間、おばあさんはずっと興味深げな視線を俺に向けていた。
やはり、体格はどうあれ女の子におぶられた男の子とは目立つものなのか。
リリウスは購入した地図を広げ、それをフェリアも覗き込む。
フェリアは似たような地図を胸元から取り出すと、幾つか指さしてからお互いに顔を見合わせ、小さく微笑みあう。
「懐かしい地図を持ってきたな、何年前のだそれは」
「冒険中のだから――いつだったっけ。でも大分変ってるね、こことか、この辺りも開拓されてるみたいだし」
どうやらフェリアはセントヘレナの地図を持っていたらしい。
だがやはり、古い地図とは暫しの年月を越えるともう使い物にならなくなる。
文字を識別することはできないが、フェリアの言葉や指さす箇所から察するに、街の端が開拓され、ギルド裏の森林が伐採されたらしい。
そのためギルドを襲う魔物が減り、開拓された平地にて健康的に動物が暮らしているのだとか。
ここ数年で、色々な個所が良い方向に向けられているらしい。
「ここからギルドに行く途中で、幾つか料亭の前を通るな。キンジ、今日は食べられそうか?」
「若干は」
まだ本調子では無いが、昨日から今朝までは一度も胃を荒らしていない。
治癒魔法のおかげで船酔いはすっかり治っており、リリウスのおかげで移動による無駄な体力も使用していない。
元気溌剌では無いが、不調を抱えているわけでもないしな。
その応えを聞き、嬉しそうに頬を緩めたリリウスは、俺の体躯を背負い直してフェリアが持つ新しい地図上に視線を走らせた。
「よし、じゃあこの魚料理専門店にしよう。昨日昼飯が肉で晩飯が野菜だったから、魚が食べたい気分なんだ」
イヌミミをピコピコ揺らしながら、リリウスはじゅるりと涎を垂らす。
犬だから肉料理が好きとか、そういうわけでは無いのだな。
フェリアが地図を眺めながら先導。リリウスは俺を背負い、意気揚々と魚料理の店へと足を運んだ。
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日本の魚とは若干味や食感は違うが、まあ食えない味では無かった。
胃がまだ本調子では無いので、俺は一切れ、フェリアは慎ましやかにゆっくりと食し、二切れ。
リリウスは案外大食いだった。
ジャンボ焼肉定食を食したというところで大体の想像はついていたが、やはり話に聞くのとこうやって目の前でその様子を見るのでは、もつ印象が果てしなく違う。
豪快――ではあったが、食しかたはやはり女性的で大人しかった。
ただ魚を口に運ぶ速度や一口の量が多いだけで、別段食べ方が汚らしいとも感じさせなかったし、乱雑だという印象も与えなかった。
むしろ自分が食す物を目の前で美味そうに咀嚼されていると、普段より美味しいと感じるものだ。
「ふはぁ……。久しぶりのお魚料理、美味しかった」
とろけるような表情を見せ、リリウスは木製のテーブルにしなだれかかる。
見ているだけで顔が綻んでしまいそうな様子に、焦燥していた俺の意識も若干和らぐ。
こういうところを見ていると、リリウスに男性が寄ってこないのが不思議に思えてくる。
性に貪欲なのはこの世界であれば特に問題無いとして、表情も豊かで一緒に食事をするのはとても楽しい。
彼女から話題を振ってくれることも多く、こちらから話すととても嬉しそうに笑ってくれる。
人のために裏で色々と頑張ってくれるし、褒めると愛らしく照れるし。
切れ長な目と獣的な雰囲気を魅せる銀髪は、双方をより魅力的に高める。
実は容姿も端麗で、フェリアと並んでいるからこそ若干その魅力に曇りがかかってしまうが、街中ですれ違えば思わず振り返らざるを得ない美貌。
肉感的な魅惑もたっぷりで――あれ?
変に、リリウスのことが魅力的に見えてくる。
目の前でまったりとくつろぐイヌミミさんは、そんな俺の熱視線に気付かず、ペロリと口の端を舐めていた。
ほどよく湿ったその唇が、何とも蠱惑的な風味を携えて――、
「ご主人様、どうかされましたか?」
お隣で食後のお茶を楽しんでいたフェリアが、首をこてんと傾けて問いかける。
透き通るような鳶色の瞳に捉えられ、思わず姿勢を正してしまう。
いえ別に、俺はリリウスを何とも思っちゃあいませんよ!
浮気性な主人公が幼馴染に弁明するように、両手を広げてノーノーと首を左右に振る。
フェリアはそんな俺の奇行をきょとんとした顔で見つめていたが、やがて飽きたのか、前を向いてカップに口を付けた。
何だか顔が熱い。
顔が上気する感覚を得て堪らなく口が渇いた俺は、思わず目の前に置かれたカップを手に取り、無我夢中で注がれた液体を口腔に流し込んだのだが――、
「あっつ――ぅ!」
手のひらを伝わって温度を認識したときには、もう舌を火傷していた。
二人から珍妙なものを見るような視線を向けられてるし――ああ、つらたん。
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料亭を出て暫く歩くと、セントヘレナで一番大きなギルドが見えてきた。
実際に俺がこの目で確認したわけでは無いが、リリウスとフェリアが言うにはここが一番大きく、依頼も多く情報の伝達も早いらしい。
ギルドという組織が日本でいうところの何に値するものなのか、俺には分からなかったが。
領土の広い国では本部と支部が存在しており、手紙や物品の配達、仕事の斡旋から地域の問題解決まで幅広く活動しているため、多く存在して困るものでは無いのだろう。
暫しの間ギルド前でリリウスは地図とにらめっこをしていたが、不意に口元に弧を描き、いかにも悪巧みをしていそうな笑顔で、
「キンジ、まずお前がギルドに入れ」
と、こうのたまった。
リリウスを疑うわけでは無いが、この表情は明らかに何かを企んでいるときの顔である。
表情だけで読み取れるほどリリウスと深い関係なわけでは無いが、くっくっと意味ありげな笑い声を漏らしながら今にも吹き出しそうな顔をしていれば、どんな鈍感人間でも分かってしまう。
あれか、もしかして扉をくぐった途端黒板消しが落ちてくるとか、そういった仕掛けでもされているんだろうか。
「いいことがあるかも、しれないぞ?」
妖艶な吐息とともに漏れた、蠱惑的な声音。
こんなとき、答えを出す場合一番頼りになりそうなフェリアは、そんな二人の会話を眺め、きょとんとしている。
どうやら二人して何かに嵌めようとしているわけではなさそうだ。
まあ、そうだよな。
いかんいかん、旅の疲れが出たのか、何だかいつも以上に疑り深くなっているぞ。
ふつふつと心の中に湧き上がる己の疑心暗鬼を叱咤し、向かうべく道――セントヘレナ最大のギルドの入り口へ視線を送る。
ギルドマスター――もとい一人の老人からの依頼票は、リリウスがその肉感的な胸の間に挟み込んでいる。
俺らは何も怪しく無い。ただ依頼を受注し、地元ギルドの管轄外な場所を指定されたため、こうしてはるばる他国から赴いただけなのだ。
さて、行こう。
深く深呼吸をして、ぐっと拳を握りしめる。
背筋を伸ばして一歩一歩を踏みしめ、整えられた芝生の上を歩み進む。
ふと気が付けば、背後――触れ合うような距離に、リリウスが付いてきていた。
リリウスは背が高く姿勢も良いので、気を付けの姿勢で並ぶと、露出されたリリウスの縦筋なおへそがちょうど背中辺りに現れる。
そんな情報が何の役に立つのか、と。
何てことはない。遠まわしに、柔らかい膨らみが後頭部に当たっている、と表現しているだけだ。
自分には無いモノが接触するという感覚は心地よいものだが、逆に相手に無いモノを押し付ける感覚とはどのようなものなのだろう。
――などと思考を変な方向に飛ばしながら、俺はギルドの扉を開けた。
――――。
天井からタライや黒板消しが落下してくるということも無く、足を踏み入れた瞬間床が抜けるなんてカラクリ屋敷のような仰天状態は起こらなかった。
無意識に張りつめていた感覚をフッと緩ませ、息を吐きながらギルドの端から端まで視線を泳がせる。
群青色の壁紙に、病院の待合室のように寂寥な雰囲気を感じさせる。
天井は純白――であったであろう薄汚れたグレー。
ところどころ焼け跡や凹みがあるところを見ると、どうやらこのギルドは古くから存在するようだ。
受け付けは、いわゆるRPGに出てくるような代わり映えのしない空間だ。
見た目女子高生くらいのエルフさんが姿勢よく佇み、突然の来訪者である俺たちをまあるい双眸で見つめている。
隣に佇むエルフさんたちも、口を耳元に寄せ合い、コソコソと何かを話しているようだ。
ううん、見た感じ俺らがいた国と大して変わっているところは見られないが――。
と、幼児化した名探偵よろしく顎に手を当てて、思考するアクションをとった刹那。
「きゃぁー! リリウス様よ!」
キンキンと中耳腔を突き刺すような声音とともに、前方にてこちらを見つめながら何やら囁き合っていた受付嬢三人が、こちらに向かって飛び出してきた。
説明しよう!
リリウスのいる場所は、俺の真後ろだ。
彼女は背が高いので、俺が前にいようが後ろにいようが、他者から彼女の姿はよく見える。
リリウスは格好いい女の子なため、本人曰く女性たちからモテるのだとか。
現にここにいた三人の受付嬢は、リリウスのファンらしい。
桃色に煌めくそのファンタジックな瞳には愛らしいハートが浮かび、幸せいっぱいといった様子で口元がニヤついている。
両腕を広げて飛びつき、リリウスの肢体に抱き付き、タコのように腕を絡みつかせた。
二度目になるが、俺がいるのはリリウスの目の前であり、可愛らしい受付嬢が駆け寄ってきた方向も、同じく前方である。
すなわち、彼女たちエルフが飛びつく先には、必然的に俺の体躯があるわけで――。
「リリウス様!」
「何度見ても、ああ! 凄く、凄く魅力的な体躯ですわ」
「もう、私死んでも良い……」
鳥肌が粟立つような語り文句とともに襲い掛かるのは、ごぞんじ女子高生(見た目)のエルフさんたちによる甘い抱擁である。
瑞々しい健康的な胸元が眼前にて弾き、女の子特有の甘美な香りが鼻孔をくすぐった。
ついでにリリウスへと向けられた抱擁の取りこぼしが俺の素肌を舐め、スベスベした脚や腕が絡みついてくる。
思わず姿勢がピンと伸び、心拍と呼吸速度が速まっていく。
中学卒業直後に異世界へと攫われ、それから三年間の超絶な禁欲生活。
そして数か月前、やっとこさ念願の女の子を手に入れてこのままハッピーエンドまっしぐらかと期待した途端、年頃の男の子を束縛する悲痛な身体制限。
溜まりに溜まった欲求を、別のことに集中することで散らし、なんとか耐えてきた俺だが、流石に限界だ。
花の高校生活をキ○クリした俺にとって、女子高生という生き物は未だ未体験。
会話をしたことはおろか、目を合わせたことも無い。
ああ、青春って、こんな香りがするんだ。
「三人とも、もういいだろ? 今日はここに仕事に関する用件で来たのだ。ほら、放してくれ」
リリウスの落ち着いた声が耳に届いた、が。
「リリウス様、もう少し、もう少しだけ!」
「くんくん……。あら、リリウス様? お身体を洗う魔道具をお変えになりましたか? 先日参られたときと比べて、少し違う香りが混じっているように感じますが……」
「それに、何か下半身に変な感触が、」
疑念の籠った言葉が投げかけられ、その双方が自身に関する内容だと悟り、先ほどまで感じていた幸福感は一瞬にして消失し、背筋に冷たい汗が流れた。
ついでに下腹部へと押し付けられる、一人のエルフの太もも。
先ほど耳にした言葉から推測するに、『変な感触』とはすなわちアレのことだろう。
刺激を受けても何の反応も見せぬ、つまらない箇所だ。
あれ、これヤバいんじゃね? というありふれた言葉が喉元へと駆け上がる。
リリウスの言った通り、確かに“いいこと”はあった。だが、その代償に流血したり怪我を負うような未来を体験するなど、言語道断絶対に嫌だ。
リリウスの「ニャマリ」とでも表現したいあの笑みには、この先までが映っていたのか。
ああ、完全にしてやられた。
「リリウス様、」
「リリウス様ー」
「エンッ!」
リリウスに擦り寄る三人のエルフが放つ甘え声を遮るように、後方からわざとらしい咳ばらいが響いた。
お世辞にも慎ましいとは言い難い汚らしい音質だったが、発した方が誰なのか分かった俺にとっては、その咳払いは可愛らしく艶やかなものとして耳朶を打った。
びっくりしたエルフたちがリリウスからパッと離れ、刹那俺も何事も無かったかのようにリリウスの背後へとその身を隠匿させる。
リリウスの陰になるよう身を縮こませ、そっと後方へと顔を向けると。
「…………」
顔をほんのりと赤らめながら、不機嫌そうに腕を組むメイドさんの姿が目に入った。
やだ……、俺ったら嫉妬されちゃってる! 罪な男だわぁ。
ふざけて両手で頬を包みこみ、テレテレとしたアクション。
ついでに深呼吸をすると、衣服についたさっきのエルフたちの香りが漂い、何とも言えない気分に陥る。
ああ、このお洋服暫く洗わなくていいかも。
――と、思わず顔をとろけさせると、不機嫌そうにこちらを見ていたフェリアの瞳が、まるで汚いものを見るような目つきへと変貌する。
あ、調子に乗りすぎましたね、すんません。
さしものフェリアでも、これ以上ふざけたら本当に怒りそうだ。
彼女が心の底から怒りを露わにすると、ギルド一つくらい平気で壊滅するらしいからな。
気を付けないと。
三人のエルフたちは女子高生さながらヒソヒソと顔を見合わせながらフェリアへ視線を送り、それ以上こちらに興味を示すことなくギルド奥へと戻っていった。
受付嬢三人がいなくなって、この場をどうやって捌くのかと思案していると、奥から顔中に皺が刻まれたゴブリンっぽいおばさんが受付に腰を下ろした。
ああ、さっきの天国状態はもう体感できないのですね。
「それでは、私が説明してくるから二人はそこの椅子で待っててくれ」
そう言ってリリウスは受付へと赴き、胸元から出した書類を指さしながら、受付のオバチャンに何やら話していた。
時折頷いては、フェリアへと視線を送り、もう一度書面に指を突き立てる。
何を話しているのかここからでは分からなかったが、とりあえずリリウスの言うとおりここは静かに待つこととしよう。
もしかしたら、休憩がてらさっきのエルフさんたちがここを通るかもしれないし――。
「嬉しそうですね、ご主人様」
不埒な煩悩に脳内を彩らせていると、不意に不機嫌そうな声が投げかけられた。
口元をへの字に曲げ、所謂ジト眼をして小さく吐息をこぼしている。
「やっぱりご主人様も、ピチピチした若い娘の方がいいんですね」
と、同じく瑞々しく健康的な女の子がそんなことを言う。
その言葉に反論の余地は無いが、そこを肯定すればフェリアも十分魅力的だという内容に早変わりだ。
だが、こんな状況でそんな冗談を言う気にもなれず。
「――大丈夫です。そのウィッチとかいう異世界人を見つければ、ご主人様の本能も、きっとわたしを求めて元気になるはずだから」
フェリアの瞳がネコのように細められ、蠱惑的な雰囲気を感じさせる。
遠まわしな誘惑をされ、思わずドギマギしてしまう。
「そういえば――話が少し変わってしまいますけど。わたしが用意した魔道具は、ちゃんと持ってきてますか?」
「魔道具……」
フェリアが言っているのは、きっと出発前に手渡された三つの魔道具のことだろう。
一つは、キャンプ用の杭抜きだったが、他二つの用途はまだ聞いていなかった。
俺は腰に携えたウエストポーチのジッパーを引っ張り、中から二つの魔道具を取り出して膝の上に並べた。
「これ、だよね?」
「はい、ご主人様」
ボタン一個で、ネバネバした触脚が投網されるステッキ。そして、振り抜くと耳を劈くような獣の鳴き声が木霊す木刀だ。
フェリアは二つの魔道具を手に取ってじっくりと見つめると、分かったように小さく頷き、用が済んだのか魔道具を俺に手渡した。
「もしウィッチと剣を交わすことになったら、使うかもしれませんので」
ああ、やはり戦闘用の魔道具だったのか。
「おい、聞いたか? 妙な集団の話」
「ああ、蜥蜴人の剣士たちのことだろ?」
ソファ型の椅子にて腰を下ろしていると、たった今戦地から戻ってきたと思われる亜人の二人が棍棒を肩に掲げながら、そんな話を口にしていた。
「なんでも、三種の魔法を使う異国人なんだとかなあ」
「しかも森の中をまわって、人手不足な冒険者たちの手助けをしてるとか言うじゃないか。あれは本当に、生物の誇りだね」
へぇ、そんな流しの救世主みたいな剣士がここに来てるんだ。
どこの世界でも、隠れた英雄っていうのはいるものなんだな。
「ぜひ、うちらセントヘレナ神聖団に来てもらいたいものだ」
ハッハッハと豪快に笑いあうと、二人はギルドで何かをするでも無く、そのまま踵を返してこの場から退出していった。
月○仮面の歌のような振る舞いに思わず愕然とし、顔だけ振り返ってみたのだが。
「……冒険者じゃないのか」
俺が棍棒だと思ったものの先端には、女性の肢体を象ったような彫刻が誂えられていた。
服装もよく見ると神父服のようなものであり、どうやら宗教の布教活動者だったらしい。
だが体格は立派なものであり、へたに体当たりすればインド象でも気絶しそうだ。
と、まあ冗談は置いておいて。
あの二人の言っていた三種の魔法とは、事実だとすれば本当に属性魔法のことなのだろうか。
フェリアやザフィラスさんがいうには、この世界では二つの属性魔法を同時に扱うことができる人自体、そう多いものではないと聞いた。
ましてや、リリウスなど魔法自体使用できないと言っていた。
もしかして、あれがこの世界における布教活動の一環なのだろうか。
自分たちには無い力を持つ者を引き上げ、のし上げ、頂点に立たせて崇め讃える対象とする。
この世界における宗教状況は知らないが――ううむ。
「キンジ、フェリア、手続きは済ませたぞ。あとは本人確認だけなんだ、ちょっと来てくれ」
あの二人が話していた会話が少し気にはなったが、リリウスに呼ばれたため、俺とフェリアは受付前で佇む彼女のもとへと足を向けた。
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こうして俺たち三人は、無事セントヘレナギルドでのギルド登録を済ませた。




