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元勇者のご主人様  作者: 山科碧葵
第三章
34/45

第九話 傷だらけの天使

 目覚め、というものは突然思わぬ瞬間にやってくる。

 じんわりとした心地よい痺れが瞼を焼き、闇に塗れた視界を真っ赤に染め上げる。

 そして水中をゆったりと浮遊するような感覚が手足を遊び、肺が揺動し、口腔内が砂漠になったような錯覚を味わい――。


「……あふ」


 無防備に口端を広げ、魔法剣士ニノミヤ・キンジは朝の訪れをその眠たい頭に実感した。



「――んんー」


 起きてすぐに味わいたい、可愛いメイドさんのもつ二つの丘。

 健全な青少年はその悠々とそびえる丘を越えようと必死に食らいつき、その多くはやがてその感触を味わうこともなく妄想と欲望に塗れた地上へと落下していく。


 だがキンジには、そんな試練も覚悟も必要ない。

 ちょっと手を伸ばせば、青少年の夢が詰まった膨らみは、手の届く場所に現れるのだから――。


「フェ、フェリー、ア」


 全てを包み込む包容力のある俺のための丘は、無慈悲にもそこには存在していなかった。


 無い、無いぞ。


 まだ寝ぼけているのだろうか。慌てて手を動かし、体温さえ消失したシーツの上をさわさわと撫でる。

 昨夜フェリアの手によってベッドメイキングされた時分よりかは、多少乱れている。

 とは言っても、フェリアの寝相はツタンカーメン状態な甘えた猫ポーズなため、目に見えて乱れているというわけではないが。


 昨晩はどうしたんだっけか――、とまで考えたところで、不意に脳裏に桃色褐色景色がまざまざと蘇ってきた。

 あれだ。媚薬のせいで発情したリリウスの人形になってたんだっけ。


 いかがわしい比喩表現を使用したようにも感じるが、現状は文字通り事実であって若干異なる。 

 いわゆるリリウスの好きなように扱われたことに関してはまごうことなき事実なのだが、それ以上に関しては全くもって何も起きていない。


 全身が筋肉に包まれた犬系獣人に弄ばれ、やがて満足したらしい彼女は、トんだような目をしてふらふらとこの家から退出していった。

 全身をもみくちゃにされたが、穢されたような覚えも無いし、別段疲弊を感じたわけでもない。


 確かフェリアに関しては――シャワーを浴びてベッドに戻った時には、心地よさそうに大人しく寝息をたてていた。

 そして俺はベッドに潜り込み、真っ白な迷える子羊(ストレイシープ)を数えながら夢の世界へと飛び込んだったっけか。


 ――しかし。

 最近フェリアは心身ともに疲弊していたらしく、俺が起きるまでピクリとも動くことはなかった。

 心地よさそうに寝息をたてるフェリアを起こし、「もう昼過ぎだぞ」と声をかけることが、近頃の日課となっている。


 いくら昨晩ずっと布団にいたからといって、そんな早くに目を覚ますとは思えないのだが――。


「ちょっと、探しにいってみるか」


 暫く朝日を浴びていたら、やっと目が覚めてきた。

 脳内もスッキリし、思考回路も正常になっていく。


 俺は寝巻をバサリと脱ぎ捨て、ボサボサに寝癖がついた黒髪をわしわしと掻き毟りながら姿見の前で冒険者服を身に纏う。

 久しぶりに縫い後が増えている。昨晩俺が着ていたたやつとは違うやつだから、きっとリリウスに騙されて媚薬を口にするより前に、チクチクと丁寧に縫ってくれたのだろう。


 フェリアの刺繍跡は独特だ。

 この世界の縫い方なのか、日本では見たことのない縫い跡がつく。

 どこか一箇所でも糸を切断すると、歌舞伎だかの衣装のように一瞬にしてパサリとバラバラになってしまうこともあるのだとか。

 まあ、それに関しては信憑性のある裏付けはとれていないが。


 右腕を通し、左腕を出そうとしたところで、不意に先ほどから覚えていた違和感に気付いた。


「……袖まで縫っちゃってる」


 手を出そうにも、堅い縫い後に阻まれ、拳がその隙間から顔を覗かせることは無い。

 フェリアが一生懸命チクチク縫っている情景を思い浮かべ、ほんわかとした気分になっていたのだが、拳にぶつかる縫い跡の感触によって、逃避しようとする俺の感覚はすぐさま回帰させられる。


 ――やれやれだぜ。


 帽子を被った長身男性のような言葉を何となく心の中で呟き、そのままの状態で俺は自室から退出する。

 とりあえず、まずはフェリアを見つけることが先決だ。

 途中から若干面倒くさくなっていたが、俺に降りかかる状況の全てが「フェリアを探せ」と申している。

 これはもう、フェリアを探せと言う神の啓示なのだろうか。



 被ってもいない帽子を直すアクションをとり、ヒンヤリとした廊下を歩み――、


「――ひゃんっ!」

「むぐ、」


 玄関の扉が双方側から同時に開けられ、俺の顔は目覚めの時分に楽しむことのできなかったエプロンドレスへと飛び込んだ。


 視界に広がるは、純白のフリル。驚いた拍子に肺を揺動させると、甘酸っぱい香りが鼻の中いっぱいに広がる。

 視界の端に闇色の髪が見えたところで、俺は顔を放し、愛するメイドさんへと笑顔を見せた。


「おかえり、フェリア」

「ただいま戻りました、ご主人様。すみません、ご主人様が起きてすぐに身の回りの世話をしなければなりませんのに、急な用事が入ってしまったものですから」


 フェリアの衣服をよく見ると、所々小さな穴や裂傷が刻まれている。

 胸元を彩る純白のフリルも多少変形しており、スラリと伸びたおみ足には――、


「フェリア! 脚に怪我してるよ、どうしたの、襲われたの?」


 言ってから、フェリアに怪我を負わすことのできるような人間はいないという事実に気が付き、興奮した感情は若干冷めた。


 だが、フェリアが傷を負っているということは紛れもない事実だ。

 何だ、いったい何が。


「大丈夫です、治癒魔法をかけますから跡になったりは」

「大丈夫じゃないよ!」

「いや、大丈夫だ」


 俺の純真な心配を真っ向から否定するかのように、玄関の扉の向こうから聞きなれた声音が聞こえてきた。

 扉が開き、筋肉質な褐色肌が顔を覗かせる。

 黄金色の混じった銀髪を乱雑に煙らせ、酷く息が上がっていた。


 リリウス――には違いないのだが、その疲弊しきった顔つきやボロボロの衣服のためか、昨晩発情した彼女とは別人のようにも感じてしまう。


 リリウスは疲労の溜まった虚ろな目で暫しの間こちらを見つめた後、犬のように舌を口端から出しながら、はぁはぁと艶っぽい吐息を漏らし始めた。


「汚らしいのは承知している。……はぁ、しかし、私の苦労を聞けば、きっと許してもらえると思う、んはぁ」


 そう言いながら、リリウスはフェリアの足首をガッシリと掴み、フェリアの体躯を睨みつけた。


 口元から湯気の立った吐息がこぼされ、キッと捉えるような瞳でフェリアを見据える。

 気の強い女剣士様が、身体中を縛られて身動きがとれない状態にされながら、辺りを囲う屈強な男性陣に不平を漏らしているような感じだ。

 そう考えると、不覚にも何だかドキドキしてくる。


「いーじゃんリリウスったら、わたしがちょーっと直情的になりすぎただけじゃない」


 ぷくぅと頬を膨らませてみせるフェリア。可愛い。


「そんな気まぐれで、無駄な死人を出させてたまるかってんだ。いくら武装してるギルドナイトでもなあ、フェリアの全力魔法が直撃したら防御の甲斐も無く木端微塵になっちゃんだよ。そこらへん、ちゃんと理解してるか?」


 若干強い口調でまくしたてると、リリウスはフェリアの足首を掴む力を強めた。

 まるで、握っていないと今にも逃げ出すのではないかと怯えるように。


 二人の間で何かが起こったのは確かなようだが、その状況を全く視認していない俺としては、全くもって二人の話す内容が理解できない。

 可愛い可愛いうちのメイドさんがちょっと感情的になったら、どうしてギルドナイトが粉微塵になるのだろうか。


「あの、二人とも。何があったのか、一応俺に話してくれないか?」


 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせて暫しの間見つめ合った。

 もしどうしても口を割ろうとしないのであれば、いっそのこと『ご主人様の命令だ』とか凄く恥ずかしいフレーズを口にする覚悟までできてはいるのだが。


「ああ、分かった」

「キンジくん。最後まで聞いても、フェリアのこと怒らないでね?」


 甘えた声。

 そんな態度に一瞬だけ戦慄するが、俺は腰を据えて静かに聞く体勢をとった。


 フェリアを信じなくて、誰を信じるんだ。


「ああ、怒らない。だから、何があったのか順序立てて事細かく正確に話してくれ」


 一応念は押しておいた。



 ---



 今朝方。

 純白のシーツに包まれながら、フェリアは愛するご主人様の夢を見ていた。


 一緒に暮らして、一緒の食卓を囲んで、ご主人様の仕事を端からサポートして、同じものを見て、一緒に笑って、一緒に寝て。

 凄く幸せな夢であり、実際に現実世界リアルでも体感している状況だった。


「うふー、えへへ、キンジくんカッコイイ。もっとー」


 口端を緩め、涎を垂らしながら心地よさそうにシーツにしがみつき、聞いているだけで幸福そうな感覚を与える寝言を呟いていた。


 はっきり言って、無防備かつ恥ずかしい姿である。

 スカートは腰まで捲れあがり、口元に触れたシーツは若干湿っている。

 とろけるような表情で甘えた寝言を放つ――淑女として絶対に他人に見られたくない状況だ。



 そんなタイミングでリリウスが来訪した。

 朝っぱらからドアを叩くのも失礼だと思ったリリウスは、庭に回り、キンジの部屋の窓をコンコンと叩いた。


「フェリア、起きてるか」

「何ー、んもーぅ」


 幸せな熟睡タイムを邪魔されて若干不機嫌なフェリアは、その乱れた寝巻姿のまま窓際まで歩み寄り、自身の睡眠時間を短縮させた張本人と対面した。


「フェリア、昨日言ってた話の続きなんだが……覚えているか?」

「昨日ー?」


 眠い目を擦りながら、フェリアは小さくあくびをして思考を巡らせる。


 昨日――昨晩フェリアのもとにはリリウスが参った。それは確かである。

 リビングに招き、先日購入した紅茶を淹れて。甘いお茶菓子なんかを並べて、少しばかり談笑したような覚えは確かにある。


 だが、その辺から記憶が曖昧だ。

 何かの話をされながら、とろんとするような風味漂う紅茶を口にして――それっきり。

 あとは大好きなご主人様であるキンジの夢をずっと見ていた。

 フェリアの記憶の残留情報とは、その程度である。


「ほら……、キンジがああなった原因――異世界魔女ウィッチのことだ」

「うぃっち?」


 キョトンとした表情であざとく頬に指を当て、コテンと首を傾ける。

 昨晩の会話に、そのような名前は出てきただろうか。

 確かリリウスはここ数日間、国外や遠くの森へ足を延ばし、何らかの薬剤を探し求めていたらしい。

 だが、それ以上のことを思い出そうとすると、フェリアの脳内を疼くようなズキズキとした痛みが走り、身体がボーっと火照ってしまう。

 そのため、彼女はひとまず考えるのをやめた。


「そんな話、してたっけ?」

「……覚えていないなら別にいいんだ。最初から話す。――私はここ数日間国外をまわり、とある薬剤を探していたのだが、その道中、興味深い話を聞いてな」


 リリウスは木製の縁側に腰を下ろすと、艶めかしく脚を組み、朝晴れの蒼穹を怜悧な双眸で捉える。


 フェリアの目を見ずに、リリウスは旅先で耳にした噂をポツリポツリと、自身の体験談に交えて話し出した。


 輝くような金髪の幼女を目撃したという情報が、隣国の森林内で通達されたこと。

 夜中大の字になって寝ていたら、盗賊の男性たちに言い寄られたこと。

 途中、獣族の子供たちが悪魔系統の魔物を焼いて食べていたのを見たこと。

 獣族の青少年に性的な意味で襲い掛かったら、その親が逆上して殺されかけたこと。

 妙な異世界人の集団が、夜中の森林に突如現れたこと。

 森林内で出会った獣人の剣士たちと、甘い夜を楽しもうと企んで失敗したこと。

 今度隣国の港に、離国から珍味が届くということ。

 発情した獣人の発散現場に遭遇し、悶々としたこと。

 金髪の幼女が、またしても姿を消したこと。


 ――半分以上リリウスが実際に体験した事象であり、男性絡みの半ば自慢話のようなものであったが。

 眠気眼を擦るフェリアは、リリウスが発するその一語一句をも聞き漏らさぬよう真剣な表情で、褐色肌の眩しいイヌミミ獣人が放つ言葉を飲み込んでいた。


 穏やかな気候に、眩い朝日。

 外気と溶け込むかのように、フェリアは最初こそ愛らしく目を細めながら、キンジのために希少な薬剤を採ってきたリリウスの冒険譚に耳を傾けていたのだが。

 リリウスの発す言葉の内容が徐々に傾き始め、少しずつ、キンジを貶めた張本人であるウィッチの話へと変化していくに連れ、穏やかだった彼女の面持ちは、まるで悪鬼羅刹のように変貌した。


「――あー。フェリア、聞いてるか?」

「キンジくん、キンジくんを――あんな可哀想な身体にしたのは、そいつなのね」


 南極の氷山が崩れ落ちるような音が木霊す――そんな錯覚を得るほどの、凄まじい圧迫感。


 歴戦を勝ち抜き、己の心身を昇華させるための鍛錬により、人一倍そういった迫力には慣れていると思っていたリリウスでも、全身から汗が噴き出すほどの霊気。

 暴風に顔面を殴られているような感覚を味わい、リリウスは思わず腕で目を覆う。


 ギリギリ、という鉱石が摩耗されるような音は、フェリアの口端から。

 バギィと骨が軋むような摩擦音は、強く握られたフェリアの小さな右手から。

 思わず腰が抜けてしまいそうになるほどの圧迫感を含む霊気は、美しく煙る彼女の闇色の髪から。


 重力と抗うような恰好で、乱れの無い漆黒の髪が見えない風によって舞い上がる。

 フェリアの表情――は、うつむいているためにリリウスの角度からは視認することができない。

 だが――、

 実際視認する術があったとしても、彼女にはそれを確認するだけの勇気も覚悟も無かった。


「キンジくんを、キンジくんの身体も心も崩壊させたそのウィッチとかいうの、どこにいるの?」


 刹那、ボゴンという音が木霊し、リリウスが腰かけていた縁側の一部が吹き飛んだ。

 フェリアの拳より真っ白な煙が上がっており、縁側の一角として使用されていた木材は、無残にも消し炭のような姿へと化している。

 あと数センチでもズレていれば、リリウスの太ももの肉が同じような目に遭っていただろう。


「フェ、フェリア?」

「答えて」


 俯いた顔を上げ、影に塗れたその表情をリリウスへと向ける。

 それを視認することに抵抗を感じ、最初は目を背けていたリリウスであったが――、


「フェリア……」

「キンジくん、可哀想だよ。毎日毎日、わたしに甘えてくるけど、前みたいなギラついた目は絶対にしない。お布団に一緒に入っても、すぐに疲れて寝ちゃう。お風呂でも、ずっと、自信なさげだし……」

「フェリア」

「おトイレに行く回数も少しだけ減ったし、わたしに向く視線も身体より顔の方が多くなったし。わたしの下着とかが公然と干してあっても、何の興味も示さないし」

「……フェリ」

「キンジくんのお洋服からも、男の子の香りがなくなってきたし」

「フェ」

「夜中とかにキンジくんを蹂躙するの、可愛くて好きだったんだけどな」

「フ」

「『許して。もう出ない』とか涙目になって」

「フェリア!」


 ヒロインがすべきではない表情へと歪んだフェリアを嗜め、リリウスは小さく吐息をこぼす。

 昔から依存心は高い方だと彼女も感づいてはいたが、ここまでとは。


 普段そのような話を聞けば、興奮して発情するはずのリリウスだったが。「うふふふふ」などと奇妙な笑みを浮かべながら歪んだ台詞をこぼすフェリアを前にしては、そのような不埒な考えが浮かび上がることはなかった。


「それで、リリウスはその話をするためだけにここに来たの?」

「いや、違う」


 否定してから、リリウスはしまったと口元を押さえる。

 事実、彼女がわざわざ早朝にここまで来た理由は確かにそれだけではない。

 もう一つ、自身が行動を起こす前にフェリアに第二の判断を仰ぎたかったからである。

 セカンド・オピニオン――とは違うが、リリウス一人がしょい込む事柄では無かったため、当事者に一番近い人間であるフェリアのもとへと相談に参ったのである。


 だが、それは当時の彼女だとして、だ。

 ウィッチの話をしただけで、色々と歪んでしまうこの現状。

 フェリアをウィッチと対面させるなどということになれば、それはもう“惨劇”という言葉だけでは言い表せないような、血の色に染まった地獄が広がってしまうのではないか。


 感情的になりやすいリリウスの軽率な行動を、隣から的確に受け流してもらうためにフェリアのもとへと赴いた。

 だがこの状況では、彼女自身がその役割を担がなければならないかもしれない。

 むしろ、やらざるをえないであろう。

 今のフェリアに冷静な行動を任せるのは、どう転がしても不可能だ。


「リリウス」

「ああ、えっとだな。ウィッチの危険性やら何やらの情報は、今現在地方のギルドを通して世界中に広がっている。すなわち、この国、この場所――キンジとフェリアだけの問題では無いんだ。……そこのところは、理解できるか?」


 フェリアは真摯な目を向け、小さく頷いて見せる。


「大丈夫」

「ギルド間の情報伝達速度は、他のどこよりも速い。言ってしまえば、国王が他国に出す親書が届くより速く、他国への報せは伝達される。それには二つ理由がある。分かってるよ、な?」


「人民への被害を最小限に留めるため、ギルドからギルドへの手紙は何よりも優先して届けよ、って法があるから、もう一つは――」

「一般市民にはあまり知られていないが、他の配達依頼とは違って、依頼をギルドに張り出さずとも、ギルドナイトが何よりも優先的に手紙を配達できるからだ」


 フェリアはその鳶色に煌めく双眸をまあるく広げ、リリウスの横顔を捉えた。

 確かに、言われてみればその通りである。

 手紙を配達するのは、冒険者かギルドナイト――もしくは手の空いた旅行商人。その辺りの人々だ。

 旅行商人は自身の仕事を優先的に行うため、届くのは自然と遅くなる。その代わり、確か報酬はかなり安かったはずだ。

 冒険者の場合は、ギルド登録者なため依頼はギルドを通して行われる。

 ギルドに送り、依頼申請が通って、そしてそれを受注する冒険者が現れることで、初めて契約が達成される。

 中には、数年以上放置された依頼なんてものもあると聞く。

 まあ簡単に言えば、どちらも確実性に欠けるということなのだが――。


「ギルドナイトの物品配達は、何よりも速く、確実だ。もちろんその分依頼料は破格の値段だが――ギルド内で行う仕事に関しては、利益を優先して値段を釣り上げる必要など全くない。何故なら、払うのも受け取るのも最終的にはギルドマスターだからだ」

「つまり――」


 ウィッチの行方を探すには、今現在ギルド間を駆け巡っている情報を掴まなければならない。

 無論、国民を守るための情報なため、守秘義務などと言って情報を隠匿することはないが。


「そこのギルマスとは面識がある。キンジのメイド――恋人だと言えば、きっと会ってくれるだろう。話は私が通すから、フェリアは外出用の服に着替えて後でギルドに――」


 来てくれ、というつもりだったのだ。

 ギルドマスターと親しいリリウスが先に向かい、場を用意してから自身は退散するつもりだった。

 今の話を聞いて、我を忘れたフェリアが一目散に飛び出さないよう、さりげなくエプロンドレスの裾をギュッと握っておいた。

 なのに、


「か、変わり身の術だと?」


 リリウスの手中には、中身の無くなった若干温いエプロンドレスがしっかりと握られていた。



 -----



 ギルド。

 地方に存在する冒険者へ依頼を斡旋し、契約の仲介をする場所である。


 もちろん戦場でなければ、滅多に血や怪我人を見ることもない、至って平和な空間である。

 とくに最近このギルドは閑散としており、活気が無いとも言われていたのだが――。


「お、落ち着いてください!」

「早く……早く教えなさい! ウィッチは、あの薄汚い金髪の幼女はどこにいるのよ!」


 言葉が終わると同時に、手の甲から拳大の火炎球が放たれる。

 発出された火炎は薄汚れた壁へと着弾し、大きな音とともに壁の一部を破壊した。


 漆黒の髪を獣のように振り乱し、鳶色に輝くその瞳には、邪悪な風味を醸し出す影が映し込まれている。

 ヴィクトリアンメイドを模したそのエプロンドレスにはところどころ穴が開き、膝や二の腕には裂傷や擦過傷が刻み込まれ、ドロリとした血液が湧き出ている。


 小ぶりな頭を乗せた華奢な首は一定角度を保ったまま動かず、そこから伸びる肩は、怒りか疲労のためか小刻みに震えていた。


 乱雑にまみれた黒髪が舞いあがり、またしても右手拳に熱が纏う。

 端正な顔を彩る瞳にも生気は無く、口端から力なく若干の雫が垂れている。

 そして、闇色に塗られたオーロラが煙り、華奢な腕が前方へと突き出された。


「――お願い、お願いだから、ご主人様を助けて……」


 懇願するように、戦慄く喉笛から必死に絞り出すように、その声音は弱々しくこぼれ落ちる。

 自身が行う破壊衝動。自身が存在するという事実。全ての事象を呪うような勢いで、闇色の映る可愛らしい女神は――その姿を悪魔へと化していた。


 手の甲に本日七発目の火炎球が灯されたところで、不意にフェリアの体躯が戦慄いた。

 背筋をねっとりと舐められたような感覚が背後から襲い掛かり、フェリアはその場に硬直することを余儀なくされる。


 べっとりとした液体が背中を走り、身体の自由が利かなくなる。


「……な、何?」


 この上ない不快感を覚えたフェリアは、震える左手を背中へと宛がい、何らかの液体により濡れた手のひらを確認し――、


「……え?」


 血だった。

 背中を舐められた感覚。その不快感の正体は、自身が流す血液によるものだった。

 痛みを感じさせない裂傷が背中に広がり、薄皮の中をじわりと生温かいものが駆け巡る。

 少しでも動けば、瞬く間に全身の体液が噴出するであろう、鋭い傷だ。


 フェリアの浅い記憶を辿るのであれば、そのような芸当が可能な剣士は――彼女の知る限り一人しかいない。


「リリウス?」

「すまない。だが、まずは冷静に現状を把握しろ」


 強い言葉を浴びせられ一瞬だけムッとしたが、フェリアは一先ず深呼吸をしてから、そのまあるい瞳で状況の把握を試みたのだが。


「……嘘」

「私が悪かった。朝起きてすぐのフェリアに、余計なことを言ったとは思っている」


 状況把握が済み、茫然とした様子で佇むフェリアの背中に、リリウスは震えた声を浴びせ。


「だけど、流石にこれはやりすぎだ。いくら世界を救った元勇者様でも、建物の破壊はよくない」

「だって、ごしゅ、ごゅ……キンジくんが、キンジくんが」


 ペタリとその場に女の子座りをかまし、フェリアはボロボロとこぼれる雫を、両手を使って受け止める。

 滂沱の如く頬を濡らし、口端は悲壮の影に歪む。


 最終的には両手で顔を覆い、感情が決壊したフェリアはそのまま静かに俯いたままだった。


「……その、どうしましょう?」


 先ほどまで元勇者の手によって生命の危機に晒されていたギルドナイトが、奥歯をカタカタと震わせながら、この場を一応収めたリリウスへと歩み寄ってきた。


 リリウスがスンと鼻を鳴らすと、甘酸っぱい男の子の香りが漂った。

 さりげなさを装いチラリと視線を向けると、若干内股気味な青年ギルドナイトのズボンが多少湿っている。


 普段であれば、それだけでリリウスの視線はそんな痴態に釘付けになるのだが――流石のリリウスでも、今がそんな状態でないことは重々理解していた。


「すまない、ギルドマスターの方には私から大体の説明をしておこう。それと――フェリアが落ち着いたら、背中の傷だけはしっかりと治癒させておいてくれ」

「分かりました」

「それと――」


 名残惜しげに目を細めて流し目を向けると、リリウスは色っぽく喉を鳴らしてクゥンと鼻を鳴らしてみせた。


「……そのズボン、洗濯してやっても、いいんだぞ?」

「いえ大丈夫です。冒険者様のお手を煩わせることには」


 実に事務的に、やんわりと断られた。


「……そうか。実に残ね――いや、余計なお世話だったか」


 そう言ったリリウスは何度も何度も名残惜しそうに振り返っては、頬を赤らめ身体を戦慄させ――、



 そのまま、ギルドマスターの部屋へと姿を消した。



 ---



「――と、まあこんなところだ」


 リリウスが淡々と話す隣で、フェリアは水をかけられた子犬のようにしゃがみ込んでいた。

 申し訳なさそうに縮こまるフェリアに視線を送ると、天使さえも嫉妬の感情を抱きそうなほどに愛らしい闇色メイドさんは、「ひぅ!」などと声を漏らし、顔を背ける。

 そんなに怯えなくても、別に俺はフェリアを怒鳴ったりはしないのだが。


「ほら言っただろう。キンジはそんなすぐに怒ったりしないと」


 リリウスはそう言って、フェリアの頭をよしよしと撫でた。

 へぇー、リリウスってば、俺が温厚で優しい人だってことをちゃんと分かってくれてたんだ。


 信頼されているような感覚を味わい、何となく嬉しい。

 俺がいないときに起きたことも全面的に話してくれたみたいだし――まあ、今の話がまごうことない真実であることを裏付けることはできないが。


 話が終わったようにも思えたが、リリウスはまだ何かを言いたそうに口の中をモゴモゴとさせてこちらを見ていた。


 珍しい。彼女はわりと、物事をズバズバはっきりと言う人だと思っていたが。


「なあ、キンジ。キンジは、今私が話した内容を聞いて、全く不信感や疑問点を抱かなかったのか?」


 叱られることを確信した子供のように怯えた双眸を上目使いにし、リリウスは筋肉質な体躯を不安げに縮こまらせる。


 何か――、何かあっただろうか。

 その場にいなかったからかもしれないが、別段気になった箇所は無い。

 フェリアが昨晩の記憶を若干失っているのは、強い薬剤をリリウスに服用されたからだろう。


 一つだけ疑問――というか驚いたのは、フェリアが俺のためにギルドへ乗り込んでいった、というくだりだが。

 そこに関しては、疑いの念を抱く余地も無い。

 現に、フェリアの身体には幾つか小さな傷が残っていたしな。


「いや、とくに無いけど」

「……そうか、意図して排除した部分があったのだが……キンジは、本当に優しい殿方だ。私の言葉を、全くもって疑おうとも思わず、真っ向から否定することもなく真摯に受け止めてくれるのだからな」


 リリウスは感慨深く吐息をこぼしたが。――違うと思うな。

 俺が優しくて人を疑わないんじゃなくて、単に騙されやすいってだけだと思う。

 日本でも事件に巻き込まれたことは無いし、元の世界でも周りにいたのは裏表の無い良い人ばかりだったから、きっと平和ボケしてるんだろうな。


 そう考えながらフェリアへ視線を向けると、闇色のメイドさんは薄く微笑み、


「普通の男性でしたら、自分のメイドが傷ついて帰宅すれば、同行した方に鬼の形相で詰め寄ると思いますよ。『うちのメイドに何をしたぁ!』とか言って」


 その言葉を聞き、リリウスは腕を組んで「うむ」と小さく頷く。

 まあ確かに、ドロドロな昼ドラとかならありそうな光景だが。


「だから、キンジは優しいなと言ったのだ。正面からちゃんと受け止めてくれて、決して感情的になることもなく、人の話を黙って聞いてくれる。……本当に、素晴らしい殿方だ」

「あの、あまり持ち上げられると次にくる話の内容が怖くなるんですけどね」


 さりげなくジョークをかまし、俺はこの全身がムズ痒くなるような空気を抹消する。

 女の子二人からこんなに褒められるとか、何か凄く照れる。


「しかし、突っ込まれることを予測して話していたからな。仕方ない、少し話が飛んでしまうが、さっきの話で濁した部分を今から話してもいいか?」


 リリウスはソファにどっかりと座り、艶めかしく脚を絡めた。

 表情は柔らかで、緊張の空気は流れていない。

 どうやら、そこまで重々しい話では無いようだが――。


 リリウスは色っぽく瞑目し、自己主張の激しい胸の前で腕を組み、乾いた唇を舐めて湿らせた。


「私がギルドマスターと話してきた内容と、これからのことだ」

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