第八話 Re:covery -魔法剣士-
雲一つ無い満天の星。一面の濃紺色に飲み込まれたような夜空の下、この世界にて存在することなど許されぬはずの、異色である六つの生命が突如森林内へと出現した。
深緑が天を覆い、星彩はおろかかがり火さえ届かぬ完全なる暗黒世界。
臓物を直接捩じられたような禍々しい叫び声が木霊し、樹木に囲まれたその漆黒の空間を戦慄させる。
山吹色に煌めく瞳を艶やかに細め、竜人である剣士は、光を閉ざした天を見やった。
深い森ではあるようだが、生命の危険を感じるなどの恐怖感を得ることはない。
まるで叫び声のような鳴き声をあげる魔物たちも――なんてことはない、小物臭プンプンな矮躯な動物だ。
彼らが元居た世界では、魔物と扱われることもないだろう。
「ここが……」
苔がむしたような色合いを見せる巨躯を振り回し、巨人はドッカリと腰を下ろす。
辺りに生える樹木は背丈が高く枝が多い。そのために、彼が立ち上がると顔や肩に伸びた枝が引っかかってしまうのだ。
不便なことである。
その様子を何とも恨めしそうに一瞥し、どちらかと言うと小柄なドワーフは、背中に抱えた酒樽をひっくり返し、瞬く間に膨大な量の酒を胃の中へと流し込んだ。
イライラしているときなどに、彼はよくそういう行動を起こす。
「――それにしても過ごしやすそうな世界だな。緑は豊富で空気も美味しい。生息する魔物もしれたものだ。キンジほどの魔法剣士であれば、何不自由無く生活できるだろう」
大賢者はそう言うと、各々辺りを見渡す五人へと大体の状況を伝達した。
しかし、だからといってこの世界の全域が安全だとは限らない。
召喚陣が出現した場所が偶然安全地帯であったという可能性も捨てきれない。
この場を一歩でも離れれば、瞬く間に世界は地獄のような情景へと塗りつぶされるなどといった可能性だってあるのだ。
魔法剣士ニノミヤ・キンジが生存している可能性――それに関しては未知数だ。この世界にへと到達した刹那、環境に耐え切れず犬死にしている可能性だってあるのだ。
だが、
「可能性の話をならべても、それはどう転がしても推測や憶測の域を出ることは無い。まずこの森を出よう。大体の方向なら、俺でも分かる」
頼もしい言葉を最後に放ち、大賢者はその他五名の戦士を連れて真っ暗な森林にて歩を進めた。
粘性な土壌が靴底に絡みつき、湿った木の葉が歩行の自由を奪う。
――ちなみに靴底とは言ったが、靴などを履いているのは竜人、大賢者、魔法使い、ドワーフだけであり、オークと巨人は素足にその不快感極まりない生の感触がねちゃりと襲い掛かってくる。
腐敗した枯葉などが裸足のそれに食らいつき、気力までをも奪っていく。
布を引き裂くような鋭い鳴き声と叫び声。それらに悪質な祝福を施されながら、六人の戦士は暗い森の中を歩み進む。
「……生命反応をこの先に感じる。破壊や殺戮に支配された世界などではなさそうだな」
自身の体躯の前方に薄く魔法陣を展開し、大賢者は薄緑色をした長髪を煌びやかに流した。
竜人剣士や魔法使いも臨戦態勢を整えたまま、辺りに気を配って大賢者に続く。
苔がむしたような巨人も背後からの攻撃から身を守るようなポジションを保っており、他の四人と比べると攻撃的な能力の低いドワーフとオークは、他にすべきことも無く皆の荷物を抱え歩いていた。
「――やっ!」
黒い球体。血の色に染まった眼球をギョロリと動かす魔物が飛び出し、竜人剣士が放つ光の刃にてあっさりと斬り殺される。
小型のゴーレムのような魔物が体当たりして来れば、魔法使いが身にまとった紫紺のローブを風になびかせながら水魔術で応戦する。
地上を這い回る甲虫系統の魔物がわさわさと集団で突進して来れば、大賢者の魔法陣が軽やかに弾き返し、巨人の一振りにて一匹残らず死滅する。
樹木系統の魔物が襲い掛かれば、背中に差した斧をドワーフが振りおろし、瞬きの合間に薪へと姿を化す。
流石魔王討伐パーティと言うべきか、一連の動作に無駄がない。
現れた魔物を排除することに一番長けている者が何の迷いもなく真っ先に飛出し、その他の戦士は阿吽の呼吸で手助けに入る。
噂には聞いていたが、これほどまでとは。とこの状況を初めて目の当たりにするオークは思う。
素晴らしく息の揃ったパーティだ。ギルドの周りをふらふら徘徊している自称熟練冒険者様とは比べものに――いや、比べることさえ許されない実力と経験。
そして、才能だろうか。
凡人が必死に頑張っても、到達できぬ境地がそこにある。
戦う術をもたぬオークは、その様子を感嘆の表情を見せて静かに見守っていた。
「そういえば、こういう時キンジはいつも飛び出しては満身創痍で戻ってきてたよな」
「ああ、魔物を見つけたら真っ先に飛び込んで、返り討ちに遭ってはボロボロになって帰ってきて」
「逃げ足はマジで速かったな、あと飯食う速度も」
「初めて食事をともにしたときは驚いた。……あれが、若き少年というものなのだろうな」
大賢者、魔法使い、巨人の言葉に次いで、綿のように立派な白ひげを蓄えたドワーフが感慨深くそうこぼした。
ニノミヤ・キンジ。
何も分からぬ間に魔法も何も無い世界から呼ばれ、半強制的に魔王討伐パーティに組み込まれた何の変哲も無い黒髪の少年。
冒険が始まったばかりの彼はこの世界で手に入れた魔術や剣術が嬉しかったのか、矮躯な魔物を見つけては一目散に飛び掛かり、十数秒間ほど叩き合い、頭を抱えて逃走する――そんな状態だった。
少なくとも竜人剣士が陣営を組んで立ち回りを思考しなおす、という策にたどりつくまではそんな状況だ。
キンジの達成した功績など、夜中に突如湧いた虫を焼き殺した程度である。
だが、
「教えれば、何でもすぐに習得するんだよな、あいつは」
緑髪を煙らす大賢者は瞑目し、鼻から小さく溜息をついた。
魔術や呪術――オカルト的な事象は全くといっていいほど流通していないキンジの住む世界。
生物を殺すために剣を握ったこともなく、冒険道中でも人型の魔物を殺すことを暫しの期間拒んでいた。
だが、彼は教えたことを何でもすぐに自分のものとした。
キンジの住む世界の人間は全てがそうなのか、はたまた彼だけの才能なのか彼らには分からないことだが、キンジはすぐに彼らの世界の常識に適応できたのだ。
同じ魔術系統の存在する世界でも、カルチャーギャップや常識の違いに翻弄され、泣く泣く元の世界へと帰還する――なんて異世界旅行者は後を絶たない。
現に、元の世界では大賢者と呼ばれた彼であろうとも、若き時分己の力を試そうと、破壊と殺戮に駆られた異世界へ旅立ったこともあるが。
――耐えられず、二日で帰還した。
食事が合わぬ、一日の時間が違う、種族的な上下関係が異なる――。
その世界による常識全てが彼に“異世界酔い”の原因をもたらした。
それだけ、異なる世界の環境に適応するというのは難しいことなのだ。
ましてや魔術や剣術の普及していぬ世界。そんな場所から来た人間が、別世界で生きていくことができるなど、考えられぬことだった。
だが故に、彼らはキンジの生存を何となく予感していた。
彼なら大丈夫だろう。そういった一種の安堵感のようなものが、心のどこかに映っているのだ。
「キンジは、俺らのことを覚えていてくれているだろうか」
「覚えているだろう。キンジなら、そう簡単に人のことを忘れたりはしないさ」
不安げに言葉を漏らした大賢者に、魔法使いが力強く応える。
そんな二人を見て、巨人とドワーフもかの魔法剣士の容姿を思わず頭に思い浮かべる。
彼と再会したら、今までの思い出話に花を咲かせよう――と、
四人の戦士たちが感慨深い感情に酔いしれていると、その塊から離れた位置に陣取っていた竜人が、不意に鼻を鳴らした。
刹那他の戦士たちも何かしらの異常を感じ取ったのか、巨人、ドワーフ、魔法使い、大賢者の三人はすぐさま顔を引き締め臨戦態勢へとポジションを変える。
一瞬の隙もない自然な動作に、オークは思わず感嘆する。
身を包む外気を緊張感が走り、見えぬ結界に捉えられたかのように身体が硬直する。
真っ先にこの状態を作り出した竜人はすぐさま腰に携えた鋭利な愛剣を抜くと、地面を蹴り、風のように真っ暗な茂みの中へと突進した。
「――ああああああああああああ!」
風を切り裂く音が耳を引っ掻き、竜人の鱗の表面を風圧が鑢のように削り取る。
竜人である彼の視力は、他の種族と比べても優れている。
確かにこのほぼ光の存在しない暗黒世界にて、昼間のように景色を視認することは不可能だが、何かの気配を前方に感じることぐらいであれば可能だ。
風圧に抗い、愛剣を横殴りに振り抜く。
一閃。漆黒の空間に銀色の裂傷が浮かび上がり、刹那ドロリとした真紅の液体が滂沱の如く地面を濡らす。
むせ返るような血液の香りに思わず顔をしかめながらも、竜人剣士は茂みの向こうへとその身を躍り込ませた。
鱗の肌を直接撫でられたような、嫌な視線。
竜人の瞳を以てしても、その暗黒世界全てを映し出すことはできない。
故に、竜人が現在感じている事実とは、何者かが放つまるで品定めでもするような穢らわしい視線だけなのだが――。
「火炎弾!」
竜人の背後から魔術発出用の言葉が放たれ、刹那彼の側面を削り取るような勢いで炎の球が飛び出した。
熱風が頬を舐め、堅牢な鱗に囲まれた素肌が刹那的に粟立つ。
後方から発出された火炎弾は闇夜を切り裂き、前方にて雄々しく枝を伸ばす樹木の幹に激突する。
刹那、物理的な衝撃に逆らわず木の幹は一瞬だけ慄くと、瞬く間にメラメラと燃え上がった。
闇夜にて放たれた火炎。それがどういう意味を為すものなのか、聡明な竜人でなくとも分かる実に容易な事象である。
「うわわっ!」
情けない声音が木霊し、腰を抜かした男性がパチパチと音をたてて燃え上がる樹木から必死に飛び退く。
飛び火したのか尻に火がついており、一心不乱に布きれで腰回りを叩いている。
「――魔術を使用できないらしい、巨人、ドワーフ、まずは一般人を救出しろ!」
この場に広がる状況を一瞬にして把握した竜人。彼の言葉が終わるか否か、巨人とドワーフは何の迷いも見せず、突如尻に点火されたことに動揺している男性に飛び掛かった。
「熱い熱い熱い、熱い熱い熱い!」
「この場所を火傷するとかなり不便だぜ、消火ついでに治癒魔術かけといた方がいいな」
「分かった」
低級な水魔術で尻についた炎を消したドワーフは、火傷の痛みを絶叫に交えて苦しむ男性を見下ろし、淡々とこの場を捌いていく。
巨人はその言葉に短く肯定し、その頼もしく堅牢な手を当て、赤々とした斑紋をみるみるうちに回復させた。
「一般人はこいつだけか?」
「いや、馬車のようなものが端に転がっている。誰かいるやもしれん」
瞬く間に治癒魔術を施した巨人はその巨体を揺らし、横倒しになりひしゃげた馬車の荷台へと駆け寄る。
途中、裂傷や擦過傷に塗れた死体を何度も踏んづけた。
彼の巨躯が踏みつけるたび、体内に若干残留していた血液が飛び散り、巨人の足に血糊を被せる。
不可抗力にて踏みつけた方々は、総員が鈍色に煌めく甲冑のようなものを身に着けていた。
腰や傍らには針のように鋭利な剣が横たわっており、彼らの職業が剣士であることを認識させる。
「ひでぇな、こりゃあ」
「巨人、どうだ、誰かいたか?」
死体を踏まぬようジグザグ走りをしたドワーフが参り、二人は倒れた馬車を戻す作業から開始させる。
横倒しになった荷台を巨人が起こし、ドワーフがその上から修復魔術をかける。
反ってしまったために開かぬ窓を直したところで、ドワーフはその窓を開き、その矮小な体躯を滑り込ませた。
「……ひでぇ」
颯爽と飛び込んだドワーフだったが、馬車内の惨状を目の当たりにして思わず顔をしかめる。
むせ返るような血臭に、視界を埋め尽くす数多の血糊。
豪奢なドレスに身を包んだプラチナブロンドの女性が、喉笛から血塊をこぼしながら小さく呻いている。
執事服に身を包んだ老人の姿も確認できるが、四肢があらゆる方向へとねじ曲がっており、首がポッキリと折れていた。
頭蓋も欠け落ち、桃色をしたイチジクのような中身がボロボロと零れ落ちている。
傍目に見ただけでも分かった。彼はもう死んでいる。
その情景に一瞬だけ嫌悪の表情を浮かべたドワーフは、まだ息のある女性に駆け寄り、彼が使用できる最高の治癒魔術をかけた。
恐怖のためか総身が痙攣し、口の端からは滂沱の如く血塊があふれ出る。
貧血を起こしていたのであろう青白い顔を戦慄させながら、怯えた目つきをした女性は決死の表情を見せるドワーフに、弱々しく言葉を投げかけた。
「……あ、あの、何が」
「怪我は治した。もう大丈夫だろう、だが一緒に乗られていた執事さんは助からない、救出が遅れてすまなかった」
だが逆に、彼がこの女性を救ったと言っても過言ではない。
彼の折れ曲がった体躯がクッションとなり、彼女の頭や首が守られたのだ。
ドワーフという種族がら、自身の身をもって他者を守るという感情はよくわからなかったが、執事という職業を最もよく全うしたであろう死にざまであることは、何となく彼にも想像できた。
「突然、突然騎士様たちが馬車を止め、何かしらの脅威を止めに向かったのです。ああ、神様! いったい何が、何が起こったというのでしょうか!」
言葉を発すことが可能な状態まで回復したらしいが、非常に取り乱している。
ドワーフは女性経験が皆無であり、こういうときどうやって接したらよいのか分からない。
竜人か大賢者辺りであれば、こういった状況に適した行動を起こせそうだが、はてさて。
ドワーフは馬車の窓から顔を出し、辺りを見渡した。
竜人は先ほど剣技による痛撃を与えたらしき獅子のような魔物と対峙しており、大賢者はオークを守りながら竜人を援護している。
魔法使いと巨人は倒れた剣士やメイド、執事などの使用人の死骸を漁り、生存している者に治癒魔術をかけていた。
黄金色に煙る獰猛な鬣に、赤らんだ獣的な顔面。
どうやら、この馬車はあの魔物の手によってこんな無残な状態にされたらしい。
かぎ爪には血糊が付着しており、口端から覗く牙にも痛々しい肉塊がへばりついている。
大方剣士たちをその鋭い爪で襲い、幾人か食い殺したのだろう。
残酷――という言葉で片付けていいものか、単なる食事的なものだったのか。
はたまた、馬車がこの魔物の縄張りに侵入してしまったのか。
この世界に来て間もないドワーフには理解しがたい事象であったが、何らかの事件に自分たちが巻き込まれている、という事実だけは理解できた。
もっとも――
「喩え何の利益にもならずただ巻き込まれたのだとしても、他者を全力で助けるのが俺らの世界の常識だがね」
ポツリとそう呟くと、ドワーフは背中に差した銀斧を振り抜き、雄たけびをあげる獅子の眼前へと飛び込んでいった。
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金色の鬣が煙り、空間を揺動させる雄たけびが咆哮する。
鮮やかな緑に塗られた鱗に握られた剣先が獅子の鼻面を捉え、むしりとるような勢いで肉塊が弾け飛ぶ。
口端はもうボロボロに崩れ落ちており、鋭く光る牙はもう何本も地上に落ちている。
竜人剣士は愛剣を振り抜くと、相手が起こす次の動作を完全に把握しているかのように、攻撃地点に一点の揺るぎもなく堅牢な盾を押し当てる。
野生の爪と人工の盾がぶつかりあう、鈍い音。
そしてその刹那的な隙を見逃さず、後方に陣取る魔法使いが、土魔術で生成した岩石弾を発出する。
顔面がひしゃげ、元の形状がどのようなものだったか分からなくなる。
岩石が激突した右目からは滂沱の如く鮮血が噴出し、目の端から透明な液体がドロリとこぼれる。
ドワーフの立ち回りもどちらかと言うと、竜人とともに最前線で戦う近戦特化型なのでそちらの援護につこうと思ったのだが。竜神剣士と魔法使いのチームプレーで何ら問題が無いため、ドワーフは巨人とともに、先ほど魔法使いが治癒魔術を施した剣士たちを安全な場所へと誘導していた。
治癒魔術のため身体の傷は皆無であるが。そこに広がるは、思わず目を覆いたくなる惨状――鈍色の甲冑に降り注いだそのおびただしい量の血糊である。
その中にはもちろん、あの獅子の体躯から噴出された血液も混濁しているだろう。
だが、同じ人間のもの――先に死亡した仲間たちが放った鮮血も確かに存在している。
――しかし、彼らは本当に運が良かった。
この場に転移した異世界人が、彼らだったのだから。
「おい! いったい何があったんだ。お前たちはどこのものだ」
辛うじて意識を取り戻した剣士の一人を揺り動かし、たった今起きた惨状の原因を問いただす。
竜人剣士と魔法使いの功績により、獅子系の魔物は顔面を潰されその生命を根絶させられた。
大賢者とオークの手によって、売れそうな部位を丁寧に削り取っているが、それは今はいい。
ドワーフと竜人剣士に双方から挟まれ、まだ半分上の空な剣士は、口端を震わせながら怯えた目を二人に向けた。
「魔物が出た。ルイラお嬢様――その馬車に乗っていたお嬢様を隣国へ送り届けるためにここを通っていたのだ。警備は万全だったはず、なのに、それなのに! あ、神様!」
剣士は両手を合わせ、遠くを見るような目で必死に神への祈りを捧げる。
どうやら彼らの暮らす地方は、宗教的信仰の強い国らしい。
ドワーフは先ほどの女性が発した言葉と照らし合わせ、そんな結論に至ったが。
「一つ、聞きたいことがあるのだが、話せるか?」
「ああ、一応俺もお嬢様を護衛する剣士だ。いつまでも子供みてぇに怯えてはいない」
すぐさま居住まいを正すと、真紅の斑紋に彩られた鈍色の甲冑を取り、無精ひげに塗れた顔を外気に晒した。
「ニノミヤ・キンジという魔法剣士を知らないか? 黒髪で、俺より少し背が低い人族の少年なのだが」
竜人の問いに、剣士は一瞬だけ考える素振りを見せたが、残念そうに首を横に振ってみせた。
「知らんな。黒髪と言っても、見た通り俺も黒髪さ。まあ、ニノミヤだかキンジだか知らんが、一応家名がある身分なのであれば、多少は見つけやすいかもしれないがな」
「……そうか、知らぬか」
竜人は残念そうな表情を露わにし、ガックリと肩を落とした。
召喚魔術の発展していない世界。そんな世界で、異なる世界から転移された少年が現れたとなれば、世界中で大ニュースになるということは必然だと彼は思っていた。
――否、そう思わなければいられなかったのかもしれない。
探し人と別れて数か月。こちらの世界の時間経過がどの程度かはまだ分からないが、さほど変わらないと考えてよいだろう。
それだけの期間が存在すれば、もしキンジが誰の目も届かないような辺境に飛ばされたのだったとしても、噂は人の口から耳へと飛び、やがて世界中に広がるだろう。
と、そう思って――思いたかったのかもしれない。
もし何の音沙汰も情報も無いとなれば、それは既に、ニノミヤ・キンジという魔法剣士はこの世に存在しないかもしれないから――、
「おい、大丈夫か? えっとお前種族は蜥蜴人だよな。どうしちまったんだ、急に、お前……」
竜人剣士の黄色い双眸から、真珠のように眩い雫がボロボロとこぼれ落ちる。
顔を歪めることもなく、鼻をすするわけでもなく。
ただただ、己の感情に身を任せるように、その涙を地面へと染み込ませた。
突然見せられたそんな様子に面食らった戦士は一瞬だけ動揺の表情を見せると、すぐさまそのゴツゴツしたひげ面を怜悧に固め、実に騎士的な態度で立ち上がった。
「失礼、お嬢様からお呼びがかかりました」
そう言って胸元から儚げな光を青白く放つ石を取り出すと、そっと手にかざして薄く瞑目する。
――数秒の間。
不意に瞳を開いた剣士は凛とした表情を見せ、輝きを失った石をそっと元の位置に戻し――。
「お嬢様からの伝令でございます。『自分を助けていただいた戦士様方にお礼をしたいため、屋敷へ案内しろ』とのことです」
彼の言葉が終わるか否か、辺りで気を失っていた数人の騎士たちも目を覚まし、ひげ面剣士の背後へと列を整えて歩み寄る。
綺麗な三角形を作り整列すると、ひげ面剣士がその場に跪き、恭しく頭を下げた。
「どうぞ、私どもの国へ来ていただけないでしょうか」
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馬車をひいていたのであろう御者の姿は、人間だと識別できる形状では存在していなかったが、剣士のどなたかが馬を操ることができたらしい。
オークを含めた六人の異世界人を乗せた馬車は、漆黒の闇夜を風のように駆け抜けていった。
窓に映るは、闇に照らされた深緑のみ。
ここから先、どのような世界が広がっているのだろうか。




