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元勇者のご主人様  作者: 山科碧葵
第三章
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第六話 三種の神器

 真っ白な世界。

 上下左右もはっきりとしない、奇妙な浮遊感を得る世界。

 手を伸ばしても身体を伸ばしても、何かに触れることのできない一人ぼっちな世界。


 どうしようもない気怠さを感じながら、俺はそんな空間をぼんやりと浮かんでいた。

 辺りを見渡しても、あるものは先の見えない純白の景色。

 落ちるわけでもなく、ゆっくりと浮上するわけでもなく、ただただ海面に浮かぶクラゲのように、ゆったりと穏やかに泳いでいる。


 幸福を感じることはないが、不快感を覚えることもない。

 負の感情に苛まれることもないが、精神の心地よさを感じることもない。

 何の意味もなく、ぼんやりと真っ白な光を見つめているだけだ。



 ただ一つ、何かしらの感情を持っているとすれば、


 ――俺は、誰にもこの辛さを分かってもらえないということに、耐え難い寂しさを感じていた。



 ---



 水面からゆったりと顔を出すような感覚とともに、俺の意識が浮上する。

 次いで、耳からそよ風の音が闖入し、花卉や果実の香りが鼻孔をくすぐった。

 そして、後頭部に心地よい感覚を得たところで、ぼんやりと開いた眼球に眩い輝きが襲いかかった。


「――あぐぅ」


 目覚めと同時に太陽の光を瞳に感じ、俺は思わず目を背ける。

 赤や紫に澱んだ妙な景色が視界を塞ぎ、徐々に目が慣れて視界がはっきりとしていく。


 最初に感じたのは、黒っぽく煙る何か。

 次に感覚を刺激したのは、純白の何か。

 相反するはずのその二色の物体が俺の視覚を刺激したところで、川のせせらぎのように優しい声音が、俺の鼓膜を刺激した。


「お目覚めですか、ご主人様」


 次いで、前頭部に柔らかい感触が舞い降りる。

 何度も体感した、優しい感覚。フェリアが俺の頭を撫でてくれているのだ。


 背中を撫でるは、チクチクと生える新緑の絨毯。

 どこからか記憶がおぼろげだが、確か森林に入ってプリミルを探しに来たんだったっけ。


「フェリア、プリミルは――」

「プリミルさんとリリウスはお帰りになられました。ご主人様は()()()気をお失いになられましたので、こうして私が」


 瞳を動かして辺りを見てみたが、確かに褐色肌の二人はどちらも見当たらない。

 そうか、

 記憶がはっきりとしているのは、プリミルが樹木の陰に隠れたあたりまでだが、あの後俺は――どうしたんだっけ?


 記憶を掘り起こしてみようと必死に唸ってみるが、出てくる記憶はそれよりも以前のものばかりだ。

 俺が寝ている合間にリリウスが襲いかけた、というくだりまでははっきりと覚えているのだが――。

 その後は、覚えていない。

 いや、全く覚えていないのかと聞かれれば否だ。

 嫌な感覚、とてつもない寂寥感と妙な浮遊感。誰もいない静寂しきった空間で、ただただ一人でいたような、そんな記憶はまだおぼろげに残っている。


 だが、あれは夢だったのだろう。

 俺は今、フェリアに膝枕を施されながら森の中で寝転がっている。 

 これは紛れもない事実、誰にもくつがえせないまごうことない結果論だ。

 そして、身体がまだ治っていないのも、本心としてはあまり認めたくないが事実だ。


 記憶が飛んでいる間に俺が何か粗相を働いていると申し訳ないので、一応フェリアに問いておこう。


「気を失う前、俺はどんなことをしていた?」

「…………」


 髪を梳かす手が一瞬止まったが、何事もなかったかのように動き出す。

 だがフェリアは口を閉ざしたまま、痛ましげな表情を俺に向けてきた。

 え、何? 俺、なんか変なことしちゃったりしたの?


 人格が変わるような病気はしてなかったと思うが、まさかあのウィッチとかいうやつの魔法で心身のどこかを襲われたのだろうか。

 呪いは俺の加護が消し去るから、呪術的なものではなさそうだが。


 もしかしてフェリアやリリウス、はたまたプリミルを罵倒したり貶すような言葉を吐いたのか、と不安げな表情でフェリアを見据えたが、フェリアは端正な顔を優しく緩め、首を傾げた。


「大丈夫ですよ。ご主人様は何もしていません。お疲れだったのでしょう、今日は色々ありましたから」


 フェリアが嘘をついていることに関しては、何となく感覚的に分かった。

 だが、フェリアは俺を貶めたりするため、徒に嘘をつくような娘ではない。

 理由もなしに――、


 伸ばしかけた手を、俺は元の位置へと戻す。

 きっと俺は、誰かを傷つけるようなことをしたか言ったのだろう。


 記憶にないとはいっても、自覚したくない事実だ。



 穏やかな外気に包まれ、大分頭もはっきりとしてきたので、俺はフェリアの膝から顔を上げる。

 柔らかな感触と幸せな温もりが放れてしまったが問題ない、家に帰ったらまた甘えればいい。


 身体が動かないから、勢い余ってフェリアをめちゃくちゃにするなんてことにはならないしな。

 それに、治らないと決まったわけでもないのだ。

 底抜けポジティブで行こう、無駄にネガティブ思考を展開して心が荒んでしまっては、余計にフェリアたちを悲しませてしまうかもしれない。


 この一瞬でそこまで考えて立ち上がったわけではないが、とりあえず身体は自然とそう動いた。

 草花の上で慎ましやかに腰を下ろすフェリアへ手を伸ばし、フェリアはその伸ばした手を遠慮がちに摘まむ。

 空いた方の手で膝の辺りを丁寧にはたき、フェリアは俺の傍らに肩を並べると、安心したようにその身を寄せた。


 俺はその温もりに心地よさを覚えながら、フェリアを連れて森林を後にした。



 ---



 森林から出ても、フェリアは俺にべったりだった。

 メイドと主の距離感はとくに定められておらず、主の三歩後ろを慎ましげに歩む者もいれば、腰に手をまわして身体同士を密着させて歩む者もいる。

 そのためとくに目立つような行動というわけではないのだが、妙にフェリアを近くに感じ、若干こそばゆい感覚を味わっていた。



 家へ向かう途中に、テント状の店屋が並んだ青空商店街が存在する。

 野菜果物に、肉魚、食器類や小型の魔道具などの雑貨まで、色々なものが販売されている。


 フェリアが夕食の材料を品定めしている間、俺は隣の魔道具屋で半分冷やかしのようなことをして遊んでいた。

 面白いものがあったら買おうかななどと思いつつ手に取ってみたのだが、これはまた興味深い。

 食材は日本のものに近いものもあれば、かけ離れたものもあるのだが、魔道具に関して言えば、日本では見たことのないものばかりだ。


 まずこれ、一見傘のようなのだが、実は盾なのだとか。

 他にも消しゴムのようなスポンジだとか、来客を認識すると鈴の音を奏でる箱などと、手に取って遊んでみるだけで面白い。


 フェリアの買い物が終わったところで、俺は一つだけ魔道具を買って彼女の背中を追いかけた。

 せっかくだしな、それにこれだけ遊んだのに何も買わずに帰っては申し訳ない。

 俺は遠慮深くて慎ましい、典型的な日本人なんだ。  


 ちなみに俺が買ったのは、切った物を元通りに張り付けることができるハサミのような魔道具だ。

 開けた袋とかをこうチョキチョキやると、みるみるうちに切れ目が無くなっていくんだ。


 何に使用するものなのかとフェリアに聞いたら、単なるパーティグッズだった。

 いわゆる、子供が露店で衝動買いして、親に「また無駄遣いして!」と叱られる系統の代物らしい。

 まあ、安かったし、いいか。



 ---



 翌日、快晴。

 乱反射したダイヤモンドの輝きを放つ日光に瞼を焼かれ、瞑った視界が赤く染まる。

 深海から一気に引き上げられた魚のような感覚を味わい、薄く開いた瞳に映る景色は、まるで霞がかかったようにおぼろげだ。


 よく磨かれた真っ白な天井を暫しの間見つめて焦点を合わすと、ぼんやりとした視界が、徐々に鮮明な情景へと変化していく。


 ――ああ、朝か。


 そんな当たり前かつ何の変哲も無い言葉をあくびとともに呟きながら、俺は精神的に重量を感じる身体を引き上げた。

 弾力あるベッドに弾かれるように起き上がると、俺は早速アレの体調を確認するため、手を突っ込んでまさぐってみたが――。


「……ダメか」


 オトコノコなら誰しも起こる生理的反応に対しても、強固な意思を貫く俺の下腹部は、まるで悟りを開いたかのように無欲的だ。

 いっそのこと、その固い意志で物理的なものまで貫ければいいんだがね。


 などとくだらないことを考えながら不意に手を着くと、人差し指と中指の先っぽが、何やら柔らかいものと接触した。

 滑らかな生地を爪がすべり、ふわりと甘美な香りが漂う。


「……すぅ」


 吸い込まれるように魅力的な闇色の髪に、天使までもが嫉妬しそうなほどに端正な顔立ち。

 艶やかな桜色に濡れた薄く繊細な唇と、白く美麗な素肌。

 衣擦れのためか乱れたエプロンドレスを纏いながら、実に危うい格好で、フェリアは天使のように儚げな寝息を慎ましく漏らしていた。


 布団の中で身体を動かしたのか、肩や背中が若干露出しており、艶めかしい曲線美が俺の視界を容赦なく奪う。

 頬も若干染まっており、時折こぼす吐息が扇情的だ。

 俺の身体が正直ならこのまま昼までコースを注文するのだが、まあそれはいい。


 ――フェリア。


 布団をもっと捲ると、フェリアの愛らしいお尻が顔を覗かせた。

 紫紺のスカートに包まれてはいるが、慎ましく形の良いそれがありありと視認できる。

 そして、その少し上。腰の辺りから、可愛らしいネコシッポがたらりと生えていた。


 フェリアは獣人ではない。

 まさか昨晩添い寝をしている間に、何者かの手によってフェリアをネコちゃんにされたのでなければ、これはまごうことなく作り物のシッポだ。

 異性を誘惑するための、フェリアの私物。決して本物ではない。


 フェリアの頭上へ視線を泳がすと、純白のホワイトブリムはそこに姿を現していなかった。

 代わりに、獣的な魅力を存分に醸し出すネコミミが生えている。

 上下とともに、青の混じったカッパー系統の色彩だ。きっとセットでどこかに売っているのだろう。

 

 ふふふ。俺がネコミミフェリアが大好きなことを知っていて、それで。


 ――そうだ。

 普通ならば、これで喜べる。

 ネコミミモードなフェリアは堪らなく甘えんぼうさんだ。

 ニャンニャンと可愛らしい嬌声を上げながら、俺のことをたっぷり惑わせてくれる。


 それは身体がどうだとかは関係ない。メイドであるフェリアが甘えて、主である俺がそれを遠慮なく愛でる。

 何ら問題はない。

 抱きしめたり、唇を重ねたりするだけでも大満足だ。


 ――だけど、


「ん、んぅー……」


 フェリアの附属品は、そのネコミミセットだけではない。

 闇色の髪を彩るは、クルリと丸まった見慣れた獣耳。筋肉質な褐色肌によく似合いそうな、可愛らしいイヌミミだ。

 シッポの方にも一応附属しているらしく、寝転がったフェリアの腰の下に隠匿されているが、ちょこっとだけモフリとした毛玉が顔を覗かせている。


 イヌミミとネコミミ、双方を同時に身に着けているだけでも若干異様なのだが、フェリアが蓄えているのは、その二つだけでもなかった。


「……フェリア」


 黄金色に煌めくキツネミミ。ネコシッポの脇からも、抱き心地の良さそうな黄土色のシッポが純白のシーツを舐めるように撫でている。

 キツネにネコに、イヌだ。

 俺を元気にさせようと身に着けて、おっちょこちょいなフェリアが三つも付けて寝てしまった――そんなはずはない。


 確かにフェリアも若干ポンコツな部分はあるが、誘惑道具を身に着けたことを瞬く間に忘却の彼方へと吹き飛ばしてしまうような娘ではない。


 だが現に、フェリアはその可愛らしいパーツをしっかりと身に着けている。

 ――これが、この状況が、意味することとは。


 ――フェリアも、寂しかったのか。


 寂しかった。

 誰にも分かってもらえず、抗えうことも許されないこの苦しみ。大好きな女の子や官能的な女性を目の前にしても、己の欲望から背かなければならない現実。

 降り積もった欲求を洗い流し、理不尽な禁欲生活を強いられているこの現状。


 一番苦しく辛いのは、俺だと思っていた、が――。


 心の中に湧き上がるある感情を堪えきれず、目の前で寝息をたてるメイドさんを俺は精一杯の愛念を込めて抱きしめた。

 足をまわすと、獣的な感触をもったしっぽがサワサワと擦れて気持ちがいい。

 ついでに甘い香りが鼻先に漂い、心から安堵感を与えるような体温が施される。


 どうして気が付かなかったのか。フェリアだって、心身共に疲弊した俺がフェリアを頼らないことに、寂しさを感じていたはずなのに。


 端正な顔立ちが眼前に広がり、穏やかな鼓動がトクトクと伝達される。

 熟睡しているのか、少し強く抱きしめてみたがフェリアは動かない。

 目の前で無防備な寝顔を披露してくれているというのも、新鮮でなかなかよいものだが。


「――すぅ。……ふふ」


 寝息に混じり、フェリアは愛らしくその顔を緩めた。

 幸福感溢れる表情を見せながら、甘い吐息をこぼして眠る。そんな女の子を抱きしめていられるなんて――俺はこんな幸せなことにも気が付かなかったのか。



 暫しの間フェリアを見つめた後。はっきりと目が覚めて視界が鮮明になってきた俺は、ベッドから身体を起こして軽く伸びをしてから、首をコキコキと鳴らして自室から退出した。

 疲れているようだったし、もう少しフェリアは寝かせておこう。


 いやしかし、うむ実に良い感覚だった。

 朝っぱらからこんなに充実しているなど、久しぶりかもしれんね。



 とか何とか思ってみたが、愛剣を持って外に出ると、お日様は遥か彼方――てっぺん付近でこれみよがしに俺のことを見下ろしていた。

 どうやらもうお昼らしい。


「俺の朝は、俺の朝はどこに行った」


 わざとらしく辺りを見渡してから、ふと溜息を漏らす。

 まあいいか、朝起きは三文の得とか言うが、俺は今日三文以上の得をしたからな。



 そらいろの絵の具を塗ったような、鮮やかな蒼天。

 俺はその蒼穹を見据えた後、無心に素振りを開始させた。



 ---



「――っ、ご主人様ぁ!」


 お日様の角度が完璧にてっぺんまでたどり着いた辺りで、闇色の髪を煙らせるメイドさんが、息を切らせて庭まで駆けてきた。

 肩で息をしては、ぷにっとした頬が程よく上気する。


 寝巻のまま来たらしく、スカート丈は短く布地もヒラヒラとしている。

 ちなみに言うと三種の獣耳としっぽは付けっぱなしであり、色彩豊かなそれらはフェリアが動くたびにピコピコと搖動する。

 ちとシュールな光景でもあるが、可愛いから良い。異世界だろうと、可愛いは正義なのだ。 


 素振りを続けていたためか、軽く精神的に元気になっていた俺は、若干いかがわしい風味を携えた視線をフェリアへと泳がす。

 汗のためかしっとりした素肌に、ピトッと張り付いたエプロンドレス。

 「どうぞ好きにしてください」とでも言うような、無防備な雰囲気を醸し出す動物的なパーツ。


 ――二度目になるが、やっぱりそれは少しシュールだった。


「んもぅ! 朝起きてご主人様がいなかったら、心配するじゃないですか」

「朝じゃない、もうお昼だ」


 そう言って天を指さすと、フェリアは不機嫌そうに口元をへのじに曲げて空を眺める。

 太陽も高く、清々しい陽気だ。


「――そうやって揚げ足を取らないでください! いいです、今日のところは許してあげます」


 プイとそっぽを向いて、頬をふくらませる。


 行動の一つ一つが可愛らしく、思わず口元を緩めてしまう。


「……それに、今朝のご主人様、何だか楽しそうです」


 ニヤケかけた顔をそっと戻す。


 人差し指を胸の前で突っつき合いながら、フェリアは透き通るような瞳を俺の方へとさりげなく向ける。

 期待感を込めたような、実に愛らしい眼差しだ。


「最近のご主人様は、あまり覇気がありませんでしたから」


 フェリアは何でもないような口ぶりでそう呟くと、三種の獣耳を付けたままの状態ですり寄ってくる。

 体躯の全面にフェリアを感じ、またしても何だか嬉しい感情が胸中を渦巻く。

 眼前にてキツネミミがわさわさと揺れるのだけは、どうも慣れないが。


 ――しかし、覇気がない、か。


 フェリアには苦労をかけてしまうななどと思いつつ、俺はフェリアを抱きしめながらなんとなく蒼穹を見据える。

 澱みも穢れもない、純真純正な真っ新な空色だ。


 ――もう少し、前向きに生きないとなあ。


 そんなことを考えながら、俺はフェリアを抱きしめる力を強くする。

 これから俺がどんなに高い壁にぶち当たっても、絶対に彼女だけは放さないと心に深く刻み込みながら。

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