第五話 対照的な二人
いつも通る青空商店街から外れた路地。
活気溢れる雑踏から少し離れた薄暗い場所。
暴漢や変質者が今にも徘徊していそうに心寂しい路地裏にて、リリウス、俺、フェリアの順で灰色に澱んだ道の端を歩んでいた。
時折カラスのような甲高い鳴き声が木霊し、背後に陣を取るフェリアがピクンと反応して背中にくっつく。
吐息や胸の体温を感じ、何とも言えぬ心地よさを感じる。
だのに俺の身体は言うことを聞かない、へそ曲がりだ。へそよりも下にあるのにな。
ついでに言うと、リリウスは今メイド服を着込んでいる。
フェリアが外出用に使用していたもので、今は使っていないものらしい。
俺が自室で着替えている間に話が進んでしまっていたので、あまり深い内容は存じ上げないのだが。
どうやらフェリアは、この場所のことを多少知っていたらしい。
フェリアとしては、この場所に普段のリリウスのような官能的な服装で来させることに反対の意を示したらしい。
そのため、リリウスは渋々ながらも、フェリアのエプロンドレスを身に着けて出発したのだ。
そんなわけで、今俺は、メイドさんに挟まれるような状況で歩を進めている。
クローゼットに仕舞われていたためか、前方からもフェリアの香りが漂う。
もちろん背後から香るのも、どんなフローラルの香りよりも素晴らしいフェリア本人の匂いだ。
しかも、前を歩くリリウスが身に着けているエプロンドレスだが、色々な部位のサイズが合わないために、かなり無理をして身に着けている。
エプロンドレスとは、あまり身体の曲線や起状ははっきりと出ないものなのだが。
リリウスの体躯は、そんな常識をも覆す。
胸や尻周りはかなり膨らんでおり、逆に腰周りは少し余裕がありそうだ。
スカートの端からも、汗が滲む褐色肌が顔を覗かせており、普段の格好を見慣れている俺としては、そのギャップのためか逆に扇情的な風味を覚えるのだが。
そんなことを言えば、せっかく落ち着いたフェリアがまたしてもショックを受けそうなので、黙っておいた。
まあ変なのに襲われても、リリウスさえ乗り気になってホイホイ付いていかなければ、別段気にするような問題は無いだろ。
フェリアは今まで襲われかけても、炎魔法で相手を消し炭にしていたらしいし――駄目駄目! なるべく隠密に事を致そうとしているのに、ここで目立ったら俺が媚薬を買いに来てることが、騒ぎを聞きつけたギルドナイトか誰かにバレてしまう。
――もしそうなったら、媚薬の件はリリウスに全部被ってもらおう。
「見えてきたぞ、あそこだ」
犯してもいない罪を被ってもらおう、だとか酷いことを考えていると、不意に褐色メイドのリリウスが立ち止まった。
前方に存在するのは、瓦礫の山、そう表現しても過言ではないほどにみすぼらしい建物だった。
辛うじて扉と薄汚れた壁を視認することはできるが、あれは建物だと言われなければ、建築物だとは認識できないだろう。
リリウスは俺とフェリアにウィンクをして合図を見せると、「ついてこい」と言い、そのボロ小屋へと案内する。
近くで見ても、外観のみすぼらしさに変化は無い。
もしかして近くで見れば、実は美的感覚をくすぐるような前衛的な造りを魅せているのかと少しばかり期待したのだが、残念ながらそんなことは無いようだ。
まるで石や木材を積み重ねて造ったような、簡素――いや、違うな。
簡素なボロ小屋に見せかけて、中はしっかりとしているらしい。
薄汚れた石材や湿った木材が積まれているのは、外側だけだ。
わざとらしく汚された扉は堅牢かつ黙示的であり、危うい箇所は全くと言っていいほど存在しない。
固く閉ざされ、沈黙を纏うその扉は、特殊な金属で塗り固められており、一見石造りにも見えるが実際は否だ。
石壁のような色彩に塗られているが、流石金属、鍛え上げられた筋骨に包まれたリリウスの拳で叩くと、カーンカーンといい音が木霊す。
ふむ、よく見ると、どうやら近寄りがたい雰囲気をわざと作っているようだ。
と、そこまで考えたところで、典型的現代日本人である俺の頭の中には『危ないお店』という単語が揺らいだが、俺はそんな考えを首を振って捨て去る。
せっかく俺のためにリリウスが招待してくれたと言うのに、そんなことを思うものではない。
数秒ほど静寂を感じた後、扉の向こうからくぐもった声が低く響いた。
「……誰でい」
「リリウスだ」
「入れ」
まるで、それ以上の言葉は必要無いとでも言うように淡白な対話の後、重々しい音が奏でられ、金属の扉が動かされた。
地面と擦れるような、嫌な音だ。
辛うじて人が一人通れそうな幅だけ開くと、リリウスはその女性的な起状に富んだ体躯を滑らかに躍らせ、薄暗い室内へと闖入する。
よほど用心深いのか、もしくは日光や外気に弱い物品でも保管されているのか。
開いた扉の端から、禍々しい雰囲気を醸し出す澱んだ空気が漏れ出している。
かなり長い期間、この扉を締め切っていたのだろう。
換気くらいすれば良いのに。
「ご主人様、」
俺がその汚い空気に顔をしかめていると、後方にて佇むフェリアから、早く入るよう急かされた。
仕方ない、入るか。
胸いっぱいに新鮮な外気を取り込み、俺はリリウスがしたように、全身を軽く捻りながら扉と壁の隙間をぬって建物内へと躍り込む。
「――えやっ!」
外からだと薄暗く見えたが、中に入ると意外とそうでもなく、思ったより視界がはっきりする。
冷たい石造りの床にリリウスは腰を下ろしており、俺が入ったことを確認すると妖艶な手つきで座るよう促す。
俺はその通りに腰を下ろしたが――、
ヒンヤリする。
地面が湿っているのではないかと錯覚するほどの温度を感じ、思わず一瞬腰を浮かせ、ズボンを手で撫でてしまう。
濡れてはいない。むしろ、叩けば音がしそうなほど乾いているようだ。
薬品を扱っている場所だと言うから、多少湿気ていたりすると思っていたのだが。
どちらかと言うと乾燥しているようだ。カラカラな外気が口から闖入し、喉が痛い。
「――――」
静寂だ。
静寂がこの場を支配している。
この建物の住人であろう、闇夜のような漆黒のローブを身に纏う数人の人々は、先程から一言も言葉を発さず、視線や動作で会話をしている。
普段いるだけでうるさいリリウスも、借りてきた猫のように静かに腰を下ろしているのだ。
もしかして、ここでは黙っていなければならない、何か規則のようなものでもあるのだろうか。
「――失礼いたします」
居心地の悪い静寂を打ち破ったのは、聴き心地の良い闇色天使の慎ましげな声音だった。
闇色の髪を烟らせながら、フェリアは姿勢良く腰を折り、俺の傍まで歩み寄ると、静かに腰を下ろしてフゥと吐息をこぼす。
フェリアからも、何とも言えぬ緊張感のようなものがピリピリとにじみ出ている。
やはり、ここでは静かにしなければならないのか。
「――今日は、何がご入り用で?」
全身黒ずくめ――ローブ姿の人が、聞き取りにくいくぐもった声でボソボソと呟く。
声の感じからして女性のようだ。
だができる限り低い声を出そうとしているのか、声の高さでいうと男性とさほど変わらない。
一瞬男女の区別がつかなかったが、ローブ越しの胸元が若干柔らかそうな膨らみを見せているので、そこで判断した。
――いや、別にそこばっかり見てたわけではないですよ?
「男性用の媚薬を探している。できる限り凶悪な性能を持っている物が良い」
リリウスは力強く言うと、姿勢を崩してドッカリと尻を地面に着く。
筋肉質な褐色肌が床と密着しているが、冷たくないのだろうか。
ローブ姿の二人組が、一瞬だけ俺の方へと視線を送った。
……そうだよ、俺だよ。
媚薬が必要なのは俺ですよ。
「暫し、お待ちを」
漆黒のローブに身を包んだ女性がそう言うと、隣に腰を下ろしていた性別不詳の方が、部屋の奥へと向かっていった。
その姿を見送りながら、黙ったまま俯く女性に向かって、リリウスは艶めかしく言葉を紡いだ。
「ここで扱ってる媚薬で、強いのってどのくらいのがあるのかしら?」
「……そうですね。一番強いものでしたら、嗅いだだけで卒倒し、下半身から白濁液を噴水のように吐き出すものなど。――その辺まで行きますと、拷問用の薬剤になりますが」
またしても、ローブ越しの視線が俺を捉えたような錯覚を得た。
哀れみを含んだような、同情するような視線。
大丈夫です、そんな危ないもの使いませんから。
確かに効きそうだけどさ、それはちょっと強すぎるだろう。
というか、拷問用の媚薬って何だよ。そんなものが、この世に存在していたのか。
純粋な少年にとっては若干刺激が強すぎる会話を耳にしながら待っていると、先ほど姿を消したローブ姿の人が、何やら粉薬のような物をおぼんに乗せて、薄暗い部屋から姿を現した。
大事そうに運んでいるため、高価な物なのだろうと思うが。
まさかそれが、嗅いだだけで卒倒するって薬か?
思わず鼻先を手で覆い、口元をギュッと結ぶ。
もし何らかの手違いで粉末が舞い、俺の鼻に入りでもすれば、俺の最期はフェリアとリリウスの眼前で情けない痴態を晒す、ということになってしまう。
それはそれで何だか最高に気持ちよさそうにも思えるけど、そんなくだらない理由で死ぬとか、絶対に嫌だ。
そんな俺の素振りを見てか、ローブ姿の方はコテンと首を傾げ、リリウスは嫣然と笑みをこぼし、フェリアは顔を真っ赤に染め上げ、両手で頬を包み込んだ。
どうやら俺が考えていることは筒抜けらしい。恥ずかしいな。
「大丈夫ですよ。嗅いだだけで死ぬ薬剤は、今ここに持ってきてはおりません」
薬剤を持ったローブ姿の方は、同じく聞き取りにくいくぐもった声音で、穏やかに言葉を紡いだ。
どうやらこちらは男性らしい。
まあ、お二方とも顔まで黒布で隠匿されているので、どのようなお顔か視認することはできないのだが。
というか、“今ここに”ってことは、やっぱりさっき言ってた薬剤は本当に実在するのか。
その言葉を咀嚼し、何とも言えぬ恐怖感に苛まれていると、ローブ姿の男性は、慣れた手つきでおぼんの上に乗せられた薬剤を並べ始めた。
「男性用の媚薬――もとい精力剤のようなものだと、この辺りが割と強いものになります。喩えばこれですと、服用してから二日間、六十七十のご老体でも若い女性を相手にできます。――こちらは、主に精神的な方向に効くものですね。強いショックや負感情のために機能しなくなったときなど、そういった場合に使います。こちらは、そう欲望を我慢できなくなる、などといった副作用はございません」
「精神に作用する魔法、にも効くのか?」
面倒くさそうに耳の後ろをポリポリとかきながら、リリウスは自身の疑問で長い説明を遮った。
顔面にくっきりと『飽きた』と書いてある。
誘ったのはあなたなんだから、もう少し我慢しましょうよ。
「……どうでしょう。精神を操作する魔法と申しますと、異国――異なる世界の魔法ですよね。だとすると、この世界の薬剤が効くかどうか」
「分からないのか」
リリウスは残念そうにそう言うと、銀髪をかきながら小さく吐息を漏らした。
同時にフェリアも不安げな溜息をこぼし、眼前にて腰を下ろすローブ姿の男女も残念そうに俯く。
――これはあれか、手の施しようがありません。ってやつか。
「そうなりますと、私どもの扱う薬剤でどうにかなるとは思えません。異国の地には、もっと高性能な薬剤があると聞きますが――」
「うぅむ」
女性の言葉を聞き、リリウスは鼻を鳴らして唸る。
腕を組み、自己主張の激しい膨らみを押しつぶしながら、股座を全開にしてドッカリと座り込む。
思わず視線が奪われ、何とも言えぬ昂揚感を覚えるのだが――、
「重症ですね」
返事がない、ただの棒切れのようだ。
身体の反応はなくとも、この扇情的な景色にはそそるものがある。
故に、思わず視線を送ってしまうのだが――。結果は想像通り。
つらたん、だ。この行き場のない欲望や欲求は、このままどこに行くんだか。
全身がムズムズするような感覚を得ながらも、肝心な箇所が動かない。
二宮欽二は動かない。――言い方はなんか格好いいな。意味的には凄く情けないが。
「何とかならないか? ずっとこの調子で、可哀想で見ていられないのだ」
「……それでしたら、素材をそのまま加工せずに使用してはいかがでしょうか」
ローブ姿の女性が、俺の方を見た。――とは言っても、顔は漆黒のローブに隠匿されているので、雰囲気や視線でそう感じただけだが。
「ダークエルフなどの素材は、そのままの方が強い効能をもつことがあります。とくにダークエルフなどは人間と言語も同じで意思疎通も可能ですので、一応検討するのもよろしいかと」
ダークエルフ、ねえ。
記憶を辿ると、不意に頭の中で褐色幼女プリミルの姿が蘇った。
リリウスよりも濃い、ミルクチョコレートのような肌をしたツルペタ幼女。
自称エロくない娘だが、腰布一枚で森中をうろついているような子なので、きっとそっち方面の知識や経験は深いのだろう。
初対面の時点で、初めてじゃあないようだったしな。
確かに――彼女なら、助けてくれるかもしれん。
「どうしますか、ご主人様」
俺が悩んでいるように感じたのか、フェリアは多少心配そうな視線を向け、俺の顔をを覗き込んできた。
ああ、可愛い。
このまま押し倒――せないけど、唇を奪って抱きしめたいなあ。
溜まり溜まった欲望を発散する術はなく、本人も気が付かぬうちに徐々に蓄積されていくらしい。
目眩を起こしそうなほどに心拍が早鐘を打ち、思わず息が荒くなる。
「ご主人様、瞳にハートマークが浮かんでますよ」
冷静な表情を見せるフェリアは、そんなことを言って俺の顔を覗き込むのをやめた。
気が付けば、リリウス含みこの場にいる全員が妙な視線を俺に送っている。
一瞬の静寂の後、ローブ姿の女性は照れたように小さく咳払いをすると、胸の前で自身の人差し指を突っつきあいながら、ボソボソと言葉をこぼした。
「えっと、その。心の方はお元気なようなので、やはり薬剤よりも素材を使った方が良いと思います、はい」
何となく妙な違和感を覚え、そっと視線を送ると――、
ローブ姿の女性の繊細な指先が伸ばされ、隣に腰を下ろすローブ男性の腕に絡みついていた。
あ、やっぱお二人はそういった関係ですか。
そのままリリウスへと視線を滑らせると、不満げな表情を見せながら自身の体躯を艶めかしく撫でていた。
どうやらこちらが感じていたのは嫉妬だったようです。
すみません、目の前で突然。
俺とフェリアとリリウスは一言二言たあいもない世間話をして、そそくさと怪しい店内から退出した。
直後、店内から艶めかしい嬌声と心地良さそうな吐息が漏れ出してきたが、まあ、気にしないでおこう。
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鮮やかな蒼天。
荒んだ心を浄化するような清らかな日差しが差し込み、新緑の絨毯が煌びやかに彩られる。
樹木や花卉を撫でる微風は、爽やかかつ暖かく、森に入った者を心から祝福してくれているようだ。
妖艶な色合いを魅せる昆虫なども舞っており、思わず春が舞い戻って来たかと錯覚を覚えるほどに良い気候である。
フェリアとリリウスに左右から挟まれながら、俺は暖かな森林を歩んでいた。
小鳥のさえずり――は聞こえないが、代わりにエルフらしき少女の甘い嬌声が奏でられる。
そんな声音を耳にしながら、エプロンドレスに身を包んだリリウスは、嬉しそうに顔をとろけさせる。
フェリアはフェリアで、気にしていない素振りを見せながらもチラチラと視線を泳がせる。
やはり年頃の女の子だし、そういったことは気になるんだろうな。
そんな二人の興味を示すものはおいておいて、俺は思わず足を速めてしまう。
別に、フェリアやリリウスを大切に思っていないというわけではない。
むしろ、甘い嬌声に反応してトキメイている女の子など、魅力的なことこのうえない。
穏やかな気候でもあるし、俺の心身が正常ならこの場でいますぐ二人を押し倒してしまいたい、そんな気分だ。
しかし、それもこれも、俺が元気だったら、の話だ。
媚薬――もとい精力剤が効かないのであれば、素材そのままを生のまま使用すれば、もしかすると効くかもしれない。
――そう、もしかすると、なのだ。
誰かの判断を仰いだわけでも、正確な研究解析の結果などではない。単なる憶測上の話である。
だが、希望はある。
媚薬やらの危ない薬剤を売る二人(後からリリウスに聞いたところ、やはりあそこは法外な薬剤を売買する場所だったらしい)も、一応その道のプロに違いはない。
全くのど素人がいう憶測よりかは信頼性がある。
故に、俺は今興奮していた。
性的な方では無く、これから訪れるであろう健康な心身を取り戻せるのではないか、という一種の期待である。
身体が治れば、思う存分フェリアを可愛がることができる。
前にもここへ来たとき思ったが、暖かい外気や微風に包まれながら愛し合う、というのも試してみたい。
元の世界でそれを初めて知ったときは、誰かに見られたら恥ずかしい、などといった感情の方が強かったが。
今はその、何とも言えぬ解放感を堪能したいのだ。
フェリアを抱きしめ、素肌に新緑の絨毯の感触を味わい、何も身に着けぬ体躯を舐める柔らかな微風。
時折奏でられるメイドさんの嬌声、吐息。
想像しただけで胸が高鳴る。
しかもこの時期、この森に冒険者が闖入することはほとんど無い。
大抵の魔物はバグズ森林に出現しており、腕利きの冒険者や一攫千金を狙う者たちは皆揃ってそちらの森林へと赴くのだ。
しかも今なら、ギルドナイトなども“裂け目”の研究解析のために忙しく、こんな安全な森林まで見回りに来ない。
出歯亀されるとすれば、性欲旺盛なゴブリンやダークエルフなどだろう。
いくら人型だと言っても、人外生物に致すところを見られても、そこまで恥ずかしくはない――あ、でもイヌミミ獣人であるリリウスに見られるとしたら恥ずかしいし、やはり見られると、相手が誰でも恥ずかしいのだろうか。
などと思考が飛躍してきたところで、不意に甘ったるく酸味を含む香りが、鼻孔をくすぐった。
視界に広がるのは、艶のある真紅の果実。
青々と茂る新緑の樹木に成った、甘酸っぱいくだもの――リンゴのような木の実だ。
一度来た道を覚えるのは苦手だと思っていたが、大体の感覚は覚えていたらしい。
空腹で倒れたプリミルを連れて行った場所であり、さらに彼女と再会した場所でもあるこの場所なら、いるかもしれない。
「わっ、甘い香りがする」
後方にて静かに歩を進めていたフェリアが不意に駆け出すと、低めの箇所に成った果物を手に取り、実に幸福感溢れる笑みをこぼしながら、その赤い塊を口に含んだ。
シャリ、と美味しそうな音が奏でられ、フェリアの表情もトロトロにとろけていく。
こんなにも幸せそうなフェリアの顔を見るのは久しぶりだ。
うむ、実に良い。
身体さえ正常なら、今すぐにでも押し倒すのだが、まあ無理なことをクヨクヨ考えていても仕方がない。
さて、
フェリアが果実を咀嚼している様子を流し目に、俺は足元から地面を念入りに調べることにした。
褐色肌の塊か――もしくは見慣れた腰布でも落ちていれば、そこにプリミルがいると考えて間違いないはずだ。
彼女との遭遇は、この森に入って二回。そしてその内の半分はここだ。
半分とは言っても一回だけだが、何の手がかりもなくただ闇雲に探し回るよりかはましだろう。
もしかすれば、他のダークエルフか誰かがここに来るかもしれないし――、
「あれ、もしかしてお兄さん?」
などと楽観的なことを思考していると、不意に背後から聞き覚えのある声音がした。
直後、背後に押し付けられる温もりと感触。
女性的な起伏や柔らかさは全く感じさせないが、幼女特有の安心感がある。
ついでにバサリという布切れが落ちた音が聞こえ、俺は背中に抱き付いている少女が誰なのかをはっきりと認識した。
「プリミル、」
「お兄さんよく会うねー。もしかして、僕に会いたくなっちゃったとか?」
背中から温もりが放され、裸足で芝生を踏むような音が奏でられる。
俺はそのまま振り返り、一瞬だけ視線を下方へと落した後、すぐに上へと向けてプリミルの顔を見る。
やっぱり何もはいてなかった。
「おお珍しい、こんなにも早くダークエルフの少女を見つけるとは」
鮮やかな銀髪を風に流しながら、リリウスは流し目でプリミルの体躯を見渡した。
一言二言、「開放的な種族だ」とか「凹凸のない綺麗な身体だ」などと呟いているが、とりあえず気にしないでおこう。
チラリとフェリアへと視線を送る。
全裸の少女と向かい合っていることが発覚すれば、怒らないとしても、フェリア自身あまりよい思いはしないだろう。
――と、多少心配してフェリアの姿を追ったのだが、彼女は別段気にする様子も見せず、幸せそうに頬を緩めながら色々な果実を味わっていた。
何となく花より団子、という言葉が頭を過った。こちらのお二方は、団子ではなく男子の方が好きそうだが。
「お兄さん、ところで今日は何のご用なの? また私の素材を集めてくる依頼でも受注した? んもぅ、エッチだなあ」
いやーん、とか言って真っ平らな身体を両腕で包み込む。
逆に股座は全開にして仁王立ち。隠してるのか見せびらかしてるのか、どっちかはっきりしない。
「キンジのため――いやお兄さんのために、君の力を貸してもらいたいんだ」
嗜虐的な視線を浮かべ、リリウスは俺の顔を流し目にみやる。
何となくいたたまれなくなって目を逸らす。いいじゃん、元の世界でも次男坊で妹も弟も下にいなかったんだから、「お兄さん」って呼び名に少し憧れてたんだよ。
リリウスの言葉をそのまま飲み込んだプリミルは、可愛らしくコテンと首を傾げ、人差し指で口元を突っつきながら俺の顔を見上げた。
上目使いなロリっ娘、実に可愛い。
「私の力を、ですか? でもダークエルフの魔力は、人間と比べてもあまり多い方では無いですけど……」
強そうな剣士さんならそこにいますし、とリリウスを一瞥し、プリミルは不思議そうに俺とリリウスの顔を交互に見やる。
リリウス、説明してください。
こんな幼気な仕草を見せる童女に、そんな男の子のセンサイな悩みをこの口から打ち明けたくはないのです。
そんな俺のアイコンタクトを受け取ったか、リリウスは蠱惑的に口端を緩めると、その場にしゃがみ込み、プリミルの耳元に口を近づけた。
まるで耳を甘噛みしているような距離で、褐色肌のお姉さんが褐色肌の幼女に接近する。
シチュエーション的には最高だ。体格も正反対だし。
「――ってことなの、できるかしら?」
「えぅ、お兄さんが、そんなことに……?」
大方話を飲み込めたらしいプリミルは、年相応の少女らしく頬を染め、照れたように俺の顔を凝視する。
時折視線が下方へと向いては、気が付いたようにハッと顔に戻る。
分かりやすい。
「……それで、僕から媚薬の素材を採りたいんだ」
プリミルは目を逸らし、逡巡するように人差し指を突っつき合し――時折自身のおへそを撫でては、顔を真っ赤に染め上げて頬を両手で包み込む。
純粋純情に見えて可愛らしい。本人の身体は純正では無いのにな。
「ああ、話の飲み込みが早くて助かる」
「でもお姉さん、もう少し言葉を濁してくれないと……。そんな直接的な単語を使われたら、僕だって恥ずかしいんだからね!」
モジモジと体躯を揺らすプリミル。
そういったことに関して、プリミルが疎いとは思えないのだが――と、よく見るとリリウスまでが頬を妖艶に染め上げ、嗜虐的に口元を緩めていた。
まて、リリウス、お前プリミルに何て説明したんだ。
――などと問いただそうとしたが、色々と怖かったのでやめた。
知らぬが仏、という言葉もあるくらいだしな、過ぎた詮索はよしておこう。
「僕たちの素材で、一番男の子の不調に効く部分、だよね? ……お兄さんお姉さんちょっとまってて、急いで採ってくるから」
そう言うと、「恥ずかしいから覗かないでね」と言い捨て、プリミルは若干太い樹木の陰に隠れて何やらゴソゴソとし始めた。
何をしているのだろう。
と、思わずそっと身体を斜めにして覗き込もうとすると、顔を赤らめたリリウスに服の裾を摘ままれた。
珍しく生娘のように顔を俯かせ、フルフルと顔を小刻みに振っている。
こちらも純粋純情な少女のような反応だ。確かに、彼女の身体は男性を知らぬ初めてのものだが。
「キンジは見てはならない。女の子が見せたくないと言っているものをこっそり見るなど、よくないぞ」
リリウスはピッと人差し指をたて、俺の鼻先を突っついてみせる。
デリカシーのない鈍感主人公を嗜める年上キャラのようだが、この方がそんなことを言ってもまるで実感が湧かない。
「……だったら、男の子が寝ている間に部屋に忍び込んで、勝手に衣服をまさぐることもやめてほしいですけど」
「――はぅ、」
左胸を押さえて後方へ退くリリウス。
マジかよ。冗談で言ってみたのに。
この間リリウスが泊まっていった日、バカに寝巻が乱れているとは思っていたが――。
まあ、自分が知らぬ間にエロいお姉さんが俺の身体をまさぐっていたなんて、それはそれで、
「今後一切、そういうことをしないでください」
「服越しなら、」
「やめてください」
「……分かった。すまない」
リリウスは濡れた子犬のようにしょんぼりと俯き、重い溜息をこぼした。
結果的に何事も起こっていないため別に怒りはしないが、だからと言って寝込みを襲われることを黙認するわけにもいかない。
相手がどんなに肉感的なお姉さんだとしても、寝ている間に身体を触られるのは感覚的にも嫌だ。
フェリアだったらいいけどね。
「……えっと、お兄さん」
あーだこーだリリウスと言い合っていると、顔を上気させ息を弾ませながら、プリミルが何やら透明な液体を手の平に浮かべながら現れた。
妙に官能的な吐息を漏らし、右手で下腹部付近を痛そうに撫でている。
顔も熱っぽく赤らんでおり、口端に唾液がついている。
耐え難い痛みを我慢していたような表情だ。
「プリミル、大丈夫か?」
「……僕は、ん、大丈夫。それより、はぁ……、お兄さん、これを舐めて?」
プリミルの左手が、俺の口元へと運ばれる。
粘質のある、若干琥珀色をした液体を視界に入れだが、何となく俺の本能らしきものが、これを口にすることを拒否している。
だが、プリミルが頑張って“どこからか”採ってきた大切な素材だ。無下に扱って取りこぼしてしまったり、逡巡しすぎて乾いてしまったら申し訳がたたない。
しかし、
「一応聞いておくが、これは何だ?」
これが何なのか、それを認知しているだけでもかなり違う。
まあ流石に変なものを飲ませようとは思っていないと思うが。
「聞かない方がいいと思う」
「……そうか」
答えてくれなかった。
それより、何となく不吉な予感を醸し出す言葉を置き土産として置いて行った。
聞かない方がいいって何なんだよ。
余計にその液体を舐める気分が薄れたが、見た目は純粋幼女であるプリミルを信頼はしている。
ええい、ままよ。
俺はプリミルの吸い付きのよい素肌を寄せると、手の端にそっと口元を接触させる。
とろりと口腔内に広がる液体。
不思議と嫌な味はしない。無味無臭というわけではないが、不快感を及ぼす香りや味覚は感じない。
何となく、身体に害があるものだという感覚は得なかった。
「オクスリ、全部飲んだ?」
若干眼の端に涙を浮かべたプリミルを見やり、俺は目を背けながら小さく頷く。
幼女の手を取って優しく口づけをしている状態で、目を合わせられるほど俺の精神は図太く無い。
というか、何だか目を合わせられない。
頭の中を掻き回されたような錯覚を味わい、顔の内側から灼熱の炎で焦がされているかのように頬が火照る。
ゾクゾクと総身が痙攣し、目の前に佇む褐色幼女が素晴らしく魅力的に感じるのだ。
「……プリミル」
「効いたみたいだね。どお? 僕のエッチなお水、美味しかった?」
視界が歪む。
薄い膜を張られたかのように、眼球に映る景色が薄ぼんやりと変貌する。
喉が渇く。
喉笛から水分という名の物質を根こそぎ奪われたかのように、喉が渇いてしかたがない。
否、渇いているのは喉では無い。欲しているのは水分では無い。
「キンジ、その視線はやめてくれ。……何だか、勘違いをしてしまいそうになるではないか」
リリウスが照れながら何か言っているが、俺にはよく分からない。
とりあえず感じるのは、目の前で顔を赤らめるリリウスは、凄く魅惑的な肉体をしているという紛れもない事実だけだ。
身に着けた衣服も、なんと劣情をかきたてるものだろうか。
「お兄さん。……身体の方は、どうかな?」
遠慮がちに腰を締めるプリミル。こちらはこちらで、その身に何も纏っていない。
あれか、そんな幼稚な体躯をもって、俺を誘惑しているのだな。
な、そうだろう?
---
「……どうなのだ。キンジにお前の素材は効いたのか?」
「瞳が飢えた肉食獣みたいにギラギラしてるから、多分効いたと思うよ。ていうか、性欲旺盛で精神が健康な男の子に使うには、ちょっと強すぎたかもしれないくらい」
「確かに、これはまたやる気を与えてくれるような視線だな。熱っぽくて、見られているだけでドキドキしてしまう」
「でもちょっと可哀想だね。脳漿が沸騰しそうなほど精神は興奮してるのに、身体が言うこときかないなんて」
『まったくだ』と他人ごとのように呟き、リリウスは眼前にて羽交い絞めにされている本能の塊を眺めていた。
本能の塊――もとい魔法剣士ニノミヤ・キンジは、背後から闇色のメイドさんにガッシリと抱え込まれながらも、飢えた猛獣のような凶暴な視線をリリウスとプリミルに放っている。
ついでに、背後から押し当てられるフェリアの体躯にも反応するらしく、時折幸せそうに呻きながらピクピクと全身を痙攣させる。
第三者から見ると、実に可哀想な光景だ。
性に飢えた少年一人の前には、三人ものの可愛らしい女の子がいる。
そしてその三人の少女は、もし少年が心からの想いをぶつけたとしても、拒まずに受け入れてくれる方々だ。
求める者と求められる者。一見何の不都合もない。
不都合があるのは、求める者の身体状況だけである。
フェリアはその華奢な体躯をいっぱいに使いながら、理性を失い暴れ狂うキンジを押さえつけ、必死に動きを止めている。
今この状況で、キンジを手放すのは危険である。
別に目の前にいる二人の貞操を危惧しているのではない。
むしろ、それに関しては何ら問題は無いだろう。
リリウスは喜ぶであろうし、プリミルは全くもって気にしなさそうだ。
だが、当の本人であるキンジはどうだろうか。
理性も判断能力も無い、記憶もおぼろげな状態で、動かない身体を必死に少女の身体に押し付けているなど、後で思い出したらどう思うか。
優しく堅実なキンジのことだ。きっと罪悪感に苛まれ、酷く心を痛めるであろう。
フェリアは、愛するご主人様にそのような状況に陥ってほしくなかった。
だから、彼女はその繊細な身体で必死にキンジを抱え、できるだけ動かないようにさせているのだ。
「もうしわけございません、ご主人様の意に反することをしてしまって」
吐息のように呟き、フェリアはキンジの体躯をギュッと抱きしめる。
本能で作られた肉塊を押さえつけるためのものではなく、愛するご主人様がこれ以上傷つかないよう、精一杯の愛念を込めて。




