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元勇者のご主人様  作者: 山科碧葵
第一章
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第二話 見習いメイド

 舞い散る鮮血、弾ける肉塊。

 突如現れたメイドさんは、次々に襲いかかってくる魔獣を片っ端から蹴り飛ばしていく。

 顎に向かってつま先がクリーンヒットする。

 どうやら靴の先はかなり尖っているらしく、魔獣は顎や腹などを凹ませながら、次々空中浮遊の旅へと向かっていった。


 だが如何せん数が多すぎる。

 どこのお屋敷のメイドさんかは知らないが、助けに来てくれたことは感謝している。

 だが、これでもしメイドさんの身に何かあったら、この方の本当のご主人に顔向けが出来ない。


「ご主人様、失礼いたします!」


 乱舞を躍るような軽やかなステップで背後へとまわると、自然な動作で俺の身体を抱え込み、並大抵の筋力とは思えない瞬発力で、天高く飛び上がった。


「うおぁぁぁああ?」


 お姫様抱っこをされ、メイドさんの胸に俺の肩が押し付けられる。

 大きすぎず小さすぎず、安心感のある柔らかい膨らみ。

 極上の感触をもっと堪能したいのだが、メイドさんは空中でヒラリヒラリと身を飜えし、その度に身体が離れたり密着したりと。

 ずっとその温もりを堪能することは許されなかった。


「えい! えーい! えいっ、えいっ! ……あれ? 当たってない、おかしいな」


 俺の眼前には胸と首筋しか存在せず、今現在メイドさんがどれほどの戦績を上げているのか確認できない。

 途中までは善戦しているかのように思われたのだが、どうやら後半の言葉を耳にしたところ、メイドさんが行っている何らかの攻撃は、地上を駆け回る魔獣に躱されているらしい。

 時折下方から爆撃音のようなものが聞こえるのだが、まさかこのお方が一人で行っているのか。


 ――それは流石に無いか。

 確かに俺は小柄で華奢な体躯ではあるが、他者を抱えたまま、そこまで強烈な攻撃を行うことはできないだろう。

 きっとこのメイドさんの仕事仲間か、彼女が呼んだ援軍が攻撃しているのだろう。



 汗がじんわりと滲んだ首筋を眺め、若干扇情的な気分に陥っていると。

 落下しているような感覚を味わい、魔獣が奏でる唸り声が近く感じるようになった。


「どうしよう。……危ないかなぁ。でもご主人様を守らなきゃだし、仕方ない!」


 何やら一人で葛藤すると、メイドさんはもう一度飛び上がり、俺を強く抱きしめる。

 先ほどよりも生々しい感触が肩と接触し、いけないと思いながらも、思わず口元を緩めてしまう。


「ご主人様、ちょっと危険なので、私にしがみついてください! 早く!」


 どこに?

 お姫様抱っこされてて、掴めるところは全部掴んでるし、これ以上どこを掴めば――。


「失礼します。不快に思われるかもしれませんが、今しばらく耐えてください」


 焦燥に駆られた状態でそう言うと、一瞬だけお姫様抱っこを解き、目にも止まらぬ速さで俺を抱える格好を変えた。

 ――いわゆる、恋人同士がハグをしているような格好へ。


「しっかり掴まっててください、揺れますよ!」


 確かに揺れる。

 身体の全面にメイドさんの体温を感じ、上半身の膨らみが落下する抵抗で揺れるのだ。

 妙に扇情的な感覚を覚え、顔が熱くなる実感を味わう。

 このままメイドさんと、いつまでも抱き合ったままでいたい。


 そんな事を思考していた刹那、視界が爛々とした朱色に染まった。

 鮮血が噴出したかのような、真っ赤な閃光。

 外気が一瞬で暖まり、額や腋から尋常では無い量の汗が吹き出す。


 ――暑い、暑い暑い暑い。


 総身を灼熱の炎で包み込まれたような暑気を感じ、意識が薄れかける。

 体表が溶けてしまうのではないか、と思うほどの不快感に苛まれ、俺は抱きついたままの格好で下方へと視線を送ると――。


「……マジかよ」


 燃えていた。

 先程まで新緑の絨毯が敷かれていた地上に、鮮やかな緑色は存在しない。

 生物が焼却される時に放たれる、燻ったような焦げた臭い。

 悲痛に(まみ)れた魔獣の断末魔とともに、業火に包まれた獣が地上を逃げ惑う。


 まるで地獄絵図を見ているようだ。

 焼け焦げた動物の骨、逃げ惑った末力尽きて崩れ落ちる魔獣、地面を走る火の粉。

 退路を与えない無慈悲な火炎。

 焼け焦げた地面は浅黒く燻り、生命を根絶させられた植物たちの悲鳴が耳朶を打つ。

 悪臭が漂い、火炎が渦巻く空間に、メイドさんは平然とした面持ちで、まるで地上に降り立った天使のように軽やかなステップで地上に降りると。

 実に自然な動作で繊細な指先を鳴らし、大地を荒らした業火を一瞬にして消失させた。


「…………」


 あまりに酷い惨状に、言葉が出ない。

 焼け爛れた体表をベロンと剥がされ、苦痛に歪んだ表情は、そのままの形で硬直している。

 恐怖のために見開いたであろう瞳も、光の無い虚ろな状態で虚空を眺めている。

 魔獣は大量にいるが、気配も殺意も全く感じさせない。

 つまり、先程の火事で全滅させられた、ということか。


「ご無事ですか、ご主人様」

「ええと、俺は大丈夫です。助けてくれてありがとうございます」


 まだメイドさんと抱き合っていたことに気がつき、俺はすぐに離れ、深々と腰を折る。

 辺りに他の気配を感じない。

 ということは、魔獣を全滅させたのも、彼女一人の功績だろう。

 野良メイド――なんて言葉が浮かんだが、そんな煩悩はすぐに消し去る。

 一度助けてもらっただけで恋に落ちるとか、俺ってどんなチョロインだよ――。

 とは思ってみたものの。


「可愛い……」


 凛然とした鳶色の双眸。

 月光を受け、鮮やかな色彩を振りまく闇色の髪。

 この世に存在する全ての生物を魅了するかのような端正な顔立ちに、思わず吸い込まれてしまいそうな錯覚を味わう。

 凛とした視線は暫しの間、星芒の舞い散る夜景を捉えていたが。

 自身に向けられた視線を感じたか。彼女は、夜明けに咲いた小さな花のように愛らしい微笑みを向け、小さく首を傾げてみせた。


 心を奪われるような感覚。

 地面に座り込み、口を半開きにしたままその美貌に見とれてしまう。

 眼前に存在する少女に全ての五感を吸い取られ、他のことは一切感じ取ることができない。

 跳ね飛びそうな心臓をどうにか押さえ込んでいると。メイドさんはその場で足を折り、顔の高さを俺と同じにして、鈴の音のように蠱惑的な声音を優しく放つ。


「申し遅れました。わたしの名前はフェリア、ご主人様を異世界から召喚した、見習いメイドでございます」


 ほぼゼロ距離で小さく頭を下げられ、鼻先に女の子特有の甘美な香りが放たれる。

 微風を受けてフェリアの長く繊細な髪が煙り、視界を艶やかな闇色に彩った。


 一瞬その情景に見とれた後、俺はフェリアの発した言葉をもう一度頭の中で復唱し、咀嚼する。


 ――異世界からご主人様を召喚した見習いメイド。


 と言うことはあれか、俺がご主人様で、この娘は俺専属の見習いメイド。

 なるほど、実に分かりやすく簡略的な解説だ。――って。


「え、待って。それが事実だとすると、あなたが俺を召喚したんですか?」

「その通りです、ご主人様」


 鮮やかな髪を風になびかせ、照れくさそうにはにかんだ。

 頬を淡い桜色に染め、若干俯いて上目遣いを見せる。

 褒めて、褒めて。とでも言うように、見えない尻尾を精一杯振っているような錯覚を覚える。

 期待に満ちた笑みを見せては、無反応な俺を見てションボリと下を向く。


「……あの、迷惑でしたか? 一応、魔法を使えるお方を召喚しようとして、わたしなりに結構頑張ったのですが」


 叱られた子犬のように丸まって、指先で地面にのの字を描き始めた。

 ご主人様に頑張りを褒めてもらえなくて、拗ねているらしい。

 これは何だろう、頭でも撫でてあげれば良いのだろうか。それとも、抱きしめたりして良いのだろうか。

 ここ三年間の魔王討伐冒険道中、女の子という生き物と全くと言っていいほど接していないので、今俺は凄く女の子の柔らかさや温もりを堪能したいのだが。

 とりあえず、妙な真似をして泣かれたり怒られたりしても困るので、言葉だけで済ませることにする。


「――えっと、うん。異世界からの召喚、よく頑張りました」

「はい、ご主人様のお褒めに預かり、光栄でございます」


 鳶色の瞳に光が灯り、嬉しそうに目を細める。

 良かった。誰かを褒めたことなんて全く記憶に無いから、どうやって褒めれば良いのか戸惑ってしまったが。これで良かったのか。

 フェリアは両頬を手で包み込み、至福の表情を浮かべて幸せそうに言葉を紡ぐ。


「召喚魔法や転移魔法がほとんど成長していないこの世界では、異世界から目指すべくお方を召喚するなど、不可能だと言われていたのに。これでわたしは、また新しい伝説を作っちゃいました」


 もっと褒めて欲しいのだろうか。

 爛々と輝いた双眸で必死に見つめ、顔が接近してくる。

 このまま唇を奪っても怒られないのだろうか、などと不埒な煩悩を浮かべていると。

 ふと、先程の言葉に引っかかるところを思い出し、恐る恐る俺はフェリアに問いかけた。


「新しい伝説って……。フェリア……さんは、何か前にも伝説を作ったのですか?」


 フェリアの体躯が愛らしくピョコンと跳ねる。

 星やハートが散りばめられたように瞳は燦然と輝き、静かに結んでいた口元は薄く開き、鈴を転がしたような聴き心地の良い声音が口端から漏れる。

 ――あ、これって、もしかして話が長くなるパターンですか。

 今にも大声で笑いだしそうに口元を緩めたフェリアは、俺の両手をギュッと包み込み、唇を奪うような勢いで顔を近づけた。

 温かい吐息が鼻先をくすぐり、甘ったるい香りが口端を弾ける。


 フェリアは頬を染め、一瞬だけ瞑目すると。

 弧を描くように唇を結び、ネコのように愛らしく目を細めた。


「わたしが創った伝説に、興味がおありでしょうか?」


 昔から聞き上手な話し下手と言われ続けていた俺だが、まだこの世界の詳しい事情や環境を知らず、いっぱいいっぱいなため、あまり長くて説明臭いお話を延々と続けられれば、相槌さえ打てるかどうかも分からない。

 下手すると途中で眠ってしまうかもしれない。

 女の子が嬉しそうに話している最中に眠るなんてことになれば、どれだけ心が広いお方でも、俺を見捨てて行ってしまうだろう。

 女じゃ無いけど、大事な話中に眠られたら俺だってそうする。


 ――しかし。


 闇夜のように鮮やかな髪を弄りながら、フェリアは期待に満ちた視線を何度もこちらへと送ってくる。

 聴いて、お願い聴いて! とでも言うように、時折頬を染めては、嬉しそうに顎を掻く。

 ――さて、良かろう。

 俺は人の話を黙って聞くのは得意なんだ。

 眠らないようにだけ気をつければ、きっと大丈夫だろう。



 俺はその場に胡座をかくと、右手を出して話すように促した。

 すると、フェリアは太陽のように輝かしい笑顔を見せ、奔流のように延々と自身の武勇伝を語りだした。

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