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元勇者のご主人様  作者: 山科碧葵
第三章
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第三話 熱の無いココロ

 燦然と輝く太陽に照らされた新緑の絨毯にて、一人の少年が仰向けに寝転がっていた。

 光の無い虚ろな双眸を天へと放ち、その体躯は全くもって動こうとしない。

 目立った外傷は無く、死相などは確認できない。

 血流や心拍も正常に機能しており、半開きになった口端からは時折思い出したようにか細い吐息がこぼれる。



 ――俺が目を覚ました時、真っ先にやってきたのは、胸を締め付けるような耐え難い虚脱感だった。

 身体の欠損や破損部位は存在せず、胸いっぱいに外気を取り込むと、若干清々しい気分を味わうことができる。

 だが妙に気怠い。


 全速力で走ったからか、いや違う。

 この気怠さは何度も感じたことがある。

 何度も何度も、ホワイトブリムをとったフェリアの一生懸命な顔とともに。

 口いっぱいに頬張っていたり、繊細な手で包み込んでいたり、シチュエーションは毎度違うが、同じ時に味わう気怠さ。

 全身に力を込めても、一箇所だけどうしても力が抜ける。

 微風が顔を撫でても、腕を舐めても、決して動くことは無い。


 俺はそのことを再認識すると、何とも言えない背徳的な感情を覚え、長い溜息をついた。


「……やっちまった。いや、やられちまったってことか」


 思わず乾いた笑いがこぼれる。

 金髪の眩しい幼女様に襲われてしまったのか。

 不思議な能力で眠らされて、そのうちに。

 何だろう、何だか解らないけど、涙が出てきた。


 頭に浮かぶのはフェリアの顔、フェリアの脚、フェリアの胸、フェリア、フェリアフェリアフェリアフェリア――!


 ふっと我に帰る。

 自分は悪くないはずなのに、何とも言えぬ罪悪感が押し寄せる。

 押しつぶされるような悪感情に苛まれ、心から疲弊してしまったようだ。

 窒息するような息苦しさを覚え、視界に靄がかかる。


 ああ、俺はどんな顔をして、フェリアと会えば良いのだろうか。

 俺のために、身も心も捧げてくれた愛しのメイドさん。

 彼女は何も悪くないのに、俺は彼女を裏切るような真似をしてしまった――。

 と、この辺りまで負のスパイラルに飲み込まれたところで、不意に俺は違和感に苛まれた。


「……あれ?」


 重たい体躯を擡げ、自身の服装をもう一度確認する。

 フェリアが選んでくれた、青紫色をした魔法剣士用の衣装。

 ところどころ丁寧な縫い跡が存在し、思わず口元が緩んでしまう。

 俺が満身創痍で帰宅する度に、うちの可愛いメイドさんが心を込めて縫ってくれた跡だ。


 衣服の傷は冒険者の誇りだと言っていた人もいたが、俺は、それを毎度のように治してくれる人がいる、ということを誇りに思いたい。


 ――違う、そうではない。


 アイロンも無いのに、ピチッと気持ちよく伸ばされた衣服。

 ズボンも同様、見たところ何の着崩れもしていない。

 違和感の正体はこれだ。

 “もし、俺が寝ている間にあの幼女に脱がされて、襲われていたとすれば”、これほど丁寧に、服を着せなおすだろうか。

 まあ、律儀で堅苦しい幼女だった、と言えば話の辻褄が通るかもしれないが、だとすれば、そんな人間が、こんな卑劣な手段で異性を襲うとは思えない。


 少し躊躇わられたが、ズボンの中へと手を突っ込んでみた。

 下着は湿っていない。とくに切り取られていたりもしていないようだ。

 感触も体温も存在する。

 血液が滲んでいる様子も無い、そこには至って健全な、男の子である証拠が横たわっていた。


「……何だ、びっくりしたあ」


 ふっと心が軽くなり、俺は全身で伸びをして深呼吸をする。

 身体のガタつきと気怠さは消えないが、気を失っている間に襲われていたのでは無いことが分かり、一種の安堵感のようなものを味わっていた。

 思わず口元から笑みがこぼれる。

 心の底から怯え、動揺していた自身が情けない感じだ。

 

 天に伸ばした手を見据え、フゥと吐息をこぼす。

 なるほど、どうやら魔力を多少抜き取られたらしい。

 気怠さと重さの原因はそれだろう、それと、強力な睡眠魔術を使用されたようだ。

 頭の奥深くがガンガンする。

 長時間ゲーム画面を見つめていたような感覚だ。うげぇ、気持ち悪い。


 ぶんぶんと腕を振り、コキコキと首筋を鳴らしてから新緑の景色を視界に入れる。

 爽やかな外観に、清らかな外気。

 疲労や怠さはこういった景色を見ることで多少緩和される。

 精神的動揺からなる鼓動の速まりは、今晩愛しのメイドさんを抱きしめて愛を囁き合えば治るだろう。


 大丈夫、と心の中に呟き、俺は重い足を引きずりながら、依頼失敗の結果をギルドへと知らせに向かった。



 ---



 ギルド内部は、普段通り閑散としていた。

 全ての“音”という物質を消し去ったような静寂の中、時折受付嬢やギルドナイトが歩行する音が奏でられる。

 呼吸する音までがはっきりと聴こえる静けさの中、俺は重量感のある足を地面に着きながら、ゆっくりと受付カウンターまで歩を進める。


 さて、どう言おうか。

 依頼を失敗した、という結果を伝達するよりも虚しく辛いものは無い。

 もちろん、その依頼が難関依頼だったり、存在するかどうか分からないものを発掘するような依頼であれば、何の問題も無いのだが。

 幼い少女一人見つけられず、こんなふらついた状態で帰還するなど、冒険者からしてみれば何よりも酷な話である。


 見つけたのに、それをみすみす逃して帰ってきたなど、言語道断。

 ペナルティなどが存在するわけでは無いが、絶対に許されるようなことではない。


 仕方ない。

 見つけられなかった、とだけ伝えて今日はもう家に帰ろう。


「あの、この依頼なんですけど」

「はい、少々お待ちくださいね」


 エルフ耳の受付嬢はブロンドの髪を流しながら、玲瓏な微笑みを見せてギルドの奥へと姿を消した。

 カウンターに身体を預けて立っているのだが、実に苦痛だ。足がガタガタする。

 先程から異様なほどに疲労感を覚えており、疲弊による溜息が何度もこぼれる。

 あれ、俺ってこんなに疲れやすい身体してたっけ?


「――キンジ・ニノミヤ・アリーデヴェル様?」


 虚ろな双眸を前方へ向けると、心配そうな表情でオロオロとするエルフお姉さんの姿が目に映った。

 気がつけば、大分息が荒くなり、顔も火照っている。

 ヤバイな、これではぱっと見病人じゃないか。


 重い頭を必死に支え、俺は「大丈夫です」と告げる。

 無駄に他者を心配させることでも無い。

 帰ったらフェリアに膝枕してもらおう。

 疲れにはメイドさんの膝枕が一番効く。


 身体を起こし、重量感のある瞼を必死に上げて受付嬢の顔を見据える。

 端正な顔立ちが穏やかに緩められ、エルフな受付嬢は一枚の書類を眺めながら、聴き心地の良い声音で言葉を紡いだ。


「連絡が遅れて申し訳ありませんでした。この依頼ですが、先ほど他の冒険者様によって、この娘は無事保護されています」


 受付嬢のお姉さんは、丁寧な動作で腰を折る。

 その言葉を聞き、一番最初に覚えた感情とは、一種の安堵感だった。

 やっぱり俺が逃してしまった少女は、見つけ出すべきか弱き少女では無かった。

 俺の弱さが原因で、一人の少女の生命を失わせることにならずに済んだ。


 心のやつれが多少緩和され、先程までとはまた違った溜息が口端を温める。

 胸中を支配していた不安感の渦は徐々に消失し、精神的な重量感もスーっと消えていく。


「……そう、ですか。無事見つかっていて、なによりです」


 心の重みがとれて若干楽になった俺は、一言二言他愛も無い話をした後、多少疲弊の溜まった身体を庇いながら、帰途についた。



 ---



「お帰りなさいませ、ご主人様」


 帰宅して真っ先に目に飛び込んできたのは、愛らしく科を作り、玄関にて女の子座りをかます闇色のメイドさんだった。

 期待に満ちた表情を見せ、口元で妖艶に弧を描く。

 若干薄い生地のエプロンドレスに、普段より短いスカート。

 無抵抗を絵に描いたような出て立ちに、何とも言えぬ嗜虐心のようなものを覚える。


 本能に従うのであれば、今すぐにでも身も心も捧げて愛でたい。


「……ご主人様?」


 心配げな表情を見せ、愛くるしいメイドさんは俺の方をじっと見据える。

 フェリアの視線の先には、彼女が何度も針を通した冒険者服がある。

 玄関の上で女の子座りをする彼女の目の高さには、俺のズボンがあり、ちょうど男の子の象徴が存在するのだ。

 普段であれば、目の前で放たれるフェリアの甘い視線に耐え切れず、俺の性剣が爆発準備を始めるのだが。

 如何せん、どうにもこうにも今日はそいつは動こうとしない。


 フェリアもそのことに疑問を抱いているのか、俺の下腹部へと真剣な眼差しをじっと向けている


「何か、あったのですか?」


 恐る恐る、といった様子で視線が俺の顔へと走った。

 疑念や悲壮を含めたような、見ているだけで胸がキュゥと締め付けられるような表情。

 きっとフェリアの心の中では、俺が彼女を裏切って誰かと身を重ねたりした、とでも思っているのだろう。

 もしくは、俺の体調が悪いのではないか、と心配してくれているか――。


「今日のお夕食は、少しだけ元気の出るメニューにします。……大分、お疲れのようですので」


 フェリアはそう言って立ち上がると、俺に向かって両腕を開いて見せた。

 先程までの葬式じみた表情は消失し、フェリアの顔には、嬉しさや幸福の入り混じった可愛らしい表情が浮かんでいる。


「ご主人様、今ここで私を抱きしめてください。お体の具合が優れないようですので、治癒魔法をかけてみます」


 眼前に広がった、エプロンドレス越しのフェリアの胸。

 決して小さいわけでは無いが、フリフリした服飾のためか、多少慎ましげなサイズにも見える。

 だが、ここに俺の求める桃源郷が広がっていることに違いはない。

 遮るものがあろうがなかろうが、フェリアのモノがここに存在することとは、まごうことない事実なのだ。


 少し、元気が出てきた。

 現金なものだと自分でも思うが、やっぱりフェリアは愛おしい。


 重い足を引き上げ、玄関へとその身を乗せると。

 飛び込んできて! とでも言うように曝け出されたフェリアの上半身へと、逡巡も躊躇いも無く飛び込んだ。


「ご主人様……」


 フェリアの温かい手が後頭部を撫で、鬱蒼と茂った黒髪を丁寧に梳く。

 身体はどうしても反応せず、元気が無いようだったが。

 フェリアのその体温は、今日一日傷ついた俺の心をゆっくりと修復してくれた。



 ---



 今晩の夕餉は、日本で言うところのギョウザのような料理だった。

 食欲をそそる香りがリビングに立ち込め、俺の腹部からは健康的な音が奏でられた。


 もちろん味も素晴らしいものだ。

 『これならいくらでも食べられる』という言葉を体現するかのように、テーブルに並べられた夕食を咀嚼する。

 くどくなく、スッキリとした味わい。

 外の皮もプリッとしており、噛み締めるとジュワリとした肉汁が溢れ出る。

 臭みは無く、スルリと喉を通る。

 実に美味い。


 次々に料理を口へと運ぶ俺を見て、フェリアは満足げに瞑目して胸を張ってみせた。

 えへん、と言った様子に、食事中だと言うのに思わず気持ちが高ぶってくる。

 胸の奥からこみ上げる熱い感覚。

 疲弊のために反応しないが、事実俺の欲望は極限まで溜まっているはずなのだ。

 これを食べて元気が出たら、今夜はオールナイトしてもいい。

 寝かされなかったことなら幾度となくあったが、フェリアを寝かさなかったことは無かったからな。

 今晩こそ、ずっと俺のターンしてやるぜ。




 フェリアは毎晩召喚魔法の研究をしているため、夕食の片付けが終了すると自室に篭ってしまう。

 最初の頃こそ寂しかったものだが、今となっては、その焦らすような行動が堪らなく愛おしい。

 一人での入浴中に悶々として、準備万端の状態で一足先に布団に入る。

 暫く待っていると、甘い湯気を立てたフェリアが薄着で俺の部屋へと参る。


 大体こんな感じである。

 ちなみに、フェリアのそっちの腕は、ここ数ヶ月でみるみる上達した。

 フェリアは元々覚えが早く頑張り屋さんなため、新しいことを自身の能力にすることが得意なのだ。

 俺も初めての頃と比べればかなり慣れていると思うのだが、如何せんフェリアの上達速度には適わない。

 すなわち、毎晩俺はフェリアに蹂躙される。

 献身的なメイドさんが、目をギラつかせて飛びかかってくる。


 ――そうだ。

 毎晩こうして布団に潜り、フェリアの入浴中もずっと彼女の事を思い描いて。

 速まる鼓動と高まる心に身を任せていれば、すぐさま夜の臨戦体勢へと豹変するのだが――。


「あれ、おかしいな」


 脳内からとろけて頭の中身が零れ落ちそうなほどに胸が高鳴っていると言うのに、俺の身体はそんな心情とは裏腹に全くもって動かない。

 決して、興奮していないわけでは無いのだ。

 今の俺が無防備なフェリアを目にすれば、きっと理性を失った野獣と化して本能のみになって、拒まない従順なメイドさんに襲いかかるだろう。

 ――だのに。


「……何で、だ?」


 気を抜けば全身から汗が吹き出しそうなほどに、俺が入っている布団の中は暑い。

 現に多少汗が滲んでおり、新品同様な白さを誇るシーツはじんわりと湿っている。

 頭に浮かぶのはフェリアの姿、フェリアの声、フェリアの表情。

 なのに、肝心なものが欲望を受け付けようとしないのだ。


「――な」

「お待たせしました。ご主人様」


 ドアがガチャリと開き、甘い湯気を纏ったメイドさんが室内へと闖入する。

 艶かしく腰を揺らし、科を作り、人差し指を口にくわえて俺の顔をじっと見つめる。

 思わず目眩を起こしそうになるほどに扇情的な情景。

 この後起こるロマンスを思い描けば、俺の魂は落ち着いていられるはずが無いのに――。


 フェリアは官能的な視線を誘うように滑らせ、布団の中へと闖入する。

 いつもであれば、このまま朝までコースに乗り換えて休み無しの乗車切符を手に入れるのだが。


「……ご、主人、様?」


 か細い声が、天使の喉笛から絞り出される。

 怯えや悲壮感の混じった、見ているだけで胸が張り裂けそうな表情。

 フェリアは自身の体躯と俺の顔を交互に見た後、ペタペタと自身の胸周りを撫ではじめた。


 その様子を見ると、胸がチクチクと痛む。

 何らかの原因――どう転がしても俺の何かが原因なのだろうに、フェリアは自身が原因で、俺が喜んでいないと思っている。

 自身の体躯を撫でては、精一杯魅惑的な行動を見せて総身をすり寄せてくる。

 その度に、俺の中では脳がとろけそうなほどの劣情を催すのだが、肝心な俺の身体はピクリとも動かない。

 第三者から見れば、欲求を感じていないように見えてしまうだろう。


 ここは何と言えばいいのだろうか。

 解らない。脳内ではいくつもの言葉が渦巻いているのに、何かを言わなければ、と分かっているのに、怯えや畏怖の感情に苛まれた俺は、その口端から言葉をこぼすことができない。


 ――勇気が足りていない。


 そんなものは、言い訳にしか違わないと言うのに。


「……申し訳ございません、ご主人様」


 生気を失った、青白い顔。

 だが、そんな表情は一瞬で消し去り、何事も無かったかのように頬に朱が差す。

 フェリアは俺の顔を見据え、穏やかに微笑むと、両腕をいっぱいに使って俺の体躯を抱きしめてくれた。

 身体の全面に感じるフェリアの体温、そして鼓動。


 フェリアに、フェリアに謝らせてしまった。


 フェリアは何も悪く無い。

 俺の調子が悪いだけで、フェリアには何の問題も無いのに。



 ――この状況にショックを受けた心の弱い魔法剣士は、一人のメイドに優しい声一つ――たった一つの言葉さえ、かけることができなかった。

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