第二話 未知という名の恐怖
穏やかな気候。
柔らかい日差しが外気を包み込み、暖かな微風が露出した素肌を撫でていく。
肩も背中も鎖骨もおへそも、はたまた太ももから足首までを惜しげも無く露出した褐色獣人の女性は、その風を総身に感じながら、恍惚とした表情を見せて心をとろけさせる。
弾けるように魅惑的な体躯を晒しながら、剣士リリウスは自身の腰回りを艶めかしく揺らし、人々の声が行き交う雑踏の中を歩いていた。
挑発的な服装に、色気たっぷりな流し目。
時折見せつけるように肩を撫でては、さりげなさを装って口端に舌を這わせる。
まるでグラビアモデルのような出で立ちで青空商店街を歩むリリウスは、道行く青少年に淡い夢を与えながらも、心の中では至って真剣なことを考えていた。
剣術の修行から戻り、フェリア宅からそう離れていない場所に住み着いたリリウスは、今日この日、ギルドマスターからお呼び出しがかかったのである。
今朝。かなり慌てた様子で息を弾ませながら、ギルドナイトの青年がリリウス宅へと姿を現した。
ちょうど庭先で水浴びをしていたリリウスは、水滴を拭うこともせずにそのままの姿で玄関まで赴き、鼻の下をゴムのように伸ばしながら前かがみになった青年から、伝言を承ったのだ。
彼は視線を泳がせながらも、一枚の手紙をリリウスに渡すと。
何度も何度も振り返っては劣情の篭った視線を向け、来たとき以上に息を荒げながらギルドへと戻っていった。
彼の姿が見えなくなってから数分後。
リリウスは濡れた手で手紙を開封し、中身を改めた。
ギルドから発送された手紙という時点で、差出人の名前を見る前に、彼女は誰からの手紙なのかは大体理解していたが。
一応差出人の名を確認し、目を細める。
「やはり、彼か」
衰えを感じさせない、力強い筆使い。
達筆――とまではいかないが、彼特有の雄々しい文字。
リリウスは何かしら思うことがありながらも、その手紙に書かれた文章を、一字一句読みこぼすことの無いよう、丁寧に視線を走らせた。
そこに書かれていたのは、バグズ森林にて発現していた魔法陣の正体についての精緻な解析データと、そこから転移されたであろう生物に関する説明文であった。
ギルドナイトや研究者はその魔法陣に闖入し、今現在、転移・召喚魔法の研究に没頭しているのだとか。
この世界では、転移魔法も召喚魔法も使用できないものという位置づけになっている。
元から無いものが使用できなくとも、それを不便だと感じることは無いが、人間というものは徐々に進化する環境に埋もれているとやはり欲がでてくるものなのだ。
この世界でも同じことだ。
室内を冷やす魔道具が作られた当時は、それはもう社会現象になるほどに世界が歓声をあげたが。
今では部屋を暖める魔道具まで存在している。
誰しも、今この時分よりも発展することを望んでいるのだ。
リリウスは手紙に書かれた文面を何度も読み返し、書いてある内容を大体は理解することができた。
だが、現れた異世界人についての説明や、その生物が引き起こす問題点などについての事象を深く理解することができなかったので、こうして彼女は、いかがわしい風味を持つ体躯を晒しながら、ギルドへの道を歩んでいるのである。
手紙の内容を大まかに纏めると、要するに、バグズ森林の奥部に異世界から転移魔法を発動させられ、そこに何者かが出現した、ということである。
容姿や性格など、細かい部分はまだ分かっていないようだが。
召喚魔法を使用できるという時点で、この世界の生物よりも賢く、また、見たことも無いような変わった魔法などを使用できるかもしれない。
そのため、出来る限り住民を巻き込みたくない。
もし妙な輩を見つけたら、ギルドへの連絡を求む。
――と、まあこのような感じだ。
だが凶悪な魔物や、巨大な魔王が出現したのであれば、すぐさま国を揺るがすような事件となっているだろう。
こうして一剣士である彼女に相談をもちかける程度のことなのであれば、そう緊急を要すようなことではないのだろう、との、何とも言えぬ安心感のようなものが彼女にはあった。
――そう、いかにもな誘惑行動に負けてしまうほどにである。
「そこの可愛らしいおネーチャン、ちょっと付いて来ない?」
「ん、私に声をかけたのか?」
まだ若いイケメンボイスが耳朶を打ち、リリウスは精一杯の色目を使って、声のした方へと振り返る。
そこにいたのは、腰に剣を差した若い男性。
身体の肉付きは良く、健康的な真っ白な歯を見せてニヤニヤとリリウスの体躯を眺めている。
ようするにあれだ。身体目当ての若い兄ちゃんなのだが、色々と理由があって男性に飢えているリリウスにとっては、劣情と欲望の塊のようなその視線にも、思わず媚びてしまうのだ。
胸を強調するように姿勢良く立ち、艶めかしい脚をスっと伸ばす。
あざとすぎないよう、口元を緩やかに結び、自然を装って上目遣い。
振り返った当初は、半ばからかうような表情をしていた青年も、その蠱惑的な誘惑行動を目の当たりにして、思わず息を呑む。
「私のことを、知りたいのか?」
挑発するかのように四肢を広げ、ゆっくりと歩み寄る。
実に自然な動作で、声かけをした男にしなだれかかると、リリウスはその身を任せ、人気の少ない色街へと姿を溶け込ませた。
…………。
……。
---
冒険者ギルド応接室。
柔らかい日差しに包まれ、大窓からは、夏の終わりらしい新緑の景色が顔を覗かせていた。
深紅を基調とした豪奢な部屋であり、美麗な彫刻などが設置されている。
簡潔に言うと、常人が足を踏み入れるには不相応だと思わせる空間だ。
そんな静寂しきった空間に、何者かが鼻をすする音が奏でられる。
叱られた子犬のように文字通り犬耳を垂らし、屈辱といった様子で目の端に涙を浮かべながら、褐色肌の獣人剣士リリウスは来客用の椅子の上で小さく蹲っていた。
惜しげも無く外気に晒された肩、鎖骨、おへそ、太もも。
艶めかしいラインをもつ脚を妖艶に並べ、弾けるような素肌が触れ合う。
腰からは犬のしっぽが生えており、クルリと動いては、ダラリと垂れる。
鼻をすする際、時折吐息のようにか細い溜息がこぼれ、一筋の涙が瞳から溢れる。
「……あっちから誘っておいて、急に何なのよ。だったら、最初から声なんてかけないでよ」
嗚咽を漏らす彼女の対面では、時偶漏れる愚痴を耳にしながらもゆったりとした表情を見せる一人の老人が腰を下ろしていた。
見るからに偉大であろう風体をしているわけでも無く、立派な執事やメイドを脇に従えているわけでもないのだが、穏やかに座る彼の佇まいは、身分が高いことを嫌でも実感させる。
悠然と構える山岳地帯のように傲然とした雰囲気。
そのただならぬオーラも素晴らしいものだが、そんな彼の眼前で蹲って涙を流すなどといった行動を起こす、彼女の面の皮もまた防火壁のようにぶ厚いのであろう。
でなければ、これほどまでに雄大な人物の前で、こんなくだらない理由で泣き続けることなどできないだろう。
ドッシリと構える老体と、蹲って泣き崩れる若い女性。
対照的な二人であったが、互いに相手を尊敬していた。
彼と彼女の出会いには数々の波乱や冒険譚があるのだが、ギルドマスターとリリウスの出会いについては多少触れた節があるためここでは触れないでおく。
「ふえぅ……」
「もう、大丈夫ですかな?」
「何だよう……。そんなに私の身体は魅力的じゃないのかよう」
泣きはらした目をギルドマスターの老人に向け、リリウスは溢れる涙をグシグシと拭う。
根本的な解決にはならないが、泣くと一時的なストレス物質排除が可能なため、感情に任せて思いっきり泣くこととは実は良いことなのである。
ギルドマスターの老人もそのことを理解していたため、涙を零しながら現れたリリウスに、思う存分泣くだけの時間を与えていた。
あまり関係の無い話だが、事実この白ひげが立派なギルドマスターも泣くことは多い。
高い身分と資金を持った老体でも、精神的な負荷は感じるものなのだ。
「しかし、部屋に入るなり泣き崩れるとは、流石のわしでも驚きましたぞ」
「……だって、散々けなされてボロボロだった私に、そんな穏やかな表情で迎え入れてくれて」
リリウスはまたしても顔を覆う。
「穏やか、か。わしのことを見てそんなことを言うのは、お前くらいだな」
実際、彼の面持ちは普段から穏やかなのだが。
ギルドで一番偉い人間に向かって、「穏やかな顔つきですね」などと世間話を言えるような人はいないのである。
暫しの間リリウスは鼻をすすっていたが、気が済むまで泣き終えたのか。
彼女は艶やかな腕で鼻面を擦り、赤くなった双眸をギルドマスターに向けて吐息をこぼした。
「……落ち着いた」
「よろしい。ところで、用件とは何だったのかな? 私が出した手紙の内容に関することか?」
リリウスは喉を鳴らし、小さく頷く。
「そうよ。この間の会合での話もよく解らなかったし、今回戴いた手紙の内容も、よく理解できなかったから」
「そうか、まあそんなものだ。会合で高らかに発言していた貴族もギルドナイトも、実際はこの状況をよく分かっていない。難解な言葉をつらつらと並べ、学のないものをただ煙に巻いているだけだ」
そんなものか、と納得し、リリウスは安堵の溜息をつく。
幼い頃から剣術を学び、学問に関しては人並み未満。
大陸で剣を振っているときには感じなかったが、彼と出会ってこの地に着いてからは、“偉い貴族様”が使う難しい言葉に嫌悪感を覚えていた。
子供が新聞を読んでいる状況に近いだろうか。
理解し難い内容を並べ立てられ、ただ頷くのみ。
内容を理解できない話を耳に入れるというのは、退屈であり非常に疲労する。
無心に剣を振ることこそが人生、だと感じていたリリウスにとって、あのような堅苦しい会合は嫌悪の対象でしかなかったのだが――。
「じゃあ、理解出来なかった私がバカだったわけではないのか」
「ああ、問題無いことだ。わしが出した手紙も、少し難しい言葉が多かったかもしれなかったな」
「……いや、きっとそれは私の理解力の無さが原因だ」
現にリリウスは、一つ一つの単語を理解することはできたのだが、書かれている言葉から、それがどのような悪影響を及ぼすものなのか、を想像することができなかったのだ。
しかしそれは、リリウスの理解力の問題では無い。
手紙に書かれた――いや、ギルドが確認した異邦人の容姿や状態は、あまりに幼気で、か弱いものだったからである。
リリウスはボヨンとした膨らみに手を突っ込み、谷間から汗がじんわりと滲んだ手紙を取り出すと、折り目やシワを伸ばしながら、鏡のようにピカピカに磨かれた大理石で造られた机の上に広げた。
褐色の繊細な指先が文字の上を走り、ある一点で動きを止める。
ありきたりな挨拶文が終了し、手紙の内容が本題に入った箇所であり、異邦人に関する見た目などの説明が簡単に書かれている部分である。
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――バグズ森林奥部から現れた異邦人。
彼女は幼い少女のような容姿をしており、糸のように繊細で透き通るようなプラチナブロンドの髪をしている。
端正な顔立ちであり、濃紺色のローブを身に纏っている。
種族は人間に類似しており、妙な魔法を使用する。
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リリウスが指差した箇所には、大方このようなことが書かれていた。
いわゆる、金髪の童女がローブ姿で彷徨っている、ということだ。
妙な魔法、という部分は確かに引っ掛かりはするが、異世界人が使用する魔法など、得体の知れないものであることは必然的な事象だろう。
現に、彼女の知り合いであるニノミヤ・キンジなる異世界人も、妙な魔法を使用できる。
この世界ではありえない、多属性魔法を同時に使いこなせる人間だ。
見た目もこの世界の人間と何ら変わりない。
就寝時にこっそりと衣服を脱がせてみたことがあるが、身体つきも全く同じ。
おへそがあり、生殖器があり、筋肉も骨も皮膚もある。
剣術指南をしながらそっと撫でてみたが、体温や弾力も変わりない。
むしろ、キンジが異世界人であることを、彼女は暫く信じることができなかった。
ただ、フェリアは嘘をつかないであろう、という信頼と、フェリアならやりかねない、という妙な感情のため、結果的に彼女はその事実を認めることとなったのだが――。
「異世界から来た生物だと言っても、容姿的にはこの世界の人間と何ら変わりは無いんだろう? それに、幼い少女だというじゃないか。この文面を読んだ限りだと、これといって危険性を感じることができないんだ」
リリウスは艶めかしい脚を蠱惑的に組み、膝の上に顎を乗せてイヌミミを垂らす。
じっとり、とでも表現するべきであろう視線をギルドマスターに向け、応えを待つ。
犬系だからといって、彼女が待つことに慣れているようには到底思えないが。
とくに急かすことも無く、暫しの間そのじっとりとした双眸を使い、彼の体躯を舐めまわすように滑らせていた。
老人は静かに瞑目していたが、やっと頭の中で言葉を見つけたのか、実に穏やかな動作で瞳を開き、リリウスの顔へと視線を向けた。
「ローブ姿の少女――いや、わしたちはウィッチと呼んでいるが、彼女が持つ魔法的能力は、まだ研究も進んでおらず、未だ未知の領域なのだ。……だが逆に、解っていない、という事実を見逃すことはできない」
「…………」
「解らない、というのは何よりも恐ろしいものだ。真っ暗闇に放り出されたときに人は恐怖を感じるように、知識という灯の届かない――未知という真っ黒な海に飲み込まれる状況とは、何よりも恐ろしい」
シワのよった口端から、酷く重々しい言葉がこぼされ、リリウスの心を揺動させる。
だが、彼女の理解力では、彼の言葉が持つ、真の意味をはっきりと理解することはできなかった。
リリウスは「なるほど」と知ったかぶったように頷くと、凛とした光を映す切れ長な双眸を鋭く煌めかせ、眼前にて腰を下ろす老人へと言葉を投げかけた。
「すまない、全くもって意味が分からないのだが」
簡潔に話せ、とでも言うようにリリウスは脚を組み直して楽な体勢をとる。
背後に体躯を預けると、ソファのように柔らかな感触が背骨を撫でるように刺激する。
ついでに露出した背中を舐められたような錯覚を味わい、リリウスは身体をピクリと反応させ、照れたように頬を染めた。
「そうか、では簡潔に纏めよう。異邦人ウィッチの生態はまだ解析中であり、使用できる魔法や身体能力なども未知数だ。だが、一つだけウィッチのもつ能力について、解ったことがあった」
もったいぶった言い草に、リリウスは身を乗り出して話の続きを急かす。
背中の感触は消失してしまったが、今度は太ももとの触れ合いに反応してしまい、リリウスは何とも言えぬ表情を見せながら軽く身悶えた。
「――精神操作。大方ウィッチは、精神や心を操る類の魔法を使用できるだろう」
重々しい言葉。
彼は今、実に重要な内容をはっきりと告げたのだ。
空間を揺動させる男性的な声音が外気を轟かせ、口元から吐息が漏れる。
裂傷のように細めた双眸を穏やかに開き、ギルドマスターの老人が褐色肌の獣人を視界に入れると――。
彼女は、実に気持ちよさそうな表情を見せながら、口の中で小さく喘いでいた。
「このソファ、凄く良いな」
彼の言葉に対する彼女の返答とは、そんなものだった。




