第三話 微睡みの女神
剣士リリウス。
男性のような名前だが、彼女はれっきとした女性獣人である。
フェリアが参加していた魔王討伐パーティの剣士であり、剣術の腕は確かなものだとか。
リリウスは魔法を使用できないため、天才的な魔法才能をもつフェリアとともに、二人一緒に行動することが多かったらしい。
故にお互い生命を助け合った仲であり、パーティ内では一番心を許して接することのできる相手だったらしい。
だが、リリウスは旅が終了した直後、冒険道中にて戦った経験を活かすため、遠い異国の地へと剣術の修行に出かけてしまったのだとか。
もともとリリウスは一匹狼系であり、誰かに依存せずとも強くたくましく生きていくことができた。
そのため、リリウスはフェリアを含み、家族にさえ行き先を告げず、長い長い己の鍛錬のみに特化した冒険を開始させたらしい。
それが数年前のこと。
そして現在、何故かこんな偉いお方と肩を並べるような立場まで上り詰めた。
そうなった経緯を深く知りたいものだが、リリウス曰く、大した話では無い上に話せば長くなるらしいが。
簡潔に言うと、他国にて偶然白ひげの爺さんと意気投合したのだとか。
最後にボソリと、『殿方は酒と女体には弱いのだ』などと若干恐ろしい言葉を放っていたが。
――まあ、それは置いておいて。
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リリウスのグラマラスな腹筋に顔を擦り寄せ、フェリアは旧友との再会を心から喜んでいた。
俺としても、こうしてフェリアの喜ぶ顔を見られるのであれば、このまま気が済むまで抱き合っていても良いと思うのだが。
どうやらそうはいかないらしい。
リリウスは本会合では中央に席を設けられるほどの立場であり、過去の経歴は女勇者様であろうと、フェリアの現在の立場は傍聴席にて佇むいち貴族のメイドである。
ひと悶着起こしたリリウスではあるが、それはそれこれはこれだ。
この場に集まっている貴族たちから見れば、リリウスは自信たちが敬うべくお偉いさんの一人であり、フェリアは傍聴席にいる誰かのメイド。
その事実に変わりは無い。
故に、現在リリウスの周りでは、この状況を面白く思わない貴族たちのざわめきが場を支配していた。
最初は主自らが出向き、フェリアを連れ戻すべきかとも思っていたのだが、如何せんこの状況下にて、二人の間に飛び込むのは不可能である。
何せ俺は、先ほどいかがわしいポーズをとったとして、向かい側に席を設けている貴族たちから白い目を向けられ、嫌な意味で目立っているのだ。
さらにこの失態を晒したメイドが俺のメイドだとなれば――俺はまだしも、この場に招待してくれた、レトナお嬢様にまで迷惑がかかってしまうかもしれない。
「どうしよう……かな」
「キンジ様、ここは私が丸く収めて参ります」
思わず苦悩を口端から漏らすと、隣に佇んでいたザフィラスさんが恭しく一礼し、実に紳士的な動作で講堂の中央部まで歩んでいった。
俺が不安に胸中を苛まれながらその様子を見送っていると、背後からツインテールなメイドさんに天使のような微笑みを向けられた。
「大丈夫ですよ。ザフィラスは顔が広いし、執事としても完璧なお方だと言うことはこの場にいる皆さんはよく知ってます。もちろん、あの姿だから分からないのでしょうが、フェリアさんの名前や功績も、全てが周知の紛れもない事実です。ですから、誰にも迷惑をかけることなく、この場は丸く収まると思いますよ」
「そうです、フェリアとは長い付き合いですが、彼女はどんなにはしゃいでいても、決して分別を忘れるような娘では無いですわ。ですから、フェリアが戻って来たら……」
「頭でも撫でながら、『ダメだぞ』とか言って冗談めかして叱ってあげればいいと思いますよ。それか、『今日の失態は許してやるから、今晩のご奉仕はいつも以上のを期待してるぞ』とか言って思う存分めちゃめちゃにしてあげたり――」
「これ、リィン」
途中から話に入ってきたレトナお嬢様に窘められ、リィンは気の抜けた声で『ごめんなさぁい』と腰を折る。
俺は恐る恐るフェリアたちの方へと視線を送ると、リリウスに抱きついているフェリアを、紳士的に引き剥がそうとしているザフィラスさんの姿が目に入った。
絶叫のようなドノブル氏の声で、『やっぱーぁり、フェリアではないか!』などと怒号が飛んでいるが――本当に大丈夫なのだろうか……。
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ここからではよく聞こえなかったが、リィンやレトナお嬢様が言った通り、フェリアは無事俺のもとへと戻ってきた。
リリウスもあれ以上咎められること無く、ざわめいていた貴族のお偉いさんたちも、俺たちの方に白い目を向けることは無い。
ただ、さっきよりカエルっぽくなったドノブルが、俺に向かって敵意丸出しの双眸を向けている。
それだけが若干辛い。
会合の内容を短く纏めると、あまり詳細なことは誰も口にしていなかった。
貴族や王族などがよく使う、差し障りのない似たり寄ったりの難しい言葉が行き交い、それを耳にして、三人のお偉いさんが静かに頷く。
子供――小学生くらいの頃は、中学生とか高校生になれば、大人の話している内容の面白さや奥深さが分かるようになると思っていたのだが。
全く分からない、というか、あの三人も半分以上理解していないのではないか。
延々数時間ほど意見や事実が飛び交っていたが、はっきり言って、昨日レトナお嬢様に聞いたときの方が十二分に理解できた。
何で森林奥に召喚魔法陣が出現したことを話すだけなのに、天文学的な事象を喩えにして話すのか。
一応眠らずに全て耳に入れたが、八割上理解出来なかった。
ん、まあ、二割近く理解できただけ、誇って良いのかな。
「……あふ。ご主人様、好き」
フェリアは途中から、気持ちよさそうに微睡んでいた。
左肩に頭を乗せ、甘くとろけるような吐息を漏らして柔和に微笑む。
ふんわりとフェリアの香りが漂い、俺はいけないと思いながらも思わずニヤついてしまい、丁度講堂の反対側に位置するドノブル・バーレンの鋭い視線に刺される。
せっかく気持ちが高ぶっても、そのブルドッグガエルのような双眸に睨まれて、直ちに俺の欲望は萎びた風船のようにしぼんでいく。
妙な気分にならなくて、俺としてはまあ良いのだが。
後々この間のカマキリ貴族のように喧嘩を売られたら嫌だな、と若干胃が痛む。
つらたん、だ。
「――以上になります」
一般人には理解し難いような難解な事象を延々と続けていた貴族は、深く腰を折って自身の席へと足を伸ばす。
珍しく半分以上人の話を聞いていなかったが、まあ良いだろう。
どうせこんな傍聴席に佇む俺に、意見を求めようなどとは思わないだろ。
「さて、それでは何か意見やご発言の意思があるお方は、いらっしゃいませんか」
司会進行役のギルドナイトが立ち上がり、念入りに辺り一帯を見渡す。
何となく、朝会後の『他の先生方、何か連絡事項はありませんか?』を思い出させる状況だが、貴族たちは黙ったまま書類を見据え、誰ひとりとして発言の意を示さない。
ふぅ、これでお開きかな。
「それでは皆さま、」
「ちょっと待て」
この場を閉会させようとギルドナイトが一歩後ろに下がった刹那、肉付きの良い褐色な腕が天に向かって高々と挙げられた。
リリウスは腕を下ろすと、良く通る声で淡々と告げる。
「元勇者であるフェリアの意見が訊きたい。連れてきてくれないか」
リリウスは俺の方を見据え、真剣な双眸でフェリアへと視線を送る。
一斉に貴族や使用人たちの視線が向けられ、俺はもたれかかっているフェリアの華奢な体躯を起こし、寝ていることを必死に隠した。
「あぅ、キンジ君。そこはちょっとくすぐったい、もっと下にして」
慌てたためにフェリアの胸を触ってしまったことに気がつき、俺はそっと押さえる場所を腰へと下ろしたが――。
違うだろ。ダメだ、完全に寝ぼけてやがる。
フェリアは蠱惑的な双眸を薄く開くと、その魅力的な視線を柔らかく向けてニッコリと微笑む。
可愛い。ここが家だったら、今すぐ全力で愛でたい。
頬もほどよく染まっており、思わず鼓動が速まる。――だが、俺だってまだ理性を失っちゃぁいない。
俺はフェリアを背後から抱きかかえると、耳元でそっとレトナお嬢様から聞いた今回の会合内容と、今現在フェリアがどのような状況下に陥っているのかを簡潔に説明する。
フェリアは最初の方こそうっとりした様子で俺のことを見つめていたが、徐々に目が覚めてきたらしく、四方から向けられる視線を感じ、顔を青ざめさせた。
数十数百ものの視線に射たれ、フェリアは半ば泣きそうな顔で俺のことを見つめる。
助けてあげたい気持ちは山々なのだが、ここで俺ができることは無い。
強いてあげれば、先ほど行った簡潔な情報教示であろう。
突如現れた魔法陣とその原因。
それ以上の話はしていないはずだ。
「行ってまいります」
不意にフェリアが俯き、刹那顔を上げると、そこにはもう弱気な表情はおろか涙の跡さえ残っていなかった。
怜悧な双眸に、緩やかに結ばれた唇。
闇色の髪を烟らせ、実に軽快なステップで講堂の中央部まで歩を進める。
俺は思わず付いていこうと足を一歩踏み出しかけたが、背後に佇むザフィラスさんの手によって、それは遮られた。
「フェリアなら大丈夫です、キンジ様」
「でも、フェリア、さっきまで完全に寝てましたよ」
「――えっ」
片眼鏡越しに映るザフィラスさんは瞠目し、紳士的では無い声を口端から漏らした。
流石のお師匠様兼万能執事さんでも、まさかフェリアがこのような大事な席で微睡むとまでは思わなかったのだろう。
こんなに動揺したザフィラスさん、初めて見た。
驚愕の色を見せるザフィラスさんから目を逸らし、講堂中央部で深々と腰を折るフェリアへと視線を送った。
見たところ、足が竦んでいたり総身を震わせている、などといったことにはならずに済んだらしい。
フェリアは凛然とした視線を辺りに振りまき、もう一度小さく一礼すると、自身の功績や経歴を告げてお茶を濁した後。
さりげなくリリウスに質問を浴びせながら、滔々と川のせせらぎのようにつまずくこと無く軽やかに自身の意を紡いだ。
その内容に矛盾や間違いは全く無かった。
流石である。さっきまでずっと気持ちよさそうに寝てたのに。
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フェリアの即興とは思えないほどに麗しい意見答弁が終了し、ギルドナイトの言葉をもって今回の会合は終幕を迎えた。
フェリアのアドリブにも驚いたが、どのような質問でもすぐさま返答できるリリウスも大したものである。
普段のフェリアを見ていると、答弁中軽いジョークなどを織り交ぜて話すのではないかとも思ったのだが。
至って真剣な表情で、ひと時もふざけることなく自身の意見や感想を言い切った。
これでさっきの失態はチャラだな。それどころか、先程の失態に汚いものでも見るような目を背けていたお嬢様がたや一部のメイドたちも、話が終わる頃には、食い入るような熱意の篭った視線をフェリアへと注ぎ込んでいた。
「――以上です。ご清聴いただき、ありがとうございました」
聴き心地の良い透き通るような声音で挨拶をすると、辺りから盛大な拍手が奏でられた。
フェリアは緊張の糸が切れたのか、凛然とした表情をとろけさせ、嬉しそうにはにかみ笑いを見せる。
その様子にまたもや何か触れる部分があったのか、歓声やら歓喜の言葉が飛び交い、フェリアを包み込んだ。
「わーぁ、やっぱりフェリアだったんだねーぇ」
「え、ええ」
拍手の合間にドノブルは席から身を乗り出し、品定めをするようなギトッとした視線をフェリアの体躯に這わせる。
さりげなくリリウスがフェリアとドノブルの間に入ったが効果無し。
むしろ、ムチムチとグラマラスな起状を魅せる褐色肌とともにフェリアを拝むことができて、今彼は最高に幸せな気分だろう、羨ましい。
レトナお嬢様は他の貴族様方へ挨拶に向かったが、リィンとザフィラスさんは恭しく佇んだままだ。
他の貴族たちも帰宅準備や他者への挨拶を行うために席を立ち始めたので、俺はフェリアを迎えに中央部へと歩を進める。
一人で行くつもりだったのだが、リィンとザフィラスさんは俺の背後にピタリとくっつき、一緒になって付いて来た。
「レトナお嬢様と一緒じゃなくて良いんですか?」
「ええ、今日の私たちの任務は、キンジ様をお守りすることですので」
「だから心配しなくて大丈夫なのですよ。今日この場では、私たちはキンジ様専属メイドと執事ですから」
二人の気配を感じながら、俺はフェリアのもとへと到達する。
リリウスとドノブルは未だに無言の戦いを続けていたが。
俺が来たことに気づいたフェリアは、幼稚園に母親が迎えに来たかのような幸せいっぱいの笑顔を見せ、俺に向かって飛びついてきた。
思ったより結構反動が大きい。
エプロンドレス越しの弾力や柔らかな香りを堪能しながら、俺は転びかけていた体勢を立て直す。
「ご主人様、どうでしたか?」
見えない尻尾をブンブンと振り、鳶色の瞳を爛々と輝かせながら俺の顔をじっと見据える。
フェリアが今何をして欲しいのか、言われなくても分かるさ。
俺はフェリアの闇色の髪を優しく撫で、口元を柔らかく緩める。
緩めすぎるとフェリアが引くので、ここの調整が重要だ。
「お疲れ様、よく頑張ったよ」
「ご主人様ぁ……」
ネコのように目を細め、愛らしい声音を口端から漏らす。
気がつけばドノブルも興味深げな面持ちでこちらを見つめ、リリウスも若干戸惑いの色を見せながら、俺とフェリアを交互に見やって首を傾げた。
「何だ、随分と甘えているな。主人である殿方とメイドとは、これほどまでに始終ベタベタしているのか」
「いやーぁ、うちのメイドさんたちは、こんなに俺にくっついてはくれないけどーぉ」
粘っこい声音でジロリとメイドたちを見やり、ドノブル氏専属メイドたちは恭しく腰を折る。
事務的な動作だ。全くもって主人への好意を感じさせない。
ドノブル氏の姉だか母だかの、ブルドッグ婆さんは同じく能面のように厚化粧を施した貴族様方と、唾を飛ばす勢いで何やら話しこんでいる。
よく通る声であり、関西人のおばちゃんを思い起こすような声音だが、流石にここまで声は聞こえてこない。
別に、話の内容に興味は無いがな。
そうしてフェリアの体躯を前面にて堪能していると、不意にリリウスが俺の背後へと視線を送り、若干驚いた様子で瞠目し、小さく頭を下げた。
「これはザフィラスさん、お久しぶりです」
「お久しぶりでございます。……リリシア、随分と逞しく、そして魅力的になりましたな」
「やだ、もぅ……。リリシアだなんて、まだ憶えていてくれてたんですね」
リリウスはガッシリと鍛え上げられた体躯を包み込み、嬉しそうに身体をくねらせる。
筋肉だけを見ると男性的だが、肉体の起状や肌のツヤなどは完璧に女性のそれであり、見れば見るほどその体躯から女性的な魅力を感じる。
顔つきも鋭いが、端整であり頬なども若干プニっとしている。
そのため、照れるような仕草を見せると、意外と可愛らしい。
フェリアには劣るがな。
「なーぁんだ? リリシア、だと。そなたの名はリリウスと言うのではないのか」
「ふふふ、バーレン氏のご子息さんよ。これには聞くも涙、語るも涙な一人の少女による悲しい逸話があるのだ」
冒険中にでも話したのだろうか。
リリウスは涙を拭う素振りを見せ、チラチラとフェリアに視線を送る。
だが――。
「ご主人様ぁ。帰ったら、抱っこしてください」
フェリアはリリウスのことなど全く気にせず、俺の胸板に精一杯頬を擦りつけていた。
ここ最近、フェリアは積極的に俺へと愛を告げてくる。
夏季は暑かったため、ご奉仕も数日に一回程度だった。
そのせいか、涼しくなってからというもの、普段以上に俺を求めてくる。
もちろん嬉しいことこのうえないのだが、流石に時と場所を考えて欲しかったり……。
目の前に際どい格好で科を作るリリウスがいるせいもあって、今俺は心身ともにヤバイのだ。
理性は何とか保っているが、それ以上されると腹の底が苦しくなるからほどほどに頼む。
溢れ出る煩悩と暫しの間葛藤していると、突如ドノブル氏が悲しそうに顔を歪め、酷く醜い面持ちで涙を流し始めた。
「おぉーぉ、フェリアよ。何で俺のもとへと来てくれなかったのだーぁ」
リィンはその様子を見て、指を差して笑おうとしたところを、ザフィラスさんの手によって軽やかに止められていた。
リリウスはたっぷり甘えるフェリアを一瞥した後、艶かしくお尻を揺らしながら講堂の外へと姿を消した。
さて、ドノブル君には悪いが、さっさと家に帰ってこの溜まりに溜まった欲望をどうにかしなければ。
俺はそんなことを思いながら、体躯の全面に広がるフェリアの体温と香りを堪能した。




