第二話 傍聴席
バグズ森林。
冒険者ギルドからそう遠くない場所に位置する森林であり、前回ゴブリン掃討作戦を行った広大な森林である。
全体的に日差しが当たり、新緑煌く清々しい森なのだが、そんな観光気分で潜れるような森林にも、人類未踏の最奥部は存在する。
バグズ森林の奥には、魔物の住処が大量にある。
中でも、エルフの住処は非常に入り組んだ場所にあり、外敵から身を守るために闖入されにくい箇所にあるという。
噂では、エルフ特有の結界魔法を使用し、外界と遮断しているという説もあるのだとか。
つまり、昔年から残る森林だが、誰ひとりとしてその全体像を確認したことは無かったのだ。
数日前、長い長い夏前半期が終幕を迎え、ギルドでは多数の討伐依頼や採取依頼が張り出された。
数ヶ月ぶりに人類が闖入した森林は、以前と変わらず綺麗なままだった。
皆、自身が受注した依頼を達成するために魔物を見つけては討伐し、薬草を見つけては採取して、次々に依頼をこなしていった。
そんな中、一人の新人冒険者が森林内で迷子になったのだ。
バグズ森林は酷く危険な魔物もおらず、明るく食物も多いため、とくに気にされるようなことは無かったのだが。
姿を隠した二日後、ボロ雑巾のように満身創痍になった彼が戻ると、妙な毒に身体を侵されていることをギルド職員が発見した。
幸い魔術師の解毒魔法で事なきを得たらしいが、その毒物の入手経路などの疑問が生じたのだ。
今まで何十――何百年と人々が足を踏み入れていたバグズ森林。
だが、このような毒や症状を見たことがあるものは存在しない。
その事実を知ったギルドマスターは、そのことを伏せるように命じたのだ。
無駄に国民を脅かすようなことは口外せず、内密に処理を行うと言うことで決定されたらしい。
――それが昨日のこと。
そして、レトナお嬢様はギルドマスターが開く御前会議の場に呼ばれたらしい。
今日この場で知ったのだが、レトナお嬢様とは人間とハイエルフの間の子であり、九割がたハイエルフ寄りの女性だとか。
そのため身体の発育が遅く、不老不死とも呼べるほどの長寿の血を受け継いでいるらしい。
その理由により見た目は幼いが、実質は数百年以上生きているらしく、人生経験が豊富だとか。
さらに現在のギルドマスターとも顔見知りであり、由緒正しい家のご令嬢(独身だからそう呼べ、と言われた)なのである。
ただ顔を出すだけでも良かったのだが、できる限り情報を集めようと、異世界人である俺の知恵を借りたとか。
真面目でよいお方だな、本当。
それで、俺にもその会合に参加しろ、との言葉で話を結ばれた。
実際は俺なんかが傍聴して良いような会合では無いのだが、形だけだが一応俺はアリーデヴェル家の養子であるため、入ることはできるらしい。
俺は堅苦しくて静かな集まりは非常に苦手なので、きっぱりと断ろうとしたのだが。
お嬢様が放った女神のように愛くるしい色目にやられ、思わず「はい」と二つ返事でオーケーしてしまった。
仕方ないだろ、喩え人外ロリだったとしても、あんなエロい吐息を頬にかけられたら、頷くしか無いじゃん。
体勢的にも前かがみだったし。
ともかく、
レトナお嬢様に半ば丸め込まれるような状況で、俺は由緒正しい家の御曹司や令嬢が集まる会合に、傍聴者として参加することとなってしまったのだ。
やれやれ。
---
「……はぷ、んは、ちゅるる」
「なあ、フェリア。明日行くところがあるんだが、一緒に付いて来てくれないかな」
俺が言葉を紡ぐと、
フェリアは熱い塊を口に含みながら、顔を紅潮させて俺に向かって視線を送る。
無理に一口で頬張ろうとするから――ああ、凄く苦しそうそうだ。
無理だったら一度口から出しても怒らないのに。
口腔内に広がった熱さと苦味のため涙目になりながら、フェリアは顔を背けて咳き込んだ。
ほら、口元が汚れてるぞ。拭いてやるからこっち向け。
「……申し訳ありません、ご主人様。このお肉、ちょっと苦くって……。ちゃんと冷ましてから食べないとダメですね」
うどんのような麺類を啜りながら、フェリアは照れくさそうにはにかんだ。
まあ、口の中を火傷しなくて良かった。
今日の夕餉の食材。
小麦粉では無いのだろうが、日本のうどんに似た触感と味がする
ここ数ヶ月間居座って思ったのだが、もしかすると、この世界の人々と日本人の舌って、似ているのだろうか。
「なあ、フェリア、ちょっと舌を見せてくれないか?」
「んぁ……」
ペロリと桜色の舌が愛らしく顔を覗かせる。
少しくらい逡巡しても良いのに、フェリアはそんな俺の言葉を拒むことは無く、躊躇いなく何でもしてくれる。
そう、何でもだ。
「ごめん、話が逸れた。明日行くところがあるから、付いて来て欲しいんだ」
「明日ですか? 大丈夫ですよ、デートですか? そうだったら嬉しいな」
器の中身を残さず啜り終えると、頬を赤らめて小さく吐息を漏らす。
フェリアは今日も可愛いな。
可愛くて可愛くて、一晩中我を忘れる程に愛でたい。
レトナお嬢様のせいで暴れ始めた下腹部の魔物を、今日もフェリアに退治してもらおう。
「デート、では無いんだけど。レトナお嬢様に呼ばれて、お偉いさんが集まる会合で傍聴しなくちゃならなくなって……」
「まあ、そういうところに来る方々は、皆さんメイドや執事を連れてますからね」
そうなのだ。
実際、呼ばれたのは俺だけなので、俺だけ行けば良いのかとも思ったのだが。
どこぞのお偉いさんや、由緒正しい家の貴族がいる中で、使用人の一人も連れていない、というのはこの世界では些か問題があるらしい。
日本でも偉い人が集まる会議で、立派なスーツや礼服を着るのと同じような次元で、メイドや執事を連れていなければならないのだ。
実を言うと側近の使用人を二人以上が原則らしいが、いないものを連れてくることはできない。
それは仕方が無いことだが、変な輩に何か嫌味などを言われるかもしれないので、フォローにまわれるようなるべく傍にいろ、とのことだった。
まあ、そこまで考えてくれているんだから、悪いようにはされないだろう。
「それでは、お風呂を沸かして参ります」
いつの間にか食器を片付け終わらせたフェリアは、いそいそとリビングから退出しようとしたのだが。
エプロンドレスに包まれたその無防備な背中を見ていると、堪らなく妙な気分に襲われ、俺の魔物が臨界点を迎えた。
フェリアがドアを開けた刹那、俺は無心にフェリアの背中にしなだれかかっていた。
体重をかけてしまい、フェリアの体勢が崩れかけたが、そこは元勇者様。
生娘のように情けない声をあげながらすっ転がって、下敷きになるなんてことは無く、実に自然な動作で俺を抱え込み、自身が押し倒されたような格好を作り上げると。
覆い被さる俺を嗜虐心たっぷりな双眸で見つめ、ニンマリと口元で弧を描いた。
「服越しでも分かりますよ。お夕食中、よく暴れずに我慢しました」
堪らずフェリアの唇を奪うと、とろけるような視線を向けて俺のお腹を撫で始める。
誘うような表情。愛念の篭った熱い視線。
フェリアが蠱惑的に唇をひと舐めした刹那、俺は躊躇いなくフェリアをその場で押し倒した。
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そんなことがあった次の日。
俺はフェリアが用意してくれた外出着に身を包み、冒険者ギルド裏の会議塔へと足を運んだ。
冒険者である俺は、今まで外からしか見たことが無く、これといって中に入る用事も無かったため、単なる講堂としか認識していなかったのだが。
入ってみると異常なほど広い。
傍聴する、などと言うので、てっきり裁判所のような空間なのだと思っていたのだが、俺の行っていた中学校の講堂程度の広さはある。
天井も高い。
魔弾とか撃ったら届くかな。
ちょっと火炎弾でも上に向かって撃ち込んでみようかな。
などと考え、ふざけて右手を天井に向けたところで、背後から聞きなれた声に呼び止められた。
「お久しぶりです、キンジ様」
空間を心地よく揺動する低い声音。
恭しく腰を折った紳士的な男性は、片眼鏡の奥に鋭い眼光を放ちながら、俺とフェリアを交互に見やった。
「お忙しいところ申し訳ありません。レトナお嬢様が、どうしてもキンジ様に傍聴していただきたいと」
「いえ、構いません。逆に、私なんかが来て良いところなのかと少し心配でして……」
思わず半笑いを見せると、ザフィラスさんは紳士的な態度を崩さず、目を細めてニコリと微笑む。
「心配ございません。キンジ様は戸籍上アリーデヴェル家の一員です。もし何か失礼を覚えましたら、私か後から来るメイドにでも、何なりとお申し付けを」
そう言うと、ザフィラスさんは俺の傍で慎ましげに佇んでいた。
すると、フェリアは何かしらを察したかのようにザフィラスさんの横へ駆け寄り、俺も隣に来るよう促す。
誘われるように俺も歩み寄り、フェリアの隣に立ち位置を変えたのだが――なるほど。
辺りを見渡すと、この空間にいる方々は、全て二人以上の執事やメイドを連れている。
多くても四名程度だが、一人しか連れていない、という方はいない。
確かに俺がフェリアだけを連れていれば、妙な視線を向けられたり変な嫌味を言う貴族様が来るだろう。
形だけでも、二人いるように見せてくれているのか。
突然会合に出ろ、などと無茶なことを言うお方だとも思ったが、ここまで配慮がまわっているとは、よく気がつくお方である。
「あら、キンジさん。こんにちは」
気の抜けたような声音に思わず振り向くと、ヴィクトリアンメイドなエプロンドレスに身を包んだリィンが、レトナお嬢様とともにこちらへと歩んできた。
レトナお嬢様の傍には、もう二人のメイドが静かに寄り添っているので、人数による問題は確実に消滅している。
本当に助かった。
だけど、
「あの、リィンは何でそんな髪型をしているんですか?」
リィンは普段、肩まで流された黒髪をサイドテールにしているか、ポニーテールにしているか。
もしくは結ばずに流しているのだが、今日は何故か、可愛くて幼い見事なツインテールを誂えている。
体型や顔つきがロリっぽいレトナお嬢様がしていたら、これまた一種の趣味を持つ方々に好まれそうだが、端正な顔立ちをしたお姉さん的な雰囲気を醸し出すリィンがその髪型をするのは、日本人である俺からすると些か違和感を覚えるのだが。
「これですか? んんっとですね、実は、あまり大きな声では言えないのですけど、バーレン氏のご子息様は、こう言った髪型がお好きなようなのですよ。それで、レトナお嬢様に劣情の視線が向かないように、私が盾になっているのです」
えへん、と胸を張って可愛げのあるドヤ顔。
視線を泳がしてレトナお嬢様を見ると、確かにバーレン氏から戴いた玉石が付いた指輪をはめている。
一応貴族間の贈り物なので、こう言った場所ではやはり身につけるのが礼儀なのだろうか。
ん、待てよ。
と、言うことは、ドノブル・バーレン氏も、この場に来ているということか――。
目だけを使って辺りを見渡していると、繊細な指先が不意に俺の腕を遠慮がちに摘んだ。
フェリアはそっと俺の背後に隠れると、背中にペタリと密着して吐息のように呟いた。
「会いたくない人がいた」
「何だと」
誰だ。
フェリアが嫌がる相手がここにいるだと。
誰かは知らないが、絶対そいつからフェリアを守ってやる。
誰だろうか、フェリアとの知り合いと言うことは、学園でのメイド仲間か。
まさか執事ではなかろう。
あとは貴族様だが、フェリアが会いたくない貴族とは、あの根暗カマキリと、あとは太ったカエルみたいな貴族……だったっけ?
「わーぉ、レトナ様はいつ見てもお美しい」
俺が必死に前方へと視線を送っていると、後方から妙に気が抜けるような、芝居がかった声が聞こえてきた。
聞き覚えの無い声だが、この声は一度聞いたら忘れないだろう。
声変わりしかけた思春期男子のような、妙に粘っこくて引っかかって響く声。
はっきり言う、うるさい。
「しかーもぉ、私めが差し上げた深紅の指輪を身につけていただいているではないですかーぁ、どうですーぅ、今晩二人っきりで、甘美な時間を過ごしませんか」
俺の腕を掴むフェリアの力が強くなった。
きっとこの声の主はかのドノブル・バーレン氏であろうが、フェリアはこの声に怯えているのだろうか。
待てよ、そういえば、ドノブル氏は見習いメイドを雇いに学園へと赴いたんだっけか。
でも確か、フェリアが拒んだ相手って、カエルみたいな顔をした太った――。
「――げ」
振り返った刹那、俺は思わず口端から汚い声音を漏らしてしまった。
振り返ったらヤツがいた。
今まさにレトナお嬢様へと愛を囁いているのは、紛れもなくドノブル・バーレン氏であるのだが。
これがどう見ても、カエルにしか見えない。
お世辞にもカエル以外のものに見えるとは言えない。
まさか、メメタァとか言って、幼少時にカエル潰して呪われたとか、空港の脇でスコップ使ってカエル叩いたこととか無いですよね?
――と、若干脳内が錯乱しかけるほどに、俺は今の心境は驚愕の渦にまみれていた。
「どうされました? 顔が真っ白ですよ」
ザフィラスさんの穏やかな声に、俺はやっと我に帰った。
危ない。
血の気が引いて、バッターンと倒れるところだった。
あれか、整理しよう。
フェリアが拒んだ太ったカエル貴族=ドノブル・バーレン。
なんだ、今回は簡単に整理できた。
じゃ、無くて!
「おやーぁ、その濃紺色に煌く黒髪、長くて素晴らしいーぃ。もしかして、見習いメイドのフェリアたんではないですか?」
「ひ、人違いです」
フェリアの掴む力が徐々に強くなる。
怯えているのは分かるけどさ、勇者様の筋力は強いんだから――。
痛い、痛い痛い。
俺の苦痛の表情を察したか、ツインテールを揺らすリィンが一歩前に出ると、フェリアを庇うように立ちふさがり、ドノブル氏に向けて、えへへと無邪気な笑みを見せた。
「ダメよ、フェ――フェリンさん。ご主人様が痛がっているわ、手を離しなさい」
「――あ、も、申し訳ありません!」
フェリアは掴んでいた手を放し、俺の前に駆け寄ると、ギュッと胸元に顔を押し付けた。
ホワイトブリムを誂えた髪から甘美な香りが漂い、フェリアの匂いを胸いっぱいに堪能する。
うむ、この香りは毎晩嗅いでも飽きない。ずっと嗅いでいたい匂いだ。
だが、気持ちが高ぶったりはしない。
目の前でフェリアがこんなにも怯えているのだ。
もしかすると、貴族の目の前で拒んだ時に、何か嫌なことでも言われていたのだろうか。
だとしたら許せん。
俺の大切なフェリアを怯えさせるやつは許さない。
「ほーぅ、フェリン、さんねーぇ」
ドノブル氏はこの状況を疑っている。
だが、この状況をここにいる数人で意図的に作り上げた、ということも理解しているらしい。
ドノブル氏は暫しの間カエルのような汚らしい視線を振りまいていたが、やがて満足したかのように、ノシノシと元居た場所へと戻っていった。
「ふへぇ~ん」
その様子を尻目に確認したフェリアは、脱力したようにペタリと座り込んだ。
女の子座りをかまして、俺の腰の辺りに手をまわしている。
何ていうか、うん。これは凄くヤバい格好じゃないかな。
俺の股座の目の前で、フェリアは虚ろな双眸をじっと前へと向けている。
よっぽど神経をすり減らしていたのだろう。
傍から見ると、実にいかがわしいことをしているようにしか見えないポーズのまま、動けなくなるほどに疲弊していたとは。
場所が場所だからか、俺の方に痛々しい視線が集結し、室内がざわめき始める。
指をさす貴族や、照れたように顔を覆って首を横に振るメイドまでいる。
何だか晒し者みたいで凄く嫌だ。
実際晒し者にされているのだが。
「ほらフェリアさん、しゃんと立って! メイドがした不祥事は、全部あなたが愛するご主人様が被ることになっちゃうのよ」
前半は怒るような口調で重圧的に発していたが、後半はポソリと冗談めかして告げていた。
立場的に叱らなければならないが、フェリアもショックを受けていたので、軽く纏めたのだろう。
リィンは俺の隣に立つと、ピコピコとツインテールを揺らし始めた。
視線を送ると、ザフィラスさんも片眼鏡を外し、上質な布切れで磨いている。
ああ、皆さん俺に視線が向かないように、気を使ってくれているのか。
フェリアは気恥かしそうに立ち上がると、そっと俺の後ろに隠れた。
人見知りの子供のように背中に隠れ、顔を少しだけ出して辺りを見渡している。
大丈夫だ。ドノブル氏はこことは反対側で、自身のメイドにちょっかい出してる。
微妙に嫌がっているように見えるのは、多分気のせいだろう。
暫しの間、そうして待っていると、突如室内の空気が変わり、緊張感のある雰囲気が走った。
ここに集まっていた貴族とは比べ物にならない貫禄を持つ、白ひげが立派な老人が闖入する。
そして次に入って来たのは、冒険者ギルドの端でいつも酒を飲んで笑ってるおじさん――ああ、あれがギルドマスターだったのか。
それともう一人――を目にした瞬間、会場内からどよめきがあがった。
立派な礼服や衣装に身を包んだ二人の男性とは裏腹に、最後に入ってきた女性は、環境適応力はわりと高いと思われる俺でさえ、思わず言葉が出なくなってしまうほどに際どい格好だった。
レザー系のチューブトップに、同じくレザー系のホットパンツ。
ちなみにローライズであり、今にもずり落ちそう。
ジーンズ系の袖の無い短いジャケットを羽織り、胸元は全開である。
縦筋な美麗なおへそから腰周りも完璧に露出しており、健康的な褐色肌が惜しげも無く外気に晒されている。
輝かしいほどに凛然とした銀髪からは、堂々としたその風貌とは裏腹に丸まったイヌミミが生えている。
獣人なのだろうか。
よく見ると、腰の辺りからもシッポがくるりと垂れていた。
どうやらモフモフしたシッポが邪魔をしているため、ローライズな衣装を身に付けているようだ。
だがまあ、その分上着を伸ばせば良いのだから、この露出過度ともとれる格好は、多分本人の趣味だろうが。
三人は会合が開かれる会場の中央部に設置された席にたどり着くと、老人、ギルドマスター、褐色獣人の順に腰を下ろして、大理石で造られた机に置かれた書類に目を通し始める。
暫しの間沈黙は続いていたが、誰かの大声によって、その静寂は瞬く間にかき消された。
「何だその格好は! この場をどこと心得る」
しゃがれた声を発したのは、どうやらこの場では一番年配の男性であり、ドノブル・バーレン氏の傍に座る貴族である。
隣のドノブル氏はその姿を見て面倒臭そうに鼻を鳴らし、真剣な表情で書類を読む褐色獣人に向かって、デレデレとした視線を向けている。
まあ分からないでも無い。
鎖骨からくびれ、おへそに太もも、ふくらはぎ。肩から伸びた健康的な腕も魅力的だ。
出ていない箇所は無いからな、どの部分のフェチでもこれは見とれてしまうだろう。
俺も思わず視線を奪われていると、隣にいるフェリアまでもがその姿に見入っていた。
キュッと俺の腕をつまみ、初めて遊園地に連れて行ってもらった少女のような、期待に満ちた嬉しそうな表情を見せている。
何だ、何を見ているんだ。
もしかして、フェリアは意外とああいった筋肉質な逞しい身体が好みなのか。
それとも、勇者としてあの雄々しい体躯に憧れているのだろうか。
と、暫しの間艶めかしいラインを見せる体躯に視線を滑らせていると。
不意に褐色獣人の女性は、瑞々しく肉付きの良い太ももを豪快に組み、まるで見せつけるように健康的な若い脚を振り上げた。
そして若干ツリ眼気味で切れ長な双眸を真剣な面持ちで向けると、腰に手を当てて肩幅に足を半歩開いた状態で、実に堂々とした様子で、さっき声を荒げた年配貴族を一瞥する。
モフモフしたシッポは可愛らしく丸まり、
顔を前に突き出しているのか、俺の方に実に情欲をそそるようなムチムチしたお尻が向けられる。
うむ、実にけしからん。
俺がそのエロい体躯に見とれていると、褐色獣人は講堂を破壊するかのような大音響で言葉を発した。
「もし違ったら申し訳無い! さっきの暴言は、この私に向けて放ったのか!」
同時に丸まっていたシッポがピンと立ち上がり、辺りにいた貴族や使用人らが苦痛の表情を浮かべながら耳を塞ぐ。
その様子を見て、褐色獣人は流石に違和感を覚えたのか、片手で喉の辺りをさすり、小さく一礼した。
「む、すまない。声帯に音響系の魔法を張ったままであった」
先ほど放たれた公害レベルの声量では無いが、聞き取りやすくよく通る声で、褐色獣人は自身の失態を告げる。
やっと立ち直ったのか、暫く虚ろな瞳を向けていた年配の貴族は、閻魔大王のように赤々とした双眸でギロリと睨みつけ、偉そうな格好でふんぞり返った。
「ここは、この国を支える由緒正しい貴族が集まる会合であるぞ! そのように男性の劣情を掻き立てるようなハレンチな格好をするとは、言語道断」
「お言葉ですが」
顔に血が上り、怒鳴り散らすように叫ぶ貴族の言葉を遮ると。
褐色獣人は両腕で胸を挟み、科を作ってしゃがみ込んだ。
いわゆる不良座りをかまして、シッポを艶やかに揺らしている。
言うまでも無くすごくエロい。
しゃがんだことによって、レザー系ホットパンツが食い込んでより肉体の起状が鮮明に刻み込まれる。
彼女の前方にいる人とか、どんなふうに見えているんだろう。
「私は見て分かる通り獣人です。そして、申し遅れましたが職業は剣士であり、冒険者です。礼服などの持ち合わせも無く、また突然のことでしたので、このような服装になってしまいました。もし、この格好が貴族様の思いにそぐわないのであれば、いっそ全て脱ぎ捨て、裸体を晒してもかまいませんよ。半分は獣ですので、一応倫理には反しませんが、」
「リリウス、その辺でやめときなされ」
仙人のような白ひげが特徴的な爺さんが、リリウスと呼ばれた褐色獣人の肩に手を乗せて宥める。
「そうだよ、遠慮無く脱いで良いんだよ!」
「あんたは黙っとらっしゃい!」
ドノブル・バーレンが発した全人類の願望ともとれる発言は、隣にいた厚化粧の女性貴族が放った鉄拳によって遮られた。
あの貴族さんもカエルに似てるから、きっと家族なのだろう。
どのくらい似てるかと言うと、ガマガエルかブルドッグと画像検索したら、類似画像の中にさりげなく混入していそうなくらい似ている。
――と、まあこのまま何事も無く会合が開始されれば良かったのだが。
「リリウスー、会いたかったぁ!」
聞き覚えのある声音が奏でられ、講堂の中央付近に佇むリリウスのもとに、一人のメイドが駆け寄ると。
まるで体当たりをかますような勢いで飛びつき、精一杯の愛念を込めて抱きしめた。
突然の闖入者に、先程までのざわめきは消失し、シンと静寂がこの場を飲み込んだ。
その状況を創り上げた張本人であり、闖入者であり、褐色獣人リリウスに抱きついているメイドがうちのメイドであることに気がつくのに、そう長い時間は有さなかった。




