第一話 天国か地獄か
俺が降り立った場所は、堅く乾燥した大地が広がる平原だった。
地面に張り付いて成長する、いわゆるコケやツタ植物のような背丈の低い植物が地上を彩っており、新緑の絨毯のようである。
もしここが、希望通り地球のどこかだとしたら、少なくとも日本では無いな。
あまり外国に詳しいわけでは無いが、きっと土地が広く人口が少ない国だろう。
でなければ、これほどまでに素晴らしく広大な土地を持て余すようなことはしないはずだ。
――しかし。
ここが異世界だとすれば、俺を召喚した召喚主はどこだ。
四方八方辺りをグルッと見渡しても、人影一つ見当たらない。
こちらも夜なのか薄暗く、空には宝石のように煌びやかな星が散りばめられ、立派な満月が姿を見せている。
外気も爽やかであり、過ごしやすそうな環境だ。
翻訳魔法もあるし、とりあえず前に進んでみよう。
誰か住民とコンタクトをとれれば、ここがどこか分かるかもしれない。
前――と言っても、とくに目印になるような遺跡や建造物などは無いので、俺は傍に落ちていた木の棒を立て、倒れた方向へと行くことにする。
我ながら古典的な行動だとも思うが、迷ったら自国に伝わる行いをすれば間違いは無い。
冒険中も、“ジャンケン”や“花占い”などを使用して、色々な事柄を決めてきた。
その結果が裏目ったかどうかは、この際置いておく。
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暫しの間歩を進めていたが、誰ひとりとしてすれ違う者はいない。
夜だからか、もしくはここが田舎なのだろうか。
最初は意気揚々と足を進めていたものの、流石にこれほどまでに静かだと、嫌な焦燥に駆られてしまう。
背筋を冷たい汗が流れ、腰周りがゾクッとする。
尿意はその辺で済ませ、水分補給は水魔術で何とかしたが。
若干腹が減ってきた。
先程の宴でたらふく飯を食ったので、倒れるほどでは無いが、疲弊も溜まり、徐々に気力が失われていく。
ここがどこかも分からない。
月も星もあるから、地球なのでは無いか、と安易な気持ちで歩いていたが。
やはりここは異世界なのではないか。
そう思うと、途端に歩く気力を失い、身体に力が入らなくなる。
ツタ植物はいつの間にか無くなり、芝生のような柔らかな地面になってきたところで、俺は一旦その場に腰を降ろすことにした。
「……ふぅ。やっぱ魔法陣、見送っとけば良かったかな。どうも昔から、時間制限のある決定をするとき、焦って思わず、自分の中で格好いいと思っていることを言っちゃうんだよな」
しばらくその場に寝転がったり、携帯で秘蔵フォルダの画像を見つめてニヤニヤしてみたりしていたのだが。
不意にあることに気がつき、俺はその場で頭を抱えた。
「ああ、携帯が圏外だ」
確かに地球でも、屋外で圏外になる場所が全く無いとは言い切れない。
だが、これでここが地球では無い、という思いがまたさらに降り積もっていった。
考えても事実が変わることは無いのだが。
どうしても色々と悪い考えが頭に浮かぶ。
この世界は、魔王によって住民を皆殺しにされた世界なのでは無いか。
もしくは、誰か神の手によって創られ、他の動物や人間はいないのでは無いか。
一発溜息を放ち、俺は土で汚れた尻を叩いてその場から立ち上がった。
そうやって気力を削ぐような思考をするより、まず前に進むことだ。
歩けばいつかは誰かに会える。
そう信じて進めば、きっと天は俺に味方してくれるはずさ。
ニッと歯を見せ、天に向かって力強いサムズアップ。
これで空から女の子が降ってでもすれば、俺はまた新しい神様を信じることになるのだが。
残念ながら、そんなことは無かった。
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またさらに歩んだが、流石にそろそろ疲れてきた。
腰に差した剣も重たく感じ、腰を下ろして休む頻度が増加している。
額に汗が滲み、息が荒い。
だが景色が変わることは無く、先程から延々と代わり映えのしない平原に足跡を付けていた。
「やっぱ、棒キレに今後の運勢を決定させるのをやめよう。あと両手を使った一人ジャンケンも却下だ。これからは、そうだな……花――が無いから、草占いでもするか」
日が昇る気配も無く、疲弊ばかりがどんどん募っていく。
俺は休むか否かを決めるために、地面に生えていた雑草を一つむしり取り、花占いならぬ草占いをやり始めた。
「えーと。休む、進む、休む」
何十枚と重なった葉っぱを一枚一枚むしり取りながら、休むか進むかを決定する。
やりながら自分でもバカバカしいとは思うのだが、無心で前だけを見ていると、いらぬ幻想やら幻覚が見え始めたので、どうにかこうにか集中するべき行動を起こさなければならないのだ。
「――――!」
「――ん?」
虚ろな視線で雑草を見つめていると、突如前方から獣臭い唸り声が響いた。
重たい腰を持ち上げ、ゆったりと立ち上がって一応臨戦体勢を保つ。
顔を上げると、眼前には闇夜に溶け込む体表をした、狼のような獣が腹の底から響かせるような唸り声を奏でている。
青く光る双眸をこちらに向け、乱雑に組まれた歯を見せつける。
幽鬼のような禍々しい妖気を纏っており、時折瞳が灼熱のように赤々と燃える。
「――魔獣か」
俺は剣を振り抜き、一応身を守れるように両手で握り締めた。
刃を横に向け、ゆっくりと魔獣に向かって歩み寄る。
一対一であれば何とかなるだろう。
飛びかかられたところを、軽く剣で受け流せば、簡単にバッサリいくはずだ。
剣を握る拳に力を込めた刹那、魔獣は俺に向かって容赦無く飛びかかってきた。
予想通りだが、獣が突然飛びかかってくる、というのは、やはり何度経験しても恐ろしいものだ。
横に向けた剣と魔獣の体躯が触れ合った瞬間、俺は手に持った剣を横に滑らせる。
一閃。まるで豆腐を切るように、魔獣の身体は気持ちよく切断され、心を抉るような悲痛の呻き声とともに、生肉のような桃色をした肉体の中身が零れ落ち、地面にベットリとした肉塊が落ちる。
このまま臓物が溢れる状況を放置しておくと気持ち悪いので、振り抜いた反動で剣を投げ飛ばし、ついでに左腕を悲鳴を上げる魔獣に向かって突き出す。
「――えいっ!」
俺は簡単な土魔術を発動した。
桃色に濁った切断面に粘性の泥が塗りたくられ、止血される。
鮮血や肉片が飛び散る、などという地獄絵図のような状況を回避し、俺は若干漂う、むせ返るような血肉の香りに顔をしかめ、多少咳き込んだ。
炎魔術で傷口を焼くことでも、同様の効果を得られるらしいが。
共に冒険の旅に出た魔法使いは、土魔術で行う方が手早くできるので、楽だと言っていた。
どこの世界でも、やはり他人が落とした内蔵やら血塊は、不快なものでしかないらしい。
「――ふぅ。どうやら、この世界でも魔術は使えるし、俺程度の攻撃魔術でも身を守ることはできるみたいだ」
ただ俺は治癒魔術や解毒魔術などの支援魔術が使えないので、これだけで満足してはいけない。
調子に乗ると、大抵ロクな目に会うことが無いからな――。
と、俺が珍しく自身の行動を反省していた刹那、四方八方から膨大な量の気配を感じ取った。
さらに、その一つ一つ――全ての気配に完全なる殺意が篭っている。
俺は投げ捨てた剣を拾い、両手で強く握り締める。
総身が戦慄し、剣先の向きが定まらない。
「――――!」
先ほど聴いたばかりの唸り声が、全方位から奏でられる。
三重奏やら四重奏なんてものじゃ無い。
大地を直接揺るがされているかのような錯覚を味わい、竦んだ足が余計に震えだす。
口腔内では歯と歯が当たり、恐怖のあまり内股気味になる。
「……マジかよ。これが、散々持ち上げてからドン底に突き落とすっていうアレか?」
先程の魔獣。一対一でなら、何とか倒せるレベルだが、集団で襲いかかってきたところを、『ヒャッハー!』とか叫びながら無双できるような実力は、全くもって無い。
二、三体であれば、自身の腕や足を犠牲にすれば、何とか倒せるかもしれないが、それ以上は無理だ。
喩え棍棒を持ってたとしても、野犬の集団に囲まれたら逃げるだろ? つまり、そういうことだ。
勝ち目が無い。
確かに俺は魔術を使えるが、この数では焼け石に水。どうにもならない。
膨大な数の視線を感じ、背筋を冷たい汗が走る。
雫の滴る音とともに、獣が地面を歩く静かな音が響く。
他に音の無い空間。この世界の魔獣は頭が良いのか、群れで立ち位置をしっかりと決めているらしい。
てことは、さっきの魔獣は迷子か何かか。
もしかすると子供だったのかもしれないな。
「――とか、冷静に分析してる場合じゃねえ」
俺は土魔術を使用し、足止めのために土壌を若干泥濘ませる。
とは言っても、蟻地獄のように強烈なものでは無く、雨が降ったあとの公園のような泥濘だ。
「――――!」
四方八方からなる唸り声。
獣の臭いや声のために、集中力が持続しない。
俺は自身の全身を囲うように土魔術を繰り出し、煉瓦程度の堅さを誇る壁を作った。
三匹の子豚だって、煉瓦の家で狼から身を守った。
俺だって、できるはずだ。
土で造られた壁越しに、魔獣が体当たりを食らわせる音が伝わる。
身を護る壁は揺動し、徐々に欠片が落ちていく。
できる限り堅牢かつ厚めの外壁を造ったのだが、やはり無理だった。数が多すぎる。
数体であれば、この壁で朝まで攻撃を防ぎ、誰かの助けが来るまで堪えようと思ったのだが。
思ったより体当たりの反動が大きすぎる。
「――ああ!」
ボコン。という嫌な音が響き、総身を囲った壁に大きな穴が空く。
壁に空いた穴の隙間から、爛々と輝く眼光と、野獣らしい荒い鼻息が確認できる。
「詰んだか」
俺は土魔術で造った壁を解除し、その場に座り込んだ。
四方八方から向けられるただならぬ殺意。
もしかして、ここは魔獣たちの縄張りだったのだろうか。
俺もう絶対に棒キレで今後の行動を占わないようにしよう。
ああ。死に間際に、後悔するような人生は送るなって、散々父親に言われてたんだけどな……。
静かに俯き、瞑目する。
なるべく痛くしないで欲しい。そんなことを考えながら、俺はゆっくりと息を吐いた――のだが。
「キャゥッ!」
突如魔獣の情けない声が響き、何者かが空から降り立った気配を感じた。
刹那、またしても膨大な数の殺意を向けられ、俺は腹に力を込めたのだが。
「キャァン!」
犬の腹を蹴り飛ばしたときのような悲鳴を漏らし、何かが地面に投げ出される。
しかも一回や二回では無い。
何度も何度も、俺に殺意を向けられる瞬間、その殺意を根元から根絶させているようだ。
「えいっ!」
高く、可愛らしい声音。
若干怯えながらも、俺はそっと目を開けて現在の状況を確認する。
「キャァゥゥゥ!」
「――!」
眼前には、何者かに蹴飛ばされた魔獣が空を舞っているという情景が広がっていた。
弧を描くように虚空へ飛び出した魔獣は、そのまま地面へと落下して動かなくなる。
刹那、視界を遮るように俺の双眸を覆ったものは――。
「はへ?」
黒い布地。そこから伸びるしなやかな二本の柱。
白いフリフリな装飾を施した、ヒラヒラしたスカート。
視線を下ろすと、踵が高く黒い靴が目に入る。
この条件を満たした服装、そして、ピンチになった人を助けてくれる最強の女性。
「……メイドさん?」
「ご無事でしたか、ご主人様!」
天使の歌声のように愛らしい声音で言いながらも、突如現れたメイドさんは、容赦無く魔獣を思いっきり蹴り飛ばしていた。