第十話 迷宮の白猫と玄関の黒猫
ご奉仕が二種類に増え、毎晩トキメキの止まらない日常を過ごしていた、ある日の事。
ザフィラスさんによる剣術指南(午前の部)が終了したところで、ザフィラスさんは剣を置いて、休憩中の俺へと歩み寄った。
「どうでしょうか。剣術もかなり上達したようですし、迷宮にでも潜ってみませんかな?」
「迷宮ですか」
迷宮。いわゆる、何階層にもなっている地下迷宮のことであり、そこでは膨大な量の魔力が循環しているらしい。
魔物が生まれ、魔物が死に、新しい魔物へと生まれ変わる。
日本で言うと、超エコロジーなリサイクル迷宮とでも言えばいいのか。
取り敢えず、魔物や薬草の宝庫と言ったところか。
「何故迷宮なのですか? 弱い魔物でしたら、森林や海にもいるようですが」
迷宮というと、あまり良い思い出が無い。
元の世界でも、旅の途中で潜ることになったのだが。
竜人が、制止するように、と言葉を放ったのに、護衛していた迷子の子供たちが忠告を聞かずに深くまで潜り込み、翌日死体となって発見されたのだ。
元の世界の迷宮は、魔力循環などは無く。
幼い子供は狼のような魔獣に食い荒らされ、腐乱した血肉をコウモリに食われていた。
あのように無残な情景は、もう見たくない。
「実を言いますと、私はギルドに名前を登録していないのです。迷宮三階層までなら、一般人も潜ることを許可されているので、討伐実践に丁度良いかと」
なるほど。
俺はこの間ギルドにキンジ・ニノミヤ・アリーデヴェルの名前で登録したけど、ザフィラスさんは登録してないのか。
確かにまぁ、ギルド登録冒険者と言うのは、依頼が来て呼ばれたらすぐに出陣しなければならないし、副業として行うのは些か難しいのかもしれない。
三階層より深く潜ってはいけない――と言うことは、それより深くは訓練されていない一般人が入ると危険ということか。
この世界初めての戦闘実践が迷宮と言うのは多少心配だが、ザフィラスさんは鬼のように強いから大丈夫だろう。
治癒魔法とか拘束魔法のような小手先の技も使えるらしいし、凄く頼もしい。
しかも主やフェリア、俺のことを一番に考えてくれるし、マジで紳士的な執事さんだよな。
「では、戦闘実践の教示、お願いします」
「分かりました。それでは愛剣を持ってまいりますので、暫しお待ちを」
そう言うと、傍に控えていたメイドさんに木刀を手渡し、自身は軽やかな身のこなしでお屋敷の中へと姿を消した。
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普段と変わらぬ執事服に身を包んだザフィラスさんは、真紅の宝石を施した鋭利な剣を腰に差し、俺の三歩後ろを穏やかな面持ちで歩んでいる。
俺の剣も、魔王討伐直前に、お姫様が注ぎ込んだ“勇気の加護”が組み込まれた由緒正しい武器なのだが。
眩い輝きを放つその剣と並べると、どうしても見劣りしてしまう。
何とも言えない寂寥感に苛まれ、溜息を吐くと。後方三歩を保っていたザフィラスさんが、若干足を速めて傍まで歩み寄った。
「しかし、キンジ様は剣術の基礎などを飲み込むのが速いですなぁ。これまで幾人かの剣術教示を行ってきましたが、これほどまでに覚えが良い弟子は、他にフェリアしかおりませんでした」
全身を伸ばして盛大に万歳をしようとした刹那、後半一行で喜びが突如失速する。
やっとフェリアに勝つ見込みが出てきた、と思った瞬間のこれだ。
もうフェリアには頭が上がらない。
――頭が上がらないと言えば、まだフェリアに踏まれたりとか罵られるってご奉仕はされたこと無いな。
女神のように端正な顔立ちで、純粋純情な笑みを見せるフェリアがSの境地に足を踏み入れたら、どのように豹変するのだろう――。
などとよからぬ煩悩まっしぐらな妄想を膨らませていると、背後からザフィラスさんの咳払いが聴こえた。
はい、外での妄想は自重いたします。
「そうですな。しかしフェリアは、常人とは比べ物にならないほどに覚えが良く、さらには元から超人的な瞬発力をもっていましたので、気を落とさずに」
「え、ええ」
確かに。飛び上がって、魔法で空中浮遊して、それで地上を業火で燃やし尽くすとか、並大抵の魔法と筋力じゃないもんな。
最初はこの世界の魔法レベルが、異常な程高いのかと思っていたのだが。
一ヶ月剣術指南を受け、帰り道などの道端で魔法による喧嘩を見たことはあったが、俺が元居た世界と大して変わらなかった。
強いて言えば、全属性を使いこなせる人が少ない分、俺の方が強いかもな。
治癒魔術など、小手先の技を使うことができないのが、唯一の欠点だが。
「さて、そろそろ迷宮が見えてきました。私が先に闖入し、戦い方を見せますので、キンジ様は次からお願いします」
そう言って石造りの洞穴付近へ駆け寄ると、ザフィラスさんは右手に剣を構え、左手に炎魔法による小さな明かりを灯した。
通常の構えであれば、右手と左手で行うことが逆だ。
右手に剣を構え、左手で少量の魔法を使うのは、魔法を使うことが得意では無い戦士や剣士が行う構え。
なるほど。今回は剣術教示が目的だから、ザフィラスさんは剣士としての構えをして、お手本を見せてくれるのか。
ザフィラスさんが暗黒世界に闖入したことを確認し、俺も愛剣を振り抜いて迷宮に飛び込む。
世界から光を消失させたかのような錯覚を味わうほどに、何も存在しない暗黒。
前方にボヤッと朧げな灯を確認できるので、きっとそれがザフィラスさんの左手だろう。
しかし、これだけ暗いと、お手本はおろか足元さえ確認できないのだが――。
前かがみになってキョロキョロと挙動不審な視線を向けていると、突如視界がぼんやりと明るくなった。
見ると、ザフィラスさんが自身の炎魔法を、迷宮の壁に押し当てている。
「あの、何をしてるんですか?」
「前に来た誰かが、水魔法か何かで迷宮内の灯りを消してしまったようなので。点火し直しておきます」
壁に張り付いた紐のようなものに火を移すと、まるで導火線のようにバチバチと輝きながら、一瞬で迷宮内が明るくなる。
一階層最奥部までを見通せるわけでは無いが、数メートル先までは何の問題も無く進むことができる。
さて、この世界の迷宮に出現する魔物とは、どのようなものなのか――。
「ニャァ~ん」
一歩足を踏み出した刹那、前方から丸まった白猫のような魔物が凄い勢いで疾走してきた。
忍者のように跳ね飛び、壁を駆け抜けこちらへと突進する。
何なんだこいつは。
「迷宮に光が灯されると、外から漏れる日光につられて出現する魔物です。少々計画が崩れましたが、この魔物を私めが倒しましょう」
言い終わるが早いか否か。
右足を一歩踏み出し、軽やかなステップで白猫と交錯する。
一閃。すれ違いざまに白猫が真っ二つにちぎれ飛び、粘性の鮮血が噴出された。
魔物自体はファンタジックな獣なのに、死に様はスプラッターだな。
循環するとか言うから、どこぞのゲーム世界のように迷宮に吸収されるのかと微かに期待したのだが、そんなことは無かった。
むせ返るような死体臭を放ちながら、白猫は光の無い虚ろな双眸を壁に向かって見せている。
人間とはかけ離れた風貌だが、流石に死体をずっと眺めていると精神的にもやつれてしまうため、俺はその死体に向かって炎魔術を放ち、一瞬で消し炭にした。
「それでは参りましょう。次はキンジ様が前へ」
「は、はい」
今回は土魔術や炎魔術で傷口の止血をするなどの、余計な魔術を使用してはいけないので、斬撃を食らわした刹那、返り血や血糊を浴びるだけの覚悟はしなければならない。
暫しの間前方へと歩を進めていると、黒い影が視界を舞い、褐色肌の男性エルフが姿を現した。
「ダークエルフか……?」
「正確には違いますが、別にそう呼んでも構わないでしょう」
ダークエルフは腰からククリナイフを取り出すと、俺に向かって風のように疾走する。
普段こういう状況に陥れば、土魔術で岩石を生成して投石するのだが。
今回の目的はあくまでも剣術の実践教示。
投石してボコボコやって気絶させれば、死体も見ることなく先へ進めるが、それではここに来た意味が無い。
俺は愛剣を振り抜き、教わったように左手で握ると、相手の向かってくる速度を利用して、まるで舞を躍るような軽やかさで華麗に交錯する。
一閃。ダークエルフは上半身と下半身に分かれ、背中に生ぬるい液体をびっしょりとぶっかけられた。
背後から漂う死臭と血塊の香りに耐え切れず、俺は鼻を押さえて蹲る。
恐る恐る振り返ると、ダークエルフの死骸はザフィラスさんが炎魔法で消し炭にしていた。
やっぱりそういうシステムなのね。
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歩を進めては、立ちはだかった魔物を問答無用で一刀両断。
三階層までの魔物であれば、斬撃を弾いたり日本の文化である真剣白刃取りをかますような不届きものもおらず。
切っては焼いて、切っては焼いてと、焼肉屋のように俺は剣術の練習に明け暮れた。
三階層の隅まで到達すると、ギルドナイトらしき兄ちゃんが四人ほどで談笑しており、登録の無い方を連れてこれ以上進んではいけない、と釘を刺された。
どうやら交代制で、ギルドナイト数人が、未登録冒険者が無断で三階層より深く潜らないように見張っているらしい。
だったら最初から迷宮闖入禁止にして、入口で見張れば良いのに、とも思ったのだが。
迷宮三階層までには、一般家庭にも必要な薬草やら魔物の素材がゴロゴロ落ちているらしく。
無登録なオバチャンや副業出来ないメイドさんなどが、時折潜りに来るらしい。
元々は、俺が提案したように、無登録冒険者は迷宮に侵入することを許されなかったらしい。
当初は全て依頼として張り出し、ギルドの登録している冒険者に採ってくるようお願いしていたらしいのだが。
採取依頼を受けない冒険者が多かったり、その日のうちに確実に必要なものであったりと。
ギルドに設置された目安箱のような箱が、全て迷宮関連の提案書でいっぱいになってしまったため、数十年前から、無登録者でも三階層までなら潜っても良い、ということになったらしい。
これでもかなり、お互いに譲歩した結果らしい。
民衆との意見の不一致とは、どこの世界でもあるものなのだな。
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「お帰りなさいませぇ、ご主人様」
魔物の血糊が滲んだ衣服に身を包み、吐き気を催しながら玄関に倒れると。
ネコミミとシッポを蓄えたフェリアが、胸の前で指先を丸めてネコのポーズをとってお出迎えをしてくれた。
寝具用のエプロンドレス並にスカート丈が短く、ソックスもかなり短く、太ももからふくらはぎを惜しげも無く露出している。
どういう原理なのか分からないが、時折ネコミミやシッポがピコピコと揺れ、疲弊した俺の身体からやる気や気力を掻き立てる。
従順さや献身的な印象を湧かせ、下腹部辺りに熱をもってきた。
今日は二回くらいしてもらおうかな。
「ご主人様が満足するまで、精一杯ご奉仕させていただくんだ……ニャン」
ん、待て。今何て言った?
ニャン? フェリアが、ニャンと言ったか。
「お洋服が汚れているようですニャ? 今日は何をなさったのですかニャン」
「ん、迷宮に潜って魔物を倒してきた」
「それは凄いですニャン。夜はわたしが、ご主人様の魔物を優しく退治してやるニャン」
ヤバい。くすぐったいような、こそばゆいような感覚に包まれる。
しかもフェリアの声音は、いわゆる極度のロリボイスでも無く、甲高いアニメ声でも無い。
耳に絡みつく、とろけるようなフェリアボイスで『ニャ』なんて発せられて、俺の理性が保てるわけが無い。
――だが。
語尾にニャと付ける高等技術。
これは、本物のネコミミ獣人が素でニャと言ってしまうというシチュエーションが、最高に萌えるのであって、所詮人工物であるネコミミやシッポを付けて、演技でニャやニャンなど付けられても、普通は萌えられるはずが無い。
そう、普通なら萌えないのだ。
痛々しいことこの上無い、滑ったら立ち直れないであろう、まさに高等技術。しかし。
「ご主人様、どうしたんですニャ?」
女豹のポーズをとって、艶かしく科を作る。
お尻を突き出し、心配そうに首を傾げるフェリアの頭上で長いシッポが色っぽく揺れる。
ネコミミもピコピコ愛らしく動き、桜色の舌で時折口端をペロリと舐める。
うん、もう限界。
フェリアなら許す。って言うか、全力で愛でたいです。
理性が半壊した俺は、血糊がベットリ染み込んだ服を玄関に脱ぎ捨て、夕飯よりもお風呂よりも先に堪らずフェリアに飛びついた。
フェリアの甘い抱擁とネコらしいねっとりとした舌技により、暴れ狂う俺の魔物は玄関にて無事退治された。