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最後にお一つ雪の花を  作者: 千野狐狼
プロローグ
4/14

雪融けを告げる白い桜―3

「これからしばらくの間お世話になります橘凛です」

宗太の父、祐一郎は帰宅した我が家の居間の入り口で佇んだ。

夕食は終えているらしく、宗太の母、美和子はキッチンで洗い物をしていたのだろう。薄紅のエプロンが少しばかり濡れていた。

宗太の妹、茜は棚とでキッチンを隔てている居間の中央のテーブルでテレビを見ていた。宗太も茜の前でテレビを見ている。祐一郎の方を落ち着きなくチラチラと見ながら。

それらには祐一郎にとって何ら問題はないいつもの光景だったが、目の前の女の子、凛には混乱した。

口を真ん丸に開けて祐一郎は周りを見た。誰も何も気にしていない様子だ。それがむしろ怪しく祐一郎は美和子の方へと顔を向けた。

「えーっと……この子は?」

洗い物をしたままで美和子は答える。

「今日から新しくうちの家族に加わる凛ちゃん。まだ11歳なんですって。家族も頼れる身寄りもなくて、行くところもなくて歩いてたところを宗太が見つけてね」

言葉を続ける美和子に祐一郎は危うく持っていたカバンを落としそうになった。

詰まるところ家族のいない子を勝手に連れてきて、引き受けたらしい。こんなサプライズがあるだろうかと祐一郎はめまいでも起こしそうになった。

頭に片手を当てた祐一郎に凛は不安そうな顔をした。

「あの、ご迷惑かとは思いますが」

美和子は食器を洗う手を止めて、祐一郎と凛の方へ駆けつけた。そして優しく凛の頭に手を置いた。

「迷惑なんて、いいのよ。二人いるけど一人増えるくらいなら。ねっ?お父さん」

「あ、あー」

訳もわからないまま祐一郎は頷いた。途端に美和子の顔がパッと明るくなる。

「ねっ、凛ちゃん大丈夫よ?」

「あのありがとうございます」

凛も安心したような表情で両手を膝に当ててペコリとお辞儀をした。それを見て宗太が凛に部屋を出るよう声を掛けた。

祐一郎は下手な笑い方の手本みたく苦笑いして、ようやく何かに気付いたように美和子へと慌てて声を出した。

「ちょっ、母さんどうなってるんだ」

「どうなってるって今聞いた通りですよ」

「いやいや、可笑しいじゃないか」

「どこがですか?」

「どこがって、何で預かるんだ?」

「預かるんじゃなくて、少しだけ置いてあげるんですよ」

「いや、だから何で」

どうにか居間を出た二人に祐一郎と美和子の言い合う声が聞こえた。二階建ての家の階段を登りながら宗太は後ろからついてくる凛へと言う。

「ああ言ってるけど大丈夫だから。母さん口は上手いし、父さんは丸め込まれるのが得意だから」

宗太は段々と口数の減っていく父と冷静にまくし立てている母の声を聞きながら苦笑した。宗太としては先に母美和子に話しといて正解だと思っている。小さな口喧嘩だろうと勝つのは母の方だと知っているからだ。少しばかり強引でも恐らく父を上手く納得させるはずとまで思っている。何より妹の茜も凛の事が気に入ったらしく、最終的には駄々をこねられて納得せざる得ないと考えていた。

その大体を事前に見聞きしている凛でさえ階下で聞こえる声で何となくそれが分かった。耳をすませば既に学校はどうするという話が半ばまで進んでいる。

何から何まで用意してくれたこの少年と少年の母親。何を言っても足りないのだろうと思い凛は二階に上がったところで足を止めた。そして再びペコリと頭を下げる。

「あの……ありがとうございます」

「いや、いいって。母さんの言ってた通り気のすむまで居てもいいし、どこかに出掛けて帰ってきても良いんだから」

「はい。あれの件で出掛けるときはちゃんと言います」

「うん、そうして」

そう言って笑顔を見せる宗太に凛は嬉しくて溜め息を漏らした。少年はあの化け物の件で理解があるという訳ではない。帰り道で色々と尋ねられたが最終的にはよく分かんないなとまで言っていた。ただ、優しいのだ。お人好しやお節介という言葉がとても似合う程に。

そうして二階の一室へとついて宗太は扉を開けた。部屋の中は少しばかり本や漫画が散らかっているだけでわりかし綺麗だ。窓は一つでその前にはベッド。入り口から右手に勉強机がある。ベッドの足元の壁には野球選手のポスターが張られている。壁際の棚にはプラモデルなどが置かれている何とも男の子らしい部屋だった。

「んで、ここが俺の部屋なんだけど今日だけ一緒って事で我慢して。明日は部屋片付けて別にするから」

宗太は入ってすぐに漫画や本を片付け始めた。まさか女の子どころか誰かを連れてくる予定など一切なかったからだ。

慌てて片付ける宗太の行動に凛はクスリとほくそ笑んだ。

「いえ、住まわせてもらう以上贅沢は言えないのでお気遣いなく」

片付けながらやはりこの子は何かが違うと宗太は改めて思った。落ち着いた雰囲気や言動のせいか。大人以上に大人びている。自分が十一歳の時にこんな事を言えただろうか。いや、言っていたかと思い出そうとしてすぐに止めた。言っていない事が鮮明になりそうだったからだ。

「えっーと、嫌じゃなきゃベッドがあるんだけど」

「いえ。私は床で構いません。むしろそちらの方が慣れているのでワガママでなければ布団を一式お借りしてもよろしいですか?」

凛の落ち着いた笑顔に宗太は失言だったと気付いて慌てるように片付けるその手を止めた。同時に、急にベッドがあるなんて事を言った自分が恥ずかしくなり、

「あー、うん。ちょっと待ってて」

頷いてその場から逃げるように布団を取りに向かった。

やはりこれは何か違う。宗太からすれば敬語は完璧とも言える気がし、作法なども間違いではない。言うなれば良くできた子だ。ただ何かが足りない。宗太自身が言うのもなんだが、強いていうならばそれは子供らしさというかそんな物のような気がしたのだ。無邪気に笑い、恥ずかしさもなく泣き、包み隠さず怒る。

そう――

「バカ兄!お風呂入り終わったから早くはいれば!?」

怒る理由などないのに怒声を吐く茜みたく、こんな感じが足りないと宗太は思って一人頷いた。茜は何が気にくわないのか知らないがたまに意味なく怒る。

そして、

「分かったよ!」

と、宗太も声をあげて返す。

些細なことながら草部家は現在二人が思春期真っ只中なのだった。

階下に下りて宗太は居間に入った。父祐一郎がテレビも見ずに食事をし、母美和子は食器を仕舞っている。茜はいないからトイレだろうと宗太は思い、母美和子に声を掛けた。

「あ、あのさ、凛ちゃんの布団なんだけど」

「布団ね。あとで持っていくから先にお風呂入ってもらって」

「分かった」

宗太が居間から出ようとして父祐一郎が声を掛けた。

「あとで話があるからいいか?」

宗太は無言で頷き自分の部屋へと戻る。どうせ凛の事だろうと言わなくても分かる。何で連れてきたのか。なぜ勝手に上げたのかなど。これからどうするつもりなのかと言われるに決まっている。それが分かり思うだけでなぜか物凄く宗太は腹が立った。

何か間違ったことをしている気はしない。少女が困っていたから助けたのだ。行くところも当てもなく、未だに夢か幻とも思えるような化け物を相手にしていたから。だが叱られる理由も少なからず分かる。勝手に少女を家に住まわせられないかと頼んだのだから。

しかし、さっきの場で父祐一郎が特段何も言わなかったのは不思議だった。母美和子に負かされたからなのか。それとも敢えて何も言わなかったのか。

「布団はあとでって言われたから先にお風呂入ってきていいって」

宗太は部屋に入ってなぜか正座をしている凛へ不思議だと思いながら言った。凛も宗太へと首を回しながらはてと思った。

「よろしいのですか?」

「うん」

「そうですか……では、お先に入らせて頂きますね」

「あっ、ちなみにタオルとか着替えとかは母さんに聞いて」

「はい」

階下へと降りていく凛を見送り、凛が見えなくなったところで宗太は居間へと向かった。これから面倒なお説教が始まると思うだけで憂鬱だった。

引き返そうかと思うほど晴れない気持ちで居間へ入り、食事中の父親の前へと宗太は座った。既に言うことは決めている。

祐一郎は箸を止め、コップの中のビールを飲んだ。黄色い液体の中で気泡が上へと上る。

「宗太」

「あの子は行く当ても何もなかったから、可哀想だと思って連れてきたんだ!それに母さんも良いって言ってただろ!」

宗太の声が居間にシンッと音が鳴るかのように響いた。美和子は変わらず二人へと背を向けて食器の片付けをしている。話に加わる様子は見えない。

対して祐一郎は腕を組んで目を閉じた。

「お前の言いたいことは分かった。母さんからも聞いた。正直、父さんは反対だ」

思っていた通りの言葉に宗太は歯を食いしばり膝に置いた手で拳を作った。

「本当に身内がいないのなら施設に言ったりするべきだ。じゃなきゃ、お前は見ず知らずの子を連れてきた誘拐犯とも言えるからな」

施設。誘拐犯。宗太はその言葉に嫌な雰囲気を感じた。母美和子と話した時も同じことを言われたのだから。だがたった一つだけどうにかなる方法はあると言われた。それを聞かされたはずなのに……と、宗太が思っていると、

「だが……」

父祐一郎は言葉を濁した。

「確かに里親としてならやっていけるだろう。だがな、凛ちゃんはその間家に居れるか分かんないんだぞ?施設に入ることも分かった上で言ってるのか?」

「ああ」

宗太はそれに頷いた。凛はどのみちずっとこの家にいるかいないか分からないのだ。施設に入ったところでまず間違いなく脱走するはずだ。大人びていて大人しそうな見た目でもかなり活発的だ。常人を並外れている程に。それに化け物を相手にしなくてはならないのだから、凛にとっては施設など邪魔なだけだろう。

それに帰り道の途中でしばらくはここにいると凛自身が言っていたのだ。だからこそ、その期間だけでも家に置くことが出来ないだろうかと宗太は思い、化け物の事は抜きで母親に話したのだった。

祐一郎が溜め息を吐いた。

「そうか……そこまで言うなら分かった。確かにこのまま施設へなんてのも可哀想だからな……どうにかしよう。恐らく問題はないと思うんだが、色々と調べて聞いてみる」

宗太の顔にふっと笑顔が戻った。

「本当か?」

「ああ。やれるだけ手は尽くすが、それでも最悪の事だけは頭に入れとくこと。それともう一人なんていわないことだ。さすがにそれは色々と厳しいからな」

「父さん、ありがとう!」

「と、言っても母さんに言われてほとんど決めたんだがな」

苦笑する祐一郎に宗太は母の方を見た。小さくVサインをしている。さすがだと宗太は思い母にもありがとうと言った。

「まぁ、今日のところはあの子に安心するように言っといても大丈夫だ」

それに返事をして宗太は母親に布団を出してもらい二階へ上がった。布団は客用の物でめったに使うことはない。今年は冬に親戚が来たときに出したのと、瑠美や友人が来たときに出したぐらいで、あとは使わない予定の物だった。

それを二階へ運ぶと敷いた。風呂上がりですぐに凛が寝られるようにだ。

布団を敷き終えると宗太はベッドに転がりケータイを手に取った。メールに瑠美から経過を心配している内容があった。

瑠美の家でも検討はしたのだが、瑠美がうちは頭から無理だって言うから、と即断念したのだった。瑠美の家は三人姉弟で母親と出張の多い父親に祖父母の大家族だ。そこに凛を入れるのは難しく、同時に説明しても断られると瑠美が言っていたのだ。だが、瑠美もやはり心配していたらしくメールはもちろん電話も入っていた。三人の一番上だからなのか、こういうところが瑠美の良いところでたまに傷なのだ。心配性でお節介なところが……。

宗太は苦笑してメールに無事住める事が決定した事を報告する。液晶にメール送信中の絵と文字が浮かんだ。そうして他のメールに返し終わった頃、瑠美から良かったと安心しているのが今にも分かるメールが返ってきた。

全くあいつは…………と宗太は瑠美に呆れつつベッドの上で安堵した。宗太も少なからず心配したくなる気持ちがあるから、瑠美の気持ちが何となく分かり、釣られてしまうのだった。今日がその良い例だと思い、釣られてしまう自分に宗太は呆れて笑った。

そうして笑いを抑えるかのように顔を横へ向けると、宗太はふとあることに気付いた。それは凛が唯一持っていた所持品、机の横にある刀だ。もちろんそれが移動した訳ではない。ついてすぐにそこへ置かせたのだから移動も誰かが触れた形跡もない。それをじっと見ていれば見ているほど、宗太は言い様のない奇妙な感覚を感じた。

白い刀で鞘はもちろん中の刃まで確かに白かったのだ。だが、よくよく思えば白い鞘はあっても刃まで白い刀があるのだろうか。アニメや漫画ではあるが、実際に刃まで白い刀を宗太は聞いたことがなかった。ペンキか何かを塗っているのか。だとしたら、切れ味は落ちるはず。しかし、少女はあの化け物を両断して攻撃を弾いた。そこでペンキのようなものが剥がれた様子もなかった。つまり塗料ではなくもとからということだ。

それを謎に思っていると宗太はまたふとと思うのだった。

凛は所持金も何もないのに何を食べてきたのかだ。どこかで盗みでもしたのか食べさせてもらったのかは分からなかったが、それにしても夕食の量は茜と一緒だったのだ。もっと食べるのかと思っていたのにも関わらずだ。それに加えあの謎の身体能力だ。

謎だらけの少女の唯一の持ち物が――刀。

宗太は自ずとベッドから体を起こし机に近づいていた。

雪のように白い刀。何の装飾もない鞘。その刀身は薄くすれば向こうが透き通ってしまうのではないかと思うほど、美麗の一言に限る不思議な刀だ。

宗太は立て掛けてあるそれに触ろうとして――

「触れないほうが身のためですよ」

「――――!」

声を掛けられて手を止めた。宗太が部屋の入り口を見ると、扉を閉めたそこに着物姿ではなく、クマのキャラクター柄の黄色いパジャマを着た凛が立っていた。パジャマは恐らく茜のおさがりか何かで、適当に当てられて着たというところだろうと宗太は思った。可愛らしいといえばそうだが、宗太はその格好がどことなく少女に似合わないとも思ったのだ。

凛が髪を鋤きながら敷かれた布団の上に正座すると、少しばかり睨むような鋭い目付きで宗太の方を見た。

「その刀、一応妖刀と言われるものですから、下手に触れると祟られるかもしれないですよ?」

凛の声がしんと宗太の耳に響いた。途端に宗太の顔はその言葉にひきつった。

「えっ…………妖刀?」

「はい。例えるならば妖刀村柾が有名ですが、お聞きになったことは?」

宗太は村柾と聞いてそれを思い出す。徳川家将軍が持っていたが故に次々と不運によって死に忌み嫌われている刀だ。そしてその持ち主が死ぬという刀だ。

それを思いだしそっと横目に隣の刀を見た。白い刀身に白い鞘。普通はそんな刀などない。だからこそそれを言われ――

「あ、あるけど」

宗太は慌てるように頷いた。そんな宗太に凛は無表情で言った。

「それと似たような種類の刀ですから、触ることは勧めませんが触れたいのならどうぞ……」

ゆっくりとそう言った凛に宗太は慌てて刀から体を離した。

そんな宗太に凛は一瞬だけクスリと笑った。

「近づくだけなら問題ないですけど、でも手に取ることだけは本当に勧めません。何せその刀は“人”を切ったことがないので……」

宗太はまるで凍るような含みのある凛のその言葉に寒気を覚えた。ヒヤリとする言葉を躊躇いもなさそうに言った凛は、体勢もなにも変えず宗太の目をじっと見つめていた。

人を切ったことがない。そんな当たり前のことを軽々しく言う少女。そもそも、人を切るという言葉自体普段では使わない。それを躊躇いもなく、笑いを含めて冗談とも言わない目の前の凛。宗太は微動だにせず、表情も変えないその少女の目付きや顔立ちにごくりと唾を飲み込んだ。

「お風呂に入られてはいかがですか?勝手ではありますが私は寝させて頂きますし」

「う、うん。そうだね……おやすみ」

「はい」

風呂の支度をして宗太は部屋を出た。風呂へ向かいながらやはり凛という少女の考えていることも心も何一つ分からないと宗太は感じた。それでもまだ一日目だからだと自分を納得させるように溜め息混じりに笑った。





宗太を見送った凛は緊張を解くように息を吐いた。

この家が特別なのか自分が特別なのか分からないが、異常なのだ。初めから泊めることが決まっていたかのように何から何までよく手が回っている。それに凛自身もこの町ではやらないといけないことがあると思った直後にこの状況だ。アレが何かしたのか。それとも単なる偶然なのか分からない。しかし、これは凛にとって好都合と言えた。ちゃんとした寝床と食事に久しくありつけ、さらに拠点として使えるのだから。

今の状況に満足しつつ考えながら凛は唯一の持ち物へと触れた。唯一無二の旅の友であり、武器であり、防具であり、目的の道標であるそれへ。

触れたそれは刀のせいかこれがまた特別だからなのか、氷のように冷たい。

「今宵もご苦労でした。餓鬼が全部で三体だけではないとは思いますが……」

話しかけるそれは答えない。凛が話すことには何一つとして答えない。

ただ――

「一つ頼みがあります……」

凛は頼みという名の願いを口にする。

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