雪融けを告げる白い桜
爽やかな風に桜の花びらがさらわれた。澄んだ青空に淡い桃色がチラチラと映える。ほのかに香る日射しの匂いはまだ三月だと言うのに暖かささえ覚える。
その日草部宗太は桜並木の道を歩きながら、そんな風に春を感じていた。歩く道の下、宗太の眼下には用水路のような小川が流れていて、その穏やかな流れに花びらがいくつも浮かび、まるで淡い桃色の水が流れているようだった。
宗太は来月で高校生になる。つい先日中学校を卒業して来月の初旬には隣町の高校へ通うのだ。引っ越しなどはしないためさほど忙しくもなく、のんびりとこうしていられるのもあと二週間もなかった。
それでも必要な物は揃っているため卒業してからは暇で勉強したり遊んだりと、色々と名残惜しい物があるのだった。
しかしながら、同時に謎に満ちて楽しみな春休みでもあるのだ。
春休みの真っ只中、宗太はある噂の真相を求めて活動していた。それは白い着物を着た幽霊が夜な夜な現れるという噂だ。
春休みの大事な時期にしょうもない噂に振り回されて何をしているのか。そんな噂を追いかける程暇なのか。とは、宗太は思っていなかった。
もちろんそれがただの噂なら宗太も探すほど興味はなかった。しかし、目撃例もその話の内容もかなり気になる物なのだ。
宗太が調べたところによると、その話の最初はある町で鎧武者が出たことから始まっているらしいのだ。その鎧武者はホテルで出没するとホテルにいた人々を襲い始めたのだ。そうしてそこに現れたのが噂の白い着物を着た幽霊らしき女の子で、鎧武者を退治すると消えてしまったと言う。
これだけを聞けば単なるオカルト話であるが、その時の目撃者は二十人近くいたらしいのだ。
そしてそれから次に観光地の寺に出没した僧侶に似た霊である。この霊を退治したのもその白い着物姿の女の子の幽霊で、目撃者の数は三桁を越えていた。それに似た各地に上がっている白い着物姿の女の子の噂や目撃例は件数だけで十幾つもあり、目撃者の数は四桁を軽々と越えているのだ。
ネットではその女の子の噂で持ちきりで、ニュースでも不可解な現象や事件として取り上げられ、幾つもの心霊番組で取り上げられているくらいなのだ。それでもごく一部で、ネットでは白い着物を着た女の子を写真に納めたという投稿や、仮装した物が挙げられたりもしているくらいだ。同時に幽霊でもなんでもなくただの見間違いや錯覚幻覚という否定的な物もあり、今日本中がその女の子の幽霊に嘘か真かという噂で騒いでいるのだった。
そんな話に宗太も最初は馬鹿馬鹿しいと思いにわかには信じていなかった。だが、次の噂が流れているのが、宗太の住んでいるこの花日町だったのだ。
花日町にその噂が流れたのはつい最近の事で駅前にあるビル群の通りで起こった事だった。夕方、通行していた人々の前に突如白い着物を着た女の子が現れて、どこからともなく身の毛もよだつ気味の悪い化け物を退治したのだそうだ。
宗太はそれも信じなかったが、この話を聞かされたのがこんなつまらない嘘を吐くような事はしない幼馴染み、土筆瑠美からだったのだ。
宗太は瑠美と小学校以前からの知り合いで、気持ちの知れた仲であると思っている。瑠美は明るく活発で、中学から男女共に分け隔てなく仲が良かった。姉弟のいる家族の中では長女ともあってか面倒見も良く、中学の時にしていたバレー部では部長をしていたぐらいだ。
そんな瑠美の容姿は、長年見てきた宗太でも可愛いらしいと思うものだった。背は少し小さく、本人は胸が、胸がと嘆いてあまりその話には触れないが、バレーをしていたからか体は締まっていて、顔も小さく全体的に可愛いらしくボーイッシュと男子に人気だった。女子からは見た目で嫉妬したり、男子と普通に話す姿を見て好かないと思うものもいたらしいが、それでも性格の良さからか割りと人気だったのを宗太は覚えている。
そんな瑠美が今までの全てにおいて正直で素直だったかと言われると宗太は頷く事はできないが、それでも話に便乗して見たと言い張り、写真まで作って女の子を探そうと言う人間ではないことくらい宗太は分かっていた。
だからこそ宗太はその話を卒業後すぐの日に聞かされて、疑いながらも一度自分でも見てみたいと思い、暇な春休みに探しているのだった。
それでも最初は半信半疑、興味半分だったはずなのだが、今ではネットで探すまでになっている。ネットで集めたその噂の話をまとめた所で場所や時間は特に関係していないのかバラバラで、手掛かりになるのはその女の子の見た目だけである。しかも女の子自身が本当に幽霊かもしれない可能性も残っているとあり、霊感も何もなく実際に見たわけでもない宗太には女の子を探すことすら難しいと言えた。
何も手掛かりが掴めない中、宗太はその子が何のために幽霊を退治しているのか、なぜ現れては消えるのかと考えながら並木道を歩き、駅へと向かった。
また外れだった……。
駅までの雑居ビルなどが群がって建つ道を辿りながら、土筆瑠美は今日一日を振り返り肩を落としていた。
その理由は宗太にも話し手伝いを求めた、白い着物を着た女の子の幽霊の事でだった。噂の真相を半日も掛けて探したのにも関わらず、これといった新情報の手掛かりは何一つ見つからなかったのだ。
唯一得たのは瑠美が宗太に話した女の子の格好やどこに出没したのかくらいで、情報としてはいらないものだった。
出没したのは花日町のビル街。国道へ出るための真っ直ぐな道が駅から走っている地区で、駅から少しばかり歩いた所だった。駅や主要なビルがあるともあって普段から人も多いのに、瑠美や他の目撃者が見掛けたときは夕方の通勤ラッシュで、大勢の人が行き交うそんな中で白い着物を着た女の子と怪物とも言える生物は現れたのだった。
そして今日の昼。瑠美はそれを見た時のその場所へと何か手掛かりは残っていないだろうかと行っていたのだ。
そこは、丁度ビルとビルに挟まれた駐車場で、広さは車が十台停められる程度の所だった。しかし、駅やビル、国道などが近いためか使われる頻度が高く、出没した時も満員状態にも関わらず車が近くで停まっていた程だ。
その時瑠美はその駐車場の目の前を駅に向かって歩いていた。近くのデパートに買い物をしに行った帰りで、その途中でたまたま見掛けたのだ。
そして瑠美が人の行き交う流れに従っているその時、突如として悲鳴が聞こえたのだ。それに周りにいた人達は反応して悲鳴の在処を歩いたままや立ち止まったりして首を動かし探していた。瑠美もその声を探しつつ歩いていた。
すると悲鳴ではなく今度は獣のような不気味な雄叫びが聞こえ、それに周りも瑠美も完全に足を止めた瞬間だった。
白い着物を着た女の子がビルの真上から降ってきたのだ。
瑠美も周囲も目を丸くして驚く中、女の子はビルからの落下を感じさせないほど軽やかに着地して、両手に持っていた白い鞘と白い刀身の刀を握りしめて走り出したのだ。その駐車場へと。
その場にいた人達が駐車場へ駆け寄る間もなく獣のような叫び声が再度辺りに響き、瑠美も周りもおっかなびっくりでその声と今見た物に釣られて駐車場へ近寄った。その時には既に女の子はおらず、代わりに血が辺りに散布し、一人の女性だけが倒れていたのだ。そうして誰が呼んだのかも分からない警察や救急が駆けつけ、翌日のニュースで女性の命に別状はないと瑠美は知らされたのだ。
これが瑠美の覚えているその時の簡単な記憶だった。
ニュースでは女性が怪物に襲われて女の子が退治したと意味不明な事を話していると言っていたが、一番近くで見ていた何人かも同様の事を話していると伝えていた。怪物の事は不明だが女の子については瑠美を含めたそこにいた何十人が証言できるはずだった。それを幻や夢、果ては酔っていたからと言わなければだが。
しかし、他の人は知らないが、瑠美はそれを幻や夢とは思えなかったのだ。
お酒はこの方一度も飲んでもいない上に、飲めない歳でもあるからまず酔ってはいなかった。それに夢でもないとちゃんと言えるのだ。デパートで買った物もしっかりとその前からもその後もあった。
極めつけは、瑠美はひそかに女の子の写真を撮っていたのだ。
人混みのせいでピントは合っていないが、僅かながら女の子の着地した瞬間も、白い着物に黒髪も写っている。そしてそれは消えずに今もケータイに残っているのだ。だからこそ嘘でも夢でも幻でもないと言え、宗太もそれを見て信じたのだ。
そうして共に探すことを決めたのだが、あれから数日経っても女の子は見付かっていないのが現状であった。何せ足はあったのだが霊か否かは分からず、ビルの上から飛んで着地したような女の子だ。ビルを飛び越える事や壁を通り抜けられるなら、そんな子を見付けられる事自体奇跡とも言える。
存在すらあやふやな超上現象の女の子を見付けるのはやはり無理なのだろうか。と、瑠美は宗太に誘っておきながら半ば諦めてもいた。宗太もあまり信じている様子ではなく、見付けてどうしたいわけでもないのだ。
聞きたいことはあれど話せるかどうかも分からないのだから。それでも見付けたい理由があるとしたら春休みの暇潰しとも言える。
やるべき事は終わり、特にどこに行くわけでもなく、家の中で何をするでもない。瑠美も宗太と同じ学校に行くため何か必要な事をするでもない。友達と遊ぶ事以外に少し変わった事がしたい。たったそれだけの事で探していたのだ。しかし、興味というのはそんなものだろうと瑠美は思っていた。
そうして今日二度目の駐車場を通りすぎて、テナントにコンビニの入った十階建てのビルを瑠美は左に折れた。その先には小さな公園がある。ビル郡の中に閉じ込められた小さいオアシス。歩くのにも気持ち的にも疲れ、瑠美はそこで少し休むつもりで向かった。
歩きながら瑠美はケータイを取り出して時刻を見る。液晶に浮かんだ時刻は六時五分。少しばかりずれている時計だが気にはしない。こういう所はルーズだと言われる瑠美である。
ケータイを手にしたまま瑠美は公園へと入った。公園は砂地の広場にベンチ、トイレや自動販売機があるだけの簡素な物だ。街灯は多く明るいが今は誰もいない。瑠美は自動販売機で飲み物を買い、近くのベンチに座った。
今日一日歩いて探し回ったせいか、ベンチに座るとどっと疲れが襲ってきたのを瑠美は感じた。溜め息も自然とこぼれる。歩き疲れたのもあるがやはり噂は噂なのかもしれないと思わされるような弱気な気持ちの問題かも知れなかった。数日探して今日半日探しても収穫はないのだから。
ぼんやりとそんな事を考えながらも駅の方から騒がしい声が聞こえてくる。普段は気にもならない雑踏がこういう時は異様に気になるのだ。憂鬱とはこういう事なのだろうかと瑠美は項垂れて、そんな気持ちを紛らわすようにケータイを見つめた。
メールは数件。友達からや迷惑メールにお知らせメールだ。その中には思った通り宗太からも来ている。件名は女の子の話から始まり、収穫ゼロという短い内容だ。どうだったかの質問もあった。そんなメールを見てか瑠美はさらに溜め息が出て、それ以上溜め息が出ないように今さっき買った飲み物を一口飲んだ。
生憎メールを返す気にはとてもならない。
明日はどうしようか。探すのはやっぱり無理なのだろうか。無駄な事は止めるべきなのか。見掛けた女の子はやはり幽霊か何かで幻だったのだろうか。ニュースにまで上がって、写真まであるのに……。
それは――瑠美が夕闇の濃くなった空に顔を向けてそんな事を考えていた時だった。
「あの……少しお聞きしたい事があるのですが」
突然声を掛けられて、瑠美はそちらに顔を向け答えようとした時だった。瑠美は言葉を失った。目の前に白い着物を着た女の子がぽつりと立っていたのだ。
「この辺りで人が消えるという噂はありませんか?」
女の子は小さくもよく通る声で瑠美に尋ねた。その声はまるで琴線を弾くように柔らかいものだった。
しかし、瑠美は女の子に驚き見とれていたせいかその子の声が耳の中を素通りしていた。
女の子は噂通り、雪のように真っ白な着物を着ていた。死んだ人に着せる死装束にも見える着物だ。髪は肩よりも長いそれを結う事もなく降ろしている。色は少しばかり艶に欠けて夜の闇に紛れるような黒い色をしていた。背はそれほど高くなく、ベンチに座っている瑠美よりも少し高いくらいだから、瑠美が立てばそれほどでもないくらいだ。顔は少しばかり丸みがありあどけない可愛らしさを残している。鼻はすっと通っていて、目の形は優しそうな雰囲気をしていた。
瑠美は全体的に可愛いらしいと思えるその女の子を見ながら、なぜ探している女の子がここにいるのかとそればかり考えていた。
見えてはいるがやはり幽霊なのだろうか。確認をしたくとも周りには誰もいない。それよりもどこからかつけられていたのか、それともこれは偶然なのか。もしくは何か用があるのか。
「あの、この辺りで人が消えるという噂を聞いたことがありませんか?」
考えていた瑠美の耳にようやく女の子の声が届いた。瑠美は思わず驚いて体を直した。腰深く座り過ぎていたのか少しばかりだらけた形で座っていたようだ。
瑠美は姿勢を正すと不思議そうな顔をした女の子に顔を向けた。立ってはいるが女の子は留まる気配で話しかけてきている。これは聞きたいことを聞けるチャンスだとばかりに瑠美は口を開いた。
「そんな話は聞いたことないけど……それよりあなた」
「私は橘凛と申します。お聞きになりたいのは私の噂ですよね?」
「えっ…………」
瑠美は思わず驚いて声を出し目を丸くした。目の前の探していた女の子、凛から自分が尋ねたいことを先に言ってきたからだ。
以心伝心。千里眼。そんな力でもあるのだろうかと、瑠美が呆気に取られていると凛は無表情ともいえるような顔つきで口を開いた。
「私の噂、霊を退治しているというのは真実です。もちろん私は幽霊などではなくちゃんとした生きている人間ですが」
凛のきっぱりと言い切るようなその言葉に瑠美は再び驚きを隠せなかった。
幽霊ではなく生きている人間で霊を倒している。凛は霊媒師か何かの類いだろうかと、瑠美はそんな事を思うもすぐにそれを否定した。
あの時、瑠美が凛を最初に見た時、凛はビルから地面へと音を立たせないが如く見事に両足で着地したのだ。それは間違いなく人間業ではない。なぜならそのビルは八階建てだったからだ。その天辺から降りてきたのだろうから、それで人間というのなら超能力者か異常者である。それでもそんな荒行を成せる者がいるだろうかと考えれば恐らくいないはずである。それが成せるとしたらその人はもはや人ではない、と瑠美は自然と凛の言葉を頭の中で否定していた。
だが、そんな瑠美の表情などを見てか、
「触ってみますか?」
と、凛は手を差し出した。白い着物の袖から突き出された凛の細く小さな手を瑠美はまじまじと見つめた。すり抜けるか触れてもとても冷たいのかもしれない。
瑠美は恐る恐る手を伸ばした。
凛の手に、触れた。それは冷たくなく、むしろ温かい。感触も間違いなく、透ける事もなかった。
「触れたでしょ?私は幽霊なんかじゃないです」
瑠美が凛の手から手を放した。
「そ、そうだね……ごめんね、疑って」
瑠美は謝りつつも、触れた事で深まる謎に困惑した。顔の端が引き吊るようなぎこちない笑顔を凛に向ける。
確かに幽霊とは言えなかった。触れるのだ。しかも人肌と同じく温かい。生きているのは確かだった。しかしそうなると、あの着地や駐車場から消えたトリックの解決には至らない。むしろ、迷宮へと走り始めたくらいだった。
瑠美が触って謝ったからか凛は首を横に振った。黒髪が微かに宙を左右に揺れる。
「別にいいんです。噂なんて尾ひれ背びれがついて噂だと思うので」
凛は幽霊と思われた時と同じように淡々と瑠美の言葉に答えた。
そんな言葉や凛の表情を見て取ってか、瑠美は幽霊と思っていた自分に言い様のない罪悪感を覚えた。
もしも自分が生きているのに幽霊だと言われたらどれだけ悲しい事だろうか。生きてるとは言わなく、各地に現れては消えるから幽霊にされたら。それを信じている目の前の人間に疑われたらどれだけ空しい事だろうか。
瑠美はそれが自分だったらその空しさと悲しさで怒り泣き叫ぶような気がした。それなのに目の前の女の子は傷付けたにも関わらず尚且つ怒らず落ち込みもせず、仕方ないとしっかりと答えた。
そんな凛を見て瑠美は途端に自分が恥ずかしくなって、凛から顔を背けていた。
けれども瑠美はそれが知りたかったのである。凛が幽霊なのか否かを。
「あの、疑って本当に……ごめん。でも知りたかったの。本当に幽霊なのかどうか」
瑠美が覇気をなくしたように言って顔をあげると、凛は微笑むような穏やかな顔をしていた。
「いえ、謝らなくて結構です。見て聞いて感じた事だけを信じるのも人ですから。それでは……」
一礼して立ち去ろうと振り返る凛に、
「あの……さ」
と、瑠美は咄嗟に声をかけた。
「はい」
頷きながら凛は体を瑠美の方へと向けた。そこには感情を押し殺したような表情の少女がいた。
「凛ちゃんは人なのになんで幽霊なんかを倒したりしてるの?」
瑠美は凛が人ならばなぜそうするのかを知りたかった。そして、それを聞いた瑠美は追いかけるのを止めようと思った事を止めた。
瑠美の質問に答えた直後、凛はその場から消え去った。白い着物の裾が穏やかにひらりと舞った。
瑠美はその瞬間、凛が初めて笑みを見せて答えたような気がした。
「宗太!」
駅前のロータリーに着いた宗太は人混みの中に自分を呼ぶ声の主を探した。夜の闇が包んだ空の下、煌々とついたネオンのビル郡へ向かう者、帰路を急ぐ者、遊びに出掛ける者があちらこちらで歩いている。そんな中、宗太は手を挙げて走ってくる瑠美を見つけて手を挙げた。瑠美はジーパンにパーカーといういつもの格好だった。
息を切らして走ってきた瑠美は宗太の前で膝に手をついた。
「大丈夫か?」
瑠美はそれに首を縦に振った。息を切らして走ってきた瑠美の様子を見て宗太は何か発見があったのだろうことを察した。送ったメールにも今すぐに合流と書いてあったのだから。
瑠美の息が整うのを待って宗太は口を開いた。
「瑠美、どうだったんだ?」
「あ、あの子、見つかった!っていうかさっき会ってきた!」
「えっ!?」
「それとあの子幽霊じゃなかった。あの子ちゃんと生きてる人間だった!」
思いもしなかった瑠美の言葉の連続に宗太は仰け反り口をあんぐりと開く程驚いた。
何か手掛かりが見つかったというのなら少しは想像していたのだ。しかし、噂の本人が見つかったという事までは予想していなかった。頭の片隅で見つからないだろうと思っていたからだ。
さらには幽霊ではなく生きているという新説まで飛び出した。その上会ってきたと言う聞き間違いとも思える言葉まで飛び出すものだから、聞き間違いか瑠美の幻覚だろうかと思い、宗太は疑って止まなかった。
「それ本当なのか?」
「本当だって!」
いくらなんでも怪しすぎると思い宗太は瑠美の言葉を聞き返した。しかし、瑠美はさっきまでの事をそのまま話したのだ。
公園で休んでいたら女の子が目の前に現れて、人が消えるような事はなかったかと尋ねてきた事。話しているうちにその子に触った事。幽霊ではなく生きているとはっきりと言ってさらには触って確信した事などをありのままに話した。
宗太もそんなあり得ない話を嘘か真かと疑ってはいた。だが、瑠美が事実を少し大袈裟にして話を盛っても、人をここまで困らせるような嘘を吐かないのは知っている。
だからこそ、それでも半信半疑になって聞いていた。
そして瑠美が突然顔を少し下に向けた。
「それにあの子……」
急に口ごもった瑠美に宗太は訝しげな顔をした。何を言い淀んで、何を迷っているのか。
「あの子幽霊とかを退治して回ってるでしょ?」
「ああ……」
宗太は噂の事を頭に浮かべた。白い着物を着た女の子は幽霊を退治して各地を回っているのだ。
「でもあの子退治してるんじゃなくて」
瑠美が違うと言いかけた時、金切り声のような悲鳴が辺りの雑踏の喧騒を掻き消した。
その声に驚き二人はすぐさま周囲を見回した。悲鳴に反応したのはもちろん二人だけではなく辺りにいた人々もきょろきょろと周囲を伺っている。ただの悲鳴ならばここまでではないだろう。しかし、誰もが既に噂を半信半疑でも頭の中に入れているのか、皆おどおどとした様子で噂の本人やニュースの話のそれを探していた。皆幽霊と呼ばれる女の子を見付けたくても、退治される方の幽霊には会いたくないのだ。
喜怒哀楽を見せる人々の中で瑠美は上を見上げた。地上やビルを見るだけではダメなのだ。あの凛という女の子は人並み外れた脚力を持っている。それを目の当たりにしたからこそ瑠美は見上げた。
なにせ公園で会ったあの後、凛は近くのビルの屋上へ飛んで去ったのだから。
周りと違い上を見ている瑠美を横に見た宗太はなぜ上を見るのか不思議そうに尋ねた。
瑠美は見上げたまま、
「あの子、ビルとビルを飛んで移動してるんだと思う」
と、何の戸惑いも躊躇もなく答えたのだ。宗太はぽかんと口を開き、言った。
「ビルとビルの間を?」
「うん」
「無理だろ」
宗太の最もな言葉を瑠美は当然と言わんばかりに首を振った。
「ううん。じゃなきゃ、ビルの上から飛び降りて無事なわけも私の前で飛んだ説明もつかないでしょ」
そうだけど……と宗太は納得もいかずに続く言葉を飲み込んだ。
確かに瑠美の見たことやニュースや噂での事が瑠美の意見なら辻褄は合うのだ。飛んで移動するだけの脚力があるなら消えたように移動することも少なからず可能ではある。飛び降りて着地する事もだ。
だからと言って宗太は人が飛ぶなど聞いたことも見たこともない。あるとしたらアニメや漫画、映画ぐらいである。そんな人間が画面や絵から飛び出してきたらそれこそ大騒ぎである。人間がビルの上を飛ぶなど普通、いやどう考えてもあり得ないような事なのだ。
とは言え、宗太もそんな女の子を半ば本気で探しているのだ。半信半疑のままそれでも宗太は上や遠くのビルを見た。
いないいない。いや、もしかしたらいるかもしれない。けれどそんな事はありえない。
そう思いながら…………
「あっ」
「いたの?」
宗太は口をあんぐりと開けたままその方向を指差した。
そこはビル郡の始まり。駅から走らずともすぐに辿り着けるほどの距離だった。居酒屋などの看板が光っているその屋上。そこに白い着物を着た人物が柵の上に立っていた。
「あの子……行くよ宗太!」
「えっ!?」
宗太がぼけっとしているその手を引っ張り瑠美は走り出していた。急に引っ張られよろけながら宗太も釣られて走り出す。
どうやら瑠美はどうしてもあの白い着物を着た子を捕まえないと気がすまないらしい、と宗太はこの時改めて確信した。瑠美の何がそこまでさせるのかは分からない。強いていうならば好奇心だろうか。それとも話をしてそこまでさせる何かがあったのだろうか。
本来なら宗太はとっくに降りている。だが話にも行動にも出して乗った船で、今まさに引っ張られてまで無理矢理乗らされたのだ。そして宗太も話には興味がある。
下船は不可であると悟り宗太も瑠美に負けじと走り出した。
「あっ!移動した!」
宗太が上に視線を向けると着物の子がピョンといとも簡単にビルの上を飛びながら移動し始めたのだ。
「向こうって公園か?」
「だと思うけど」
二人が人の波を避け、退けながら追っていく。宗太は追いながら上の人物が飛ぶ姿に見とれていた。
瑠美の言っていた事は全て真実だったのだ。それを証言する者が今まさに上にいた。
白い着物姿の女の子はビルの間を人間離れした業で駆けている。スタントマンやヒーローも驚きの速さでだ。
駅前の喧騒が僅かに遠ざかり瑠美が休んでいた公園に着くと、二人の頭上でガシャリと音がした。音に釣られて二人が上を見れば黒い影がヒュンと音をたてて飛び、次いで白い影も通り抜けた。
「あっちだ!」
「うん!」
二人が白い影を追い何度か見失うもまた追ってその先にあるものが何か分かった。
空き地だ。人気も少ないビルの間にある空き地だ。
そこを目指して息も切らし、寒さの残る時間にも限らず汗を流しながら走り、ビルの狭間に辿り着いた二人が目にしたのは、女の子と得体の知れない化け物が入り交じる姿だった。