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境界のすず  作者: 夕菜
19/31

第4話(4)



 柚季は朝のHRが終わった後、急いで先生にプリントを提出すると自分の席へついた。

(取りあえずこれでOK・・)

 安堵の溜息をつく。

 HRが終わった後の教室は、人のざわめきで騒がしい。

(授業どうしよ・・帰っちゃうかなっソプラノのこと心配だし)

 後、5分ぐらいで授業は始まってしまう。

「よし、帰ろう」

 片付けをしようと、机の横にかけてあるカバンを机の上に置くと、柚季はあることを思い出した。

(そうだ・・この紙、なんだろ)

 ソプラノが落としたものらしいあの紙を、バッグの前ポケットに入れておいたのだ。

 柚季はそれを取り出すと、小さく折りたたまったそれを広げてみる。

「これって・・」

 そこにかかれてあるのは、手書きの文字の列。

「・・・」

(・・歌詞?)

 何の曲だろう・・どこかで、きいたことのあるような・・。

「柚季おはよー」

 琴音が柚季の席までやってきた。

「おはよっ」

「次の授業でさぁ・・ん?何見てるの?」

 琴音は興味津々の様子で、柚季の持つ紙を覗き込んだ。

「琴音はこの歌詞、何の曲のか知ってる?」

 柚季はそう言いつつ、歌詞がよく見えるよう琴音に見せた。

 琴音はそれをじっくりとみると

「あー知ってるよ~!確か”歌うたい”の曲だよね?」

「?・・初めてきく歌手だけど」

(どうしてソプラノは、その歌手の曲の歌詞なんか・・)

「確かに今は活動してないしね~その曲がはやったのも、あたしたちが生まれる前ぐらいだし」

「・・どうして今は活動してないんだろ?」

 柚季が何気なくきくと、琴音はわずかに眉を寄せた。

「確かまえ、テレビでみたけど・・メンバーのソプラノとヒビキ、大きな事故に巻き込まれちゃったんだって。

 助かったのか、亡くなったのかは分からなんだけど、どっちにしろその事故が原因で活動できなくなっちゃったらしいよ?

 それもだいぶ昔の話なんだけど・・」

「!・・ソプラノ!?」

 柚季は思わず立ち上がる。

 琴音はそんな柚季を見て、一瞬驚いたようだが、言葉を続けた。

「あたし、歌うたいの曲、けっこう好きなんだぁ。

 歌詞も好みだし、ソプラノとヒビキの声のハモリも綺麗でさぁ・・今でも活動してたら、絶対CD買うよー」

「そう・・なんだ」

「それにしても・・どうしてその歌詞の紙、持ってるの?」

「ちょっとね・・」

 柚季は琴音の問いかけに、まともな返事をしている余裕もなかった。

 柚季の耳に残るのは、ソプラノの「待ってるって約束した」という言葉。

 ・・・ソプラノが天界に行けない理由があっけなく、分かってしまった。そしてヒビキが誰なのかも。

「柚季ーどうしたの?」

 琴音に声をかけられ、柚季ははっとする。

「ご・・ごめん、何でもないから」

「?・・今日の柚季、何か変だね~?」

 その時、一時限目開始のチャイムが教室に鳴り響いた。

 席を離れている生徒たちは、次々と自分の席へ戻っていく。

 琴音も「じゃぁね」と言うと、柚季から離れて行った。



 そして、一時限目・・。

 帰ろうと思ってた柚季だが、結局教室に残っていた。

 ・・・考える時間と場所が欲しかったからだ。

 担任の先生が歴史の教科書を広げながら、黒板に文字を並べていっている。

 この授業は、静かにしていれば何も言われないので、考え事に集中できそうだ。

 すずがだしてきた二つ目のヒントをクリアーする条件は、ソプラノを天界に連れて行ってあげること、だ。

 しかしそれは、そう簡単にいかないと改めて実感してしまった。

 あの場所で、ソプラノはヒビキのことを待っている。

 きっと、ずっとずっと昔から。

 そう思うだけで、柚季は胸が締め付けられる思いがした。

 ソプラノのために、自分は何ができる?

 ヒビキが境界にいくのは、命がつきた時だけなのに。

(でもっ・・今、ソプラノは地上にいるんだし・・会おうとするれば会えるんじゃ)

 そう思ったが、また別の考えが浮かんでくる。

 ソプラノが、生きているヒビキに会いたいと思っているとは限らない。

 もし、会いたいと強く思っているのなら、地上に来たとき、まっさきにそうしているはずだ。

「・・・」

(わたしがヒビキに会ってみるとか・・)

 彼に事情を話して(信じてもらえるか不安だが)、ソプラノにまた会いたいと思ってくれれば状況はよくなるはずだ。

 ソプラノが天界にいけるきっかけになるかもしれない。

(っていうか、ヒビキに会うって言っても、どうやって会えば・・顏も声も知らないわけだしっ・・)

「!・・そうだ」

 ソプラノとヒビキが、歌うたいといく歌手だったのなら、ある程度は有名なはずだ。

「・・・」

 柚季は先生に見つからないように、バッグからケータイを取り出し机の下で操作する。

 検索サイトを開き、歌うたいと検索をかける。

(!・・でてきた)

 関連ありそうなタイトルがズラリと並んだ。

 一番上のリンクをクリックしてみると・・・

 歌うたいのプロフィールや、今までだしたCD、それにさっき琴音からきいた事故のことなどがかかれたページにとんだ。

 プロフィールを見て分かったことは、ソプラノは柚季よりも(生きていれば)大分年上だということ、二人は兄弟だということ・・それに・・

(出身地っ・・桜川市って・・すぐ近くじゃん)

 確かここから車で30分ぐらいのところ。

 まえ、母の車で一回だけ行ったことがある。

(他に情報は・・)

 柚季はまえの画面に戻って、気になるタイトルがないか探してみる。・・すると、下の方に「ヒビキのブログ」というのを見つけた。

(見てみよう・・)

 クリックしてみると、音符の模様が入ったシンプルなデザインのブログページが現れた。

 時々更新されているようだが、記事ごとの文章は短い。

 一番前の記事には、桜川病院に行ったとかかれてあった。

 それに、昔の記事にも何度かかかれてある。

 他には・・音楽活動のことや日常の何気ないこと。

(一人でも音楽活動やってるんだ・・)

 それほど大きなものではないようだが・・・。

 柚季が一番気になったことは、時々桜川病院に通っているらしいことだった。

 まだ治らないとだとか、治す方法がどうだとかかかれてある。

 よく分からないが・・もしかしたら、ヒビキはその事故でおった怪我を治すために通っている・・?のかもしれない。

 それはただの想像だが、ヒビキが時々桜川病院に行っているということは確かだ。

(行ってみるかっ・・)

 もしかしたら、会えるかもしれない。

 いや、絶対に会わないと。

 柚季は次に、桜川病院を検索してみる。

 するとすぐに、場所や最寄駅の情報がでてきた。

 電車を使えば、すぐ行けそうだ。

(この授業が終わったら、行ってみよう)

 柚季はそう、心に決めた。



 天界にいくつかある、広い食堂。

 アルトはいつも利用している食堂の、いつも座っている席に腰掛けていた。

 周囲にいる多くのヒトビトは、仲のよい者同士で集まり、ワイワイと楽しそうだ。

 本当は自室で食べようと思ったアルトだが、落ち込んで気分がより落ちそうなので念のためここにいる。

 テーブルの上に置かれた白くて平たい皿。その端についている、水色の小さなシールの上に指を乗せると、皿の上に色とりどりのフルーツのようなものがあふれ出た。

「・・・」

(あまり食欲はないんですけどねー)

 けれど、これから仕事・・食べておかないと体力的に持たないだろう。

 アルトはそう思いつつ、フルーツをつまみ、口へと運ぶ。

「アルトっ隣いいかな?」

「!」

 突然かけられた声に、はっとして顏をあげると・・アルトの隣にはミオが立っていた。

「あ、どうぞ」

 アルトが微笑んでそう返すと、ミオは「ありがとうね♪」と言い、左隣の席に腰掛ける。そして、手に持っている皿を三枚、手際よくテーブルに並べた。

 ・・・続々と皿の上にあふれるフルーツたち。

「アルトーそれしか食べないの?体力もたないよっ?しっかり食べなきゃ!」

 ミオはフルーツを2、3個手に取ると、それらを口の中へ入れていく。

「いつもはもっと食べるんですよ?今日はちょっと食欲がないんです・・

 それにしても、ミオ先輩が一人でいるなんて珍しいですね?」

 アルトがミオのことを食堂で見かける時は、友人たちと4、5人のグループになっていることが多かった。

「あたしのことはいいからさーアルトの話、きかせてほしいな!」

「・・・得に話せるようなことは・・」

 ミオは小さく微笑むと、

「・・食欲がないのってさ、仕事が変わったことが原因だよね?」

「ち違いますよ!今日はたまたまでっ・・・」

 アルトは何とかそう言葉を並べるが、ミオの目はきっと誤魔化せないだろう。

「・・・」

「・・・」

「・・・やっぱり、ミオ先輩の目は誤魔化せないですねー・・」

「そーいうこと!」

 アルトが苦笑すると、ミオはにっこりと笑った。

 そう・・アルトは切断係の仕事が憂鬱で仕方なかった。

 人の最期は残酷で、時には安らかすぎて・・・

 アルトはそれを目にするたび、どうしようもなくやるせない気持ちになる。

 寿命だと分かっていても、もしかしたら助かるかもすべがあるかもしれない。

 もしかしたら・・あと5分も待てば、寿命が延びた、と連絡がくるかもしれない・・いつもそう思って、アルトは魂と身体の繋がりを断っている。

 寿命だから・・そう分かっていても、仕事をして自分を責めない日は一度もなかった。

「うーん、あたしが思うに、アルトは考えすぎなんだよね。もう少し楽に考えた方が、仕事もスムーズにいくんじゃない?」

「・・そうなんですよねっ頭では分かっているんですが」

 ・・・そういう考え方、がどうしてもできない。

 それとも、もう少し経験をつめば、そのように考えることも出来るようになるのだろうか・・・。

「!」

 アルトは、壁掛け時計の時刻が目に入ってはっとする。

 もう少しで、仕事開始の時刻だ。

「ミオ先輩、声をかけて頂きありがとうございました!

 今の仕事は・・やっぱり不安ですが、せっかく任せてもらった仕事なので、これからも出来る限り頑張ります!」

「そう?ともかく、あまり無理しすぎないでねー?

 何かあったら、すぐあたしに相談すること!いい?」

 ミオはじっとアルトの顏を見る。

「・・・はい、ありがとうございます」

 アルトはミオの言葉が、単純に嬉しかった。

 そう言ってもらえるだけで、少し気持ちは楽になる。

 そしてアルトは、ミオにペコリと頭を下げると早足でこの場を後にした。


「出来る限り頑張る、・・ねぇ・・」

 ミオはアルトの背中を見送りながらそう呟くと、またフルーツを口に運んだ。

(アルトの出来る限り、はたかが知れているんだよね)

 もちろん、その真面目さは悪いものではない。アルトの場合、その真面目さが結果に繋がってこないのだ。

 そして、その優しさもアルトが不器用なことの原因の一つのように感じる。

(ま、でもその優しさが誰かの助けになるんだけどね)

 昔も・・・そして、今も。

「あー・・やっぱ、アルトの奴、無理そうなのか?」

 その声に振り向くと、いつの間にかミオの隣にはリツボシが立っていた。

 今日は大人の姿だ。

 恐らくリツボシは、食堂やヒトの多いところでは大人の姿になるらしい・・・どうでもいいが。

 ミオはそんなリツボシのことを見上げると、

「・・・うん。でも、まだまだ頑張るつもりみたいだよ」

「アイツが頑張ったところで、いい結果がでるわけじゃねーんだよな!

 ったく、めんどくせーさっさとあの薬に頼ってくれた方が、オレ的には助かるんだけどなァ!」

 リツボシは大げさにため息をつく。

「確かにそうだんだけどね」

 ミオはそう言いつつ立ち上がる。

 リツボシに反発したくなる時もあるが、適当に話を合せておいた方がスムーズにいくことをミオは知っていた。

「じゃ、あたしそろそろ行くねー」

 この場から離れようとすると

「ミオ、今日仕事終わった後、ヒマか?」

 リツボシにそう訊かれた。

 その表情は、ミオが期待通りの返事をしてくれるだろう、という余裕ありげなそれだ。

「・・うん、ヒマだよ♪」

 ミオはにっこりと笑顔を作り、そう返した。



 アルトが早足でいつもの部屋に入ると、すでにそこには顔見知りの切断係の者たちが集まっていた。

 アルトの気分とは逆に、部屋の中はある程度ヒトの話し声で満ちていた。

 部屋に入るとすぐ、上司から切断リストの用紙を受け取ることになっているのだが・・・

 アルトは、その上司をすぐに見つけると、「お疲れさまです」と声をかけた。

「お、お疲れーこれ、今日のぶんな」

「はい」

 いつものように、掌ぐらいの大きさの用紙を渡される。

 そこには、数十名の名前が並んでおり、それそれに指定の場所や時刻が記されていた。

(今日はいつもより、多い方ですねー・・)

 溜息をつく。

 そして、壁際に歩み寄るとそこの棚の中に入っている、丸みを帯びた鳥かごのようなものに、その紙を縛り付けた。

 アルトはそのカゴを持ち上げると、それに通してある長いチェーンを肩にかける。

「仕事が終わったら、地上のこの前話してたところ行ってみよーぜ」

「いいねぇ」

 アルトと同じように、仕事の準備をしている彼らの会話が耳に入ってきた。

 ・・・やっぱり、アルトのように切断の仕事が憂鬱だと感じているヒトは、いないらしい。

 それは、この仕事に移動した時から感じてはいた。

 アルトはカゴと同じ場所に置いてある、背丈ぐらいの長さがある大きな鎌を手に取る。そして、他のヒトと同じように部屋の中央にある大きなトビラの前に立った。

 すると、すぐにトビラはゆっくりと開き、向こう側の光が部屋全体に広がっていく。

 ・・・このトビラは地上界へと繋がっている。

「・・・」

 アルトは唇を固く結ぶと、他のヒトビトの後に続きトビラの中に飛び込んだ。


 そして、数時間後・・

 アルトは用紙の名前に、約半分までチェックを付け終わると周囲を見渡した。

 次の時刻まで、まだ少し時間がある。

(どこか休める場所は・・)

 ここは大通り沿いの道で、建物や人が多い。

 地上人には自分の姿が見えないと知っていても、やっぱりどこか疲れてします。

 アルトは背が高い店の看板を見つけると、この場からフワリと浮き上がりその上に腰掛けた。

「ふぅ・・あと少しですねっ」

 アルトはカバンのように肩にかけてあるカゴを膝の上に乗せるようにした。

 その中には、今日、切断した魂たちが綺麗な色を帯びながらフワフワと漂っている。

(ちゃんと僕が、天界まで運びますから・・)

 やはり、切断という行為から罪悪感が消えないアルトは、そう思うことによってその気持ちから気をそらしていた。

「・・・」

(柚季さんは大丈夫でしょうか・・・)

 次々と流れていく、人々や車を眺めながらアルトはそう思う。

 あのすずと姉妹で、しかも命を狙われるなんて。

 アルトはそんな柚季のことが気の毒に思えて、仕方なかった。

 そんな彼女の助けになれば・・と思い、頑張っていたのだが今はそのことさえ出来なくなってしまった。

(でも、シイカがいますし、きっと大丈夫ですよねっ)

 あの二人で頑張れば、柚季はまた普通に地上で暮らせるようになる、アルトはそう信じていた。

「──・・・」

 本当は、自分も最後まで一緒に頑張りたいという気持ちももちろんある。

 ・・・けれど、そんなわがまま、言ってられない。

 今は任された仕事を、精一杯やらなくては。

 そんなことを考えながら、ぼーっと街の様子を眺めていると不思議な感覚におそわれた。

 ・・・この街・・何か懐かしい。昔、ここに来たことのあるような。

「う・・」

 その時、鈍い痛みが頭の中に走った。

 それと同時に、さっきまでの不思議な感覚は消えてなくなる。

(・・一体何なんでしょうか)

 少し嫌な予感がする。

 天界で働こうと決めたとき、地上での記憶はきちんと抜き取られることをアルトは知っていた。

 それなのに・・・──もしかして。

(こ、これぐらい別に大丈夫ですよね)

 今まで、思い出したなんて話きいたことないし、それに不思議な感覚がしたのはほんの少し。・・・だから、大丈夫だ。心配なんて必要ない。

(・・そろそろ行きますか)

 アルトは立ち上がると、手に大きな鎌を持ち、看板の上から降りる。そして、街並みの中を進んでいった。

 歩みを進めながら、手の中にポンっといつも使っている手帳を現すと、パラパラとページを捲る。

(えーっと・・次の場所は、桜川総合病院でいいですよねっ)

 アルトはそうかかれてあることを確認すると、周囲を見渡す。

(場所はここら辺のはずなんですが・・うーん・・よく分かりませんね・・)

 他の切断係のヒトたちを見ていると、場所で迷うということはあまりしていないように見えた。

 だが、アルトは違う。行ったことのない地域に行くと目的地を見つけるだけで精一杯だ。

 その時、車道の上にかかげられている大きな標識に目がいった。

 左に曲がる矢印に上に、桜川総合病院と記されている。

 (よかった・・左の道を行けば、あるみたいですね)

 取りあえずはほっとできた。

 これからも、行く機会があるかもしれないので、きちんと場所を覚えておこう。

 そんなことを考えていると

「アルトだよね?」

 突然、後方から声をかけられた。

「!」

 はっとして振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っている。

 長い髪は腰にとどくぐらいまで伸びており、黒のカーディガンに白のロングスカートを身に着けている。

 大人びた雰囲気の女性だ。

「え・・?」

 アルトはただ驚いて、口を動かすことができなかった。

 ・・・どうして地上人に自分の姿が見えるのか。

 ・・・どうして彼女は自分のことを知っているのか。

「やっぱりそうだよねっ・・久しぶり!アルト、元気だった?」

 彼女はアルトの顏を正面から見て確信したのか、嬉しそうにそう言うと腕をこちらに伸ばしてくる。

「!!」

 そして、アルトのことを強く抱きしめた。

「っ─・・離してください!」

 頭の中が混乱する中、アルトはそう叫ぶように言うと彼女から無理やり離れる。

 そして、すぐに背を向けるとこの場から浮き上がり人ごみから遠ざかった。

 ・・・まだ、心臓がバクバクと鳴っている。

(どうしてこんなことっ・・・)

 意味が分からない。

 それに、とても怖かった。



(意外にはやく着いたな・・)

 柚季は、目の前にある白くて大きな建物を眺めた。

 ヒビキが通っているであろう場所・・・桜川総合病院。

 学校の近くの駅から、30分ぐらい電車に乗り5分ぐらい歩けば到着した。

 街中に立つこの病院は、人の出入や車の出入が多くがやがやと賑わっている。

 柚季は自動ドアを通り抜け、病院の中に歩みを進めていく・・・が、すぐに立ち止まった。

(って言うか・・ヒビキに会うのってどうすればいいんだろ)

 彼がここに通っていると知っていても、人の出入が多いこの場所で・・しかも顏も知らない彼と会うことは、とても難しいと思える。

 ・・・けれど、やれることだけはやっておかないと。

「・・・」

 柚季は人がいない時を見計らって、受付の女性に歩みよった。

「あのっ・・」

 母ぐらいの歳に見える女性は、柚季が声をかけると親しげに、

「どうしたの?」

「ヒビキさんという人が、この病院に通ってるって聞いたんですけど・・今日は来てますか?」

 柚季が緊張気味にそう言葉を並べると、女性は考えるような仕草をする。

「ヒビキ・・ねぇ・・聞き覚えのある名前のような気もするけど、どこできいたのかしら」

「・・・」

「あ、あの人じゃない?歌うたい、のヒビキ。確かに彼、週に何度かここにきてるわよ」

 柚季が声をかけた女性と隣にいる女性が、代わりにそうこたえた。

「!ほんとですかっ」

「えぇ。きっとソプラノさんのお見舞いにきてるのね・・今日も見かけたから、もしかしたらまだソプラノさんの病室にいるかもしれないわね」

 女性はどこか憂鬱そうに、そう言葉を並べた。

 柚季はその言葉に、自分の耳を疑った。

「!?・・ソプラノのお見舞い?どうしてっ・・ソプラノってなくなったはずじゃ・・」

 柚季は境界にいるソプラノの姿を知っている。

 なくなった人しか境界にはいけないということも、もちろん知っていた。

「あら、知らないの?・・もう十年以上はたつのかしら・・その事故のとき、二人とも何とか命は取りとめたんだけど、ソプラノさんだけは今になっても目を覚まさないままなのよねぇ・・

 今ではすっかり、テレビにもでなくなっちゃったし・・若い子が知らないのは、仕方ないわよね」

「!・・・っ──うそ・・」

(ソプラノが・・生きてる?)

 予想もしない事実に、柚季は言葉を失った。

「・・・医者にも、目を覚ます可能性は低いって言われているみたいよ?」

「・・・」

「それなのに・・」

「っ・・ソプラノの病室ってどこですか!?」

 柚季は叫ぶようにそう言っていた。

 それに女性は驚いた様子で「305号室よ」と返す。

 柚季はお礼を言うことも忘れ、駆け出した。

 すぐにエレベーターに乗ると、3階へのボタンを押した。

 少しの沈黙の後、トビラは静かに開き柚季はエレベーターから降りる。

 ・・・が、ここは病室があるフロアではないらしい。

 壁にかけてある見取り図を確認すると、どうやら病室のフロアは渡り廊下を通った後にあるらしかった。

 柚季は305号室の場所をしっかりと確認すると、歩き出す。

 ・・・渡り廊下を歩いている時、柚季はあることに気付いた。

「!・・」

(誰か・・歌ってる・・?)

 渡り廊下の先を曲がった方から、誰かの歌声がきこえてくる。

 安心感のある、男性の歌声。

 今まで以上に、柚季の心臓はバクバクと強く波打った。

(もしかして・・ヒビキ!?)

 しかも、この歌。

 ソプラノが持っていた歌詞と同じものを歌っている。

 柚季は思わず立ち止まってしまう。

 とてもきれいな声。けれど、どこか悲しげで寂しさがあるようにも思えた。

 すると、その歌がやんだ。

 その後、すぐにきこえてきたのは、扉の開け閉め音。・・そして、人が立ち去っていく足音。

 柚季ははっとして、病室の前まで駆け寄ったが、すでにそこに歌をうたっている彼はいなかった。

 まだ近くにいる可能性はあると思うが、他の人々に紛れてしまった今では、探すことも困難だ。

「!・・・」

 柚季は病室の扉の横に貼りつけてある名札を見て、息をのんだ。

(音宮ソプラノ・・!)

 やっぱり・・・ソプラノは・・・─。

 柚季は病室のドアを開けると、緊張気味にその中に足を踏み入れた。

 そこには真っ白なベッドで眠っている女性が一人。

 綺麗な長い黒髪に、白い肌・・。

 その痩せ細った体や、腕に繋がれた点滴などを見ただけで、一気に現実を突き付けられた気がした。

 ソプラノは、今でもちゃんと生きている。大人になった姿で。

 その綺麗な顔立ちは、柚季の知るソプラノと繋がるものがあった。

(ソプラノに知らせなきゃ・・!)

 すずの二つ目のヒントをもらえる条件のことなんて、頭の隅の方のあった。

 ソプラノはまだ天界に行ってはいけない。

 だって、まだ生きているのだから。



 ソプラノは気のおもむくままに、歩みを進めていた。

 柚季の家からはだいぶ離れてしまったが、別にどうだってよかった。

 だって、あそこは自分の帰る場所ではない。

 それに、自分の過去を勝手にのぞうこうとした2人・・気に入らない。

「・・・」

 ソプラノはため息をつくと、辺りを見渡す。

 広い道を行きかう車に、建ち並ぶ家々やビル。空から降り注ぐ太陽の光。

 全てが懐かしかった。けれど、帰ろうとは思わない・・もう諦めはついている。

 ・・もう一度、地上にいくチャンスがくるとは思ってなかったので、今、自分がここにいることが正直信じられなかった。

 そして、少しだけ後悔していた。本当に自分は、ここにいていいのだろうか。

 あの日、意識を失うまえ、握っていたヒビキの手の感覚が今でもこの手に残っているような気がした。

 ソプラノは、その手を自分の手でぎゅっと握る。

(ヒビキ・・今、何をしているの?)

 あの頃は、何をするのにも一緒だった。

 私たちの歌う歌は、そのことが当然だというふうに綺麗に重なって、ずっと遠くまで響いてくれた。

「・・・」

 ・・・──その時、は突然やってきて。

 炎と煙に包まれた部屋で、私たちは最期を覚悟した。

 互いに手を取り合って、「天国で待ってる」って言いあった。

 私たちは、たった2人の家族。だから、離れ離れになるなんて考えられなかった。

 それなのに・・・

 ヒビキはまだ、来てくれない。

 ソプラノが地上に来たことを少しだけ後悔している理由は、もしかしたらこの行為は、ヒビキのことを疑っている自分がどこかにいることを認めていることなんじゃないか、と思うから。

 きっとヒビキは、探そうと思えばすぐ見つかる場所にいるのかもしれない。

 ・・・そうだとしても、会いに行こうとは思えなかった。

 それは、裏切ることになってしまうから・・ヒビキのことを信じて待っていた自分を。

「ヒビキ・・早く来て」

 少しでも早く、ヒビキと会いたい。そして、大好きなこの歌を、一緒に奏でたい。

 ソプラノは服のポケットを探る。

 ・・・しかし、そこには何もなかった。

「─・・」

(どっかで落とした・・?)

 ソプラノは立ち止まると、周囲の地面に視線を動かした。

 が、あの紙はどこにも見当たらない。

「よ!何か探し物か?」

 その声に顏を上げると、そこには微笑みを浮かべたシイカが立っていた。

「・・・」

「あの紙だったら、柚季が学校ってとこに持ってったけどなぁ」

「・・どこ?案内して」

「お前なぁ、オレがその場所、知っていると思うか?」

「・・・」

「ま!知ってるけどな!切断係はいろんな場所に行くからな」

 シイカはそう言いつつ、歩き出す。

 ソプラノもそれに続く。

 2人の間に会話がないまましばらく歩くと、突然シイカは立ち止まりこちらに振り返った。

「・・・どうしてお前、泣かないんだ?」


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