8月17日(土):午後1時過ぎ
燦々と木々の隙間からこぼれる太陽の光に、湖樋は目を細めた。和沙の事故から一日と経っていない。なのに、湖樋、八橋、ロボット姿の和沙、慎、結衣の六人は、彼らの住んでいる町からそう遠くない山中に楽しくハイキングに来ていた。
理由は簡単で八橋の実験に付き合うためだ。八橋が病室で言った言葉をそのまま使うと次のような物になる。
「装置の実用性の確認のためにこの検体、……天野和沙をある場所に連れて行きたい。何、心配するな。実験データの採取の為にキミ達も連れて行く。目的は日常による作動の不便さの確認。と、言ってもお前たちは普通に遊んでもらっていて構わない。これだけだ。簡単だろ?」
そう言うわけで五人は八橋の運転するワゴンカーに乗り込みここまでやって来たのだった。
「湖樋、鮎そっち行った!」
「うっしゃ!」
湖樋は我に返ると水を掻き分けて鮎を掴みにかかった。
「お姉ちゃん甘い甘いー!」
ロボットの小柄さを生かしてスイスイと川に潜り、湖樋の方に行った鮎を追いかける和沙。しかし、鮎はその二人の行動に驚き、岩の隙間に潜ってしまった。水着姿のうら若き少女と鋼色のロボットは明らかに残念がる。
ちなみに湖樋はセパレートの巻きスカートタイプの水着で、上は白と緑のボーダーのキャミソール、下は茶色の無地だ。結衣は水色のワンピースタイプで、スカート部分はフリルだ。もう少し大人っぽい水着を選んでも良かったが、二人とも衣装にはあまり気にしない質だった。
「あーあー」
「お姉ちゃんのバカぁ」
「なんだとぉ?」
「まあまあ、皆が食べる分は確保できたからいいんじゃない?」
結衣の言葉で、喧嘩を始めようとした二人は渋々動きを止めた。
三人は川から上がって近くに置いておいたタオルで身体を拭く。和沙のボディは八橋の話によると、防水性があるらしいので水中の活動も大丈夫らしい。
タオルを首にかけてから、鮎を入れたバケツを湖樋と結衣の二人がかりで運ぶ。和沙は2人と歩幅が違うので、後ろからちょこちょこと必死について来る。少し歩くと、車の置いてある空き地で慎が火を起こす事に成功したらしくぐったりと転がっていた。
「おつかれー」
「はい、お昼ご飯」
チャプンと水の音を立ててバケツが置かれる。慎がほんのりとその目に喜びを浮かべた。
「おっしゃー、やっと飯だ……」
「その割には元気ないね?」
「八橋の野郎にコキ使われたからね」
「その八橋はどこ?」
「八橋さんなら車の中ー……」
仰向けに転がったまま、親切に教えてくれた。湖樋はお礼を言うと、和沙と結衣に魚を焼くように言ってから車に向かう。
「八橋? 聴きたいことがあるんだけど?」
助手席に座ってきた湖樋に目もくれず、八橋は暑そうな白衣を着たまま、運転席でノートパソコンをいじりながら返事をする。
「なんだ? 答えられることなら話すが?」
「うん。……一つだけ教えて欲しいの。和沙はいつになったら本体に戻れるの?」
「今日中。遅くても明日には」
即答だった。湖樋は目を細める。
「ありゃ、随分と早いね」
「もともとそのつもりだった。取りたいデータが着々と得られていることもあるし、他の医師にも二、三日の予定で話をつけてあるからな」
湖樋は座席に座った状態で両膝を抱える。行儀が悪いのは分かっているが、昔からの癖だ。直らない。
「そのデータ、何に使うの?」
「医療だよ。全身麻痺とかで寝たきり生活を送ってる人の為だ」
はっきりと言い切った八橋を、湖樋は鼻で笑う。
「脅迫する割には生真面目なのね」
「個人的な実験だからな。公の機関で臨床実験が出来ないから、この手段をとったんだ。これでも俺はある程度、名のある医者だからな」
「興味ないし。……そろそろお昼だから、ご飯食べよう」
所詮は他人事である。湖樋が車を降りつつ誘うと、焼き魚の美味しそうな香りが漂ってきた。
「了解。食べ終わったらまたデータの採取に取り掛かりたいから、子供は夕方まで遊んでいろ」
「アナタの場合、遊ぶと書いて実験って読むから心置きなく遊べない」
湖樋は口を鳥のように尖らせた。八橋がはそれを見てにやりと笑う。それからノートパソコンを閉じて、車を降りた。瞬間。
「きゃああああああッ!」
甲高い叫び声が聞こえてきた。この声は結衣だ。
湖樋と八橋はお互い顔を見合わせる。二人の表情は困惑に満ちていた。
「何かやらかしたのか?」
「ここからじゃ見えないね」
急ぎ四人のもとへ向かおうとした、が。
「和沙? 何やってるの?」
前方にふらりと無言で和沙が現れた。と、思ったら、和沙がブルンとロボットのモーターを一際大きく響かせ、信じられない速さで接近してくる。
「は?」
「ぼーっとするなッ!」
危険を感じた八橋に突き飛ばされ、湖樋はバランスを崩し無様に地面に転がる。しかし、間一髪で和沙の突進は避けることが出来た。慌てて起き上がって八橋を見ると、彼は険しい表情で直立していた。
「ちょっと八橋っ! ナニ今の!」
「天野和沙が暴走したんだろう! 原因は知らん!」
「どうすればいいの!」
チラリと和沙が突き進んで行った方向を見て八橋は唸る。
「原因が全く分からない……。ただ、暴走を止めるには一つだけ方法がある。……圏外になる場所を探せ! 今の段階ではシステム上、携帯電話と似たような電波を利用してインターネットに繋げている! 圏外に入ればデータのやり取りは行われずに電源が停止する仕組みだ!」
「どうやって誘導するの!」
「知るか! それを今から考えるんだ!」
別に声を張り上げる必要は無いのだが、状況と雰囲気的に声を張り上げる二人。だが、そのおかげで慎と結衣にも聞こえたようで、二人がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「湖樋、ごめんなさいっ」
湖樋の行る場所まで辿り着くと開口一番、半泣きの状態で結衣が謝りだした。
「さっさと考えなさいよ! ……って、はい?」
「焼いた鮎を和沙がつまみ食いしたんだ。ロボットだから食べれないこと知ってるだろうと思って何も言わなかったんだけど……。本人がその事分かってなかったらしくって。ロボットの調子がおかしくなったんだ」
慎があやすように、泣くのを堪える結衣の頭を撫でながら説明する。
「暴走したカズちゃんが俺にぶつかってきて、丁度、倒れた方向に火があってさ。なんとか避けたんだけど、結衣がびっくりして叫んじゃってね」
結衣の叫び声と和沙の暴走の原因がよく分かった。それにしてもまあ、何てアホな原因か。八橋なんかは予想外の暴走原因だったらしく、口を大きく開けて唖然としている。
「飲食機能を付けなかったのはアナタの不注意ね。で、これからどうする? あのまま放って置いても大丈夫なの?」
「多分大丈夫だ。各機関のどれか一つでも過剰な駆動が見られたらデータのやり取りは一時保留になり、過剰な駆動が終わるまで接続はされない。ただ、それがいつ終わるか分からない現状では圏外に出す方が確実な手段だな」
冷静に分析する八橋に湖樋が舌打ちする。どこまで心配させる気だ、妹よ。
「慎ちゃん、携帯持ってる?」
「あるよ」
慎がパーカーのポケットから黒の折り畳み式の携帯を取り出す。湖樋も車に引き返して、自分のピンク色のスマートフォンを持ち出した。結衣が携帯を持っていないことは分かっているので、あえて聴くことはしない。
「八橋、和沙の居場所の特定できる?」
「ああ、GPS機能を一応搭載してある」
「食事機能は付けなかったのに?」
「当たり前だ。ロボット状態で食事をするなんて考えなかったからな」
湖樋の挑発に、八橋は呆れたような表情をするがそこは大人。切り替えが早く、車の運転席に乗り込みパソコンをいじりだした。
たちまち現在の和沙の位置を把握する。
「ここから北の方で同じ所をグルグル回ってるな」
首を捻る八橋とは反対に、納得したような顔をする三人。和沙が方向音痴である事を長い付き合いで知っている三人は、内心で「迷子だ…」と苦笑していた。今は和沙の意識がロボット内にあるか謎だが。
そんな事は露知らず、八橋は指示を飛ばしていく。携帯端末を持っている湖樋と慎にはこの付近にある圏外の場所を探させ、結衣にはハイキング用に持ってきた道具を片付けさせる。八橋はその間にロボットへ外部から情報を与える事で、見つけ出した圏外の場所に誘導する手筈を整えておくことを約束した。
「作戦はそれでいいな?」
三人はこくりと頷く。まあ、結衣は片付けなので作戦に参加はしないのだが。
「じゃ、行ってくるー!」
携帯端末片手に湖樋は川の方、慎が林の方へとそれぞれ別方向に走り出した。