怒りの感情
フライングユニットを使用したいが、起動に必要なデバイスのガンブレードは今ケミネが調整中、タイミングが悪い。
「頼むぜ……早まるなよ!」
ガンマに出来ることは一秒でも早く老人に追いつくことだけ。走行中の車の屋根を蹴り道路を横断し、商店街の人ごみはアーケードを足場に走る。
人間離れした身体能力のアクトが本気を出せば、老人に追いつくことぐらい造作もないが、目的地につくまで老人を発見することはできなかった。
「タクシーを使われたならアウトだ、俺の見逃しであってくれ!」
心から祈る。
中央バンクの周辺に野次馬はいない。
一歩間違えれば、ギアが外に出てきて襲われるかもしれないのだ、そんな危険を冒してまで野次馬をする物好きはいない。
「どけ! ブレイカーのガンマ・アクトリプスだ、身分証明? 知るか! いいから通せ!」
警備の人間を押し退け、正面玄関前まで辿り着いたガンマが見たものは、強化ガラスの自動ドアを染め上げる血、その下から流れ出る血。視界が真っ赤に染まる。
絶望がガンマを襲う。だめかもしれない、そんな言葉が頭を過ぎった。
喉が渇き、手足が震える。
ギアが怖いからではない、現実を見るのが怖いから震えているのだ。
それでも震える足で自動ドアの前に立つが作動しない。電源が切断されているのだろう血で染め上げられているせいで中の様子を窺うことはできないが、妙に静かだ。
「おい、お前らが持つ中で一番強力な武装を渡せ、ここから先はブレイカーの管轄だ」
人間の警備員に告げ、武器を取りにいったん戻る。
少々頭に血が上り、正常な判断が出来なくなっていたようだ。さすがに素手で乗り込んでもギアが相手だ、用心に越したことはない。
「あ、これです」
渡された物は三十八口径のハンドガン二丁。
確か、大型トレーラーさえもぶち抜くと比喩された品だったのを思い出し、それを装備。再び自動ドアの前に立ち、躊躇いながらも手でドアをこじ開ける。
ガンマの視界に飛び込んだのは凄惨な物だった。
事務員の格好をしたギアが、殺した人間を待合の椅子に座らせている光景。
中には受付で業務を実行し続けているギアまでいた。その光景は実に仕事に忠実で大勢の死体が生きた人間であれば、日常となんら変わりはないだろう。
椅子に座らされた死体の顔を一つ一つ覗き込む。
それこそ祈るような心持で――
「……そんな……嘘……だよな」
――震える声と震える手で死体の頬に手を伸ばし、顔に付着した血を拭う。
「おい……マリムのパーツ……買う……て、喜んでいただろ? なぁ……」
まだ温かい、殺されて五分も経っていない。
頭に血が上っていくのを生まれて始めて感じた。
なぜこんないい人間を殺した?
なぜ警備の無能どもはこんないい人間を中へ通した?
銃のグリップが軋む、その音は静かな室内に響いた。
撃ちたい。出来ることならば、跡形も無く中央バンクを吹き飛ばしたいが、ガンブレードがない今、出来るのはギアの殲滅だけ――そして不意に気づき、呟いた。
「…………そうか、絶望の中に生まれた幸いってのはこれか……」
――老人の隣で息絶えているのは、ガンマのよく知る老婆だった。
その手には、大事そうに血で染まった宝くじが握られている。
よほど嬉しかったのだろう、老婆が持つ鞄から、これまた血に染まったアクトのパーツカタログが覗き出ていた。
「逝く時は……二人一緒に逝けたかい? マリムなら心配するな……俺が……俺が……」
人間のために、理性が飛ぶほど怒るのは初めてだ。
人間に対して怒りを覚えたことは多々あれど、人間のために自分の理性を軋ませるのは初めての感覚だった。ついさっきまで笑顔で笑いあった時間が脳内でフラッシュバックし、次いで浮かんだのは、ギアに対する怒りだけ。
金属が拉げる音が室内に響き、視線を手元に移すと、銃のグリップが砕けていた、もちろん両手の二丁の銃は使い物にならないだろうが――
「ちょうどいい……弾丸でドタマ吹き飛ばして終わり……そんなんじゃ俺の気が治まらないよ……首を捻り、腕を捥ぎ、全身の骨格を砕いてもまだ足りない……そうだ、AIだけ生け捕りにして終わることの無い仮想の拷問世界に意識を放り込もう、永遠に」
暗い愉悦の笑みを浮かべ、喉仏部分に指を突っ込み、部品を取り出す。
『動作制御システムダウン、これより十二時間以内にシステムを復旧させてください。尚、過度の動作は強化骨格に損傷を――』
「うるせぇ!」
脳内に響く警告メッセージに怒鳴る。
同時に事務員たちの視線がこちらを向いた。