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偽りの聖女を断罪するのは私――前世の記憶を武器に王宮の闇を静かに暴く  作者: 渚月(なづき)


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第4話 雨の日の借りと騎士の外套

配給日の前夜は、眠れなかった。


寝台の上で天井を見つめながら、何度も段取りを頭の中で繰り返す。南門広場に到着する時間、荷馬車の位置から物資を数える方法、オルガや関係者に見つからないための動線。前世の監査で、現場確認のために倉庫に忍び込んだ夜のことを思い出す。あのときも心臓はこんなふうに鳴っていた。


配給日の当日は、雨だった。


南門広場に着いたのは、配給開始の一時間前。まだ人はまばらで、荷馬車が二台、広場の端に停まっている。馬の背に雨粒が跳ね、石畳が濡れて光っている。


私は目立たないよう、フードを深くかぶって広場の隅に立った。カイが隣にいる。騎士の制服の上に地味な外套を羽織り、普段より目立たない格好をしていた。剣は腰にあるが、外套で隠れている。


「一緒に来なくてもよかったのに」


「護衛だ」


それだけ答えて、カイは広場を見渡した。視線が素早く全体を走査する。出入り口の数、人の配置、退路。騎士の目だ。


やがて荷馬車から物資が降ろされ始めた。小麦の袋、干し肉の箱、布の反物。荷下ろしをしているのは、王宮の従者ではなく、雇われの人足だった。指示を出しているのはオルガの部下らしき男。私は離れた場所から、数を数えた。


小麦は四十二袋。報告書では八十袋の予定だ。半分しかない。


干し肉の箱は十五。報告書では三十。布の反物は八。報告書では二十。すべてが約半分。見事なまでに一貫した水増しだった。


配給が始まると、貧民街の人々が列を作った。母親に手を引かれた子ども、杖をついた老人、疲れた顔の労働者。雨に打たれながら、じっと順番を待っている。一人あたりの配分は少ない。小麦は小さな袋に移し替えられ、ひと家族に一つ。それでも、受け取った人の顔には安堵があった。


聖女の慈善に感謝します。そう呟く老人の声が、雨音の向こうに聞こえた。


しかし、広場の奥でオルガが書記に何かを記録させている。あれがおそらく、「八十袋配給した」という報告書の元になる。実際には四十二袋しかない物資を、書類上は八十袋と記録する。差額の三十八袋分の金が、どこかに消える。


これだ。これが養父に被せた横領の正体だ。養父の花の納入額を水増しし、差額を別の不正に付け替える。発覚しかけたから、養父を横領犯に仕立てて口を塞いだ。


怒りで視界が赤くなりかけた。拳を握りしめたとき、指先が冷たいものに触れた。


雨が強くなっていた。フードの隙間から雫が落ちて、頬を伝う。寒さではなく、怒りで体が震えている。


ふいに、雨が止んだ。いや、止んだのではない。頭上に影が差した。


カイが、自分の外套を広げて、私の上にかざしていた。


「濡れる」


「あなたのほうが濡れてます」


「騎士は濡れても平気だ」


無表情のまま、そう言った。言い方は素っ気ないのに、外套をかざす手は丁寧だった。片手で外套を支え、もう片手は剣の柄に添えたまま。どちらの役目もおろそかにしないのが、この人らしい。


(……変な人)


でも、少しだけ、握りしめていた拳がゆるんだ。怒りに飲まれそうだった心が、一歩引いた場所に戻れた。


「カイ。あなたに見てほしいものがあります」


「何だ」


「あの荷馬車の物資を、あなたも数えましたか」


カイの目が、わずかに細くなった。


「四十二だ。小麦の袋は四十二」


やはり数えていた。この人は、ただの監視役ではない。壁に背をつけて黙っているように見えて、全てを見ている。


「報告書には八十袋と書かれるはずです。差額が、ずっと消えている」


「それが、君の探していたものか」


「その一部です」


カイは外套をかざしたまま、しばらく黙っていた。雨音だけが響く。広場では配給が続いている。子どもが母親の手をぎゅっと握りながら、小麦の袋を大事そうに抱えていた。


「……俺は、命令で君の護衛についた。だが」


言いかけて、口を閉じた。そして小さく息を吐いた。黒髪に雨粒がついていた。


「見なかったことにはできない性格でな」


それは、私と同じだった。



会計院に戻り、濡れた外套を椅子にかけた。カイの外套は返したが、自分の服はかなり湿っている。椅子に座ると、じわりと冷たさが染みた。


トーマスが紅茶を差し出してくれた。いつもより少し熱い。湯気が顔にかかり、冷えた頬がじんわりと温まる。


「配給を見てきたのだね」


「はい。数が合いません。現場で確認しました。小麦、干し肉、布地、すべて報告書の約半分でした」


「そうか」


トーマスは眼鏡を拭きながら、静かに言った。表情は変わらないが、手の動きがいつもより遅い。


「私がこの会計院で三十年働いてきた中で、あの特別会計に手をつけようとした者は何人かいた。全員、理由をつけて排除された。異動、降格、冤罪。手口はさまざまだが、結果は同じだ」


「私も排除されると?」


「されないように動かねばならない。証拠は複数用意しなさい。一つ潰されても、次がある状態にしておくこと。そして、提出するまでは誰にも見せないこと」


前世の上司も同じことを言っていた。内部監査の鉄則。証拠は分散して保管し、一つの経路に依存しない。


「トーマス様。配給の記録だけでは弱いです。寄付金の流れも押さえたい。フォーゲル伯爵からの寄付がいくらで、実際にいくら使われたのか」


「フォーゲル伯爵か。彼は聖女の最大の後援者だ。毎年の聖女感謝祭では、最も多額の寄付を行い、民の前で称えられる。同時に、聖女の事業を通じて利権を得ている疑いもある」


「利権?」


「孤児院への物資納入は、すべてフォーゲル伯爵の領地から行われている。寄付をしているように見えて、自分の領地の産品を高値で王宮に買わせているとしたら、差し引きで利益が出る」


なるほど。寄付者と納入業者が同一人物。完全な利益相反だ。前世の会計基準では一発で指摘される案件だが、この世界にはそうした規制がない。


「その取引記録は?」


「オルガが管理している。会計院にはない」


また、オルガ。すべてがオルガを通り、王妃のもとへ上がる。オルガが門番であり、鍵番であり、番犬でもある。


しかし、別の切り口がある。フォーゲル伯爵の領地からの物資輸送には、街道の通行記録が残るはずだ。荷馬車の数、重量、通行税の記録。これは会計院でなく、街道管理局の管轄だ。


「街道管理局の通行記録を閲覧することはできますか」


トーマスが、ふっと笑った。丸眼鏡の奥の目が、初めて少し楽しそうに光った。


「できるとも。会計監査は、すべての部署の記録を閲覧する権限がある。それが、この地味な部署の唯一の強みだ」


翌日、街道管理局に閲覧申請を出した。


その日の夕方、カイが珍しく口を開いた。


「街道管理局に申請を出したこと、もう王妃の耳に入っているだろうな」


「わかっています」


「次に何か起きるとしたら、早い。明日か明後日だ」


カイの予測は、その通りになった。


翌朝、会計院の扉を開けると、私の机の上に一枚の紙が置かれていた。


「臨時監査官補佐の任務範囲について、再確認の面談を実施する。明日午前、王妃執務室にて。——侍従長オルガ」


呼び出しだ。想定より早い。しかし、想定はしていた。


けれど、怯えている場合ではない。呼ばれるなら行く。ただし、手ぶらでは行かない。


私は帳簿を開き、今ある証拠を頭の中で整理し始めた。何を見せて、何を隠すか。それが明日の面談を生き延びる鍵になる。


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