表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「今更対策しても、もう遅い♡」と毎月ざまぁをしてくる花粉ちゃん  作者: 田中田田中


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/12

8月 保健委員ヒノキのお薬手帳抜き打ちチェック♡

 八月。

 花粉の気配がほとんどない真夏は、僕がいちばん油断する季節だ。


 鼻も目も落ち着いていて、「今年はもう勝ったかも」なんて思ってしまう。

 ——甘い、と言われる未来が見えるのに、僕はやっぱり甘い。



 ◆◆◆◆◆



 その日の昼休み、僕は廊下で名前を呼ばれた。


「点鼻くん」


 振り向くと、保健委員のヒノキさんが立っていた。


 白衣の袖をきっちり整えて、無表情。

 なのに視線だけが逃げ道を塞ぐみたいに真っ直ぐで、僕は足を止めるしかなくなる。


「……な、何かありましたか?」


「抜き打ちチェック。 来なさい」


「え?」


 その淡々とした透明な声で言われると、自然と従ってしまう。


「今、花粉の季節じゃ……」


「だから油断する。 甘い」


 即答。


 ヒノキさんは僕の手首を掴んで歩き出した。

 冷たいはずの指なのに、触れられた場所だけ熱い。


 保健室に入ると、消毒液の匂いがいつもより強く感じた。

 彼女は椅子を引いて僕を座らせ、机の上に手を差し出す。


出して(・・・)


 冷淡な声に、僕は何を出せばいいのかわからなかった。

 その意味を考えあぐねていると、ヒノキさんは僕のズボンに手をかけた。


「な、何を……あふっ!」


 そのまま僕のズボンの左右のポケットを確認するヒノキさんに、僕は鼓動が鳴りっぱなしだった。


「ないの? お薬手帳よ」


 ズボンを触って「出して」だなんて言うものだから、危うく別のものを想像してしまった。


「あっ……そ、そうですよね! 手帳、ですよね……」


 ヒノキさんが意味もなくそんなことをするはずがない。

 イケナイことを考えてしまうのは、既に僕は花粉で頭がやられているのだろうか。


「何だと思ったの?」


「い、いえ……その、なんでもないです」


 想像していたことと違って少し残念に思っているだなんて、そんなこと言えるわけない。


「スマホアプリに入れているんです」


 僕はズボンではなくブレザーの胸裏ポケットを探り、スマホを取り出した。

 そのままお薬手帳アプリを起動し、彼女に渡す。


 ヒノキさんは受け取ると、丁寧に確認しながらスクロールしていく。


 コツ、コツ、コツ。

 爪の音だけが聞こえる。


 その爪が短くて、手の動きが綺麗で、僕はなぜかそこばかり見てしまう。

 『先ほどの光景』のせいで、そのきれいな指さばきですら、余計な脳内補間が起きてしまっている気がする。


「一日一錠、毎晩飲む薬ね」


「はい……」


「ここ、飲んでない日がある」


「す……すみません」


 ヒノキさんは更に指を滑らせる。


「点鼻くん」


「は、はい」


「顔、上げて」


 言われて顔を上げると、ヒノキさんが少しだけ身を乗り出していた。

 距離が近い。


「この『飲み忘れ』の理由、言える?」


「ええと、忘れてました……」


「違う」


「え?」


「忘れていいと思ってた。 症状が出てからでいい、って」


 図星だった。

 僕の喉が詰まる。


「ええっと……はい」


 椅子の背にもたれた僕の肩に、ヒノキさんの手が置かれた。


「っ……!」


 でも、近い。

 背中に気配がある。

 髪の匂いがする。冷たい匂いじゃなくて、清潔な石鹸みたいな匂い。


「毎晩継続して飲まないと、意味がないの。 わかる?」


「は……はい」


 ヒノキさんは手帳アプリを閉じ、そのまま慣れた手つきでアラーム設定画面を開く。


「ヒノキさん、何を……」


 その時、ピコンと音が鳴る。


「点鼻くん、時間よ♡」


 それはヒノキさんから聞いたことのない、澄んでいて、それでいてとても甘いささやき声だった。


「ほら、早く……お・ク・ス・リ、飲みなさい♡」


 何を考えているのか分からない無表情の顔のまま、ささやき声だけは透き通って甘ったるい。

 僕の緊張がさらに加速していく。


 僕はもしかして、何かを誘われているのだろうか?


 保健室、誰もいない密室。

 こんなところで、いったい何を――


 そんな僕の純情を遮るように、ピコリンと何かが完了する音がした。


「……点鼻くん」


「は、はい……」


 僕が聞き返すよりも前に、スマホから声が再生される。


『点鼻くん、時間よ♡――ほら、早く……お・ク・ス・リ、飲みなさい♡』


 先程の甘い(ささや)き声だった。

 そう、彼女はアラーム音を録音していたのだ。


「これで、忘れることはないわね?」


 こんなアラームが毎朝鳴ったら、とても正気でいられる気がしない。


「今更『いらない』なんて言っても、もう遅い」


 ヒノキさんはそう言いやっと、スマホを返してくれた。


「あっ……」


 その録音ボイスは聴いているだけでイケナイ気持ちになりそうで、既に消したくなっていた。

 しかしヒノキさんの貴重な甘いボイスは消してしまったら二度と聴けないことに気付くと、削除のボタンは一向に押すことが出来なかった。


 残された僕は、胸にスマホを抱えたまま動けなかった。

 保健室の消毒液の匂いが、さっきより甘く感じる。


 ——今日、夜八時。

 その時間が来るのが怖い。

 でも、少しだけ……楽しみなのが、もっと怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ