7月 後輩運動部員カモガヤの放課後ペアストレッチ♡
七月。
放課後の体育館裏で、僕は帰り道を完全に塞がれた。
赤いジャージの女の子が、汗で前髪を額に貼りつかせたまま、にこっと笑う。
「センパイ、ちょっといいっすか」
その呼び方と語尾で分かった。
カモガヤ――後輩で陸上部に所属している子だった。
◆◆◆◆◆
「僕、用事が……」
弱く言う前に、カモガヤは僕の手首を両手で掴んで引いた。
手が温かい。
汗の匂いが健康的で、僕の心臓が先に苦しくなる。
「ペアストレッチ相手いないんすよ。 センパイ、ほら、アタシを助けると思って!」
詰め寄り方が脅している風なのに、その笑顔が無邪気で逆らえない。
結局僕はグラウンド脇のマットに座らされ、カモガヤは僕の足を自分の太腿に乗せた。
「まずはセンパイの番っすよ♡」
距離が近い。
触れ方が遠慮なくて、僕は声が裏返りそうになる。
「ぼ、僕は運動しないからいいよ……!」
運動部でもなく、これから走るわけでもない。
今の僕は、ただの後輩のストレッチの相手なんだから。
「いいから、いいから♪ それに運動しなくても、ストレッチはしておいた方がいいっすよ~!」
カモガヤは足首を支え、ゆっくり押してくる。
「ほら息吸って、吐くっす♪」
「すー、はー」
僕もそれに合わせて吐く。
すると顔が近づいた。
カモガヤの頬がほんのり赤い。
汗が光って、僕は目のやり場に困る。
もしここで指でも絡められたら、僕はたぶん逃げられない。
「次は、上半身っす」
カモガヤは背後に回り、僕の肩甲骨に手を当てて胸を開かせた。
背中越しに体温が伝わる。
僕は息を吸いすぎて、胸がきゅっと鳴る。
「センパイ、緊張してるっすか?」
囁きが耳に当たり、僕は小さく身悶えてしまう。
「顔でバレてるっすよ♡」
カモガヤは笑って、僕の腕を自分の肩に回させた。
なんだかこれ、抱きついてるみたいだ。
年下の後輩なはずなのに。
服越しに香る柔軟剤と汗が混ざったような少し甘い匂いと、そして後ろから押し付けられるやわらかい何か。
押される手も、押さえつけられる足も、そして何かも。
女の子はすべてがこんなにも柔らかいものなのか。
あり得ない五感の情報量に、僕の頭が真っ白になる。
なのに、僕の身体は別の方向で裏切った。
汗と芝の匂いで喉がむずむずして、僕は小さく咳き込む。
「ごほっ、ごほっ!」
カモガヤは腹を抱えて笑う。
「センパイ、いいとこで台無しっす!」
僕は涙目で「ごめん……」と言うが、カモガヤは柔らかな指で僕を押しながら、さらに甘く追い打ちした。
「ほら、交代っすよ! 今度はアタシを押してくださいっす♡」
僕は頷くしかなく、放課後の夕陽より赤い顔で、健康的な汗の匂いをずっと胸に残したまま。
今度は僕がカモガヤの背中を押す。
僕の手のひらにジャージ越しの体温が伝わり、脳が処理を諦める。
「んっ、んんっ……!」
ただストレッチをしているだけのはずなのに。
「ふぅんんっ……♡」
なんだかイケナイことをしているように、聞こえてしまう。
「だ、大丈夫……?」
カモガヤは顔を覗き込んで笑う。
「大丈夫っす。 センパイが受け止めてくれるから」
僕は逃げたいのに、両手はカモガヤの腰の横に置かされ、支えるしかない。
「ほら、最後っすよ♪ まっすぐ、キてくださいっす♡」
最後に足をまっすぐ伸ばし、前屈をするためにお尻を向けてくる。
そのセリフは、本当に僕を誘っているわけではないのか、僕が口下手でなければ問いただしたいところだった。
カモガヤの前屈をサポートするために、それほど重くない僕は体重をかけてその背中を押そうとすると、僕とカモガヤの接地面積がありえないほどに密着する。
「そのままホントーに、キても、いいんすよ……♡」
やがて密着したカモガヤの髪から石鹸みたいな匂いがして、僕はまた心臓が跳ね、同時に喉がむずむずしてくる。
「コホッ、コホッ、コホッ!」
カモガヤは「もぉーっ!」と笑って、僕の背中を優しく撫でる。
「センパイ、花粉症って便利っすね。 責任ぜんぶ花粉にできる」
僕は「そんなつもりは……」と弱く返す。
「でも、その手はアタシには通用しないっすよ♪ ほら、おクスリ、常備してるんす♡」
カモガヤはペットボトルを持ったまま僕の唇の近くで止め、いたずらっぽく囁いた。
「今更『飲まない』って言っても、もう遅いっすよ♡」
カモガヤから市販薬とボトルを渡され、僕は観念して飲む。
飲んだのは水だったはずなのに、少しだけ甘い味がして。
その意味を確認するように先程僕が口をつけたペットボトルを確認する。
それが飲みかけのものだったことに気付いた時には、僕の手にはペットボトルはなくなっていた。
「くすくすっ、イタダキっす♪」
「あっ……」
いつの間にか僕の手から奪っていたカモガヤは、そのままゴクゴクと喉を鳴らしながら、豪快に飲んだ。
その「イタダキ」の意味が、僕の初めての間接キスを奪ったからのように聞こえてならなかった。
「ありがとね、セ・ン・パ・イ♡」
「えっ、それって……どういう」
そして続く意味深な感謝の言葉に、思わず先ほどボトルを飲ませたのがワザとなのではないかと思い返し、ごくりと唾をのんだ。
「やだなぁ、も~っ! ストレッチに決まってるじゃないっすか~♪ ス・ト・レ・ッ・チ♡」
人差し指を唇に当ててそのぷるぷるな唇を強調する後輩の姿に、僕はリラックス効果のあるはずのストレッチの間、何故か終始緊張しっぱなしだった。




