10月 浴衣ヨモギ先輩の寸止め乾燥対策♡
十月。
秋は秋で、油断できない。
九月の咳が落ち着いた僕は、「もうピークは過ぎたかも」と思ってしまった。
——甘い。
その僕の甘さを、ヨモギ先輩が笑って包み込む。
◆◆◆◆◆
秋祭りの夜。
提灯の光が揺れて、屋台の匂いが甘くて、僕の頭がぼうっとする。
ヨモギ先輩は和菓子屋の看板娘らしく、浴衣姿で僕の前に立っていた。
「症太郎くん、似合うわね」
「先輩の方が、お似合いです、その浴衣」
「ありがとう♡ ふふっ……その顔、緊張してる?」
「してます……。 人混み、苦手で……」
本当は憧れの先輩の隣を歩く僕に緊張していただけなのだけれど、僕は本当のことを言いたくなかった。
これも彼女にバレてしまっているのだろうか?
「大丈夫。 迷子にならないように、ほら♡」
そう言って、先輩は僕の手を取った。
「あっ」
指が絡む寸前で、ゆっくり、丁寧に。
「ブタクサの季節が去ったら終わり、って思ってる? 甘い甘い♡」
それだけで心臓が跳ねるのに、先輩は平然としている。
「冬が近づくと、乾燥の季節。 今度は喉がやられちゃうのよ♡」
囁きで、耳がとろけてしまいそう。
「僕、喉弱いです……」
「知ってるわ。 だから、守るの♡」
守る、なんて言葉を優しい声で言われると、僕は簡単に揺れてしまう。
屋台の湯気がマスクを湿らせ、目がしぱしぱしてきた。
僕が瞬きをしたのを、先輩は見逃さない。
「来た?」
「ちょっと……しみます……」
先輩は人混みの影に僕を引き寄せ、屋台の煙から遠ざける。
その動きが自然すぎて、僕は余計に意識してしまう。
背中が壁に当たり、僕の前に先輩が立つ。
逃げ道がない。
「症太郎くん。 息が、浅いわ」
「えっ……」
それは先輩が近いからだ。
浴衣の柔らかい香りがして、僕は息を呑む。
「ほら、ノド、見せて」
「ええと、どうやって……ですか?」
ヨモギ先輩は僕の頬に触れてくる。
「はい、あ~~んっ♡」
「えっと、その……あーー」
彼女は純粋に、僕の喉を心配して診てくれているだけなんだ。
よ、余計なことは考えちゃダメだ。
「ノド、イガついてない?」
「ちょっと、イガつきます」
ヨモギ先輩は上から下から角度を変え、僕の口の中を覗いてくる。
特に下から見上げてくる時の謎の征服感が僕を満たしてこようとする。
口の中身を見せる行為は、なぜだか恥ずかしいことのように思えてしまう。
まるでカラダの隅々までを除かれているような、そんな感覚が僕を襲う。
「ほら、そういう時は、言わなきゃダメじゃない」
「す、すみません……」
そんな約束をした覚えはないけれど、ヨモギ先輩はみんなに優しい。
きっと困っている人を放っておけないのだろう。
「じゃあ、もっと」
「せ、先輩……! ち、近いですっ!」
先輩は近づいてきた。
「今更『近い』って言っても、もう遅い♡」
先輩はくすっと笑って、僕の目元を覆った。
「ほら、目を閉じて♡」
「は、はい……っ!」
ついに僕にもその時が来たか、と腹をくくり目を閉じる。
「わ、わわっ!?」
突如目を温かい何かで覆われ、視界が暗くなったままになる。
一瞬先輩の手で覆われたかと思ったが、あったかく湿っているその布は、おそらくタオル……だろうか?
「目が乾燥するときは、こうやって濡れタオルを使うといいの」
「あ、ありがとうございます……」
少しほっとしたと同時に、残念な気持ちになった自分がいた。
そして先ほど謎の意気込みをした僕をけなしてやりたくなった。
何を考えているんだ僕は。
先輩はただ、僕のことを心配してくれただけなのに。
「ふふふっ、見えないの……ちょっと不安?」
「い、いえ……先輩は、信用してますから……」
「嬉しい事言ってくれるのね♡ でも、そう言われると、ちょっとイジワルしたくなっちゃうかも♪」
「えっ」
目隠しされてそんなことを言われると、僕はどうにかなってしまいそうだ。
「ほら、これから症太郎くんは、何をされちゃうでしょうか♪」
突如始まるクイズ。
視界を遮られ、まるで特殊な状況下の先輩のASMRを聞かされているような感覚。
「えっ、ええと……!」
すると間もなく、僕の唇にやわらかい何かが「ちゅっ」と音を立てて触れてきたのだ。
「んぅっ!?」
やがて僕の唇全体に触れてくるそれは、そのやわらかさと、温かさと、甘さが僕の脳内をおかしくさせていった。
「んふぅ……んっ」
まさか憧れの先輩の口づけをもらえるなんて……とは思ったが、視界を遮られた僕はその事実をただただ受け入れるしかなかった。
口で呼吸できない初めての感覚に僕は、やがて脳へ向かう酸素量が減っていき、どうしていいか考えられなくなっていた。
「んぅぅっ!?」
その時、唇の表面を覆っていた甘い何かは、さらに僕の口の中に押し出されたのだ。
これは、深い方の……なのでは……?
普通のキスもまだだったのに、そんな初めての事に、耐えられるわけがなかった。
「ん……んんんっ!」
視覚情報が奪われて、唇も奪われて。
暗闇の中で感覚が一つなくなったことで、より触覚に集中してしまうから、余計にビクビクと震えてしまっていた。
いつしかその目はトロンと溶けてしまってした。
まるで先輩は僕の――というより人の悦ばせ方を知っているかのようだった。
生まれて初めての感覚に、僕は鼻血が吹き出しそうになるのを必死に我慢していた。
少なくとも鼻息は段々と荒くなっていた。
入れられたそれがやがて舌にそれが到達すると、先輩はしゃべり始めた。
「ほ~ら~、抵抗しないで、受け入れて♡」
そしてその舌に到達したものの球体のような形状と、そこから発される甘さがやってきたときに、僕は違和感を覚えたのだった。
先輩が、キスをしながら僕に向かってしゃべっている?
「そろそろいいかしら?」
目隠し……ではなく目の保湿のタオルを外されると、やがて視界がくっきりしてくる。
そこには僕をまっすぐ見つめているヨモギ先輩の姿があった。
そう、先輩は、僕にキスなんてしていなかったのだ。
「『薬草入りのど飴』、これうちの和菓子屋で売ってる新商品なの♪ と~っても、ノドにイイのよ♡」
僕がディープキスだと思っていた相手は、ただ口の中に押し込まれていたのど飴だったのだ。
残念がりながらその甘い飴を受け入れてコロコロと口内で転がす僕に、それまでの緊張が余計に恥ずかしくなった。
でも同時に、どうして先輩から放り込まれたのど飴が温かかったのか不思議に思っていた。
しかし、彼女が飴を空けた空の袋をポケットにしまっていたところに気付き、その正体はすぐにわかってしまった。
のど飴は彼女のポケットに長い事入っていたためにただ温かくなっていただけだったのだ。
「ありがとうございます……」
終始、「恥ずかしい」が脳内を渦巻く。
でも先ほどまでで最高潮に達していた僕のドキドキは、しばらく収まらなかった。
「大丈夫。 咳が止まったら、続き……してあげるから♡」
「続き……?」
先輩から答え合わせは返って来ず、僕の指を恋人繋ぎにしてぎゅっと握った。
提灯の光が、先輩の睫毛に揺れる。
僕は飴の甘さより先輩の言葉で溶けそうになる。
「ふふっ♪」
僕は口に放り込まれた薬草入りのど飴のせいで返事ができず、飴を舐めながらただただこくりと頷くしかなかった。




