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海原が枯れ、月が落ちる  作者: 佐斗部
海が枯れた日
2/3

荒凪 前編

 ……くそったれ! くそくそくそくそ!!!!


 今日のスサノオの心情は荒れていた。それに呼応して海も荒れまくっているし、加えて嵐も起こっている。

 彼は姉二柱がいるであろう空を睨み上げるが、豪雨と黒い雲に覆われて何も見えなかった。


 *


「今日でこの嵐、三日目だぞ」

「漁に出ている奴が言うには、一週間前から海は大荒れだったらしいな」

「やっぱ海辺にいる神様は駄目ねぇ。海が凪いだと思えば大荒れさせたり、それにおまけして嵐を呼んだり。忙しないったらありゃしない。少しは蠕。蜈・繧頑ァを見習ってほしいものよ。あの方を信仰し始めてから、村はずうっと豊作よ」

「だが、あの駄目な神様は偉く尊い神様が産み落としたんじゃあなかったか?」

「知らねぇよ、そんなこと。役に立たん神様より、役に立つ神様だ。それよか、日登美様に飯は持っていってやったのかね」


 スサノオがいる海岸の、その近くにある山に囲まれた小さな村。一軒を除き、家と言うには粗末な建物が並んでいる。そのうちの一軒の小屋で、未だに去らぬ嵐と鎮まらない波をどうするかの会合が開かれていた。

 先程会話に出た『蠕。蜈・繧頑ァ』になんとかしてもらおうかと声を上げるものがいるが、「蠕。蜈・繧頑ァにゃあ海や天候をどうにかする力はなかろうて」と冷静に言葉を返される。


「ならどうする。ここ最近は魚も食えねぇし、嵐で狩りも満足に出来ねぇ」

「こんなんじゃあ日登美様がお腹空かせちゃうわ。そうなれば蠕。蜈・繧頑ァも悲しまれてしまう」

「まあそれは大丈夫だろ。蠕。蜈・繧頑ァのお陰で作物には困ってないからな。そっちをたくさん食べて貰えばいい」

「海も嵐もその内鎮まるのでは? これだけ海が荒れるのが長引いてるのが初めてなだけで、今までもそうだったでしょう」


 一人の村人が言った言葉に、他がそうだなと賛同する。

 あの神様はころころと感情が変わるから、海が凪いだり荒れたり嵐を呼んだり、忙しない。どうしようもない。それに比べて蠕。蜈・繧頑ァは──。


 村人の愚痴が狭い部屋の中に飛び交う。蝋に灯された小さな火は、それがあまりに聴くに堪えないからかその身を大きく揺らした後に消えた。

 外では雨粒の音、風の音、木の枝が折れる音が混ざり合っていた。


 その数時間後、嘘のように海の波は鎮まり、嵐は去った。


 *


 スサノオは怒り続けると疲れが出て、ぼんやりとする。そうなると、それに呼応するように荒れた海も波を立てなくなり、嵐もたちまちに消えてしまうのだ。

 こうなるとスサノオは砂の上に身を横たえて空を見上げるのみになる。


 さっきまで私は何に怒ってたんだ? いや、妬んでた? それとも悲しんでたのか?


 最早怒りと妬み、悲しみの区別もついていない。ここ最近のスサノオにあるのは、父に対する真っ黒な感情と姉二柱に対する妬み、母に一目会いたいという慟哭、そして負の感情に疲れ切った時に出る、このぼんやりとしたものだけだった。

 彼を創り出したイザナギからすれば本来望んでいた形とは違うだろうが、確かに感情豊かである。

 ひたすらに怒り、ぼんやりとし、妬み、ぼんやりとし、悲しみ、ぼんやりとしていて、大変感情豊かに葦原中国で生きている。

 スサノオはこの感情をどうする事もできず、持て余していた。


 神という存在は大笑いするし、悲しんで涙を流すし、自分の気に食わないことがその身に起きれば怒る。宴を開けば盛り上がるし、困難が立ち塞がると困ってしまう。

 だが、それでも人間と比べると感情が希薄である。全くないわけではない。あくまで『人間と比べると』感情が希薄なのだ。

 神という器に人間と同等の感情量を注ぎ込むとどうなるか。すぐさま移ろいゆく感情とその感情の大きさに戸惑い、振り回されることになるだろう。きっと感情のコントロールが上手くいかず、癇癪を起こす人間の子供のようになる。感情に流されるままに神術を繰り出し、それを止めることも出来ずに周囲に危害を加え、周りの人間に疎まれることだろう。

 なぜそう言い切れるのか。

 身に余る感情の大きさに振り回されて、疲れて倒れ込んでいるスサノオがそうだからだ。

 

 神の身でありながら、人間と同等の感情量を与えられたのが、タケハヤスサノオノミコトなのである。

 スサノオを創り出したイザナギは、その在り方が歪であると見抜けなかった。何せ、前例がなかった事であったからだ。


 *


 スサノオが目を開いて初めて見たものは、酷く疲弊した男神──即ち、自身の父であるイザナギだった。筋肉が付いた身体と、女と見紛う程に美しい顔。一見すると非常に健康的である。

 しかし『疲弊した』と表したとおり、その目の下の隈とげっそりとした表情が、肉体と比べるとアンバランスで同情心を誘う。が、スサノオに芽生えたのはイザナギに対する怒りと、母であるイザナミへの憂いと同情心だった。

 何せ、(アマテラスとツクヨミも例外なく)スサノオが創られてから目を開くまでの一瞬で、『世界の在り方』と『イザナギが誕生してから今この瞬間までの出来事』が頭の中に流れ込んだからだ。


 この男、自分が母上との約束を破ったくせに、あまつさえ自分が被害者の様な面しやがって! 母上もこんな男と対になって生まれたばかりに……!


 今にも掴みかかりそうになる身体をなんとか抑えつけ、苛立ちを逃す為に左右に視線を向けた。そこにいたのは、スサノオよりも少しばかり早くに創られた姉二柱だった。二柱は言葉を失うほどに美しく──それでいて傍に立つ一柱は母によく似ていた。

 一、二、三。この場にいるのは、父であるイザナギを除いて三柱。そこでハッとしたスサノオは、先程まで頭の中に流れていたイザナギの記憶を思い出す。


『高天原の神々を統治する神。そしてこの地に残り、人間を統治する神。この二柱を最後に創って、終いにしよう。俺は隠居だ』


 記憶の中のイザナギは、確かにそう言っていた。二柱目のツクヨミで神を創るのは終いにするはずだったのに、何故自分がいるのか。スサノオにはそれが理解できなかった。

 彼が困惑している最中に、イザナギは言った。


「アマテラス。お前は高天原を統治しろ」

「はい」


 スサノオは特に異論なかった。彼女の後方から薄らと差し込まれる光が、とても暖かく、眩しい。きっとこの神は天を治めるのに相応しい神なのだと、彼は本能で理解した。

 

 次はこの地に残り人間を教え導く役割を、もう一柱の母によく似た神に言いつけるのだろうと、スサノオはその場を見守ることにした。きっと己を創った理由がその後に分かるはずだ、と。

 傍のツクヨミを前髪の隙間からひっそりと見遣る。スサノオは一目見た時から、ツクヨミのことが苦手だと思い込んでいた。母によく似ている顔をしている癖して、ツクヨミのその顔はイザナギの記憶の中の朗らかなイザナミや、激昂するイザナミを彷彿とさせることは全くなかった。

 ただ顔が似ている。それだけだ。

 笑みを浮かべず、瞬き一つせず。ただじっとイザナギだけを見ていたので、むしろ不気味で怖かったのだ。スサノオは彼女が人形か何かの様に見えて、瞬きと同様に呼吸すらしていないのではと思ったほどだった。彼女から醸し出される空気が冷たく感じるのも、それらが一端を担っているのだろう。


 やべ、なんか本当に寒くなって来やがった。


 スサノオは自分の中にあった怒りと困惑をすっかり忘れて、ツクヨミから目を逸らしたい一心でイザナギに視線を向ける。彼のその目がツクヨミに向けられて、その唇が彼女にこの地に残る様にと言葉を紡ぐのを待った。

 しかし、イザナギが次に視線を向けたのは自分であった。

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