冷酷だと噂の旦那様が、私の前でだけポンコツです
アルフレッド様は、戦場では返り血を浴びても眉ひとつ動かさず、政務では不正を働いた貴族を容赦なく切り捨てる……まさに『氷の処刑人』のようなお方だと聞いておりました。
◇〜第一章:世間の噂と、目の前の現実〜◇
私は、目の前で起きている光景を直視できず、思わず額を押さえた。
「……リリアーナ、すまない。ボタンが、その、言うことを聞かないんだ」
そこにいたのは、漆黒の軍服を完璧に着こなした麗しき公爵、アルフレッド・ヴァン・クロムウェル。
鋭い眼光は獲物を射抜く鷹のようで、その立ち姿は神々しいまでに冷徹──。
のはずが、今の彼は、シャツのボタンを一つ掛け違えたまま、指をわちゃわちゃと動かして途方に暮れている。
しかも、必死に格闘した結果、ボタンが一つどこかへ飛んでいってしまったらしい。
「アルフレッド様。……深呼吸をしてください。それは布です。敵軍の旗ではありません」
「わかっている。だが、この小さな円盤が私の指をすり抜けるのだ。……まさか、暗殺者の仕掛けた罠か?」
真顔で何を言っているのか──。
私はため息を吐き、彼に歩み寄った。
◇〜第二章:完璧超人の化けの皮〜◇
私、リリアーナが彼のもとに嫁いでから三ヶ月。
結婚前は「あんな冷血漢に嫁いだら、十日で凍え死ぬわよ」と友人たちに同情されたものだが、蓋を開けてみればこの有り様だ。
彼は確かに、門を一歩出れば完璧だ。
馬を駆れば絵になり、剣を振れば無敵。
会議に出ればその威圧感だけで反対派を黙らせる。
しかし、私の前──正確には寝室と居間──に入った途端、彼の全ステータスは“武力・知力“から“ポンコツ“へと極振りされるらしい。
◆
∮∮お茶会事件∮∮
「リリアーナ、私がお茶を淹れよう。君に最高の休息を……」
そう言って自信満々にキッチンへ向かった彼は、五分後、粉々になったティーカップの破片と、なぜか塩辛くなった紅茶──砂糖と間違えた──を持って戻ってきた。
∮∮読書事件∮∮
「この本は素晴らしい。君にも読んでほしい」
差し出された本は、上下が逆さまだった。指摘すると、彼は「……光の屈折でそう見えるだけだ」と耳まで真っ赤にして言い張った。
∮∮お着替え事件(現在進行形)∮∮
「リリアーナ……やはりボタンが見当たらない。どこかへ転移したようだ」
「……足元に落ちていますよ」
私は膝をつき、絨毯の上に転がっていたボタンを拾い上げた。
見上げると、アルフレッド様がシュンとした顔で私を見下ろしている。
その姿は、大型犬が叱られた時のそれだ。
◇〜第三章:ギャップの暴力〜◇
私は裁縫道具を取り出し、彼の目の前でボタンを縫い付け始めた。
至近距離。彼の体温が伝わってくる。
「……リリアーナ」
「はい、何でしょう」
「君は、私に愛想が尽きただろうか。外では皆が私を畏怖しているというのに、君の前では……私はあまりに無力だ」
針を動かす手が止まった。
顔を上げると、そこには“氷の公爵“の面影など微塵もない、不安げな一人の男がいた。
「アルフレッド様。私は、鉄の塊と結婚したわけではありません。完璧な彫像と暮らしたいわけでもありません」
私はあえて、少し意地悪く笑ってみせた。
「ボタン一つ付けられない旦那様の方が、お世話のしがいがあって可愛いですよ」
「……可愛い、だと?」
「はい。世界中で私だけが知っているアルフレッド様ですから。誰にも教えずに、独り占めできるのは光栄なことです」
その瞬間、彼の顔が沸騰したかのように真っ赤に染まった。
彼は口元を片手で覆い、視線を斜め下に逸らす。
「……ずるいぞ、リリアーナ。そんなことを言われたら、私はもう、君なしでは生きていけなくなる」
「あら、それはもう手遅れではありませんか? だって、明日のネクタイも、私がいなければ結べないでしょう?」
◇〜第四章:最強の公爵、最弱の生命体に敗北する〜◇
平和な日常を切り裂くように、隣国ギルビア帝国の侵攻という急報が舞い込んだ。
皇帝バッドガルダス。
征服した国の王族を一人残らず処刑する“血塗られた暴君“の進軍に、王国は震え上がった。
「もはや終わりだ……」
「あの狂帝に勝てるはずがない!」
狼狽える国王と震える重臣たち。
その静寂を、カツ、カツと硬いブーツの音が切り裂く。
「陛下、ご安心を。我が剣、我が命、すべては王国の盾として捧げましょう」
立ち上がったのは、氷の処刑人・アルフレッド公爵だった。
その瞳には一抹の不安もなく、氷の刃のような鋭さだけが宿っている。
戦略会議での彼は、まさに“戦神“そのものだった。
敵の補給路を断ち、地形を完璧に把握した緻密な作戦を次々と提示する。
その隙のない知略に、さっきまで絶望していた将軍たちも「公爵がいれば勝てる」と確信したほどだ。
戦場でも、彼の伝説は更新された。
押し寄せる数万の敵軍に対し、アルフレッド様は先頭に立って黒い旋風を巻き起こす。
圧倒的な武力で敵を蹴散らし、ついに本陣でバッドガルダス皇帝を真っ向から討ち取ったのだ。
「……終わったな」
返り血を浴び、月明かりの下で剣を振るうその姿は、語り継がれる英雄そのものだった。
◆
数日後。
凱旋した英雄は、屋敷の玄関を開けるなり、なぜかガチガチに緊張した面持ちで立っていた。
その腕には、ボロボロの毛布に包まれた“何か“が動いている。
「リ、リリアーナ。緊急事態だ。……援護を頼みたい」
戦場で皇帝を討ち取った時よりも切迫した声。
中を覗き込むと、そこには泥にまみれた、片手に乗るほど小さな子猫がいた。
「帰路の途中で、罠にかかっていたのを見つけた。……その、敵軍の罠ではないようだが……。一晩中、私に助けを求めて鳴きやまず……」
「アルフレッド様、もしかして……」
「飼ってもいいだろうか? 私が責任を持って教育する。……だが、先ほどから私の指を噛んで放さないんだ。これは新手の攻撃だろうか?」
見れば、彼の逞しい人差し指を、子猫が「みぎゃー!」と小さな牙で一生懸命噛んでいる。
最強の公爵は、攻撃を避けるどころか、指を引き抜く力加減すら分からず、真っ青な顔で硬直していた。
それからの日々は、公爵にとっての“戦い“の連続だった。
∮∮子猫の教育事件∮∮
「いいか。公爵家の猫として、品位ある歩き方を……待て、そっちはインク瓶だ! 貴公、退却せよ!」
アルフレッド様の厳格な指導など、自由奔放な子猫には通じない。
五分後、重要書類の上には黒い肉球スタンプが乱打され、アルフレッド様は「……作戦の練り直しが必要だ」と、墨で汚れた顔で力なく笑っていた。
∮∮猫じゃらし事件∮∮
「リリアーナ、この棒状の武器(猫じゃらし)は不良品だ。私が振っても、敵(子猫・グレッグ)は一向に屈服しない。むしろ、私のマントを登り始めたぞ」
必死に武器を振るアルフレッド様だが、その動きが“氷の公爵“ゆえにあまりにも正確すぎて、逆に猫に飽きられている。
結局、彼自身の揺れる軍服の飾り紐に子猫が飛びつき、公爵は廊下で転倒。
「……私の負けだ。この小さき獣、底が知れない」
床に大の字になりながら、胸の上で喉を鳴らす子猫を撫でようとして、また指を甘噛みされる。
アルフレッド様は痛みに顔を歪めながらも、その表情にはかつてないほどの慈愛が満ちていた。
「リリアーナ、見てくれ。……懐かれた。私という鉄壁の防御を、この子は容易く突破したんだ」
ドヤ顔で報告する彼の鼻筋には、小さな引っ掻き傷。
国家を救った英雄の面影はどこへやら。
◇〜エピローグ:愛すべき日常〜◇
翌朝。
屋敷の玄関には、冷徹な仮面を被った“アルフレッド公爵“の姿があった。
見送りの使用人たちは、そのあまりの威圧感に背筋を正している。
「では、行ってくる」
彼は短く告げ、馬車に乗り込もうとした。
だが、私は知っている。
彼の左足の靴下は、私が教えなければ今でも表裏あべこべに履いていたであろうことを。
そして今、彼の懐には、私が昨夜手渡した“お守り“──という名の、迷子防止用の屋敷の住所メモ──が大切にしまわれていることを。
馬車の扉が閉まる直前。
彼は私だけに聞こえる声で、小さく呟いた。
「……今日の夕食は、君が隣にいてくれないと食べられない気がする。早めに帰る」
扉が閉まり、馬車が走り出す。
使用人たちは「旦那様、今日も一段と冷厳なご様子で……」と畏怖の念を抱いているが、私は一人、口元を緩めた。
冷酷だと噂の旦那様は、今日も私の前でだけ、愛すべきポンコツなのだ。
〜〜〜fin〜〜〜
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