第九十九話
「ラッテさんの鍵を盗めばいいのね?」
「それはそうなんだが、もう少し穏便な言葉を選んでくれないか」
翌日の午前中、茶とクッキーを運んできてくれたクーアと私は書斎でそんな会話を繰り広げていた。クーアによると、ラッテもギヴンもいつも通りだったらしい。
こちらとしては、ラッテがいつも通りというのはとても助かる。魔法の能力は私より下かもしれないと推測しているものの、実際ラッテについてはなにも分からないのだ。
おそらくこの城で暮らす者の中で唯一イオリの味方である彼女とは、なるべく関わりたくない。
「穏便な言い方もなにも、黙って借りるんだから盗むのと同じじゃない」
クーアは言葉も堂々としていれば、ギヴンが持たせてくれたクッキーにも堂々と手と伸ばす。
「でもラッテさんの鍵は、メイド服のポケットに入ってるんでしょ? それをどうやって盗るかよね」
「いつかきみが盗人として捕まったときは、『そのうちやると思っていた』と雑談のネタにさせてもらうよ」
「ちょっと! 主犯格はエルでしょ!」
「声が大きい」
ラッテが日中どうやって過ごしているかはいまだ不明だ。もしかしたら書斎のそばにいるかもしれないのにそんな不穏な言葉を大声で言うなんて、軽率としかいえない。
「お風呂に入っている間に盗るのは? あたしがラッテさんと一緒に入って時間を稼ぐから、その間にエルが鍵を盗ってよ」
「……勘弁してくれ」
ラッテの入浴中を狙ったとばれたら、鍵の盗難と疑われるより先に覗き魔だと騒がれかねない。そんな不名誉な疑いをかけられてたまるか。
「狙うなら、入浴中よりも睡眠中の方がはるかに簡単だ」
「じゃあ今夜決行ね」
クーアの言葉は、昨晩見たイオリの魔法を忘れたのかというほどあっさりしていた。
「自分に任せてくれと言っているように聞こえるのだが?」
「それは、そのう……」
途端にクーアの元気がなくなる。彼女は夢屋の真似事はできても、盗賊の心得はないはずだ。眠るラッテの部屋にこそこそ入って鍵を盗ってくるという行為に、自信があるわけがなかった。
ちなみに私だって盗賊の経験はないので、まったく自信はない。ラッテの夢の匂いが分からないから、バクの通り道からの侵入も難しい。
しかし安全にキールを見つけて逃げるには、これが一番手っ取り早い方法だと私は考えている。
昨晩イオリが私に反応したのは鍵を持っていなかったからだというのが、私の推理だ。
イオリもラッテも魔法が使えるのだから、紛失や複製の恐れがある実物の鍵に頼る必要がない。それなのにわざわざ鍵を作ってラッテが持っていたからには、あの鍵の有無でイオリがドアの通行を許しているんじゃないかと考えたのだ。また強引に侵入を試みる危険をすぐに冒すくらいなら、ラッテの鍵を試してみる方がいい。
「……あまり時間がないのは事実だからな。仕方ない。鍵以外になにか手段を講じられてしまう前に行動するか」
「ふふふ、楽しみね」
まるでピクニックの約束でもしたかのような気軽さで、クーアはもうひとつクッキーを口に放り込んだ。
ふと、クーアが思い出したように言葉を紡ぐ。
「そういえばラッテさんって、大食いよね」
「そうだな」
「ほっそりした人なのに、どこにそんなに入ってるのかしら」
そんなクーアの呟きが、妙にひっかかった。
日記の解読で私を頼るほど魔法に自信がないのに、大量の魔力を蓄えるラッテ。
魔力が全ての源である魔術空間で大きな体を維持して、強大な魔力を見せつけてきたイオリ。
考え出せば、気になって仕方ない。
魔術空間は外から持ち込んだものでないかぎり、存在するものはすべて魔法で作られている。それは地面も同じだ。魔術空間の外から大量の土を運び込んで頻繁に入れ替えでもしないかぎり、イオリが根を張っている地面に栄養はない。
太陽や月だって、見た目は真似できてもそれだけだ。歴史に名を残す大魔術師といえども強大な魔力を生み出す太陽や月を作ったなんて話は存在しない。だからイオリが葉に降り注ぐ光から巨体を維持できるだけの魔力を吸収しているわけでもない。
いったいイオリは、あの強大な魔力をどうやって蓄えているんだ?
「エル。エルってば。難しい顔してどうしたの?」
「……ラッテの正体が分かりそうなんだ」
「正体?」
「ああ」
ギヴンがブレンドしたハーブティーで喉を潤し、言葉を続ける。
「昨晩あの大木が強力な魔法を使ったのは覚えているか?」
クーアがひとつ頷き返してくれる。
「魔術空間にあるものは魔法で作られているんだが、その空間を満たしている魔力は空間の維持はできても、あの大木が膨大な魔力を蓄えられるくらいやりくりする量はないんだ。おそらくだが、大食らいのラッテが食事から摂取した魔力をなにかしらの方法であの木に流している。つまり、ラッテはただの魔物ではない」
「それって、あの木とラッテさんが一体化してるってこと?」
「そうではないはずだ。あの木の根元にはドアがあるんだが、ラッテはわざわざ鍵を使って入っていた。私が魔法で鍵を開けようとしたら木が反応して攻撃をしてきたから、鍵の有無で通る者を選別していると思われる。しかしラッテがあの木と一体ならば、自分の体についているドアについてわざわざそんな選別方法を取る理由がない」
「うーん……エル、よく分かんないんだけど……」
「安心しろ、私も分からん」
唸るクーアに同意する。おそらく私たちが辿り着きそうになっている答えは、変態イオリが書き残した気持ち悪い日記の中だ。
「ただひとつ言えるのは、本当に用心すべきはあの大木ではなくラッテなのかもしれないな」




